幕間:~幽霊のひとりごと~
数センチ宙から見た景色①
あたしが幽霊になったのは、死んでから数日が経ってのことだった。
気づいたらシアターの中にいて、最初はなんとなくぼうっとしてたけど、だんだんと「あ、あたし死んだんだ」って気づく感じ。
徐々に現実を突きつけられたおかげか、不思議とショックはなかった。もっと生きたかったっていう気持ちも、自分でも驚くほど湧いてこない。それはきっと、もう十分過ぎるほどに生きるのを堪能したからだと思った。
その代わりに、あたしの頭に浮かんだのは、全然堪能できていなさそうな二人の顔だった。
お父さんもお母さんも、クラスの友達も、残してきたみんなのことは心配だし、もう会えなくなってしまったことは悲しい。ただそれ以上に、鳴瀬くんとお姉ちゃんのことが純粋に心配だったし、鳴瀬くんとの約束が果たせなかったのは悔しかった。
少しずつ現状が分かってきた頃、何度か外に出られないかと試してみた。だけど、見えない壁みたいなものに遮られて、あたしはこの映画館からは出られないみたいだと確信した。どこにも行けないあたしにできることは、ただここで待つことだけだ。
ここの常連だった鳴瀬くんなら、きっとすぐに来てくれる。そんなあたしの淡い期待は、結局叶うことはなかった。約束を破ったあたしに会いたくないのか、ただ受験で忙しくなったからなのかは分からないけど、いっこうに鳴瀬くんがやってくることはなかった。
学校も違う鳴瀬くんは、たぶん、あたしが死んだことを知らない。だったら、もし仮に彼が現れたとして、いったいどんな風に声をかけたらいいんだろう。鳴瀬くんに、きっとこの事実は重すぎる。
一人きりの幽霊生活は、ただ退屈な毎日だった。
最初はお客さんを驚かせて遊んだりしていたけど、それも飽きると、本当になにもない時間ばっかり。映画がタダで見放題なのは嬉しかったけど、その感想を言い合える相手もいないのは、虚しいだけだった。
そんな中で見つけたあたしの暇つぶしは、映画館スタッフの人たちの観察だ。アルバイトの人も社員の人もみんな個性的で、動きを眺めたり会話に聞き耳を立てているだけでも面白い。ただそこに住み着いてるだけの幽霊なのに、映画館の内部事情にまで結構詳しくなれたと思う。
鳴瀬くんも、高校生になったらここで働けばいいのに。ふと、そんなアイディアが頭に浮かぶ。あの自信のない性格も、この中で揉まれていけば少しは良くなるような気がしたから。だけど、そもそもあの性格じゃ、こんなにぎやかな場所をバイト先には選ばないか。
ちなみに、あたしのお気に入りのスタッフは、あたしが死んだ一年後くらいに入社した五反田さん。彼の映画に対する熱い感想を聞きながら、こっそり相槌を打つのがあたしの密かな楽しみだった。その一年後くらいに入ってきた一岡さんという女性スタッフといい雰囲気なのを見て、あたしはこれまた密かに応援しているけど、二人が一線を越える様子はない。
それが、あたしなりの映画館での楽しい過ごし方だ。
だけど、暇つぶしに苦心したのは、最初の一年くらいなものだった。幽霊になってしばらくが経つと、だんだんと意識が朦朧とする時間が多くなっていた。ぼうっとしてしまって、気づいたら時間が飛んでいるような感じ。その飛んでいる時間は、どんどんと長くなっていって、二年近くが経った頃には、ほとんど起きているのか寝ているのか分からないような感覚だった。
朦朧とする頭で、なんとなく直感する。
ああ。きっと、あたしはこのまま消えていくんだ。
この映画館には、あたしみたいな不思議な存在がたくさん住んでいて、気づいたらいなくなっている人も少なくはなかった。だから、あたしもその中の一人になるんだと思った。
もしかしたら、あたしみたいな例って珍しくないのかも。とりあえず幽霊にはなれたけど、なにもできずにそのまま消えていくパターン。分からないけど、それってなんだか悲しすぎるな。
毎日が、驚くほどの速さで過ぎていく。久しぶりにカレンダーを確認してみると、どうやらあたしが死んでから三年近くが経とうとしているみたいだ。
鳴瀬くんはそろそろ大学受験かな。テストの時、余計な緊張をしていないといいけど。
お姉ちゃんはちゃんと社会人やれてるのかな。お父さんやお母さんと、仲良くやれていればいいんだけど。
観客の動員が一人もないシアターに入り込んで、もう何度目になるか分からないアメリカの映画を眺めてみる。どうしてか、悲しいシーンでもないのに、突然涙があふれていた。
あ、幽霊でも涙って出るんだ。っていうのが最初の感想。それから、痛感をした。
あたし、平気なふりしてたけど、全然平気なんかじゃなかったんだ。鳴瀬くんやお姉ちゃんに、あたしがいないとダメだなんて思ってたけど、そんなのはあたしも同じだった。あたしも、二人がいてくれないと、途端に弱い人間になってしまう。
もうこれ以上ここにとどまっていられない。二人に会えないなら、この世界に残り続ける理由なんてないから。
そう思った時、遅れて入ってくる一人のお客さんがいた。とっさに姿を消そうとした時、そのお客さんの顔が目に入って、思わず固まってしまっていた。
遅れて入ってきたその女性客は、お姉ちゃんだった。その表情は虚ろで、苦しみの真っただ中にいるんだと一目で分かった。
消えかけていた意思がよみがえる。あたしには、まだここにとどまり続ける理由がある。
鳴瀬くんがアルバイトとしてここに現れたのは、それから一か月ほどが経ってからのことだ。きっとこの時のことを見越して、あたしはここに存在していたんだと確信した。
ここから出ることもできない、身体に触れることもできない今のあたしに、いったいなにができるだろう。その精いっぱいを必死になって考えた。
鳴瀬くんがこの映画館で楽しく働いて、自信を付けられるように。
そして、自分から自然とあたしの死にたどり着けるように。
お姉ちゃんが自分の気持ちを吐き出せるようになれるように。
そして、お父さんとお母さんと自然な関係になれるように。
二人を引き合わせれば、何かが変わる確信があった。お互いに欠けている何かを、二人ならきっと補い合える。
その計画を実行するためには何か理由が必要だったし、どうせやるなら楽しい方がいい。だから、七不思議というアイディアが頭に浮かぶまで、それほど時間はかからなかった。
この三年間で見聞きした情報をかき集めて、どうにか七つの謎を組み上げる。この最後の一つまでたどり着いた時、きっと何かが変わっていることを信じて。
そんな祈りを込めて、あたしはそれをお姉ちゃんに託した。
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