七不思議の不思議

「さあ、今日も元気に調べようか!」


 事務所で会った五反田さんは、異様なほどにハイテンションだった。五反田さんとはちょうど出勤時間が被っていて、珍しく一岡さんはお休みみたいだ。もし一岡さんがここにいたら、この前の藤乃さんとのことを、まるで尋問でもされるみたいに質問攻めされたに決まってる。ホワイトボードのメンバー表を見て、こっそり胸を撫で下ろす。

 タイムカードを切ってから、五反田さんと下に向かう。今日の担当もフロアだった。


 五反田さんは、過去とつながるシアターの謎にずいぶんと入れ込んでいるみたいで、早く調べたそうにそわそわしている。


「五反田さん、今日はご機嫌ですね」


 ちょうど僕たちと入れ替わりで退勤する安西さんとすれ違う。聞いた話では、安西さんは春から社会人になる大学四年生で、この映画館でも古株になるらしい。あまり時間が被らないから、ほとんど話もしたことがない。

 安西さんは、珍しく浮かれた五反田さんを見て苦笑している。


「もしかして、例の七不思議を探るんですか?」

「ああ。今回こそ大物かもしれないから」

「へえ、それじゃあ何か分かったら聞かせてくださいね」


 安西さんは軽く手をあげて去っていこうとする。とっさに、その背中に呼びかけていた。


「あの!」

「ん、なに?」

「安西さんは、七不思議のことを知っていましたか?」


 質問の意図が分からなかったのか、小さく首を傾げた。

 それから戸惑いながらも、


「いや。俺も一岡ちゃんに教えてもらって、最近になって知っただけだよ」


 と答えた。


 僕はお礼を言ってから、「お疲れ様でした」と事務所に去っていく安西さんを見送った。

 やっぱり、四年近くここで働いていた安西さんですら、この七不思議を知らなかった。そのことがいったいなにを意味するのか。すぐそこまで見えかけている感覚はあった。


「なあ、鳴瀬はどう思う」


 五反田さんは、打って変わって真面目な表情だった。今の安西さんへの質問の意図を、五反田さんは分かっているんだろうと思う。


「分かりません。長く働いているスタッフですら知らない七不思議を、どうして藤乃さんが知っているのか」

「俺は、その藤乃さんについてはなにも知らない。だが、この七不思議をどこまで鵜呑みにしていいのか、正直なところ疑問が残る」


 それは僕自身も感じていることだった。藤乃さんは、肝心なことをなにも教えてくれない。

 そもそも、この七不思議には腑に落ちないところがいくつかあった。

 七不思議としてうわさが広まるには、それなりにインパクトのある内容でなければいけないはずだ。それなのに、七つのうちのいくつかは、明らかにうわさとなるには足りないように思うものもある。


 だいたい、コンセの商品在庫が減ったなんて、どうしてそんなうわさが広がるんだろう。仮にスタッフ間で広まったとしても、それが普通のお客さんまで届くことなんてあるんだろうか。

 そんな話をしながらも、予告の上映確認のために入り口からすぐ左手に位置する1番シアターの前まで来ていた。


 フロアコードと呼ばれるスケジュール表を眺めた、その時だった。


 不意に、なにか気配を感じて顔を上げた。なにかが――いや、なにかの大群が、奥の倉庫へ通じる扉の中へとすり抜けていったように見えたのだ。


「ご、五反田さん。今見えましたか……?」

「え?」


 五反田さんは手に持っていたフロアコードから視線を上げる。質問の意味さえ分かっていないようだった。


「見えたって、なにがだ?」

「いえ、きっと見間違いだと思います」


 今自分の目に映ったものを思い出す。扉をすり抜けていってあの大群は、人間のような見た目をしたものもいれば、大きなぬいぐるみほどのサイズのものまで、まとまりがなかった。明らかに異様な姿をした彼らは――。


