むらびとは海が見たくなった!

藤井 三打

海に行く。ただそれだけ。

 海に行きたい。

 山あいの村に住む村人がはじめてそう思ったのは、魔王討伐を祝う、宴の最中だった。


 人間をただ殺し、愉悦に浸る魔物。そんな魔物たちの頂点に立つ魔王が勇者に倒された。それが祭りの合図だった。歓声を思う存分上げ、楽器を打ち鳴らし、ひたすら飲み騒ぎ踊る。昨日までなら、騒ぎを聞きつけた魔物たちがやって来て、大変なことになっていただろう。だが、いくら騒いでも、魔物たちがあらわれることはなかった。無謀な酔っ払いが近場の巣を覗きに行ったが、魔物の姿は影も形もなく、まるで最初からいなかったかのように、痕跡も残さず消えていた。

 勝った。勝ったのだ。勇者が魔王に勝ち、人類は魔物に勝ったのだ。

 

「勇者のやつのことは覚えてるぜ! 聞きたいか? まだペーペーだったアイツと激闘を繰り広げた話をよ!」


「ああ、また今度な」


 元山賊の酪農家をこう言ってあしらう。宴が始まってから、この話はもう四回目だ。

 なんでもこの男、かつては二つほど山を越えた先で山賊を率いていたが、冒険を始めたばかりの勇者に山賊ごと滅ぼされたらしい。何度か勇者を付け狙ったものの、最終的に諦め、自分の悪名を知らないこの村で再出発したとか。


「最初は必死だったのに、だんだんアイツら、つまんなそうに俺を見るようになってよう……あんまりに辛くてさあ……でも、この村で真面目に働いている俺を見た時のアイツらの顔! あの信じられねえってツラを見れただけで、転職したかいがあったってもんよ!」


 ぶっとい腕で無理やり肩を組まれてしまっては、四回目の話をまた聞くしかない。山賊時代の腕力と肉体は健在だった。三回まではただ聞き流していたが、今回はなんとなく合いの手を入れる気になった。


「そうだなあ。勇者様の御一行が、この村で一番驚いたの、アンタを見た時だろうなあ」


 旅の途中、勇者一行がこの村に立ち寄ったのは、たったの一晩である。この村を抜けた先にある、大きな街に行く途中、途中で日が暮れそうになるから寄っただけだろう。きっと、時間や疲れがなければ、寄ることはなかったに違いない。なにせ、この村と周りには、秘宝も情報も、勇者が腰を据えて倒す強敵も、何もない。

 村人も自分なりの勇者との出会いを語る。


「ようこそいらっしゃいました。ここは山あいの村です。こう私が挨拶した時も、ふうんって感じだったよ。むしろアンタが居なければ、きっとこの村について、何も覚えてないんじゃないか」


 村に来た見知らぬ一団に挨拶をして、軽く道案内をして。後であの人が勇者だと聞かされ驚いた。村人と勇者の関係は、これだけである。かつて死闘を繰り広げた酪農家とは違い、きっと勇者は村人のことなど、覚えていないだろう。

 酪農家は、そんな村人をマジマジと見て言う。


「そうかなあ。お前さんも、時々面白いからな」


「そうでごぜえますか?」


「ほら! 時々面白い! その時々変わる口調が時々面白い!」


 時々とはなんだ。時々とは。時々緊張して出てしまう、この妙にへりくだった言葉を、私自身は気にしているんでゲスよ。

 自分に自信がある人間なら酪農家にこう言い返すのだろうが、なにせ村人にそんな自信は無い。だから、曖昧な笑みで誤魔化した。勇者に挨拶をした時、海の村でごぜえますと言ってしまった時と同じように。

 話に飽きた酪農家から開放された村人は、水を一口だけ飲む。


 ああ、海が見てみたい。


 何故かそんなことを思いついた。思えば、この山奥の村から離れたことがないのだ。当然、海なんて見たことがない。どこまでも続く、永遠の水。そうとしか聞いていない。いったい、永遠の水とはなんなのだろうか。

 魔物が消えた今、旅を遮る者はいない。幸い、村人は一人暮らしだ。

 きっと、海など本当はどうでもいいのだろう。きっと村人は、どこかへ行きたいのだ。魔物が消えて、平和になった世界を見てみたい。海は目的地であり、旅への理由付けだ。

 ずっと続くと思っていた宴は終わった。明日、何をするか。それを思いついた時、村人の宴は終わったのだ。


                  ◇


 宴が終わった日の朝、村は宴も何もかも嘘だったように、いつもどおりの姿を取り戻していた。変わったのは、やはり魔物が居ないということ、そして村人の海が見たいという欲求はそのままだったということだ。


