第2話 水が失われた村②

 私は小屋の木の扉をノックしてみる。

 ライラはもしもの時に備えて、魔法の詠唱に入っている。

 私を守るための行動だから、敢えて何も言わないでいる。


「すみませーん。どなたかいらっしゃいますかー?」


 私が声をかけてみると、小屋の中からはコツコツと木の板の上を革靴で歩く音が聞こえてくる。

 どうやら人がいるようである。

 とはいえ、こんな夜中のことである。当然、小屋の人だって不用心にドアを開けたりはしないだろう。

 革靴の音はドアの手前で止まる。


「何か用か?」


 重低音の利いた低めの男の声がドアの向こうから聞こえる。


「私はエリサと申します。旅をしていたのですが、このような時間になってしまい、夜を明かす場所がなくて、一晩だけ、部屋の隅で構いませんので、お貸しいただけないでしょうか?」

「………旅人? それにしてもこんな魔王城の近くでか?」

「ええ、こちらの地方には薬草があるということで、それを調べに来ていたのです。しかし、あまりにも熱中してしまいまして、遅くなってしまいました」

「………わかった……。今、ドアを開けよう」


 ガチャリと中から解錠された音がして、木のドアを開けてくれる。

 体つきはがっしりとした感じで、元軍人か何かだったのだろうか、筋肉もいまだに隆々としていて、その強さが伝わってくる。


「ありがとうございます。私はエリサ、そして、こちらは、従者のライラといいます。部屋の隅で結構ですので、お貸しいただけませんでしょうか?」

「構わん……。好きに使え」

「ありがとうございます。さ、ライラ、あなたも……」

「この度は貴殿のご配慮、大変ありがたく存じます」


 そう言って、メイド服のまま深々と頭を下げる。

 たぶん、ライラにとっては「どうして人間なんかにへこへこと頭を下げなければならないのか!」と怒っているかもしれないが、私たちだって、寝れるならばゆっくりと魔物を気にせずに寝たい、という認識は一致している。


「俺の名前はエヒド。このあたりで林業を営んでる。こんな時間に客というのも珍しいな……。何か飲むかい?」

「何があるんですか?」

「そうだな……。酒ならば、ワインとエール。あとは紅茶しかねーな」

「では、ワインをいただけますか。ライラも同じものでいいわね?」


 そう問うと、ライラもコクリと頭を縦に振る。

 エヒドは、木製のコップにワインをコポコポと注ぐと、私とライラ、そして自身の前に置く。


「このワインはここから少し下ったところにある町、ヒューズの名産品だ。まあ、ワインを色々と飲み比べたわけじゃないから分らんが、俺の中では美味い部類に入る」


 そういうと、エヒドはくいっと喉を潤すようにワインを一飲みする。

 私とライラもそれを見て、安心するように飲む。


「ええ、確かに濃厚な味ですね。ブドウの豊潤な甘さが凝縮されています」

「ほほう。エリサさんは分かるタチか?」

「いえ、私もワインはたしなむ程度です」


 横でライラが「いつもは底抜けのように飲むくせに……」と小声で突っ込んでくるが、敢えてここは流そう。

 しかし、エヒドはコップを机に置いて、渋い顔をする。


「だが、このワインもあとどれくらい飲めるか……」

「何かあったんですか?」

「いや、天候不順ってやつさ」

「天候不順?」


 私が問い返すと、エヒドは「ああ……」とため息交じりにうなずき、話を続ける。


「最近、ヒューズの町は冬の雨すらめっきりと減ってしまってな。おかげで穀物の生産量もがっくりと落ちてしまうし、その影響で、ワインの原料となるブドウの生産量も減ってきている。ヒューズはこの山の向こうの扇状地の場所にブドウ畑が広がっていて、その水はけのよさを利用して、ブドウの栽培を行っていたんだが、残念ながら、冬の雨すら降らなければ、ブドウの木々も枯れていくのが落ちだろうな……」

「原因は分かっているんですか?」

「わからん……。天気のことは神様にでも聞くしかわからんだろうな……」

「そうですか……」


 この美味しいワインを飲むことができなくなるのは残念でならない。

 とはいえ、天候をどうにかする、か。なかなかの難問であることには違いない。

 一度、調査に出向いてみて、何か手伝えることがあればいいのだけれど……。

 私は顎に手を添えて、考え込んでいると、


「エリサ様、何かよからぬことをお考えでは?」

「失礼ね……。ちょっとヒューズの現状を考えていたのよ」

「どうした? ヒューズの町が気になるのかい?」


 私とライラのコソコソ話にエヒドも気づいたらしく、聞いてきた。

 私は木製のコップを置くと、


「大変気になります。私も研究者の端くれとして、そういう場所の天候不順などに興味があります」


 ライラは「うわー、すっげー嘘八百並べてるよ、この女」という表情をしている。

 うん、後でシバこう!


「そうかい。ヒューズはこの山の向こう側だ。このあたりの坑道を使えば、すぐに向こう側に出られるから、明日、案内してやるよ」

「いいんですか!?」

「ああ、ここで出会った縁ってもんだ。かまわねーぜ!」

「ありがとう、エヒド!」


 私は笑顔でお礼を言うと、彼のごつい手をそっと握り返したのであった。

 ライラの表情は、もうやりすぎですよ! エリサ様! と若干、ご機嫌斜めのようだ。

 まあ、後で頭でも撫でてやれば、機嫌くらい治るだろう。




 宴(といっても、ワインと簡単なつまみを食べるくらいだが……)は夜遅くまで続き、話も盛り上がった。

 エヒドに対して元軍人の出身であることを問うと、彼は驚いて、戦いの武勇伝を聞かせてもらえた。

 私には外での実戦経験がなかったことから、そういう戦いのひとつひとつの流れやアクシデントへの対処方法などは本当に役に立つ。

 そして、信用を得るために、事前に作ってあったこの地域でとれる薬草を用いた傷薬を渡して早速試してもらうと、その効能に驚かれたりと、なかなか楽しい時間であった。

 会はお互いが酔いを感じ始めた段階でお開きとなり、今、私とライラはエヒドから貸し与えられた一室を使わせてもらっている。

 どうやら、林業組合の仲間と一緒に泊まった際に使う部屋のようで、ベッドがひとつおかれていた。

 私は心底嫌な顔をするが、ライラは陰でガッツポーズをしているのを私は見逃さない。

 ああ、きっとライラにとって眠れない夜になるのでしょうね……。

 私は明日のことを考えて、身支度を済ませると、そそくさとベッドに入り込む。

 ライラは興奮しつつも、私の横にそっと寄り添う。


「ライラ……」

「何でしょう。エリサ様……」

「私は城で、『苦しんでいる民を救いたい』と言いましたよね?」

「はい。私は一笑したあれですよね」

「ええ、あなたは魔王の娘がああいうことをするのはおかしいと考えているのでしょう?」

「そうですね。なぜ、魔族のことよりも人間のことを優先されるのか……」


 ライラはいたくご不満のようだ。

 私は彼女のほうに寝返りを打ち、


「きっとあなたも理解してくれるはずよ……。たとえ、今が無理でもね……。私はそう信じているから……」

「……………」


 ライラは私の顔を見て、驚いたのか何も言い返さなかった。

 どんな顔をしていたのかは自分ではわからない。

 でも、ふんわりと柔らかく微笑んでいたつもりではあったのだけれど………。


「さ、明日も早いのだから、寝ましょう」


 私はそう言うと、薄い掛布団を着込んで、目を閉じた。

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