「百鬼夜行、的なものが倉庫の扉をすり抜けていったような気がして……いや、すいません、忘れてください!」


 五反田さんがじっと見ている。その視線が痛かった。


「鳴瀬……。俺はファンタジーは好きだが、残念ながら妖怪系は範囲外なんだ」


 もしかして、僕が五反田さんを喜ばせようとして言ったと思ってる? わざわざ否定するのも恥ずかしいから言わないけど、なんだかいたたまれない気持ちになった。

 あまりの驚きで、あの大群の姿はすっかり記憶から抜け落ちてしまっていた。なにかの見間違いだと言われたら否定できる根拠もないし、自分でもなにかの間違いだと思う。


「それより、件の1番シアターだぞ。今日も何か収穫があればいいんだが」


 五反田さんは近くの用具入れから箒を取り出しながら、期待に顔を輝かせている。その顔が、七不思議を鵜呑みにしていいのかと悩んでいた時の表情とは別人みたいだった。


「いいんですか? もしかしたら、この1番シアターの謎だって……」

「いいんだ。こういうのは、ひょっとしたらと思いながら想像を膨らませるのが楽しいんだから」


 五反田さんが言うと、確かにそういう気がしてくるから不思議だ。

 その時、「すいません」と後ろからお客さんに声をかけられた。僕は五反田さんに目配せをしてから、後ろのお客さんの対応に当たった。もともと、予告の確認をするのに二人も必要ない。1番シアターのことは気になったけど、五反田さんに任せることにした。


 声をかけてきたのは腰の曲がったおばあちゃんで、座席の場所が分からないということだった。ゆっくりと歩くおばあちゃんのペースに合わせると、ずいぶん時間がかかってしまった。やっと座席まで案内を終えてホワイエに戻ると、五反田さんは僕を見つけるなり早足で駆けよってきた。


「鳴瀬。さっき、1番で気になるものを見たぞ」

「またなにか落ちてたんですか?」

「いや、そうじゃない」


 通りかかるお客さんに会話が聞かれないように、一緒にホワイエの脇に避ける。五反田さんは周りを気にしながら、声を潜めて言った。


「1番シアターに、あの藤乃という女性が座っていた」

「藤乃さんが?」


 とっさに、向こうに見えるシアターの方を見る。入り口には現在上映されている作品のタイトルが表示されいて、少し遠目にはなったけど、なんの作品かはすぐに分かった。

 それは、有名な男性アイドルを主演に使ったことで話題になっているタイトルだった。公開されてからまだ一週間ほどしか経っていないはずで、それなりに動員の多い作品だ。


「お客さんは藤乃さんの他にも?」

「ああ。少なくとも十人以上はいたはずだ。だから俺もおかしいと思ったんだ」


 藤乃さんはいつも一人で映画を観る。

 他に誰もお客さんが入っていない作品を狙って、たった一人シアターを占領するのが彼女の流儀だったはずなのに。


「もちろん、ただ主演のアイドルのファンだということもあるし、あるいは、それが一番妥当な線だとは思う。だが――これには俺の憶測も含まれるが――、なんとなく彼女がやけに俺の方を気にするようなそぶりをしていた気がしたんだ」

「……次、本編の確認は僕が入ってみます」

「分かった。そもそも俺の見間違いかもしれないからな」


 シアターの中に入れるタイミングは二つ。予告が流れているかどうかと、その次に正しく本編が流れているかの確認だ。五反田さんが目にした人が本当に藤乃さんなのか、自分の目で確かめておきたかった。


 話はそこで切り上げて、僕は他の雑務をこなしに向かう。

 予告が流れる時間はおよそ十分。上映の確認やシアターの清掃以外にもフロアの業務は多岐に渡る。溜まったホワイエのゴミ箱を空にして、トイレの水まわりや機材の定期的なチェックも怠らない。ホワイエを歩き回っていると、十分間はすぐに経過した。


 1番シアターの中へ、なるべく気配を消して入っていく。スロープを上り、座席が見える位置まで来ると、お客さんの方へ一礼する。顔を上げてから、そこに藤乃さんの姿を探した。

 上段、中段、下段。そしてもう一度上段を見る。だけど、


 いない――。


 どれだけ探しても、シアターの中に藤乃さんの姿はなかった。


 どうして? ただの五反田さんの見間違い?


 どれだけ座席を探してみても、藤乃さんの姿は見つからない。予告の段階ではいたはずなのに、本編が始まる段階になっていなくなる、その理由が分からなかった。

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