終章

終章

 その日も相変わらず、シャルル・ド・ゴール空港は沢山の人で賑わっていた。


 不思議なことに、結羽があの時感じていたアウェー感は、すっかり無くなっていた。人間の適応力の偉大さというものを改めて知らしめられたような気がする。


 日本へと帰国する日。結羽は見送りにきてくれたアンリと獅宇真と談笑しながら、帰国便の時間を待っていた。二人とも、気を遣ってくれているのだろう。今回の事件についてはあまり触れないように、他愛もない雑談で時間潰しに付き合ってくれている。だが、結羽の頭の中には、あの少年の姿がどうしても離れられずにいた。


「あの時、ソフィアちゃん――いえ、クリスくんが……、本当に全部ウソだったのかな……? わたしには、どうしてもそうは思えなくて……」


 まるで独り言のような結羽の言葉に、同じく独り言で返すかのように獅宇真が口を開いた。


「あいつの気持ち、なんとなく分かる気がするんだ。……俺も、勝手な大人に弄ばれたって意味じゃ同じだからな。……まあ、人間てのはさ、基本的にはどうしようもない存在なんだと思う。だけど、そういうどうしようもなさも全部ひっくるめて人間なんだよな」


「獅宇真……」


 結羽が心配そうに目を向けると、獅宇真は「俺は何も言ってない」というように目を閉じてかぶりを振った。結羽もそれを察して、アンリへと視線を移す。


「クリスくんは、これからどうなるんでしょうか……?」


 その問いに、アンリは答えることができなかった。ある意味では、クリスは一番の被害者なのだろう。だが、それで彼の罪が消えるわけではない。社会的に彼がどうなるかは司法が判断することだし、彼自身の心は、当然ながら自分自身で解決するしかないのだから。


 結羽の問いかけに答える代わりに、アンリは神妙な顔つきで切り出した。


「結羽ちゃん、キミのお父さんのことだけど……」


「あ……いえ、いいんです」


 だが、意外にも結羽は、やんわりと首を振る。


「アンリさんや獅宇真たちと出会えた……それだけで、わたしの〝意味〟があったんじゃないかって思います。だから、わたし、今回のことは絶対に忘れません。とても悲しくて、とても辛い出来事だったけど、それ以上に大事なモノを得ることができたから……」


「そっか……そう言ってくれると、嬉しいよ」


 アンリは安堵したように微笑むと、手に提げていた黒い紙バッグを広げて見せた。


「そうだ。これ、手作りチョコの詰め合わせ。よかったらお母さんと一緒に食べてね」


「……わあ、ありがとうございます! お母さんも絶対喜びますよ!」


 そうして嬉しそうに無邪気な笑顔を浮かべる少女の姿に、アンリは感慨深げに頷いた。


「魔法使いは、人に夢を与える存在でなければならない――だから僕はこのチョコレートで、世界中の人々を笑顔にしてあげたいんだ。それこそが、僕の最高最大の魔法だと信じてる」


 掴みどころがなく、いつも飄々としているけれど、優しさと、強さと、確かな信念を秘めている。結羽はこのアンリという人物の素顔を、もっと知りたいと思うようになっていた。


 ちょうどその時、結羽が乗る便の出発時間を知らせるアナウンスが流れた。別れの時間が迫る。名残惜しいのは確かだ。でも、またきっとすぐに会える気がする。結羽は、そんな不思議な安心感、そして、限りないほどの充実感に包まれていた。


「本当にお世話になりました。ジルベールさんとドミニクさんにも、よろしく伝えて下さい」


「うん。またそのうち、日本にも遊びに行くからね」


「はい、是非!」


「俺も、次に日本に戻るときは……一流のパティシエになってやるかんな」


「ん! がんばってね、獅宇真。応援してるから!」


 そう言って結羽は、満面の笑みを浮かべながら、ぺこりと一礼する。


「それじゃ二人とも、ありがとうございました! 帰ったら絶対、連絡するね!」


 それから何度も何度も振り返っては、見ている方が恥ずかしくなるくらいに大きく手を振って、彼女は元気いっぱいに搭乗口へと消えていった。


「ふふ。寂しくなるねぇ、獅宇真くん」


「ただでさえ周りはアンタみたいな変なのばっかりなんだ、五月蝿いのが減って清々したよ」


「はいはい、照れ隠し照れ隠し」


 無言で睨みつける獅宇真を無視して、アンリはにこやかに歩きだす。


「さて、僕らも帰ろうか。週末はいよいよ生誕祭ノエルだからね。忙しくなるよ!」


「おう!」



   ◇◆◇◆◇◆◇



 翌朝。ジルベールは珍しく新聞を読みながら、濃いめのコーヒーを啜りつつ、相変わらずの愚痴を零していた。


 朝刊の見出しには、ジェームズ暗殺を発端とする一連の殺人事件が、マフィア同士の抗争によるものだったと片づけられていた。もちろん、事の真相などはどこにも載っていない。


