第3章~コンセッションは大忙し!~

コンセ研修初日

「コンセッション……?」


 出勤した瞬間、衝撃だった。

 事務所のホワイトボードには、その日の担当となるセクションが張り出されているけど、僕の名前が書かれていたのは、馴染みのない場所だった。


『コンセッション』


 ポップコーンやドリンクなどの飲食物の販売を行っている、ロビーにあるあのコーナーのことだ。フロアの仕事をしているとほとんど目につくことはないけど、人気作が公開されてすぐの休日は鬼のように忙しいと聞いていた。


「鳴瀬くん、だよね。研修担当の永田です。よろしくね」

「あ、鳴瀬です。よろしくお願いします」


 永田さんは、まだ二十代くらいの女の人だった。落ち着いた喋り方と優しげな雰囲気で大人びて見えるけど、反対に顔つきには幼さが残っているようにも見えた。大学生か主婦の人か、なかなか判断がつきにくい。


「コンセは今日が初めてだよね? たぶん結構混んじゃうと思うけど、ちゃんと教えるから安心してね」


 事務所を出て、コンセッションへと向かう永田さんの後ろをついて歩く。初めて入る調理場に、ちょっと緊張をした。お客さんとやり取りをするカウンターは調理場の奥にあって、そこからは活気のある声が聞こえてくる。


 今日は金曜日。明日からはファミリー向けの人気アニメ映画が公開される予定になっていた。基本的に映画は金曜日に新作が公開されるけど、アニメ系を中心に、時々土曜日公開のものがあるらしい。映画館が賑わう時、最も影響を受けるのがこのコンセッションで、きっと明日からの混雑に備えて僕の研修が入れられたんだと思った。

 とはいえ、今日から始まる作品も多くあるはずだし、当たり前だけど、平日では金曜日が一番混む。研修の前から戦々恐々だった。


「それじゃあ、現場に出る前に簡単に流れだけ説明しちゃうね」


 事務所を降りた先にある調理場や食材の倉庫は、お客さんからは見えない位置にある。実際にお客さんとやり取りをする表のカウンターに出る前に、永田さんからの説明を受けた。

 接客するに当たっての心構えや言葉使い、商品提供までの流れや扱っているメニューの一覧など、説明は多岐に渡った。

 途中、僕の頭がパンクしかけていることに気づいた永田さんは、


「ゆっくり覚えていけばいいから」

 と優しく言ってくれたけど、明日からの混雑を考えると、悠長なことも言っていられない。


 一通りの説明を聞き終えると、帽子とエプロンを装着して、いよいよ表のカウンターへと向かう。今日の僕の仕事は、実際に接客をする永田さんの隣に立って、商品提供の手伝いをすることらしい。

 表に出ると聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「お、ついに鳴瀬くんもコンセデビューだね!」


 帽子で前髪が隠されて印象が変わっているけど、すぐに一岡さんだと気づいた。本当に、一岡さんはどこにでも出没する。


「不安しかないんですけど、デビューしちゃいました……」

「最初に聞いたとは思うけど、コンセは映画館の貴重な収入源だからね。責任重大だよ〜?」


 初めての出勤の時、最初のオリエンテーションで社員さんから聞いた話を思い出す。

 映画のチケット代はほとんど配給元に回収されるから、映画館の経営はコンセッションの売り上げに大きく依存をしているらしい。だからこそ、一人でも多くのお客さんに、一品でも多く商品を買ってもらうことが大事なのだと。


「お、脅さないでくださいよ」

「あはは、まあ店員一人の違いでそんなに売り上げが変わるわけでもないし。それに、永田さんは優しいから、焦らずにじっくり教えてもらえばいいよ」


 名前を出された永田さんは、反応に困るように小さく笑っている。なんとなく、その表情にどこか見覚えがある気がした。

 と、お客さんが一組カウンターにやってきて、一岡さんは慌てて接客に戻った。今はちょうど空いている時間帯みたいだ。


「それじゃあ、先に商品の作り方を教えるね。とりあえず、注文が多いポップコーンとジュースからかな」


 永田さんから、一通りのメニューの作り方を教わっていく。作り方と言っても、ポップコーンは容器に入れるだけだし、ジュースもマシンから注ぐだけだ。他にもポテトやナゲットなどの食べ物もあったけど、せいぜいレンジやオーブンで温めるくらいだった。何度か永田さんに教わりながら自分で作ってみて、案外いけるかもしれないという気がしていた。


「うん、完璧。鳴瀬くんはすごく丁寧にお仕事をするね」


 永田さんの教え方は丁寧で、どんな小さなことでも優しく褒めてくれる。この劇場の人はみんないい人だけど、永田さんは一緒に仕事をしていてすごく落ち着く雰囲気を持っていた。


「ちょっとずつ、やれそうな気がしてきました」


 きっと永田さんのおかげだ。実際はまだまだできないことばかりだとは分かっているけど、最初にあった不安はいつの間にか消えていた。


「じゃあ、そろそろ実践いってみようか」


 実際にカウンターの前に立つのは永田さんだ。僕はその隣に立って、注文されたメニューを用意していく。ちょうど閑散とした時間ということもあって、一つ一つ落ち着いて作業することができた。

 お客さんが途切れて手が空くと、自然とロビーの方を見つめてしまう。ポツポツと行き交う人たちの中に、藤乃さんの姿を探していた。


 思い出すのは昨日のことだ。

 あれは間違いなく拒絶の反応だった。力になりたいという提案がおこがましかったのだろうかと思いつつも、それだけでは釈然としない態度だった。どうにも気がかりなのは、藤乃さんが苦しむ理由と、七不思議の調査にあれほどこだわる理由。


