映画泥棒

 千葉ちゃんさんは嵐のように去っていって、僕と一岡さんは廊下に取り残された。


「なかなか、すごい人ですね……」

「まあね」


 一岡さんが肩をすくめる。

「それよりさ、やっぱり4番シアターから聞こえるうめき声って……」

「……はい。声もそっくりだったので、間違いないかと」

「やっぱりか~」


 可笑しそうに笑う一岡さんは、どこか残念そうだった。七不思議に興味を示していただけに、原因が分かってガッカリしてしまっているのかもしれない。


「実はさ、うち、三つ目の正体も分かったかもしれないんだよね」

「え、三つ目ってたしか……」

「リアル映画泥棒、ってやつ」


 そう、それだ。

 いまいち不気味さは伝わってこないけど、顔がビデオカメラの人なんて、実際に目の前に現れたらたぶん怖い。それとも、本当に映画を盗撮して違法にネットに上げる人だろうか。そっちの方が映画館的には恐ろしい話かもしれないけど。


「やっぱり、こっそりカメラを回してる人がいるんですか?」

「違う違う。うちの予想だけど、リアル映画泥棒っていうのは――」

「鳴瀬!」


 真面目な声で呼んだのは五反田さんだった。チラシに夢中になっていた時の顔は消えて、すっかりバイトモードだ。


「水上からヘルプの連絡だ。あと、一岡も早く着替えて打刻しろ」


 いつの間にか、装着していたはずのシーバーのイヤホンが外れていることに気づく。気づかない間に、水上さんから呼ばれていたのだろう。

 僕の返事と一岡さんの気の抜けた返事が重なって、話はそれで終わりになった。

 五反田さんはきっと、水上さんに向かって返事をしたんだと思う。シーバーのマイクに「すぐ行く、走っていく」と言っていたのを、僕は聞かないふりをした。


 仕事がない暇な時間はいったん終わって、ここからはお客さんの入れ替えが重なる時間帯になるはずだ。いつまでも水上さんを一人にはできない。

 五反田さんと二人でこっそり見取り図を事務所に返すと、すぐに仕事に戻った。

 今ではもう、ほとんど自分一人で動くことができる。他の人の動きを見て、今自分がするべき仕事を考える。慣れている先輩たちは、考える時間も必要とせずにテキパキ動くけど、僕も少し考えれば正解の動きが分かるようになったと思う。


 予告や本編の上映確認を最優先に、エンドロールが始まる前に扉を開けて、もちろん清掃だって手早くこなさなければいけない。その途中にお客さんから声をかけられることだってあるし、汚れている箇所があれば念入りに掃除しなければいけない。

 だけど、自分で段取りを考えながら行動するというのは、学校ではほとんど馴染みのなかった経験で、難しかったけど楽しくもあった。

 忙しい時間はあっという間に過ぎる。

 小一時間ほどテキパキと仕事を続けていると、再びすることもなくなって落ち着いた時間になる。こういう時はたいてい、お客さんの目につきにくいシアターの入り口わきに隠れて、バイトで集まるのだ。


「で、成果はあったの?」


 開口一番、水上さんが訊いた。

 成果とはもちろん、あの七不思議のことだろう。


「一応、なんとも言えない結論でしたけど……」

「すまない。俺にも説明してくれると助かる」


 五反田さんは、事務所の前で放置してしまったことに罪悪感があるのか、心なしか決まりが悪そうな態度だった。


「あれ、五反田さんも一緒に行ったんじゃないんすか?」

「そのつもりだったんだが、途中でちょっとな……」


 まず、なにも事情を知らない水上さんに七不思議の内容と4番シアターでの出来事を説明してから、五反田さんと二人で調査に向かってからのことを話した。もちろん、五反田さんがチラシに夢中になっていた話はごまかした。

