サンシャイン通り

「やっぱり、待っていてくれたんですか? 僕のこと」


 僕は藤乃さんと二人、駅の方に向かって歩きながら訊いてみた。

 一岡さんと五反田さんとは、あからさまに気を利かせて、話も聞かずにそそくさとどこかに消えていってしまった。次に会った時に(特に一岡さんから)根掘り葉掘り訊かれるのは目に見えていて、今から少し気が重くなる。


「そう。あそこで立っていれば鳴瀬くんに会えると思って」


 藤乃さんから返ってきた言葉はシンプルだった。

 待ってくれていた理由が続くものかと身構えていたけど、藤乃さんはそれで話を終わらせてしまった。どうしたものかと言葉に迷っていると、やっと口を出てきた言葉は想像と違うものだった。


「お腹、空いてない?」

「休憩中に食べたので、今はまだ……」

「……そう」


 藤乃さんは、それきりまた黙ってしまう。

 会話が噛み合わないのはいつものことだけど、今回の藤乃さんはどこか言葉を探っているような感じがあった。

 この前の公園での気まずい空気を、僕たちはまだそのまま引きずっている。それが分かっているからこそ、今日藤乃さんは会いに来てくれたのだと思う。

 沈黙の中歩いていると、僕の家の近辺まで来てしまっていた。まさか、こんな半端なまま帰るわけにもいかない。


「このままもう少し歩きませんか? お腹を空かせながら、どこかよさそうなカフェがあったら入りましょう」


 こんな風になにかを提案するのは僕の柄じゃない。だけど、まったく同じ提案を葵からされた記憶がある。だから、これはそのまねっこだ。

 藤乃さんは僕の提案に、小さくうなずいて返してくれた。それきり、なにかを話さなくちゃいけないような空気もなくなって、僕たちは再び駅の方を目指してゆっくりと歩いた。


『西口にはなんにもない』


 それが葵の口癖だった。

 なんにもないは言い過ぎだろうと思っていたけど、サンシャイン通りのある東口と比べるとかなり見劣りしてしまうのは事実だった。

 駅まで着くと、地下を通って反対側の出口まで歩く。平日の昼間ということもあって人は少なかったけど、それは土日やラッシュの時間帯と比べてということだ。周りは喧騒でうるさいから、僕たちはなにも話さずに歩き続けた。

 駅地下を抜けてから地上に出ると、大きな道路と建物が僕たちを出迎える。同じ池袋なのに、東口の喧騒は、どうしても落ち着かなくてそわそわしてしまう。

 家からも歩ける距離の場所なのに、久しぶりに目にする景色だった。

 目の前の信号が赤になって、僕たちは足を止めた。


「昔、仲の良かった友達に東口にはほとんど来ないって話をしたら、ひどく呆れられたことがあります。東口が池袋の本体なのにって」

「私も、似たような経験ある。休日に家で引きこもってたら、なんのために池袋に住んでるのって言われて。よく無理やり連れ出されてた」


 なんだか葵みたいで、笑ってしまう。藤乃さんにも、そんな風に腕を引いてくれる人がいたんだ。そのことが、どうしてか嬉しかった。


「なんだか不思議です。ずっと、僕たちは真逆の性格だと思ってましたけど、案外、似た者同士だったのかもしれませんね」


 僕は、周りに囚われずに生きられる藤乃さんみたいに強くない。だから、似ても似つかない性格なのだと思っていたけど、ひょっとしたら、なにか波長みたいなものは似た形をしているのかもしれない。


