幕間~幕が上がる前の、その裏側の話~

藤乃さんが見た景色 その1

 葵は、私にとっての憧れだった。


 五つ年の離れた、たった一人の妹。二人だけの姉妹だけど、歳が離れていたことあって、葵は末っ子気質が強く出たような性格をしていた。

 私がもともと主張をしない性格だったこともあって、葵はのびのびと自由奔放な性格に育っていった。週末の夕食のメニューは必ず葵の希望のものになったし、家族旅行の行き先やスケジュールも、全部葵が望んだ通りになった。


 自由で、気ままで、ちょっとわがまま。

 そんな妹を妬ましく思うことも少なくはなかったけど、私にはそもそも主張したいことがなかった。結局、妹が望む通りにするのが一番だと、中学に上がったくらいの頃には気づいていた。

 両親も葵のわがままに振り回されることを喜んでいるように見えたし、葵は幼い頃から相手を不快にさせないラインを心得ていた。

 要は、天然の人たらしだったのだ。


 そんな正反対な私たちだけど、容姿だけはそっくりだった。五つ離れた妹は、まるで五年前の私がそのまま写真から飛び出しかのようで、お下がりの服なんかを着ていると、五年前の私を見ているみたいだ、と両親がよく口にしていた。

 だけど、私とは違って人並みにオシャレに目覚め始めると、私のお下がりなんて着なくなり、美容に気を使い、休日にはこっそりとメイクもするようになった。

 その頃には、もう両親ともに、葵の姿に私の面影を重ねることはなくなっていた。


 私たちはきっと、生まれた瞬間は同じ見た目をしていて、同じように産声を上げて、同じように両親に抱きしめられたのだと思う。

 それなのに、私たちはまったく違う、正反対の姉妹になった。

 見た目も、性格も、社交性も、全部が正反対。


 いつしか私は葵のことを、私がなりたくてもなれなかった、もう一人の私なのだと思うようになっていた。


「それでね、ユキちゃんが全国大会出られるかもって! ミカも順調に予選勝ち上がってるみたい」


 私が大学二年、葵が中学三年生の初夏のことだ。その日も、家族四人揃って一つのテーブルを囲んで夕食をとっていた。

 ユキちゃんは剣道部の子で、ミカちゃんは卓球部だったはずだ。ちなみに、当の葵はバスケ部で、とっくにインハイで一回戦負けをして最後の夏を終えている。

 一家の会話の八割は葵によるもので、残りの約二割は両親の相槌。約二割の「約」の部分には、一割にも満たない私の言葉が入る。葵は自分の身の回りのことをなんでも喋るから、友達やクラスメイトの名前や、所属する部活まで全部が筒抜けになっていた。


 たぶん家族は誰も、私の大学での数少ない友達の名前すら知らないはずだ。私はそれを話さないし、知って欲しいとも思わないけど。もちろん、両親のことが嫌いなわけじゃなくて、ただそれを知ってもらう必要がないと思っているだけのことだ。


「二人ともすごいね」

「全国に出るなら、応援に行かなきゃだな」


 両親の相槌。私はそれを聞きながら、お母さんの作ったハヤシライスをスプーンですくう。毎日変わらない、家族の形。意外にも、私はそれが好きだった。


「ね! 受験危なくても絶対行く! ――あ、それよりママ、金ロー予約してくれた? 今日スターウォーズだから絶対外せないやつなの!」

「ちゃんと予約してあるよ」


 急な話題の切り替えにもお母さんは慣れた様子だ。

 ただ録画のボタンを押しただけのことなのに、葵は「ありがとう!」と満面の笑顔と共に、心からの感謝の言葉を告げる。こういうところが葵のずるいところだ。

 私には、絶対に真似できない。元は私と同じ顔をしていたはずなのに。

 自分のことをなんでも喋って、感情をそのまま言葉や顔に表すことができる葵。それとは対照に、淡々とハヤシライスを食べ続ける私。


 家族の賑やかな空気は嫌いじゃないし、お母さんのハヤシライスはとっても美味しいけど、それを言葉にしたり顔に出したりは決してしない。できない。


「あいつも、ちゃんと観てくれるかな」


 葵が小さくつぶやくのを、隣の席の私は聞き逃さなかった。


「あいつって、例の鳴瀬くん?」


 指摘すると、葵は、え! と驚いてから、「まあ、そうなんだけど……」と照れたように小さな声で同意した。

 家から歩いて十分ほどの距離のところに、「Cinema Bell」という老舗の映画館がある。葵はそこの常連で、最近同じ常連の男の子と知り合いになったみたいだ。最初は彼のこともあけすけに話していたけど、最近は私と二人だけの時にこっそりと打ち明けるだけになっていた。


