3年越しの上映会

「せっかくの上映会なんだから、観客があたしたちだけじゃ寂しいよね」

「どういうこと?」


 疑問の声を上げたのは藤乃さんだ。誰かと映画を観ることを嫌っての反応だとは分かったけど、そもそも僕たち以外に呼べる観客がいるとは思えなかった。

 そんな藤乃さんからの疑問の声も無視をして、葵は突然辺りに向かって「おーい」と呼びかけ始める。しばらく静寂が漂って、やがて異変は起きた。

 足元に冷たい風が吹き抜けた。シアターの中の空気が震えている。なにかが近づいてくるような感覚があって、全身に緊張が走った。鳥肌が立つ。思わず唾を飲み込んだ。


 と、シアターの壁から影が現れた。

 それは、一つや二つではない。無数と形容すべきほどのその影たちは、人の形をしているものがほとんどだった。一気に辺りの気温が下がった気がした。

 ひとことで言うなら、無数のお化けたちがシアターに現れていた。

 そんな状況にも、葵はあっけらかんとしている。


「知ってる? 『ほしきみ』って、何週間もずっと満席だったんだよ。だから、やっぱり満席の中で観ないと雰囲気出ないよね」

「ちょ、ちょっと待ってよ! この人たちは……?」


 頭の中が混乱していた。

 さすがの藤乃さんも目を丸くして驚いた顔をしている。僕じゃなくても分かるほどの表情の変化だ。唯一落ち着いているのは、この状況を招いた葵だけだ。


「うーん、簡単に言うなら、あたしの同類なのかな? ちょっと違う人たちもいるけど。まあ、この映画館に住んでるっていう点では一緒かな」


 開いた口が塞がらない。ああそうなんだ、とは簡単に言えるはずもなかった。もうなんだか、頭がパンクしそうだ。


「昔からさ、想いの詰まったものには、魂とか霊的なものが宿ったりするって言うじゃん? 映画館もそうなんだ。今までに訪れた何千何万という人たちの興奮や感動が、このシアターには染み込んでる。だからたぶん、他よりもあたしみたいなのが住み着きやすいんだよ」

「だからって、こんなにたくさん……」


 正確な数はまるで分からないけど、ざっと何十人(?)はいるだろう。この「Cinema Bell」が老舗だったことを改めて痛感する。と、人間の見た目をしたお化けの中に、ふと異質な一団を見つけた。


「あ、C3PO」


 ぼそ、と藤乃さんがつぶやく。

 その一団の中には、たしかに金ピカの人型ドロイドが下手くそな歩行をしている姿があった。だけど、目を引いたのは、その金ピカだけじゃない。一団の中には、明らかに見覚えのあるキャラクターたちの姿があった。


 思わず呆然としてしまう。宇宙人の子供や、とんがり鼻の雪だるま、誰もが知っている映画のキャラクターたちが手持ちぶさたそうに、その場をうろうろとしている。その怪異の一団の中には、頭がビデオカメラになっている、本物の映画泥棒の姿もあった。

 いつか見かけた壁の中に消えていった百鬼夜行を思い出す。あの時見かけた異様な集団は、このおかしなキャラクターの集団だったのか。


「これ、みんな本物じゃないよね……?」

「どうなんだろ、あたしも話したことないんだけど、なんかいるんだよね。たぶん、映画を観にきた人たちの、強い想い入れみたいなのから生まれたんじゃないかな」

「そんな強引な……」


 それにしても、ここにいるキャラクターたちはそうそうたる顔ぶれだ。その映画を観たことがない人でも知っているような人気者ばかり。葵の多少強引な仮説もなんとなく納得してしまいそうになる。

 さすがに実写のキャラクターの姿はなかったけど、十分に映画界のスターが大集合という感じだ。


「ん……?」


 ふと、なにかが引っかかった。映画界のスターという言葉を、最近どこかで目にしたことがあったはずだった。


「そうだ! 七不思議の六つ目!」


 調べる前に飛ばしてしまった、その一つを思い出す。「徘徊する映画スターたち」と、そんな内容だったはずだ。


「正解!」


 葵は嬉しそうな声を上げた。


「せっかく七不思議考えたのに、このまま六不思議で終わっちゃったらどうしようかと思ったよ。お姉ちゃんが、やたらに鳴瀬くんのこと焦らせるから」

「だって、鳴瀬くんが鈍いから」

「鈍いって、藤乃さんにだけは言われたくないです」


 そんなやり取りをしているうち、葵の呼びかけで集まった”観客”たちは、続々と席につきはじめる。中央付近の列だけ空けてもらった形になっている。


「じゃあ、あたしたちもそろそろ座ろっか」


 葵はそう言って、空いているシアター中央の方へと移動を始める。それを呼び止めたのは、藤乃さんだった。


「このまま、本当にお父さんとお母さんには会わなくていいの?」


 その声に葵が振り向いた瞬間、僕の胸は強く締め付けられた。

 葵の顔に浮かんだその表情について、適切に表せるできるだけの言葉を、僕は持っていなかった。悲しみとか、諦めとか、きっとそんなありふれた言葉では足りなくて。だけど、僕の胸が感じる苦しさで、少しだけ葵が抱える感情に触れることができた気がした。


