暗転

 映画の主人公は高校生の少年だった。

 冒頭では、彼の学校での日常が描かれた。お調子者の彼は、一見すると学校でも充実した生活を送っているように見える。だが、薄っぺらな人生を送る自分に、どこか空しさを抱えているような描写も織り込まれていた。


 そんな彼の毎日に変化を与えたのは、一人の転校生の少女だった。偶然にも隣同士の席になった二人。少女の方は、真面目で不器用な性格で、真逆な二人は反発しながらも惹かれ合っていく。観ているこっちが恥ずかしくなるくらいに、それは幸せな時間だった。


 とある地方都市で暮らす二人は、高校を卒業したら上京して一緒に住もうと約束をする。薄っぺらな人生に悩んでいた主人公の少年も、その頃には未来を見つめることができるようになっていた。

 だけど、そんな二人の幸せな時間も長くは続かない。ある日突然、女の子の方がとある難病に罹ってしまうのだった。それは確実に彼女の身体を蝕むもので、突きつけられたのは、余命わずかというあまりにも残酷な現実。

 事実を受け止めきれない少年の絶望の表情が、スクリーンに大きく映し出される。僕は早くも胸が張り裂けそうになっていた。


 思わず、隣に座る二人の方を見てしまう。二人とも、真剣な表情でまっすぐにスクリーンを見つめていた。

 呼びかけてみたい衝動に駆られて、どうにかそれを押し留める。気を遣う必要のあるお客さんはいないけど、それでも、映画館という場所がそれを憚らせた。


 少女は入院して、作中では病院の中でのシーンが増える。少年の献身的な看護が良かったのか、少女の容体は安定して、落ち着いた状況が続く。だが、少女の身体が長く保たないことは分かっていて、東京に出るという夢が叶わないことも二人は察していた。

 高校三年の冬が近づく。少女の容体は悪化していき、だんだんと二人に残された時間が少ないということが分かってしまう。二人はいよいよ追い詰められていた。


 僕は思う。近づいてくる終わりに立ち向かうって、どんな気分なんだろう。

 僕の心は勝手に主人公たちの心境を想像して、まるで自分のことのように苦しんで悲鳴を上げている。

 僕にとってのヒロインの少女である葵の死は、予期できたものではなかった。だから、今の僕が感じている苦しみは、あくまで想像に過ぎないはずだ。だけどもしかしたら、僕たちは今、二度目の別れに向かっている最中なのかもしれない。


 この映画が終わった時、きっと葵はもうそこにいないのだから。

 映画の終わりが、葵と過ごせる時間の終わりだ。いつもお決まりの、映画の感想を語らう時間はない。エンドロールが終わるまでのおよそ二時間が、僕たちに与えられた最後の時間だった。

 終わりが来ると分かっていて、どうして僕たちは映画なんて観るんだろう。人によってはおかしいと思われるかもしれないけど、その方がきっと僕たちらしかった。

 三年前、葵は確かに事故で死んでしまって、本来ならこの約束が叶うことはないはずだった。だから今のこの時間は、神様がくれたおまけみたいなものだ。

 僕は、そのおまけを噛み締める。


 少女の体調は悪化の一途をたどり、いよいよ少年の心は限界に近づいていた。少女は眠ってばかりいる時間が増えて、ほとんど会話もできない日々が続く。

 それは雪の降る日のことだった。

 その日、珍しく少女の体調が良く、二人は朝から久しぶりに幸せな時間を過ごしていた。だけど少女には、これが自分に残された最後の時間だと分かっていたのかもしれない。少女は唐突に真面目な顔をして、「最後に二人で東京に行きたい」と、少年に頼むのだった。

 少女の体調を心配する少年はその頼みを否定するが、やがて押しに負けてしまい、二人はこっそりと病室を抜け出した。

 病院の人に見つかれば、間違いなく連れ戻されてしまうだろう。それでも、雪降る街を歩く二人は幸せそうだった。


 どうか、二人が無事に目的の場所までたどり着けますように。


 僕は祈りを送らずにはいられない。だけど、こういうものはたいてい、その祈りを裏切るようにできている。どうにか地元の大きな駅までたどり着いた二人だったけど、そこで少女は突然倒れしまう。少年が必死に呼びかけても、少女はただ静かに微笑むだけだ。

 ここが映画のクライマックス。CMでも使われていて、誰もが涙したと言われている名シーンだ。僕の涙腺も緩みだして、次のセリフでいよいよダメだった。


『約束を叶えてくれてありがとう』


 少女は、満足げな笑みを浮かべてそう言った。まだ地元の駅の構内で、二人が夢に見ていた東京の駅とはほど遠い。それでも少女は、二人でそこを目指せただけで満足だったんだろう。

 いつの間にか、涙が止まらなくなっていた。女優さんの蒼白な顔と、それでもここまで来られたことを喜ぶような表情。思わず卑怯だと言いたくなるけど、二人の切ない想いが僕の胸にもあふれてくる。

 この少年にとって彼女は、自分を変えてくれたかけがえのない存在だった。そんな人を目の前で失う気持ちが、今の僕には少しだけ理解できた。僕も今、同じだから。


 右手側のひじ掛けに、葵の左手が置かれているのが見えた。僕は、その手に自分の手を重ねようとした。でも、僕の右手はすり抜けてしまって、二人の手が一つのひじ掛けに乗っている。二つの手が重なって、まるで手をつないでいるみたいに見えた。

 葵もそれに気づいて、僕の方を向いた。

 初めて見る泣き顔が、そこにはあった。葵は照れ隠しのように苦笑して、右隣に座る藤乃さんの方を親指で示した。口パクでなにかを話している。「お姉ちゃんも」と、そんな口の動きに見えた。


 葵の奥に座る藤乃さんの顔を見て驚いた。スクリーンを真っ直ぐに見つめたまま、静かに涙を流している。僕は思わずその姿に見入ってしまって、視線に気づいた藤乃さんが振り向いた。目が合うと、葵と同じように照れ隠しの苦笑をした。それはまるで、憑き物が取れたみたいな表情だった。

 僕はその表情を胸にしまってから、目の前のスクリーンに向き直る。


 穏やかな笑みを浮かべて目を閉じる少女と、それとは対照的に取り乱しながら助けを求めて叫ぶ少年。その悲痛な叫びが痛々しい。やがて救助の人が駆けつけるが、運ばれる直前、少女は静かに眠りについた。

 二人の最後は、そんな悲しみに満ちたものだった。

 やがて、大学生になった少年は東京の街へ降り立つ。かつての何気なく生きていた彼ではなく、明確な意思を感じさせる目をしていた。

 少年は、少女の遺影とともに旅を始める。巡るのは、二人で一緒に行こうと話していた約束の場所だ。そんな少年の姿とともにエンドロールが流れ始める。


 いよいよ、その時が来たのだと思った。

 二人の物語が幕を閉じようとしている。

 僕は一人、静かにつばを飲んだ。

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