エピローグ

「着きましたよ、お客さん」


 運転手に促された女はぎこちなく礼を言って車を降りた。


 古城ホテルが最寄り駅まで迎えを寄こしてくれるというので、女一人でもこんなに遠出ができた。


 のんびりと時間をかけて散策したくなるような庭園に、存在感のある古城。


 首都リムレスの駅で見た美しいポスターそのままの世界。


 そして、女の空想する世界そのままの世界でもあった。


「トランクは私が運びましょう。この石畳に沿って歩いていただくとエントランスホールがございますので、そちらで受付をお済ませ下さい」


「あ、はいっ」


 運転手は車を車庫に回すために行ってしまう。


 取り残された女は石畳を踏んだ。


 靴の踵がカツッと鳴る。青々とした草木の匂い。花の香りに誘われて飛ぶ虫。


(まさに、小説そのままの世界だわ……)


 高級ホテルで起こる事件や犯罪、はたまた男女の愛憎劇を探偵役でもあるホテルマンが華麗に解決していくという小説『ホテル・アルノーの事件簿』。彼女はこのシリーズの大ファンだった。


 途中からホテルマンのライバル役として登場した「魔術師」がいるのだが、彼が登場してからの物語は加速度的に面白くなった。紳士的かつ生真面目なホテルマンとは裏腹に、魔術師は図々しくホテルに居座り、何にでも首を突っ込みたがる。振り回されるホテルマンとの凸凹コンビっぷりはおかしくてたまらない。


 そして、作者のメーガン・アリスがヴォート城をモデルに『ホテル・アルノー』の描写をしていることは小説ファンの間では周知の噂だ。


 彼女にとっては聖地巡礼でもあり――もう一つ、どうしてもここへ来たい理由があった。


(魔術師、本当にいたりしないかしら……)


 実は数年前から体調が優れないのだ。


 身体が妙に重くて息苦しい。


 病院に行っても何の病気も見つからないと言われるし、薬を飲んでも休みを取っても一向に良くならない。なにか悪霊にでも憑りつかれているのではないかと不安に思う日々を、物語の世界に没頭することで誤魔化して生きていた。


 この古城ホテルの旅行は、そんな自分の心を慰めるため、そして、一縷の望みにかけての遠出だった。


(ああ、素敵。癒される……。それに、気のせいかしら。ここにきてから、既に身体が少しだけ軽い気がする)


 癒しのパワーが自分に流れ込んでくる気がする。


 オールドローズのアーチを抜けた女は真っ直ぐ受付に向かわず、少しだけ遠回りすることに決めた。あの生垣まで歩いたら帰ってこよう。とてもじゃないがこれだけの広大な庭を一日の宿泊で回れそうにないし、少しでも小説と同じ場所を探して楽しみたい。


(あー、ここ! 主人公が魔術師と推理合戦を繰り広げたシーンにそっくり……)


