メッセージ
五反田さんが藤乃さんを見たというシアターで、彼女のその姿を見つけることはできなかった。本来の仕事である本編の確認をしてから、シアターの外に出る。と、すぐ五反田さんが出迎えた。
「どうだった」
僕は首を横に振る。
「いませんでした。ちゃんと探したとは思うんですけど……」
「いない?」
「はい。似ている人も、特には」
僕の報告に一瞬だけ驚いた表情を見せた五反田さんは、すぐに考え込むそぶりを見せ始める。邪魔しないように黙っていると、何かを思いついたように顔を上げた。
「ちょっと来てくれ。勉強のついでだ」
突然歩き出す五反田さんに、言われるままについていく。勉強のついでって、なんのことだろう。
五反田さんが足を止めたのは、入場口の側に置かれた一台のPCの前だった。画面には、公開中の作品の一覧と、その上映時間が並んでいる。
「これは?」
「上映回の一覧と、その情報がまとめられたソフトだ。これを見れば、各回に何人お客さんが入っていてどこの席が埋まっているかが調べられる」
「はあ」
説明自体は理解できたけど、どうして急にこのソフトの説明をされたのか分からなかった。
五反田さんは僕のそんな表情にも気づいたみたいだった。
「つまり、動員が一人だけのシアターもすぐに分かるということだ」
「あ――」
五反田さんが、このソフトの説明をしてくれた意図に合点がいった。
僕は、すぐに目の前のPCを操作し始める。だけど、もし別のシアターに藤乃さんがいたとして、いったいそれがなにを意味するんだろう。分からないまま、マウスを動かして客入りの少なそうなタイトルをクリックすることを続ける。
そして、動員がたった一人のそれはすぐに見つかった。公開から一月近くが経ったマイナー作品で、上映開始から二時間弱が経っていた。
別に観客が一人だけだからといって、その一人が藤乃さんとは限らない。大きな劇場ではないから、平日の昼間のマイナー作品なら、一人も入らないことだって珍しくない。
「ちょうど終わるところだな」
「……はい」
動員人数がたった一人のそこは、2番シアターだった。数字の通り、1番シアターの一つ隣だ。僕は申し訳なく思いつつ、他の雑務を五反田さんに頼んで、目的のシアターへと向かう。
入り口の扉の前に着いた頃には、ちょうどエンドロールの音楽が終わって、中の照明がうっすらと明るくなったところだった。
中へ入ってスロープを上り終えると、たった一人のお客さんが上段の方の席から降りてくる。
階段を下りてくるのは、予期していた通りの――。
「藤乃さん」
彼女は僕に気づくと、列の中段のあたりで足を止めた。しばらく、お互いにその場で立ったまま見つめ合う。なにかを伝えようとしているようにも、なにかを期待しているようにも見える目をしていた。
再び階段を降り始める。そのまま僕の隣を通り過ぎて行こうとして、そのすれ違いざまだった。
「答えが見つかったら、伝えに来て」
それだけを小さくつぶやいて、そのままシアターの外へと去っていく。やがてその背中が見えなくなっても、僕はシアターの出口の方を見つめた続けた。
予感は、いよいよ確信へと変わっていた。
藤乃さんは、ただの観客なんかじゃない。どんな形かは分からないけど、確実に、この“七不思議”という物語の舞台の上に立っている。
僕は、シアターの上段に向かって歩きながら考える。
五反田さんの目撃情報が正しいなら、藤乃さんはこの2番シアターでの上映を途中で抜け出して1番シアターへ行っていたことになる。そして、本編が始まるまでの十分程度の間に、再びこの2番シアターまで戻ってきた。
そうだとしたら、なんのために?
それは、わざわざ本編の途中で抜けてまでやらなければいけないことが、1番シアターにはあったから。
なら、どうして1番でなくてはいけないのか。
それはもちろん、自分でそういう設定にしたからだ。
早く答え合わせをしたくてはやる心を必死になだめて、努めて無心に業務に打ち込もうとした。時間が大事な仕事だけど、普段以上に時計を気にしてしまうのはやめられない。それから一時間半ほどが経って、ようやくその時間がやってきた。
開いたままで固定された扉の向こうから、エンドロールが流れる音が聞こえる。エンディングの曲は、主演のアイドルが所属しているグループのものだ。
1番シアターの上映が終わろうとしていた。
「なにか見つかるかな」
五反田さんが言った。
「きっと見つかります」
その確信があった。
だってここは、“過去とつながる1番シアター”だから。
エンドロールが終わって照明がつくと、中からお客さんが帰り始める。それと入れ違いに、僕たちは中へ入っていく。
お客さんが全員帰るのを見届けてから、シアター上段に向かって階段を上る。七不思議のことは気になるけど、まずは当たり前の仕事からだ。
手分けをして、上から少しずつ清掃を続けていく。それなりに動員数もあったから、いつもより少し掃除や座席の確認も入念になった。
だんだんと中段の辺りまで差し掛かった頃、不意に五反田さんが「鳴瀬!」と声を上げた。どこか興奮した声だった。
一つ下の列を見ていた五反田さんは、なにか一枚の紙を手にしていて、嬉々とした表情を浮かべている。
「見てくれ! こんなものが落ちていたんだ」
よく見えるように差し出されたそれに視線を落とす。それはA4サイズほどのカラー印刷されたもので、二人の男女の姿が大きく印刷されている。それがなにかはすぐに分かった。
前回拾った半券に記された作品と同じ――「ほしきみ」という略称で親しまれた、三年前の冬に大ヒットを記録した悲劇の恋愛映画。そのチラシだった。
「こんなのお宝じゃないか! まるで、本当に三年前から届いたみたいな……」
こんな大きな紙が、三年間も見つからずに放置されていたわけがない。それに、三年前のチラシなんて誰かの忘れ物ということも考えられない。本当に時間旅行でも起きていない限り、誰かが意図的に置いたことは明らかだった。
そんなことをする可能性がある人物として、思い浮かぶのはたったの一人。
「なんで、この映画なんでしょう」
僕の意識はウエストポーチの方に向いていた。その中には、以前拾った半券が今も入ったままになっている。
「分からん。だが、状態もいいし、これはなかなかのものだぞ」
五反田さんは何度もチラシの裏表をひっくり返しながら、「これ落とし物にしなきゃダメかな」と、物欲しそうに見つめていた。
「少し意外でした。五反田さんがそういう映画を好きなのは」
「実際、俺の趣味ではないな。ただ、完成された映画には敬意を払いたいからな。原作の良さを残しつつ、しっかりと映画の脚本として落とし込まれていた名作だ」
五反田さんの映画に対する姿勢は好きだ。時々行き過ぎる時もあるけど、いつだって根底には深い敬意がある。
「『ほしきみ』、鳴瀬は観たか?」
「いえ……」
観るはずだった。
葵と二人で。この映画館で。
これを観終わった後、葵に伝えようと思ったことがあったのに。
だけど、葵は来なかった。それきりずっと来なかった。
この映画のタイトルを目にするだけで、あの日のことを思い出して辛くなる。映画館の入り口の前で、何時間も待ちぼうけた時のこと。
「観ていません。僕はもう、この映画を観られないんです」
いつの日か、再び葵と会えるその時まで。
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