数の合わないコンセの商品在庫

 休憩を終えた僕は、事務所前の階段を降りて、調理場を抜けた先にある表のカウンターまで向かう。今はお客さんも少なくて、そこには初めて見る顔のスタッフの人が一人いるだけだった。永田さんも、一岡さんもいない。僕はそのまま、二人を探しに裏の方へと戻った。


 二人とも、もう休憩に入っちゃったのかな。


 そんなことを考える裏で、どうしてか気持ちが焦っていた。理由は分からない。だけど、言いようのない不安が胸の中で広がり続けている。

 調理場からさらに奥の、食材や備品のストックが置かれている倉庫の方へと向かう。どうしてか忍び足になって、息もひそめていた。倉庫の奥は、背丈よりも高い棚で隠されて死角になっている。一番の奥の方まで来た時、不意に声が聞こえてきた。


「打ち明けた方がいいですよ。数が合わないこと、記録表の数字をごまかしても、廃棄の数を見れば分かります」


 声は棚の奥から聞こえている。一岡さんのものだった。


「でも、今さらなんて言えばいいのか……」


 今度は永田さんの声だ。

 思わず聞き耳を立ててしまう。聞いたらダメだと直感では分かっているのに、足は動かなかった。無意識に、右手を棚の方に動かしていた。

 と、その手が何かとぶつかる感覚があった。


「あ――」


 ドサッ。足元で、何かが落下する音がした。見ると、棚に置かれていたコーヒーシュガーの束が床に落ちていた。


「鳴瀬くん……?」


 音に気づいて物陰から出てきた二人に、今さらごまかすこともできなかった。


「すみません。二人を探してて」

「話、聞こえてた……?」


 弱弱しい声で訊いたのは永田さんだ。

 確証があったわけじゃない。だけど、二人が何を話していたのか、その答えを察せるだけのヒントは与えられていた。


「すみません」


 答えの代わりに、僕はもう一度謝った。

 永田さんはうつむいてしまって、それきり何も言わなかった。

 見かねた一岡さんが代わりに答えた。


「七不思議の原因、永田さんだったみたい」


 何かの間違いだと、ただの思い違いであって欲しいと思っていた。だけど、一岡さんから告げられた言葉は予想通りのものだった。

 それはつまり、永田さんが不正をしていたということ。理由は分からないけど、大事な売り物である食材の数をごまかしていたのだ。


「いったい、なにがあったんですか?」


 一岡さんは、視線で永田さんに確認をした。こんなこと、絶対に僕みたいな新人に話すべきことじゃない。逆の立場なら、適当な言葉でごまかして僕を追い払おうとするに決まってる。だけど僕は、どうしても永田さんのことが知りたかった。

 いったいどんな不正があって、どんな事情があってそれをしてしまったのか。

 その想いが伝わったのか、永田さんは静かに語り始めた。


「私ね、中身を少し多くしたり、ずっとお客さんに商品をサービスし続けてたの。はじまりは、知り合いが店に来て、サービスをせがまれたのがきっかけ。今度はその知り合いの知り合いが来て……。だんだん、一部の人にだけサービスするのは不公平になる気がして、どんどん止められなくなったの」

「だからって、自分の立場を危なくしてまでやることじゃないですよ」


 一岡さんは、理解できないと言うような呆れた声をしていた。だけど僕には、永田さんがそれをするようになるまで、どれほどの葛藤を抱えていたのか、なんとなく分かるような気がしていた。


 僕と永田さんは、やっぱり似てるから。


 永田さんは決して自分の立場なんてものは考えずに、ただすべてのお客さんに対して誠実であろうとしたんだ。ただ、その真面目さのせいで誰にも相談できなくて、きっと今日まで隠し続けるしかできなかったんだろう。


「ごめんなさい。みんなにも迷惑をかけてしまって……」


 永田さんは、一岡さんに向かって深く頭を下げた。


「迷惑だなんて、別に。ただ、やっぱり社員さんにはちゃんと言うべきだと思います。みんな、なんとなく気づいてます。それでも、永田さんのことを信じてるからなにも言わないでいるんです」


 それを伝える一岡さんも、聞いている永田さんも苦しげだった。それを隣で見つめているだけの僕も、胸が張り裂けそうなくらい苦しかった。普段よりずっと心が引っ張られるのは、相手が永田さんだから。

 しばらく重苦しいほどの静寂が漂って、やがて顔を上げた永田さんは、覚悟を決めた表情をしていた。


「うん、そうだね。信じてくれてるなら、ちゃんと言わないとね」


 今度は僕の方を向いて、永田さんはまた謝った。


「鳴瀬くんも、ごめんね。研修担当がこんなダメな先輩で」

「ダメだなんて言わないでください。永田さんは、すごくカッコいいです」


 それが正しい表現かは分からなかったけど、僕の素直な想いだった。

 永田さんは僕と似ている。だけど、僕よりもずっと優しくて、勇気があって、カッコイイ。


「ありがとう」


 永田さんはいつもの優しい微笑みを残して、事務所へとつながる階段の方へと歩き出していった。僕はただ、その背中を静かに見送った。

 永田さんのしていたことは、確かにいけないことで、不正と呼ばれるものだった。だけど、それは彼女の優しさや心の弱さが招いた結果だった。

 もし自分が同じ立場になったら、きっと同じことをする。そして、その不正がバレてしまった時、今の永田さんみたいに素直に認めることができるだろうか。


 少し考えてみて、途端に怖くなった。

 いつだって僕は、逃げてばかりの僕だから。

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