第3話 原発に殺された男

そして撮影本場の日を迎えた。あの日僕たちはおかず横丁にいた。

おかず横丁は、東京の台東区鳥越にある古い商店街だ。今となってはかなり寂れているけれど(いわゆるシャッター通りと化している)当時は奥行き250メートルほどの横丁をずらりと並んだ店が賑やかしていたものである。人通りも多かった。午後から夕方にかけては、それこそその日の晩めしのおかずを買い求める主婦たちでごった返していたものだった。

時代は変わる。今店を開けているのは、当時からあった漬物屋と煮豆屋ぐらいのものである。

その漬物屋の前に僕と俳優Fは立っていた。

まずはワイドショット、引いた映像の撮影から始める、これは撮影の基本である。その場の状況を分からせる為だ。その上でだんだんサイズを詰めていく方が、物事を考え易い。破綻が少なくて済む。後々編集も楽になる。

カメラマンTは僕が立っている場所から30メートルほど離れた地点にカメラを構えていた。これ位の距離なら、トランシーバーやトラメガ(拡声器)を使わずに、地声で怒鳴っても声が聞こえる、意思が疎通出来る範囲である。本来であるならば監督の僕はカメラの真後ろにいるべきであった。離れた位置でスタンバイする役者につくのは助監督の仕事である。しかしこの時僕は何故か俳優Fのそばにいた方がいいような気がしたのだ。そしてそうした。直感に従うことも現場では大切なことである。

しかし気詰まりであった。俳優Fは元来無口な男である。僕だってふだんは口数が多い方ではない。そういう二人がぽつんと商店街の真ん中に立っている。そんな図式だ。

(何か話さなくちゃ)

僕は無用に焦っていた。俳優Fをリラックスさせる為に何か気の利いたことを話しかけなければと思ったのである。挙句、「ここの漬物屋、おいしんですよ」と僕は唐突に俳優F話しかけた。


俳優Fはじろりと僕を睨んだ。というか上から見下ろした。彼の身長は190センチ近くあるのだ。対する僕は170センチ。常に見下ろされる位置関係にあった。

俳優Fは暫くの間僕の顔を眺めていた。その目に宿っているのは軽蔑の光だった。やがてチッ、と舌打ちした。

「くだらねえこと、言うんじゃねえよ」ドスの効いた声で俳優Fが呟いた。

自分のひと言が彼を怒らせてしまったことを僕は悟った。地雷を踏んだのだ。大物俳優なんてものは(大物女優、大物芸人もそう、とにかく大物ってつく人たちみんな)何がきっかけで怒り出すかわからない。

「おーい、今日の撮影は中止だ!」俳優Fはカメラの方に向かってよく通る声で叫んだ。僕の存在は100パーセント無視して。

その後はまさに悪夢の展開だった。俳優Fがカメラに向かってすたすたと歩いて行く。僕は焦った。何とかしなくてはと思った。

CMディレクターはドラマのディレクターなどより俳優からは低く見られている。CMの方がドラマより遥かにギャラは高いにも関わらず。これは理不尽な話である。

「ちょ、ちょっと待ってください」僕は俳優Fの背中に声をかけた。「気に障ったなら謝ります、何ならディレクター替えて貰っても構いませんから」

「なに?」俳優Fの足が止まった。まだカメラとの距離は十メートルほどはあった。俳優Fがふり向いた。「そんな事が許されると思ってんのかあんた」

俳優Fは今度は僕に向かってすたすたと歩いて来た。そして僕の胸ぐらを摑んだ。「自分は原発と関係ねえようなツラしやがって。それが許されと思ってんのか!」

俳優Fはすごい力で、僕の首をぐいぐい締めあげる。

「く、苦しい」僕は呻いた。誰かがカメラの方から駆けて来るのが見えた。

意外なことにそれは〔クレイジー〕だった。

俳優Fが右の拳を振り上げた。すんでのところで間に合った。〔クレイジー〕が俳優Fを後ろから羽交い締めにしてくれたのだ。そして、「うちの坊やに、何をするんだ」とドスの効いた声で囁いた。すると俳優Fの力が急にぬけた。「あ」というと己の拳を見て、やがて力なく拳をおろした。鬼のような形相が瞬時に情けない顔に変わっていった。俳優Fはガクッとその場に膝を落とすと地面に両手をついた。

