公開初日のコンセッションは

 翌日、僕はまた同じ場所に立っていた。

 甘く見ていた。

 甘く見過ぎていた。

 出勤をしてから、もう何時間が経ったんだろう。それとも、まだ一時間も経っていないのかな。分からないけど、カウンターの前にできた行列はいつまで経っても途切れてくれない。

 当たり前だけど、映画館の混雑は公開している作品で大きく変わることを思い知った。国民的アニメの力は恐ろしい。


 今日も僕は、永田さんのサポートだ。お客さんの注文を永田さんが聞いて、お会計の間に僕が注文されたメニューを用意する。ただひたすら、その繰り返し。「ゆっくりでいいからね」と永田さんは言ってくれたけど、列に並ぶお客さんの姿を見ると、焦る気持ちは止められなかった。

 ドリンク、ポップコーン、ホットドックにチュロス。よくある、時間内に料理を提供するゲームみたいだ。そういうゲームだとたいてい、提供までに時間がかかるとお客さんが怒り出してしまう。だから、正確に、それでいて素早く注文のものを用意しなくちゃいけない。


 カウンターに設置されたレジは、全部で四台。他のレジには一岡さんや五反田さん、水上さんが入っている。人気作品の入場開始前のような混雑する時間には、各セクションからコンセッションに応援に入ることも珍しくないみたいだった。

 混雑の真っ只中では、なにもかもが目まぐるしい。カウンターの中は狭くて、みんなで慌ただしく動いていると、何度もぶつかりそうになったりもした。まさに、嵐の中にいるような気分だった。

 最初のうちは作業に集中して無心になって対応できたけど、疲れてくると、無心というよりはただ考える余裕もなくなっていただけだった。


「どう、七不思議のこと、なにか分かった?」


 先にレンジを使っていた一岡さんの後ろで待っていると、突然そんなことを訊いてきた。

 疲れていて、反応が遅れてしまった。


「全然それどころじゃないですよ。目の前のことで手一杯です」

「それもそうか」


 と、急になにか思いついたような顔をした。


「ねえ、そろそろこの混雑も飽きてきたし、ちょっと鳴瀬くん借りていい?」

「え?」


 提案の意味が分からずに戸惑っていると、一岡さんはなにやらジェスチャーを交えながら永田さんに声をかけている。どんなやり取りがあったのかは聞こえなかったけど、結果として、僕はなぜか一岡さんのサポートに回ることになっていた。

 隣のレジにいた五反田さんからは、「またお前は……」と呆れられていたけど、一岡さんは気にしたそぶりもなかった。


「それじゃあ、また気合入れ直そうか」


 サポートする相手が変わっただけで、基本的に僕のやることは変わらない。だけど、ペアが変わって気分転換になったし、一岡さんの接客をすぐ間近で見られたことは、永田さんの時とはまた違う勉強にもなった。永田さんは言葉遣いも丁寧で相手を不快にさせないことを重視した接客をするけど、一岡さんはフランクな態度で商品を勧めたりなんかしている。それでもお客さんが嫌な顔をしないのは、一岡さんの憎めない笑顔のおかげだと思う。

 ただ、僕に真似できるかといえば話は別なんだけど。


 それからまたしばらくが経つと、混雑のピークもいよいよ終わろうとしていた。レジに並ぶお客さんの数も目に見えて減って。少しずつ作業にゆとりもてくる。だんだんと、周りに目を向けられるだけの余裕も生まれていた。

 一岡さんは時々、レジを打ちながらも永田さんの方を気にするそぶりを見せている。もしかしたら、僕を無理やり連れていったことを反省しているのかもしれない。気がかりな態度ではあったけど、それを訊けるだけの余裕はなかった。


 やがて、いよいよレジからお客さんがいなくなると、応援に入っていた五反田さんと水上さんは自分の持ち場へと戻っていく。

 ロビーからはほとんど人がいなくなって、さっきまでの忙しなさは一変、落ち着いた空気が流れている。ついに、乗り切ったのだと思った。

 僕は大きく息を吐いて、張り詰めていたものを取り除いた。途端、たまっていた疲労がどっとあふれた。


「お疲れ。先、休憩取ってきちゃっていいよ」


 そう言って労ってくれたのは一岡さんだ。永田さんの方にも視線で確認すると、肯定の反応があった。


「それじゃあ、すいません」


 二人に小さく頭を下げながら、事務所へ続く階段へ向かう。待ちに待った休憩時間だけど、いっそこのまま帰りたいくらいの疲労度だ。

 もちろん、そんなことが実際にできるはずもない。休憩室で軽い食事を取って、適当にスマホをいじっていると、あっという間に休憩時間の三十分が過ぎた。

 ふと、部屋の隅にポップコーンの欠片が落ちているのが見えて、思わずひとりつぶやいた。


「今日だけで、一生分のポップコーンを見てるかも」


 この後もまたあの混雑が待っているのだと思うと、憂鬱な気持ちになってくる。だけど、いつまでも休憩室で引きこもっているわけにはいかなくて、どうにか重い腰を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る