「まったく、とんだ茶番に付き合わされていたわけだ。私たちは」


 マスコミが伝えることのない真相は、「頭のイカレた魔術師が仕掛けた、最悪の〝悪戯〟が発端だった」と言う外なかった。ジェームズの兄、アルフレッド・マクラーレンは、知人たちと〝ごっこ遊び〟を興じていたに過ぎなかったのだ。


 先天的に素養を持つ人間でなければ魔術師にはなれない。それは魔術師であることの基本原則である。だが、例外がひとつ存在する。強力な魔術師の素養のある人間と肉体的に交わることや、その細胞を接種するなどの行為を、魔術を用いて行う――古来より外道の術の一つとされてきた〝儀式魔術〟がそれだ。


「つまり、そのための贄がクリスだったわけだな」


「うん。しかも、アルフレッド氏はちょっと特殊な趣味を持っていたらしくてさ。あの子を表向きには〝娘〟として扱ったそうなんだ。そして、あの子自身もつらい現実から逃れるために、普段は女の子として振る舞った。ひかりの顔とかげの顔――《M:O:M》のメンバーたちがそれに気付いていたかどうかはわからない。なにしろその当時から、彼はある種の二重人格として完璧に少女を演じていたわけだからね」


 クリスという〝おもちゃ〟を手に入れたアルフレッドは、知人たちを人工的な魔術師に仕立て上げ、怪しげな秘密結社を結成させた。すべては、彼自身の遊興のためだけに。


「そうして魔術師としての力を手に入れた彼らは、勘違いしちゃった。自分たちが本物の魔術師であると。だから彼らが得た知識も技術も、未熟で時代遅れのものばかりだったんだ」


「では、あのクライドという男も《M:O:M》という結社の馬鹿げた実態や、クリスという少年に関することを何も知らなかったのか?」


「そうだと思うよ。だからこそ、ジェームズさんは彼を雇い入れたんだ。ひとりでゲームを引っ掻き回せるほどの天才的な技量を持ちながら、強欲のあまりに目先の餌にだけ喰らいついてくれる。ジェームズさんにとって、彼は随分と都合のいい駒だったんじゃないかな?」


 まるで目の前に人参をぶら下げた馬のようにね。と悪戯っぽく笑って、アンリは続ける。


「これはすべて、ジェームズさんが仕掛けた計画だったんだ。彼らの愚かな遊びをすべて終わらせるための。そして、彼らを止められなかった自分への、けじめだったんだろうね」


 おそらくは、兄であるアルフレッドの死も、ジェームズの手によるものだったのかもしれない。それに、クリスの自分に対する殺意を知っていながらそのままにしたのも、彼の手で自分を罰してもらいたいという、ジェームズの歪んだ愛情ゆえだったのだろう。


「なんにしろ、あの〝教授〟も、そしてクライドも、結局は皆、ジェームズさんの掌の上で踊らされていたに過ぎないんだ。……僕らも含めてね」


 《教授》が死亡したことで、パリ市内で最大規模だったロシアンマフィア組織が壊滅し、関連会社は商売敵であったシャルロットのグループがすべて買収したという。


「結局、一番の利を掻っ攫っていったのは、あのお嬢様だったというわけか……フン。〝愚か者共が夢の跡〟だな」


 ジルベールはさもつまらなそうに鼻を鳴らしながら新聞を丸め、屑かごに放り投げた。


 と、その時、店のドアが開かれたことを告げる鐘の音が、店内に響き渡った。


「おや、お客さんかな?」


 確かに、人間は愚かな存在かもしれない。自らの欲によって結局はその身を破滅させる。


 それでも、人間はしあわせを欲し、しあわせを求める。しあわせを願い、しあわせを望む。


 人間が人間である以上、その欲求と願望が尽きることは、決してないだろう。


 だが、それこそが人間の人間たるべき姿ではないか。しあわせを手にする為に、過酷な運命に抗い、足掻き、苦しみ、それでも必死に生き抜こうとする人間の、なんと美しい姿か。


 ならば、自分はその欲望の助けとなろう。魔法という名の“欲望ショコラ”を提供し続けよう。


 人がしあわせを感じ、皆が真の意味でしあわせに生きられるのであれば――


「ようこそ、魔法の館La Maison de la Magieへ! ここにあるものは皆すべて、あなたの欲望を満たすモノばかり――さあ、本日は如何いたしましょう?」


〈Fin.〉

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ショコラの魔術師~巴里魔法洋菓子店~ 島嶋徹虎 @shimateto

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