「そうなの、かな。……うん、きっとそうなんだと思う」


 向かいの信号が青になる。普通の三倍は幅のありそうな横断歩道を渡って、奥へと進んでいく。行く先が決まっているわけじゃないけど、お店を探すならきっと向こうの方だ。

 しばらく歩くと、サンシャイン通りの入り口が見えてくる。今が平日の昼間だということを忘れさせるくらいの、ものすごい人の量だ。

 いつにも増して若い人が多いのは、僕みたいに卒業した中高生や長い春休みに入った大学生がいるからだろう。

 携帯ショップの店員さんの宣伝の声を聞きながら、僕たちは若い人でごった返したその通りに入っていく。

 サンシャイン通りの中まで入るのは、三年ぶりくらいになる。つまり、葵と会えなくなってから初めてのことだ。昔は、葵に連れられてよく来ていた。

 中に入っているお店に多少の変化はあっても、この場所に漂う空気は昔から変わらない。あの頃と違うのは、隣には藤乃さんがいて、僕は高校を卒業するほどの大人になったこと。

 思い出すのは、初めてこの場所へ訪れた時のことだ。


「中学に入ってすぐの頃に一度、数人の友達と来たことがあったんです。だけど、僕はまだ自分の弱さを自覚できなくて……。無数に聞こえる人の声に圧倒されて、すぐに逃げ出したくなりました。でも、楽しそうにしている友達に水は差したくなかったから。……気づけば、通りの真ん中でしゃがみ込んでました」


 あの時のことはよく覚えている。突然立っていられなくなった自分が分からなくて、それがまた余計にパニックを引き起こした。


「今は大丈夫なの?」

「おかげさまで。あの時、てっきり自分は人混みを怖がっているのかと思ってたんですけど、たぶんそれ以上に、人混みで怖がる自分を友達に見せたくなかったんだって、あとになって分かったんです」


 そんな僕がこの通りを歩けるようになったのは、葵が僕の手を引いてくれたから。葵が一緒なら、どんな場所でも怖くなかったのに。その葵がいなくなって、僕は今、再びこの通りを歩いている。


「そう、なんだ」


 どうして急にこんな話をしてしまったんだろう。反応に困るのは分かり切っていたはずなのに。

 僕はただ、藤乃さんに僕を知って欲しかっただけだ。


「すみません、いきなりこんな話」

「ううん、別に。……話してくれて嬉しかった」

「え――」


 予想外の反応にポカンと口を開いて、思わず足を止めてしまった。平たく言えば、内心で舞い上がっていた。


「私は、鳴瀬くんのことを知らなきゃいけないから」


 予想もしていなかった藤乃さんからの言葉に、僕の頭はのぼせたみたいに熱くなっていた。とっさに、言うなら今しかないと思った。


「あの、藤乃さん」僕は改まって、その言葉を伝えようとした。「この前は――」

「待って」


 藤乃さんは、ピシャリとそれを遮った。


「謝らないで。これは、私が謝らなきゃいけないことだから」

「でも、あれは僕が余計なことを言ったから」

「ううん、あれは私が一方的に悪いんだって……」

「え?」


 なんだかおかしな言い方で引っかかった。


「とにかく、この前のことは私に謝らせて欲しいの。つい焦って感情的になってしまったから」

「焦る?」


 藤乃さんは足を止めた。ちょうどそこは映画館の入り口の前だった。僕が働く「Cinema Bell」よりもずっと大きく華やかな劇場だ。藤乃さんは、じっとその映画館の方を見つめている。僕も足を止めて、そんな藤乃さんの横顔を見つめてみた。いつもと変わらない無表情のその向こうで、いったいなにを考えているんだろう。


 いつだって、藤乃さんは言葉が足りない。それは彼女の性格によるものだと思っていたけど、それだけではない、あえて口にはせずにいるなにかがあると、今なら分かる。なのに、僕にはそれが分からない。


「教えて欲しいんです。藤乃さんから見て、僕は何なんですか? いったい、僕になにを伝えようとしているんですか?」


 ずっと疑問に思っていた。

 なんで僕なんだろう。ただのスタッフと常連客の関係以上の感情が向けられていると感じていた。ただの子供の自惚れなんかじゃない。それは、七不思議の謎を持ちかけられた時から始まっていたと思う。