「そういえば、永田さん知ってます? ここの七不思議の話」


 突然聞こえてきた言葉にハッとした。ロビーからお客さんがいなくなったのを見計らったのか、いつの間にか一岡さんが隣まで来ていた。

 永田さんは不思議そうに首を傾げた。


「七不思議?」

「ちょっと、一岡さん」


 できれば、あまり話を広げてほしくない。慌てて止めようとしたけど間に合わなかった。


「そう。実はこの劇場にあるらしいんですよ」と、一岡さんは僕の方を向く。「たしか、コンセにも何かあったよね?」

「あ、そういえば」


 言われたことで思い出した。業務の不安でいっぱいいっぱいになって忘れていたけど、このコンセッションに関するものが一つあった。ちょうど四つ目の七不思議。


『数の合わないコンセの商品在庫。』と、そんな内容だったはずだ。


 その話に慌てだしたのは永田さんだった。


「ちょっとやめてよ。私、そういうの得意じゃないの」

「それが、全然怖くないんですよ~。この前、シアターからうめき声が聞こえるなんて話があって――」

「あ! ほら、そうだ。今のうちに補充! 補充の仕方を教えないと!」


 永田さんは強引に話を遮ると、裏の調理場の方へ僕を手招きをした。話のオチまで言えなくて一岡さんは不満そうだったけど、僕は今日の研修担当に従うしかない。

 カウンターの前の一岡からは見えない位置まで移動して、僕はこっそりと謝った。


「すみません、なんだか変な話になっちゃって」

「ううん、こっちこそごめんね。一岡さんにも悪いことしちゃった……」


 ただのなんでもない雑談だったのに、永田さんは心から申し訳なさそうな態度だった。その様子にますます僕の方も申し訳なくなって、もう一度謝ろうとした時、ふと気づいた。

 永田さんの表情に、どこか見覚えがあると思ったのは――。


 そうか、永田さんは僕と似てるんだ。


 笑い方も、話し方も、きっと考え方だって、勝手にだけど僕は近いものを感じていた。だからこそ仕事を教わる時も、こんなにも落ち着けていられたんだろう。


「さあ、とっさに言い訳に使っちゃったけど、言ったからにはちゃんと教えないとね」


 永田さんは、再び仕事の空気に切り替えた。

 僕も気を引き締め直して、説明に耳を傾ける。ポップコーンやドリンク用の容器のストックの場所や、他にもいくつかの備品について教わった。

 その時、ふと目についたのは、食材の倉庫に貼られたチェック表だった。それは、残りの個数や賞味期限、取り出した日時や個数を記入するための用紙で、きちんと運用されているように見えた。


 おかしな七不思議だ、と改めて思った。

 他の六つにはホラーのような雰囲気がなくもないけど、このコンセのものに関しては、ただの仕事上の問題点としか思えなかった。管理された在庫数が合わないということは、どこか運用に問題があるか不正があるかのどちらかだ。そんなのは、明らかに七不思議にふさわしくない(今までの三つだって、ふたを開ければガッカリな内容だったけど)。


 裏での説明が一通り終わると、僕たちは再びカウンターの方へ戻った。相変わらず利用者はほとんどいなかったけど、ロビーには数人の若い女性客のグループがあった。


「あ……」


 永田さんはその女性グループを見て、小さく声を漏らした。すると、ロビーの彼女たちも永田さんの方に気づいた様子で、カウンターの方まで向かって歩いてくる。

 そこに小さな引っ掛かりを覚えた。

 ただの気のせいかもしれない程度の違和感だ。だけど、ロビーのお客さんに気づいた永田さんの表情に、一瞬だけ緊張の色が浮かんだような気がしていた。


「ごめん、ちょっと裏で待っててもらってもいい? 知り合いが来ちゃって」


 僕は素直にうなずいて、また裏の方へとんぼ返りする。

 カウンターから死角の位置に入る直前、永田さんの方をちらと見た。知り合いだという彼女たちに向けたその表情は、明らかに仲のいい友人を出迎えるそれには見えなかった。

 言われた通りに裏で待つ間も、あの人たちを見つけた瞬間に見せた、永田さんの表情が頭から離れなかった。

 困ったような笑み。あれは、自分の感情を隠す時に使う表情だ。知り合いだとは言っていたけど、あの人たちは永田さんにとって、身構えなければいけない相手なのだと気づいてしまった。


 五分ほどが経つと、永田さんが戻ってきた。「お待たせ」と、優しい笑顔を浮かべていた。あの困ったような笑みは、もうどこにも見当たらない。

 それからはだんだんと混雑する時間になっていき、永田さんの手伝いをしながら仕事を覚えることに明け暮れた。レジは混んだり空いたりを繰り返して、その日の終わり頃には、一通りのメニューを一人で提供できるようになっていた。


 時間帯によっては今日も十分忙しかったけど、本当の決戦は明日だ。

 最後に少しだけお金のやり取りの練習もしてみたけど全然上手くいかなくて、しばらくの間は先輩スタッフのサポートに徹することが僕の役割に決まっていた。

 大丈夫、メニューの提供だけならきっと上手くやれる。一岡さんからは、明日は大変だよと再三脅されたけど、この調子なら大丈夫だと信じられた。


 帰り道、僕は夕方の風を浴びながらふと思い出す。

 そういえば、コンセの商品在庫にずれが出たのかは結局分からなかった。

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