 生垣をひょいと覗いた時だ。反対側からスッと誰かが立ち上がる。


「どぅわっ⁉」


 美青年が茂みから現れ、女は腰を抜かしかけた。


 ハンドバッグを落っことし、中身をばらまいてしまう。


「おや、失礼」


「あああ、ああ、いえっ、こちらこそすみません……」


 長い銀髪を一つに結い、カンカン帽とエプロンを身に着けている男。


 庭師かな? それにしてはやたらと顔がいいけれど。


 落とした中身を拾い集める。財布にハンカチにメモ帳に古城ホテルへの地図、それから,鉄道列車の中で読んでいたホテルシリーズの最新刊。


 美青年は大慌てで茂みに咲いた白くて丸っこい花を園芸バサミで切るとこちらに差し出してきた。


「良かったらどうぞ。驚かせてしまったお詫びです。……と言いたいところだけど、後ろの彼の顔が怖いからやめておいた方がいいかな?」


「彼?」


 何のことだかわからないが、花に罪は無いので受け取った。


 途端に肩がズン、と重くなる。いつものアレだ。


「あー、はは、ありがと、ございます~」


「……顔色が悪い。座りなさい。それから、きみね、こういうやり方は良くないと思うよ?」


「はい?」


「きみに対してじゃない。そこのきみに言っているんだ」


 美青年は目に見えない何かに向かって説教を始める。


 かなりおかしな人だと思ったが、渡された白い花の香りを嗅ぐと心が癒された。


 最近、寝不足気味だったから……。


 旅の疲れもあり、瞼がどんどん重くなっていく。


 泊まりに来たホテルの庭先で寝こけてしまうなんてどうかしていると思うが、変な人の説教を聞きながら、抗えずに意識を飛ばしてしまう――……。


 目を覚ました時、ボブカットの可愛い女の子が自分を心配そうにのぞき込んでいて飛び起きた。


 飛び起きた身体はびっくりするほど楽になっていて、上着を一枚脱ぎ捨てたかのように軽い。庭師風の男性はいなくなっていた。


「ああ、良かった。心配しました」


「すっ、すみません、わたし、今日宿泊予定のジョーンズと申します!」


「ジョーンズ様ですね。お待ちしておりました。私は当ホテルのコンシェルジュのオリビア・クライスラーと申します」


 女の子はにっこり笑う。


 どうやらホテルの従業員のようだ。クラシカルなツーピースが良く似合う。


「すみません、チェックインもせず……、転寝をしてしまって」


「お気になさらず。庭の散策が楽しくて、ついつい受付に辿り着くのが遅くなってしまうという方は他にもいらっしゃいますから。……こちらの本は、お客様の物でお間違いはなかったでしょうか?」


 見慣れた小説本がベンチの隅に置いてある。


 鞄の中になかったので自分の物だろうと思った女は本を手に取った。


 ――裏表紙には『ルイス・ラインフェルト』とでかでかとサインが入れてある。


(誰?)


 コンシェルジュだと名乗った女の子は「あちゃー」という顔で額を押さえた。


「……お客様の本かと思ったのですが、当ホテルの従業員のものかもしれませんね」


「え? いえ、わたしの物で間違いないと思います。栞が挟んでありますので」


「そうでしたか。では、当ホテルの従業員が大変失礼いたしました。そちらの本は速やかに弁償させますので」


 勝手にサインなどを書かれたことに憤慨すべきかもしれないが、女はまだ夢うつつの状態だった。出会ったはずの庭師の男は自分の見た幻なのではないかと思えていたのだ。もらったはずの白い花もなくなってしまっているし。


「あのー、この人って、庭師の方ですか? 銀髪で、すごく綺麗な男の人だったんですけど」


「ええ、当ホテルの庭師です」


 コンシェルジュは頷いた後――先ほどの庭師の男性と同じように女の背後に視線を走らせた。なんだろう、寝ぐせでもついているのかな。


 コンシェルジュは内緒話でもするみたいに唇に指を立てて微笑んだ。


「お客様、もしも不可思議な現象でお困りのことがございましたら、当ホテルの庭師 兼 精霊師がご相談に乗りますのでいつでもお申しつけ下さいませ」


「精霊師?」


 風が本のページを捲る。


『俺たちが協力し合えばどんな難事件でも解けるんじゃないか⁉』


 魔術師とホテルマンががっちりと握手を交わし合うシーンの挿絵が目に入る。


「あのー、魔術師、ではなく……?」


「精霊師です」


 きっぱり笑ったコンシェルジュ。

 からかわれているのだろうか。それとも本当に本物の?


 ああ、でも、ここは本当におとぎ話みたいな場所だ。夜な夜な変な夢を見てうなされているだとか、何かにとり憑かれているような気がするだとかおかしな話を相談しても――笑われないかもしれない。


 差し伸べられたコンシェルジュの手を取って立ち上がる。


 気のせいかもしれないが彼女の周囲はまばゆい光の玉が飛んでいるように見える。背後にはたくさんの花と美しい古城。幻想的な光景に眩暈がしそう。



「ようこそ、ヴォート城へ。美味しい料理と美しい庭園、そしてホテルマンたちと精霊師が、あなたをおもてなしさせていただきます」




 Fin.

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(web版)古城ホテルの精霊師 深見アキ @fukami_a

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