七不思議
頭が痛い。
ズキズキ、と。この鈍い痛みは内側からくる頭痛じゃなくて、たぶん外傷によるものだ。痛む側頭部を手で押さえながら、ゆっくりと重いまぶたを開いた。
と、目の前には女の人の顔があった。
「あ、起きた」
「……うわぁ!」
幽霊、目の前に!
思わず大きくのけぞって、目の前の彼女の姿を凝視した。その女性は、前にも幽霊と空目した、あの不思議な雰囲気の彼女だった。今日もこの前と同じ深いネイビーのコートを羽織って、暗闇に擬態するような服装をしている。
「あれ……?」
それじゃあ、さっきの幽霊は? またこの人が幽霊に見えてしまっただけ?
気を失う直前に見た幽霊の姿を思い出す。
さっきのあれは、明らかに普通じゃなかった。それに、顔までは見えなかったけど、さっきの彼女は、目の前の女の人より一回り近く幼いような印象を受けた。たぶん、中学生か高校生くらい。そもそも服装だって違っていて、さっきの少女は、白のダッフルコートのようなものを羽織っていたはずだった。
「大丈夫? 思い切り頭を打ってたみたいだけど」
訊かれて、自分が気を失っていたことを思い出す。
そうだ、時間は……!
仕事を放り出して倒れていたのでは大問題だ。焦って時計を確認すると、針の位置はこのシアターに入る前とそれほど変わっていなかった。
「あなたが倒れてたのは、たぶん一分もないくらい」
「見てたんですか? 僕が倒れるところ」
女の人は、「うん」と小さくうなずく。その瞬間を見ていたということは、つまり。
「ひょっとして、ずっとシアターにいたんですか?」
「映画、観てたから」
「……じゃあ、僕が倒れた時、他になにか見ませんでしたか」
たとえば、女の子の幽霊とか。
女の人は感情の読めない目で僕の顔を見つめていた。しばらくの間、そんな状況のまま動けなかった。たまらなくなって、なんでもないです、と言いかけた時、
「鳴瀬くんは――」
と目の前の女の人は言った。
一瞬名前を呼ばれたことに驚いて、すぐに自分が名札を付けていたことを思い出す。だけど、スタッフのことを気軽に名前で呼ぶような人には見えなかったから意外だった。
「この劇場に七不思議があるのは知ってる?」
「え?」
突然の突拍子もない話に耳を疑った。
幽霊の話なら聞いているし、様々ないわくつきなのだと一岡さんは言っていた。だけど、それが七不思議という形で伝わっているのは初耳だ。
僕は戸惑いながらも、かろうじて首を振って答えると、女の人はコートのポケットから一枚の紙切れを取り出した。二つ折りにされた、小さなメモ紙だ。
渡されたそれをつい受け取ってしまって、中に書かれた文字を見た。その内容が何なのかは、一目で分かった。
「七不思議について、まとめてみたの。これを鳴瀬くんに調べて欲しくて」
「僕に?」
「そう。だって、ひいきにしている映画館で、そんなうわさが流れていたら不気味でしょ? だから、この現象をあなたに解き明かして欲しくて」
相変わらず、この人の表情は分かりづらい。だけど、この頼みが本気なのだということだけは分かった。
だけど、いきなり七不思議だなんて言われたって。
だいたい、僕はまだこの劇場のことだってほとんど知らないのに。
「でも、なんで僕に……」
「鳴瀬くんに解いてほしいから」
理由としてはまったく成立していないように思うけど、強い口調で言い切られて、返す言葉も失くしてしまう。女の人はさらに続けた。
「それに、鳴瀬くんにとっても必ず意味があるはずだから」
いよいよこの人がなにを言ってるのか分からなくなって、疑問の言葉も浮かばない。それを納得の反応だと思ったのか、話はまとめの方向へと向かっていた。
「私も、できるだけ相談に乗るようにはするから」
「そう言われても……」
内容が内容とはいえ、お客様からの頼み事だ。そう無下にはできなくて、濁した言葉が出るだけだ。
彼女の視線は、じっと僕の顔を射抜き続ける。堂々としていて、それでいて感情の読めないまっすぐな目。
ふと、その彼女の顔に気づくものがあった。
初めて会った時は気がつかなかったし、勘違いかもしれない程度の感覚だ。だけど確かに、この女の人の顔をどこかで見かけたことがあるような気がしたのだ。
何も言えずにいると、女の人は「また来るから」と、踵を返した。僕は「あっ」と、小さくこぼしながら手を伸ばすのが精いっぱいで、引き留めることはできなかった。
シアターからその姿が見えなくなって、改めて手元の紙に目を落とす。
書かれているのは、こんな内容だ。
① 入れ替わる二つのシアター。
② 4番シアターから聞こえてくる女性のうめき声。
③ リアル映画泥棒。
④ 数の合わないコンセの商品在庫。
⑤ 過去とつながる1番シアター。
⑥ 徘徊する映画スター。
⑦ さまよう幽霊の少女。
この七つの現象が、ここ「Cinema Bell」に伝わる七不思議らしい。
一つ一つはどれも短い一文でまとめられていて、詳細な内容は分からない。だけど、もしも本当に起きているなら気味の悪いことばかりだ。
いまいちピンとこない内容が続くのに対して、一つだけはっきりと内容の分かるものがあった。
最後の七番目、「さまよう幽霊の少女」。
それは間違いなく、僕もさっき遭遇した、あの――。
他の六つは、うわさが独り歩きしただけの、ただの出まかせということもあるかもしれない。だけど、七つ目のこれだけは確かに本物だった。
こんな正真正銘のオカルト現象、どうやって僕に解けって言うんだ。
ふと、バタバタと慌ただしい足音が聞こえてくる。近づいてくる音の方を振り向くと、一岡さんが走ってシアターの中に飛び込んできた。
僕はとっさに、手の中のメモをウエストポーチに押し込んでいた。
「ごめんお待たせ――、って、どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
「そう?」
一岡さんは一瞬だけ怪訝にしたあと、すぐにもとの表情に戻った。
「清掃まだでしょ? さくっと終わらせちゃおっか!」
一岡さんが戻って、すっかり現実に引き戻された気分だった。
そうだ、今はバイトの最中だ。
七不思議を解くことも、それに頭を悩ますことも業務外だ。
一岡さんと分担しながら、ぱたぱた、と一つずつ椅子を確認していく。細かなゴミの一粒さえ、足元には落ちていなかった。
シアターの半分ほど確認を終えた時、ふと曲げていた腰を伸ばして上段の方の席を見た。正確には、さっき幽霊の少女がいた場所を。
その後の思わぬ頼まれごとのせいで、すっかり昔のことのように思えてしまうけど、あれは間違いなくついさっきのことだし、夢なんかじゃない。
あの幽霊の少女は、今もどこかに隠れて僕を見ているんだろうか。
そんなことを考えて、意外にもそのことに恐怖は感じなかった。
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