「いいんだよ、あたしはもう。これからは、お姉ちゃんが二人を支えなきゃなんだから」

「私が……?」

「どうせ、あたしがいなくなってドヨーンとした家庭になってるんでしょ? 別にあたしみたいにベラベラしゃべれとは言わないけどさ、二人のこと、あんまり心配させちゃダメだからね」

「待って……!」


 と、藤乃さんが絞り出したその声は悲痛だった。


「無理だよ。……だって、私、なに考えてるか分からないって……」

 それは、ここに来る前にお母さんから告げられた言葉だった。実の母親からの否定にも近いその言葉は、藤乃さんを弱気にさせるには十分すぎる力を持っていた。

 それでも、葵は優しく微笑んだ。


「大丈夫だよ」


 藤乃さんは、その反応が理解できないというように首を振る。


「適当なこと言わないで。どうして大丈夫なんて言えるの」

「だって、そんな声が出せるんだもん」


 葵の言葉に、藤乃さんはハッとする。


「今まであたしが見てきたお姉ちゃんは、そんなに分かりやすい声でしゃべってくれなかったよ。だから、もう大丈夫」


 藤乃さんはなにか言い返そうとして、だけどなにも浮かばなかったのか、そのまま口を閉ざした。


「お姉ちゃんも一緒に観よう? シアター、満席になっちゃったけど平気だよね」


 葵はそう言いながら椅子に座って手招きをする。藤乃さんはまだなにか言いたそうにしていたけど、やがて観念したように葵の隣に座った。藤乃さんが選んだのは、僕たちが立っていた位置から奥の方の椅子だった。

 葵は、僕の方へ向いた。


「ほら、鳴瀬くんも。結局まだ観てないんでしょ? ずいぶんと待たせちゃったけど、三年前の約束を叶えようよ」


 三年前、映画「ほしきみ」を観ようと言って、僕たちは初めての約束を交わした。

 ずっと伝えたい想いがあった。だから、恥ずかしいのも我慢して恋愛ものの映画になんて誘ってしまったんだ。

 映画を観終わったら二人でどこかお店に入って、いつもみたいに映画の感想を語り合って、そして最後に伝えようとしていた。

 だけどあの日、約束の時間になっても葵は現れなくて――。


 今、その約束が果たされようとしている。

 僕は、ゆっくりと深くうなずいてから、葵と藤乃さんが待つシアターの中央へと向かって歩いた。畳まれた椅子を倒して、葵の隣に座る。ちょうど葵のことを僕と藤乃さんで囲むような席順になった。


「まさか、こんな時がくるなんて思わなかったよ。嬉しいのと信じられないのとで、おかしな気分」

「あたしは信じてたよ。いつかきっとこの時がくるって」


 三年越しの約束がやっと叶う。

 それなのに僕の胸に広がるのは、感慨深さのほかにも焦りや不安の感情があった。その感情の正体なら分かっている。

 この映画を観終わった時、葵はどうなってしまうんだろう。

 願いを叶えた幽霊が辿るべき先は、ただ一つに決まっている。頭ではそれが分かっていて、だけど必死にそれを考えないようにしている自分もいた。あの日の約束を果たすことは、僕にとってもずっと叶えたい願いだった。


「葵、本当に観るの?」


 二つ隣に座る藤乃さんが、不安そうに葵の顔を覗き込む。きっと同じことを考えているんだと思った。

 藤乃さんはきっと、僕以上に葵のことを知っている。三年前の真相にたどり着けずにいた僕に焦れた態度を取っていたのは、今の葵に残された時間が少ないことを分かっていたからだ。幽霊としての葵は、僕が思っている以上に曖昧な存在だったのかもしれない。

 それでも、葵はあっさりと笑って答えた。


「あの日、お姉ちゃんが会いに来てくれなかったら、とっくに私はいなくなってる。だから、そういうことだよ」


 不意に、シアターが暗転をした。

 辺りが一瞬だけ完全な暗闇に包まれて、それからスクリーンが淡く光り出す。始まるのだ。

 映画が始まる直前の期待感と緊張感が身体に走って、思わず居住まいを正した。映写装置が映し出すのは、製作会社の名前。


 いよいよ、物語が幕を開ける。

 ふと、隣に座る二人を見てみた。藤乃さんはいつもの無表情でスクリーンを見つめていて、僕に気づいた葵と目が合った。スクリーンから反射する光に照らされたその顔が、とても綺麗だと思った。

 僕は葵に微笑んでから、再び前のスクリーンを向いた。

 スクリーンには主人公の少年が登場し、いよいよ彼の物語が始まろうとしている。

 僕は次第に、彼に自分自身を重ねていく。

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