「すみませんでした」俳優Fが地面に顔を伏せたまま言った。「時々こんな風になるんです。自分で自分がコントロールできなくなって」

僕と〔クレイジー〕は項垂れた俳優Fを見下ろしながら何と言葉をかけていいのかわからなかった。

「貧乏が、嫌なんです」俳優Fが呟くように言った。

「そりゃあ誰しも貧乏は嫌なものです」

〔クレイジー〕が優しい声で俳優Fに語りかけると右手を差しのべた。「さあ、立ってください。こんな撮影はさっさと終わらせてしまいましょう」

俳優Fは〔クレイジー〕の右手を掴むとその力を借りて立ち上がりながら「ですからこの仕事のギャラは欲しい。俺にはカネが要る」と呟いた。

「わかりますよ、誰にだってお金は必要です」クレイジーが相変わらず優しい声で俳優Fを慰めた。

「わかりますか。俺にはカネが要るんですよ」俳優Fは両手で顔を覆った。そして泣きそうな声で続けた。いや、実際に泣いていたのだ。「マンションのローンも払わなくちゃならないし、うちのヤツは子供を私立に入れたがってきかない、もうどうしようもないんですよ」

「そうですか。奥さんも子供も思い通りにはなりませんか」〔クレイジー〕が俳優Fの肩に両手を置いた。ポンポンと励ますように軽く叩いた。「人間誰しもそんなもんですよ多かれ少なかれ」

俳優Fはそれからしばらく地面に両手をついたまま涙を流し続けていたがやがてシャツの袖で涙を拭うと、「原発が、爆発したらどうするんですか」と言った。「もしそうなったら俺たちの責任は」

「大丈夫、爆発したりやしませんよ」〔クレイジー〕は自信に満ちた声で答えた。「日本の原発は安全なんです」

だがその言葉は2011年3月に嘘である事がばれた。東日本大震災とそれに伴う津波によって。原発は爆発したのである。安全な原発など世界のどこにも存在しない事が証明されてしまったのだ。

しかし〔クレイージー〕はその原発事故を見る事なく亡くなっている。彼が死んだのは東日本大震災の一年ほど前だった。病死である。白血病だった。原発推進の仕事でしょっちゅう広告代理店の男たちと原発を視察に出かけていたというがそれが原因だったのかどうかはわからない。いずれにせよどこかの病院で息を引き取ったという。葬式にはかつての同僚は一人も参列しなかった。もちろん僕も。


俳優Fは東日本大震災の一年後に死んだ。自殺だった。自ら首を括ったのである。

豪快そうに見えながら、やはり実は繊細な性格だったのだ。潔癖性で、洗面所に入るといつまでも手を洗い続けていたという。このCMが放映された後、そうなってしまったらしい。まるでマクベス夫人のように。己を激しく責めたのであろう。彼の性格からしてあり得ることだった。


しかし俳優Fはそれ程気に病む必要などなかったのだ。

原発推進のこのCMにはまったく効果がなかった。それどころか逆効果だったのかもしれない。カネを湯水のように注ぎ込む電力会社の態度が住民の癇に障ったのだ。住民投票の結果原発の建設は中止と決まったのである。反対派の勝利だった。原発推進派の巨額の投資は結局無駄に終わった。残したものといえば関わった人たちの心の傷だけだったのではないだろうか。

俳優Fもあの日おかず横丁に立たなければ震災の翌年に死ぬ事などなかったかもしれない。

そして日本人は電気を湯水の如く使い続け、いまだに原発とは決別できずにいる。


(了)


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おかず横丁の悲劇 三上夏一郎 @natsumikami

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