 明らかに僕になにかを伝えようとしていて、いつもそれを直前で飲み込んでいるように見えていた。


「全部、最初に話したと思うけど。これは鳴瀬くんにとっても意味があることだからって」


 それを言われたことは覚えている。けど、話がまた噛み合わない。


「僕にとって意味があるなら、その理由が知りたいんです。いったい、僕になにを隠してるんですか?」

「本当に知りたいと思ってる?」


 思いがけずに返ってきた冷たい声に、一瞬怯みそうになる。

 それでも、知りたい気持ちがそれに勝った。


「でないと、なにも分からないです。七不思議のこととか、全部」

「私には、鳴瀬くんは自分から気づくことを拒否してるように見えるけど」


 今度こそ、僕はなにも言えなくなった。

 僕が気づくことを拒否している? 藤乃さんがそんなふうに思う理由が分からない。いったい僕がなにに気づこうとしてないと言うんだろう。


「ごめん。またこんな話になっちゃった」

「……いえ」

「それより、七不思議は順調? なにか新しく分かったことはあった?」


 藤乃さんはこの空気を嫌ったのか、強引に話題を切り替えた。

 ふと、その訊き方に違和感を覚えた。なんだろう。藤乃さんが七不思議を気にするのはいつものことだけど、なにかを引っかかるものがある。


 まるで、僕が今日なにか新たな発見をしたと確信をしているみたいな――。


「まだこの前四つ目が終わったばかりです。今日、やっと五つ目の現象を確認したところで……」


 藤乃さんが、じっと僕を見つめるその顔から考えまでは読み取れない。だけど、どこか普段より険しい顔つきのようにも見えた。

 その瞬間、僕の頭に一つの仮説が浮かんでいた。その仮説が正しければ、さっきの違和感の正体にも説明がつく。


「あの、ひょっとして藤乃さんは――」


 言いかけて口を閉じた。今はまだ確証が持てていない。


「いえ、なんでもないです」

「大丈夫。鳴瀬くんなら、きっとすぐに気づけるはずだから」


 藤乃さんはそう言うと、サンシャイン通りの奥に向かって再び歩き出す。僕は慌てて後を追った。

 そこからは、また言葉もなく辺りのお店の看板を眺めながら大通りを進んでいく。いつの間にか、今日の初めにあった緊張感はなくなっていた。賑やかな景色を見つめながら、ときどき、思い出したように言葉を交わす。通りは喧騒に包まれているけど、僕たちの間にはそんな穏やかな時間が流れていた。

 飲食店にゲームセンター、靴屋に服屋。この一つの通りだけですべてが揃っているんじゃないかというくらい、本当にいろんなお店が並んでいる。自分には縁遠い世界と分かっていながらも、眺めているだけで楽しい気持ちになれる。


「どこか気になるお店はあった?」


 やがて、通りの最後までたどり着いたところで藤乃さんが訊いた。この目の前の信号を渡って少し歩けば、いよいよサンシャインシティがある。


「……いえ。お店がいっぱいあり過ぎて逆に分からなくなりました」

「うん、そうだね」


 こんな風にふらふらと歩くだけで、楽しい時間になっているのかと不安になる。いや、楽しく思ってくれているわけがない。

 改めて、いつも僕をいろいろなところへ引っ張っていってくれた葵のことを思い出した。僕にはとても――決して真似できない。

 結局、その後もふらふらと歩き回った挙句、通りの入り口まで戻ってチェーンのドーナツ屋で身体を休めることになった。四番目の七不思議について改めて報告をしたり、最近見た映画の感想を聞いたり、当たり障りのない話題を続けた。

 三十分ほど会話を続けると、ドーナツも食べ終わってお開きの空気になる。ドリンクの最後のひと口を飲み干した藤乃さんは、いやに真面目な顔つきになって言った。


「ねえ、鳴瀬くん。必ず七不思議を解いてね。どれだけ時間が残されてるか、分からないから」

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