藤乃さんが見た景色 その3

 少し遅れての入場だったから、映画の本編がすでに流れていた。

 スクリーン上では、海外の俳優さんがコミカルな動きを見せている。本編の途中だし、あくまで断片的なシーンだけど、その部分だけでくだらないB級だと分かってしまう。客が私以外いないことにも納得できた。

 なんとなく葵の面影を求めて来てしまったけど、早くも後悔をしていた。このまま回れ右をして帰ろうかと一瞬だけ本気で迷って、どうにかもったいなさが勝った。

 半券に記載された番号を確認して、指定の座席へ歩き出した時だった。


「お姉ちゃん」


 と、そんな声が聞こえた。

 ハッとする。それは間違いなく葵の声だった。

 顔を上げると、階段の先に葵が立っていた。正確には、足のない彼女は、浮いているという表現の方が正しいと思うけど。


「葵――」


 目が合うと、不意に彼女は破顔した。


「よかったぁ、ちっとも誰も来てくれないから、退屈で死ぬところだったよ。――って、もう死んでるんだけど」


 そんなことを死んだはずの妹から言われて、どんな風に反応するのが正解なんだろう。もともと会話の苦手な私にとって、このシチュエーションで気の利いた言葉を返すのなんて、あまりにも難易度が高過ぎた。

 私がなにも言えないでいると、葵は不安そうに眉をひそめた。


「これ、私が三年かけて考えた渾身のジョークなんだけど、ダメだった……?」

「ジョークなら、せめて笑えるものにして欲しい」

「んー、お姉ちゃんは相変わらず厳しいなぁ」


 困った風に言いながらも、その表情は嬉しそうだった。

 改めて目の前の葵を見つめる。服装も、見た目も、すべてが三年前に家を出て行ったあの時の姿のままだった。ただ一点、足元が存在しないことを除けば。


「お姉ちゃん、全然変わんないね。もっと大人の女性っぽくなってるかと思ってた」

「二十歳を過ぎれば、たった三年じゃ変わらないよ」


 大人の女性になっているべきは、葵の方だった。なのに、三年ぶりに出会った彼女は、まだ幼さを残した少女のままだ。葵の中の時間は、あの日で止まってしまったのだと痛感する。

 しばらく会話を楽しんでいると、スタッフの人が清掃に入ってくる。名残惜しいけれど、「また来るね」と言ってシアターを後にした。

 あれは夢だったんだろうか。幽霊なんて、テレビの中だけのものだと思っていた。家に帰ってから、現実感のなさに襲われた。


 翌日、半ば祈るような気持ちで再び無人のシアターに入ると、にっこりと微笑む葵が待っていた。私の妄想や幻覚でもなくて、葵の幽霊は確かにそこに存在した。

 私たちは、それから毎日のように無人のシアターで会うことを続けた。

 話題は、主にこの三年間のこと。幽霊である葵は、館内から出ることができなかった。三年の間に外の世界で起きた変化について葵は聞きたがって、家族の様子やどこのお店が潰れて替わりにどんなお店ができたなんてことを話した。新しいもの好きな葵は、タピオカミルクティーを飲みたがった。今度買って来てよと言われたけど、劇場に持ち込みは禁止だし、そもそも幽霊は飲食を必要としていないらしい。

