お母さんの耳掃除


今、私の膝の上には主人がいる。膝枕されながら耳掃除されているのだ。

やっているのはもちろん私だ。


「アナタ、どう?」

「ああ、気持ちいいよ」


2か月ぶりの耳掃除だということもあり、耳かきを耳孔に入れて掻くたびに大量の耳垢が掻き出されていく。白いティッシュの上に白っぽい垢の塊が堆積していく。

その成果に満足しながら、私は耳かきを持つ手を動かし続ける。耳垢は浅い部分の方が溜まりやすいので、そこをゆっくりと突き崩してやるのだ。

固まっていた大きな垢の塊がバリバリと音を立てて割れていく。その一番大きな欠片を匙の上に乗せると、ゆくり、ズルズルと引きずるようにして耳の外へと運び出していく。

ほら、取れた。

こうやって取ってあげると主人は気持ち良さそうに身震いするのだ。


「奥の方も掻くわね」

「ああ」


耳たぶを持ち上げるようにして張ると、薄暗い洞窟の奥に光が差し込んだ。そこには耳壁に張り付いた垢や埃が跋扈ばっこしている。さすがは二カ月ものの耳の穴だ。

私はそれを確認すると、少しだけ、ほんの少しだけ耳かきを眺めに構えて、薄暗い洞窟の奥へと侵入させていく。

匙の先が耳道からボコリと膨らむように通せんぼしていた耳垢に当たる。視覚と耳かき越しに伝わる指先からの感触でそれを察知すると、私は膨らんでいる垢の根元に匙の先端を差し込みテコで転がすようにしてペリペリと張りついた垢を剥がしていった。


ペリペリ、ペリペリ、ペリッ――


うん、取れた。

最後に短く音が鳴る。

それを指先で感じると、匙の上にちょこんと乗った耳垢の塊をゆっくりと取り出す。

残った部分がまだ張りついているので、それはくすぐるようにして周囲を馴らした後、カリカリと引っ掻いていく。


カリカリ、カリカリカリ……カリッ――


子気味よく掻くと耳垢がボロボロと崩れていく。それを匙で受け止めて落とさないように耳の中を掃くようにして何度も外へと掻き出していく。


「ぅぅ……」

「あら? 痛かった?」

「いや、ちょうどいいよ。もっとカリカリやって欲しい」

「そう、じゃあちょっとだけ」


促されるままに耳かきを持つ指に少しだけ力を込めるとカリカリ掻いていく。引っかけるようにして掻くのがコツなのだ。

耳の中をマッサージするように、力を込めて抜いて、力を込めて抜いて、を繰り返す。血行が良くなっているのか、触っている耳たぶが少しずつ熱を持ち始めていた。


「なぁ、母さん」

「何よ」

「どうして俺が耳かきして欲しいって分かったんだい?」

「それは……」


言いかけて、ちょっと考える。

ここで「そんなの見たら分かるわよ」と言えたら妻として100点なのかもしれないが、残念ながらそうではないからだ。直接的な理由としては主人が珍しく乱暴だったということなのだが、思い出してみると1カ月前にも同じようなことがあった。そして先月何があったか思い出して、そう言えば1か月前も耳かきを断っていたのを思い出し、そこでようやく気がついたのだ。

ああ、なるほど。この人は焼きもちを焼いているわけだ。

それに気づいた私は、改めて膝の上にいる彼に向って言うのだ。


「そんなの見たら分かるわよ」

「そうか……やっぱりキミには隠し事が出来ないなぁ」


うっとりした声で彼は言う。それは耳かきだけが原因ではないんだろう。

白い埃のような垢がティッシュペーパーの上にうずたかく積まれていくのを見て、普段から家族のために齷齪あくせく働いてくれているのだと実感する。

主人とは学生時代からの付き合いだ。私みたいな不愛想な女のどこがいいのか未だに解らないが昔から優しく、いつも私のことを最優先に考えてくれる出来た人だ。自分ではうだつのあがならないサラリーマンだなんて言っているが、家族……というより、私のために余った貯金のほとんどを保険やら年金につぎ込んでいるのを知っている。本音を言うと老後や病気になったときのことよりも、もっと自分の趣味にお金を費やして欲しいんだけど、そういう人だから仕方がない。

たぶんこの人は私が先に死んだら、きっと次の日に死んじゃうんだろう。そんな気がする。


「……長生きしないといけないわね」

「え? 何か言ったかい?」

「ううん、独り言よ。もうすぐ、また二人になるなって思ったのよ」

「やっぱり、もう一人欲しかった?」

「出来なかったものはしょうがないわ」

「まぁ、たしかにねでも、これからは二人きりか」

「嬉しそうね」

「そ、そんなことないぞ。誠が家を出ると寂しくなるだろうし」

「もう」


仕方ない人だと思いながらも、やっぱり長生きしないとな……と決意する。


「ほら、じゃあ、逆もやってあげるわね」

「ああ……でも、もうちょっと梵天でこちょこちょして欲しい」

「しょうがないわね」


苦笑すると要望通りに梵天を耳の穴に納めた。水鳥の羽毛で出来た毛玉はすっぽりと暗い穴の中へと消えていく。それを確認すると、毛先でゆっくりと耳道の壁を撫でていく。毛の一本一本が絡みつくように耳の穴を蹂躙し、鼓膜の一歩手前まで迫ったかと思うと、そのまま、すぅっと離れて行く。

気のせいと分かっているが、梵天が出てきた耳孔は先ほどよりもぽっかりと大きく開いているように見えた。そこへ向かい、私は最後にゆっくりと吐息を吹きかけた。


「うぅ……」


主人が短く身震いする。それに満足すると、肩を小さく叩いて私は言った。


「ほら、逆もするわよ」

「ああ、やっぱりキミは最高だよ」

「もう、馬鹿なこと言ってないで、さっさとゴロっとしなさい」

「ああ」




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耳かきをする妹の受難 バスチアン @Bastian

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