 両親とも彼の話を聞きたがったけど、葵は無理やりハヤシライスをかき込むと、


「ごちそうさま!」と勢いよく席を立った。


 男の子も女の子も関係なくなんでも話す葵には、珍しい反応だった。


「お姉ちゃーん。映画行こうよ!」


 夏真っ盛りのある日、リビングのソファでスマホのゲームをしていると、葵は突然隣に座ってそんなことを言ってきた。


「なんで。私が映画館好きじゃないのは知ってるでしょ」

「それでも! ね、いいでしょ?」

「だからなんで。鳴瀬くんと行けばいいでしょ」

「えー、だってあいつ、ホラーダメなんだもん。お姉ちゃん平気でしょ?」

「クラスの友達は?」

「……さすがに、受験生は誘えないじゃん?」


 あなたも受験生でしょ、という言葉は黙っておく。怒られそうだし、どうせこの妹は、遊んでたってそれなりの高校に入学してしまうに決まっている。

 じっと、葵は至近距離から大きな黒目で見つめてくる。こうすれば、たいていの相手は自分の言うことを聞いてくれると分かっている顔だ。目の大きさは本来私と変わらないはずなのに、夏休みで学校がないから、両眼ともちょっとズルがしてある。


 葵に弱いには、私も一緒だった。


「はぁ。どうしてもって言うならね」


 やった! と喜ぶ葵の顔を見ると、結局頼みごとをされた時点で私の負けは決まっていたのだと痛感をした。

 それから半ば引っ張られるようにして、葵行きつけの「Cinema Bell」へと足を運んでいた。

 古めかしい小さな劇場ということもあって、夏休みだというのに、それほどの混雑ではなかった。そのことに少しだけ胸をなでおろしつつも、広いロビーを眺めていると、映画館特有の空気を感じて気持ちが重くなる。


 映画自体は嫌いじゃないけど、映画館は嫌いだ。


 小さな箱の中に閉じ込められて、一つのものを大勢で観る。笑ったり、泣いたり、ハラハラしたり、そういう感情を全員が共有するように強制されていると感じる。一度そのことを葵に話したら「考えすぎだよ」と笑われたけど、他人と感情を共有できない自分の異常性が浮き彫りにされるような気がして嫌だった。

 葵と二人でチケットカウンターに並んで、当日券を購入する。最近では、スタッフが手打ちでチケットを販売しているのは珍しいらしい。葵が観たがったホラー作品の残席は、さすがに少なくなっていた。


 チケットを受け取って、入場口の方へと向かって歩く途中だった。「あっ!」と、葵が不意に声をあげた。私のことを置いて走り出す。その先にいたのは、一人の中学生ほどの男の子だった。彼が誰なのかは、すぐに分かった。


「鳴瀬くん!」


 あの子がうわさの……。なんだか、少し意外だった。同い年だという話のわりには童顔で、クラスに一人はいるようなおとなしい雰囲気の男の子。葵とは、きっと真逆のタイプだ。

 少し離れたところで二人が話すのを見ていると、鳴瀬くんは私に気づいて、丁寧な会釈をした。


 ただの勘だけど、その瞬間に直感した。


 葵と彼は正反対で、私と葵も正反対の姉妹だけど、私と彼もまた正反対の人種だ。

 葵は本当に嬉しそうに話をして、鳴瀬くんは穏やかな笑みを浮かべてそれに応えている。どこにいても、誰と話していても、葵は葵のままだった。

 葵は話に夢中になっていて、だんだんと映画の時間が近づいてきた。もともとギリギリの時間に来たこともあって、のんびりと長話をできる余裕はなかった。私としては別に遅れても困らないけど、あとで葵から、なんで教えてくれなかったの⁉ と非難を受けるのは目に見えていた。


 声をかけようと思って近づいた時、「ほら、お姉さん困ってるから」と鳴瀬くんの諭す声が聞こえてきた。それでやっと葵も時間に気づいて、鳴瀬くんとの会話を切り上げた。お別れもそこそこに、慌てて入場口へと急ぐ。


 私が彼と再び会うのは、葵が死んでからずっと後のことだった。

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