 私の方から葵に話して聞かせるというのは、ほとんど初めてに近い経験だったように思う。


 しばらくの間、そんな時間が続いた。葵が死んでいることも忘れて、映画館に通い続ける。新しい就職先を探す気にもなれず、葵と会って話ができることにただ満足をしていた。

 そんな平和がいつまでも続くと、まさか本気で信じていたわけではないと思う。きっと、見て見ぬふりをしていたんだ。

 それは、年が明けてから少し経った頃のことだ。

 いつものように無人のシアターに入ると、その日の葵はいやに真面目な顔をしていた。その表情に嫌な予感がした。


「ねえ、お姉ちゃん。ちょっとお願いがあるんだけどさ……」


 思わず、嫌だ、と言いそうになった。でも、実際はなにも言えなかった。


「私の友達で、鳴瀬くんって覚えてる?」


 その名前が出てきたことに驚きはなかった。彼が葵にとって特別であることは分かっていたし、葵が事故に遭ったのは、彼に会いに行く途中のことだった。

 うん、とうなずいてから身構えた。


「よかった。……あいつ、私がいないと本当になにもできないようなやつだったから、ずっと心配してたんだよね。そしたら、昨日ここにバイトの面接に来てさ、大丈夫かなぁと思ったけど、合格になるみたい。ここ、人足りないっぽいし形だけの面接だったかもだけど」

「……それで、お願いっていうのは?」


 長い前置きに痺れが切れた。普段、話が逸れてばかりいる葵を急かすことはないけど、今回ばかりは焦らされることに耐えられなかった。

 葵は、決まりが悪そうに苦笑を浮かべた。ひょっとしたら、切り出す勇気が出ていなかっただけだったのかもしれない。


「実はね」


 と、葵はおずおず切り出した。


「この映画館の七不思議っていうのを考えたんだけど――」


 そんな言葉から始まった葵のお願いは、予想外のものだった。

 葵が考えたこの劇場の七不思議を、鳴瀬くんに解き明かしてもらう。それが私に託された願いで、これが私と鳴瀬くんの始まりだった。どうしてこんなことをするのかと訊いてみても、葵はちっとも答えてくれない。そのことに私が不満を示すと、葵はこんな言葉を返した。


「あいつが今の私に気づくまでは秘密にして欲しいんだけど、本当の最後の一つは『幽霊の少女の願い』なの。……それでさ、その時がきたら、お姉ちゃんも一緒に考えてよ。鳴瀬くんと二人で、私の願いを叶えて欲しいんだ」

「そんなこと、急に言われたって……」


 私は、それに素直にうなずくことができなかった。


 だって、アニメや小説に出てくる幽霊は、願いを叶えてしまったら――。


 葵は、どこか儚い笑顔を浮かべてそう言った。


「私、たぶんもう長くはもたないから。ここでお姉ちゃんと会わなかったら、もうとっくにいなくなってたし。……だからさ、わがままな私からの、最後のお願いを叶えてよ」


 そんなことを言われて、いったいどうやって断れというのだろう。

 私が首を縦に振ると、葵は安心したように微笑んだ。その表情にどきりとする。まるで、今にも消えてしまいそうに思えたから。

 私は、改めて葵に七不思議の内容を聞いて、それを一枚のメモ紙にまとめた。それは、この「Cinema Bell」に七不思議が誕生した瞬間だった。


 それからは、葵との作戦通りだった。

 鳴瀬くんは無事にアルバイトスタッフとなって、私たちはシアターで出会う。なにせ三年も経っていたからその顔は忘れていたけど、制服に付けられた名札で分かった。七不思議についてのメモを渡して、それを解き明かすように頼んだ。

 最初こそ戸惑った様子だったけど、鳴瀬くんは順調に七不思議のタネを暴いていった。それでも、なかなか七不思議の裏にある真相にまでは辿りつかない。いつまで葵は存在できるんだろう。それが分からなくて、鳴瀬くんに当たってしまうこともあったけど、その時は葵からたっぷりと怒られた。


 私たちの計画は、すべてが順調にいったわけじゃない。

 鳴瀬くんは七不思議の首謀者を私だと考えてしまって、葵はもう一度幽霊のうわさを流すためにスタッフの前に姿を現すことを選んだ。少し大胆な作戦だったけど、結果的にはそれが良かったのかもしれない。

 その日、劇場でなにがあったのかは分からないけど、鳴瀬くんはついに事実へと辿りついたみたいだった。


 きっと、これが本当の始まりなんだろう。

 幽霊の少女の――葵の願いを叶えるために。ずっと葵に頼るばかりだった私たちが、葵のためにできる最後のことを探し出す。


 私たちの時間が、今、ようやく動き出す。

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