 そして、いよいよ女子トイレから出てきたうめき声の正体を伝えると、水上さんはたまらずに噴き出していた。


「千葉ちゃんかよ! ある意味、千葉ちゃん自身が七不思議かもしれないけどさ」


 ゲラゲラと笑う水上さんの隣で、五反田さんは笑いをかみ殺している。だけど、身体が小刻みに震えていて、笑っているのはまる分かりだ。


「まさか、千葉さんが原因とは……、なんとも、人騒がせな」


 必死に笑いをこらえながらしゃべるから、言葉は途切れ途切れだ。普段(映画に関することを除けば)クールな五反田さんをここまで笑わせるなんて、千葉ちゃんさんはなかなかものすごい人物なのかもしれない。


「にしても、七不思議って言っても結構ショボい感じなんだな。ま、怪談の類なんてそんなもんかもしれないけど」


 水上さんはひとしきり笑うと、冷静な調子になった。

 ふと、一岡さんとの話を思い出す。そういえば、三つ目の七不思議の正体が分かったって言っていたっけ。


リアル映画泥棒って、いったいなんだったんだろう。


 今日の一岡さんの担当は別のセクションだ。答えの確認をするのは、また次のシフトが被った時になりそうだ。

 不意に、辺りが暗くなった。

 突然のことに一瞬だけ戸惑って、何かに明かりを遮られたのだと気づいた。すぐ背後に、人の気配があった。

 とっさに振り向くと、かなり背の高い男の人が立っていた。

 真っ先に目に飛び込むのは、パリッとした真っ黒なスーツ、両手にはまるで鑑定士のような白い手袋。困ったように両手を腰に当てる動作は、パントマイムみたいに滑らかだった。


 その姿はまるで――。


「え、映画泥棒……!」


 思い切り顔を上げると、ようやく顔が見えた。そこにはビデオカメラ……、じゃなくて、困ったように笑う優しげな表情があった。歳は三十代半ほどで、この人もきっと社員さんだろうと思った。


「はは、よく言われるよ。やっぱり、この手袋がいけないのかな」


 思わず口走ってしまったけど、ひょっとしたら失礼なことを言ってしまったかもしれない。ただ、「映画泥棒に似ている」と伝えることが失礼に当たるのかは分らないけど。


「それより、話をするのはいいですけど、あくまで声は控えめにお願いしますね。聞こえてきましたよ」


 静かだけど力のある声で諫められて、僕たち三人は素直に「すみません」と謝った。

 僕たちの態度に納得したのか、映画泥棒さんは話を終えて去っていく。最後まで、その頭がビデオカメラに変わることはなかった。


「あの、今の人って……」

「ああ、社員の武内さんだ。この劇場で俺より背が高いのはあの人だけだな」

「武内さん……」


 近くに立たれると、顔を見上げるのも辛いくらいの背の高さだった。

 たぶん、それもあるんじゃないかな。この劇場という場所で、黒いスーツと白い手袋の男の人を見かけたら、頭に思い浮かぶのは一つだけだ。


「けど、いきなり『え、映画泥棒……!』はないだろ」


 水上さんは、さっきの僕の声真似をしてケラケラと笑っている。ちょっと似ているところが余計に恥ずかしかった。


「やめてくださいよ。普通、いきなり見たら勘違いするじゃないですか」

「はは、確かに見間違える気持ちも分かるけどさ」


 ちょうど一岡さんとの話を思い出していたから、余計にだ。

 間違いなく、一岡さんが言おうとしていた心当たりとは武内さんのことだろう。リアル映画泥棒とは、スクリーンから飛び出した本物ではなく、本当に映画を盗撮している悪い人でもなくて、ただ格好がそっくりなだけの社員さんだったんだ。


「なあ、鳴瀬。三つ目の七不思議って、そういえば」


 五反田さんもそれに気づいたみたいで、僕は小さくうなずいて答える。

 二つ目も三つ目も、なんだか拍子抜けだ。どんな手品もタネが分かってしまえばガッカリしてしまうものだし、怪談の類だって、それと大差ないことなんだと思う。だけど、それをどこかつまらないと思ってしまっている自分に気づいて驚いた。

 怖い話は苦手だし、こんな七不思議なんてなにかの間違いであって欲しいと思っていたはずなのに。


 僕はいつの間にか、こんなにもこの七不思議に期待をしてしまっていたみたいだった。

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