常連客のあの人は、ちょっと変わり者のようで
「なんでも、好きなもの頼んでいいから」
結局駅の方へと引き返して、最初に見つけた適当なファミレスで僕たちは向かい合っていた。
店内は昼時のピークを過ぎて、少しずつ落ち着いた空気が漂っている。だけど僕は、そんな空気をよそに、今さらながらに落ち着かなくなっていた。
どうしてこんな年上の女の人と、二人でファミレスになんて来ているんだろう。あまりにも慣れない展開に、ついドギマギしてしまう。
「これくらい、自分で払います」
「いいから。こういう時はちゃんと奢られて」
抑揚のない口調で言われると、これ以上言い返すこともできなかった。少しだけ変になった空気を変えようと、ずっと後回しにしてきたことを訊いた。
「あの、よかったら名前を教えてもらってもいいですか?」
今まではただの客とスタッフの関係で、一方的に名前を知られているだけだった。だけど、ここまできて名前が分からないのではやりにくい。
女の人は「名前……」と小さくつぶやいて、少し逡巡するそぶりを見せた。
「藤乃。呼び方はなんでもいいけど」
「じゃ、じゃあ藤乃さんで」
下の名前だけを言われるとは思わなくて、少し戸惑った。いくら「さん」を付けても、女の人を下の名前で呼ぶのは気恥ずかしかった。
「ねえ、鳴瀬くんは、今日私があの映画を観るって知ってたの?」
「ぐ、偶然です!」
一岡さんにそそのかされて、藤乃さんと同じ作品を選んだことは黙っておく。時間が重なったことは、一応本当に偶然だから。
藤乃さんは「そう」とだけつぶやいて、納得をしてくれたみたいだった。
「そういえば、七不思議解けたんだっけ」
「あ、はい。まだ一つだけですけど」
「入れ替わる二つのシアター、だっけ? もしかして、一番目から解こうとしてる?」
「いえ、それがまったくの偶然で……。バイト中に、その七不思議の現象と同じことが起こったので」
「うん。一つ目から解いていくのはいいかも。うん、それがいい」
藤乃さんは、なんだか一人でうなずいている。と思ったら、今度はメニュー表を差し出して、「ほら選んで」とページを開いた。
ひとまず比較的安いワンプレートのセットに決めると、藤乃さんはさっそく呼び鈴を押して注文をした。藤乃さんが頼んだのは、爆弾ハンバーグ定食だった。
「あの、一つ目の七不思議のこと、もっと訊かなくていいんですか?」
まだ一つだけとはいえ、自分から頼んだことなのに、やけにそっけない反応だった。せっかく苦労して解いたのに、なんだか釈然としなかった。
「え? あ、そうだった。知りたい」
明らかに取り繕った反応。藤乃さんはきっと嘘が下手だ。この七不思議の依頼自体、なにかのいたずらだったんじゃないかと思えてしまう。
七不思議の依頼をされた時、僕にとっても意味があるはずだなんて言っていたけど。
藤乃さんの考えることは、どうにもよく分からない。
どこまで興味があるのかは分からないけど、一つ目の七不思議について分かったことを説明する。その原因がただの物理的な現象だったのだと話をしても、やっぱり藤乃さんは表情一つ変えなかった。
「と、そんなわけで、ただの錯覚だったんです。七不思議なんて、たいそうな怪奇現象じゃありません。きっと、他の六つだって似たようなものです」
怪奇現象なんて、身近にそう簡単に起こっていいはずがない。僕がアルバイトを初めてすぐの頃に遭遇したあの幽霊も、今になってみれば、あれが本物だったと証明するものはなにもない。
僕の言葉に対して、藤乃さんは肯定も否定もしなかった。しばらくなにかを考えるようなそぶりを見せた後、
「鳴瀬くんは、やっぱりもう興味なくしちゃった? 七不思議の一つが、ただのガセだって分かって」
「それは――」
最初から、進んでそれを調べようとしたわけじゃない。そもそも、それを解き明かさなければいけない理由だってないし、いくら相手がバイト先の常連客だからといって、そんなものは完全に業務範囲外だ。
僕がそれを調べようと思ったのは、七不思議が本物であることを期待したからじゃない。心霊現象が嫌いな僕としては、ガセだと分かってホッとしたくらいだ。
藤乃さんの依頼を続けたいと思う理由は……。
僕はゆっくりと首を横に振って答える。
「続けますよ。一つ目の謎を解いた時、すごく楽しかったですから」
ただ単純に楽しかった。だから、続けたいと思った。
一岡さんや五反田さん、映画館の仲間たちとともにそれを調べていくことは、すごく魅力的なことに思えたから。
「そう。それならよかった」
藤乃さんは小さく息を吐いた。それは安堵したようなしぐさで、初めて目にした表情の変化だった。
