居場所

 翌日、事務所に続くドアの前に立って、僕は大きく深呼吸をしていた。

 開口一番なにを言おう。やっぱり、まずは本当のことを話して謝った方がいいだろうか。連絡もせずに仮病でサボるなんて、場合によってはお叱りだけでは済まないかもしれない。

 それでも今の僕にできるのは、誠心誠意謝ることだけだ。


「おはようございます!」


 僕にできる精いっぱいのあいさつとともに、目の前のドアを開けた。一斉に、机に座る社員さんたちの視線が向いた。逃げ出したい。逃げられない。

 一番手前に座っていた中村さんが、パソコンから顔を上げた。


「鳴瀬くん、体調はもう大丈夫なの?」


 優しい声で訊かれて、一瞬気持ちが揺らいでしまう。だけど、両手をぐっと握りしめて、もう一度覚悟を絞り出した。


「あの!」


 事務所に響く声で切り出した。もう後戻りはできない。


「昨日はすみませんでした! 実は風邪なんて引いてなくて、いろいろあってどうしても働ける気分にならなくて、それで……」


 上手く言葉にまとまらなくて、途切れ途切れになってしまう。それでもこの気持ちだけでも伝えたくて、最後にもう一度謝罪の言葉とともに深く頭を下げた。

 そのままの体勢でじっとしていると、「顔上げてよ」と声があった。 


「当日に欠員が出ると、代理も呼べないし、みんなが皺寄せを受けることになる。うちは大きい劇場じゃないからスタッフも少ないし、混雑するこの時期、最悪仕事が回らないことだってありえるよ」


 淡々とした厳しい言葉が突き刺さる。覚悟していたことだけど、どれもが正論なだけに心に刺さるものがあった。


「でもさ」と、不意に中村さんの声色が変わった。「そういう鳴瀬くんのバカ正直なところ、嫌いじゃないよ」

「え……?」


 予想していなかった反応に、頭の中が一瞬真っ白になった。今、僕はなんて言われた?


「まったくですね。黙ってればサボりだなんてバレないのに。悪いことができない性格っていうんですかね」


 そう言ったのは、向かい側の席に座る武内さんだ。他の社員さんたちも、「本当にね」と同意するように笑っていた。


「もちろん、非を認めたところで悪いことは悪いことだ。だから、これからはちゃんと事前に連絡すること。誰だって、病気とかで急に働けなくなる時はあるから」


 僕はいよいよ言葉を失っていた。

 見放されてもおかしくない、それだけのことをしたはずだったのに。その優しさに甘えるんじゃなくて、応えたいと思った。

 と、事務所のドアが開いて「失礼します」という声が二つ聞こえた。振り向くと、一岡さんと五反田さんが同時に入ってきたところだった。二人と目が合う。


「鳴瀬くん、もう大丈夫なの?」

「体調は治ったのか」

「それは――」


 二人にも本当を伝えようと思って口を開きかけた時、


「もうすっかり良くなったみたいだよ」


 中村さんが先回りで伝えていた。驚いて見ると、中村さんから目配せがあって、わざわざ言わなくていいという意図なんだと分かった。


「……はい。おかげさまで、もう大丈夫です」


 余計な気を遣わせないように、言葉にありったけの力を込めた。

 二人の心配も安堵もその表情からはっきりと伝わってきて、いつの間にか自分がこんなにも受け入れてもらっていたのだと実感した。

 ここが自分の居場所なんだと思える感覚があった。こんな感覚は、遠慮ばかりだった中学や高校時代には感じたことがなかった。


「でも、無理しない程度にね」

「ああ。今日も賑わうだろうからな」


 そっか。やっぱり今日も混むんだろうな。葵の幽霊を探すためには空いている方が都合がいいけど、そればかりに気を取られていたら、この前の荷物の取り違えのようなミスが出る。だから、まずは目の前の仕事に集中するだけだ。

 それに、混雑しているならそれもそれで都合が良い。昨日の分も取り戻すつもりで、全力で働くことができる。

 僕はそんな決意を込めて、二人に向かって「はい!」と返事をした。

 今日もまた、仕事が始まる。

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