「あの、一つだけ教えてください。どうして藤乃さんは、そんなに七不思議を解いてほしいんですか? それに、わざわざ僕を指名して」
理由なんて、別になんだってよかった。どんな答えが返ってきてもこの決断を変えるつもりはなかったし、ただの興味本位での問いだった。
だけど。
「それは、いつかきっと分かるから。今は残りの六個に集中をして」
はぐらかされると、余計に気になってしまう。
「全部解いたら、教えてくれますか?」
「……きっと」
釈然としないところはあったけど、今は藤乃さんの言葉を信じるだけだ。
「もし手伝えることがあったら、私も協力するから。客の立場だからこそ役立てることもあるかもしれないし」
そこで、注文していた料理が運ばれてきた。テーブルの上に二人分の料理が置かれると、店員さんはお辞儀をしてから去っていく。僕もそれに小さく会釈で応えた。すっかり、話はそこで打ち止めになっていた。
藤乃さんは、「いただきます」ときちんと手を合わせてから、目の前の巨大な爆弾ハンバーグにナイフを入れていく。そして、大きめに切り分けたそれをひょいひょいと口の中に放り込んでいった。
ちゃんと噛めているか心配になるほど、かなりのハイペースで食事が進んでいく。ほっそりとした体型に似合わない豪快な食事に、思わず目が離せなかった。
「……なに?」
「あ、いえ」
「早く食べないと冷めるよ?」
言いながらもハンバーグを口に運ぶ手は止めない。このままだと待たせることになってしまうと思って、僕も慌てて目の前の焼き魚の定食に箸を伸ばす。そこからはしばらく、お互いに無言で黙々と食事をとり続けた。
藤乃さんはたぶん、もともと口数が多くない。だから、無言の時間はそれほど気にならなかった。それに藤乃さん自身も、あまりそういうことは気にしないタイプの人だろうという気がしていた。
そして、藤乃さんは、その細い身体のどこに入れているんだろうと言いたくなるほどあっさりと巨大ハンバーグを平らげて、食事が遅い僕はまだ半分近い料理を残していた。
待たせてしまうことを謝ろうと思って顔を上げると、藤乃さんの食器にプチトマトが一つ残っていることに気がついた。
藤乃さんはじっとそれを睨みつけて、なにか葛藤している様子だ。やがて覚悟が決まったのか、それをひょいと口に放り込む。咀嚼をすると、わずかに顔をしかめた。
「トマト、嫌いなんですか?」
「別に嫌いってほどじゃないけど。サラダに乗ってるのを見るとすごく忌々しい」
僕はしばらく呆気にとられて、それから思わず笑い声をこぼしてしまった。
ずっと考えが読めなくて、どこか近寄りがたい人だと思っていた。だけど、それだけじゃない一面を、初めて目にできたような気がした。
藤乃さんからは、なにを笑っているのかと抗議の視線を向けられる。僕は「すみません」と謝りつつも、そんな些細な表情の変化に気づけたことが嬉しかった。
それからしばらくして、ようやく食事を終わらせた僕は、「ごちそうさまでした」と手を合わせる。藤乃さんは小さく一息ついてから、伝票を持って立ち上がる。
「それじゃあ行こうか」
入り口近くのカウンターで支払いを済ませたあと、お店を出たところで僕はまたお礼を言った。
「ありがとうございます。ご馳走様でした」
振り返った藤乃さんは「ううん」と言ってから、ふと真面目な顔になった。
「こちらこそ、付き合ってくれてありがとう。親以外の誰かと食事なんて、すごく久しぶりだったから。楽しかった、と思う」
思うだけなのか、なんて、そんな野暮なことは気にしない。藤乃さんからこんな風に言ってもらえるのは、きっとものすごいことなのだ。
「僕も同じです。こんなご飯は久しぶりで、楽しかったです」
性格は似ても似つかないけど、どこか僕たちは似たところがある。そんな気がしていた。それが嬉しくて、思わずそれを訊いてみてしまった。
「あの、藤乃さんって、昔から『Cinema Bell』の常連だったりしますか?」
「どうして?」
「それは……。なんとなく、昔どこかで見かけたような気がして」
藤乃さんの顔を見ていると、記憶のどこかにわずかな引っかかりを覚える。きっと昔どこかで顔を見かけていたのだと思うけど、そのどこかが分からない。もし藤乃さんが昔からの常連なら、僕がまだ客として通っていた頃にすれ違っていたとしてもおかしくはない。
だけど――。
「私、映画館で観る映画って、嫌いだから」
藤乃さんは、冷たい声ではっきりとそれを否定した。
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