「お前もどこかへ行くのか。あの山賊も気づいたら消えとったよ。もともと適当なやつだとは思ってたが、まさか牛の世話をほっぽりだして何処かへ行くとはなあ」


 村長に旅に出ることを伝えた時に、あの元山賊の酪農家もいなくなったのを知った。変化にプラス1、それだけだ。昨晩、そういう話が一切出なかったのは少し寂しいが。

 村人は自分の畑と家、ついでに酪農家の牛の世話も村長に頼み込んで、ついに村の外へと足を踏み出した。多少村の周りには出たことがあるが、街道を使うのははじめてである。

 知らない道を歩く、楽しさと不安。なるほど、これが旅というものか。今までは、自力で魔物をどうにかできる強者にしか許されぬものであったが、魔物が居ない今、実力の有無はなんら問われない。空の青さや森の緑で目を楽しませる権利が、誰にでもあるのだ。

 しかし、衝動のまま旅立ってしまったが、これでいいのだろうか。荷物もまるで野良仕事に行くような最低限で、代わりの服すらない。地図なんて持ってないし、金もいつも懐に入れている10Gしかない。道だって詳しく知らない。ただ、自分の住んでいる山あいの村は、都市と都市の境目であり、こっちの道を行けば街と海がきっとある。それぐらいしか、土地勘がない。

 だが、村人の知っている旅人、勇者一行も似たようなものだった。武器と防具と小袋、荷物はそれだけ。これだけの軽装で魔王が住む世界の端を目指していた。いや、魔王を倒した以上、世界の端までたどり着いたのだろう。ならば、世界の端より遥かに近い海に、この軽装で行けない道理はない。魔物が消えた以上、武器も防具もいらないのだ。

 てくてくてくと、ひたすらに歩く。空の太陽はずっとてっぺんにあり、風はどこまでも涼しい。旅というのは、ここまで心地よいものだったのかと驚く。

 やがて行く先が開け、石壁で囲まれた街が見えてくる。行ったことはないが、見慣れた街である。山にある村からは、この街がよく見えた。近くで見る石の壁は、途方もなく高く見えた。

 それにしても、あれだけしっかり壁に囲まれているのを見ると、なんだか気後れしてしまう。きっと入り口には重々しい門があり、立派な鎧を着た門番がいるのだろう。


「よそ者を通すわけにはいかん! 帰れ!」


 もし街に入ろうとして、こんなことを言われてしまったらどうしよう?

 ビクビク半分、ワクワク半分。なにせ、村から出なかった身としては、見知らぬ人にそんなことを言われた覚えがないのだ。いったいそんなことを言われたら、自分はどうなってしまうのか。それがわからないから、とにかく心躍るのだ。

 そんな気持ちは、街の入口に入ったところで萎えてしまった。

 街には何もなかった。門も、門番も、建物も、人も、石壁以外何もなかったのだ。

 それどころではない。芝も土も水も何もない。ただのっぺりとした空間としか言いようのない地面がずーっと広がっている。地面があるが、何もない。街の中は、正真正銘何もなかった。

 これはいったいどういうことなのか。自分の村は、何もないと思っていた。だが、この街の様子はそれどころではない。村には人が居て、建物があって、土があった。今、目の前にある街にはそれすら無いのだ。

 まさか、魔王が生きていたのでは。それとも、生き残りの魔物が何かしたのでは。気づいた瞬間、背筋が唐突に寒くなる。のびのびと旅ができたのは、魔物がもう居ないという前提があったからだ。もしかしてと思った以上、もう旅は終わりだ。旅は再び、強者しかできないものに戻ったのだ。

 震えそうな膝を必死で抑え、村の方を振り向く。


「なんだ……あれ……なんだ……?」


 村人は情けない声と共に、腰から崩れ落ちた。

 先程まで歩いてきた道も、山も、村も街の中身と同じように消えていた。平面がただ大地を覆っている。家も、友達も、村長も、畑も、全部消えてしまっている。自分が離れてから、僅かな時間しか経っていない。いったい村に、何が起こったのか。

 だが、村に戻らなければという気持ちはまったく湧いてこなかった。もう、何もかも消えたのだ。不思議と村人は確信していた。本来なら、友や親しい人との別れに涙を流すべきなのだろう。だが、感情がまったく追いついてこない。

 海に行きたい。村人はほうほうの体で立ち上がると、街を迂回し、街道の先へと向かう。幸い、先にはまだ緑の景色が広がっている。

 海に向かう道には、勇者が向かった王国がある。もしかしたら、魔王を倒した勇者も戻っているかもしれない。そうだ、自分は海に向かうことで、助けを求めに行くのだ。きっと、魔物は出てこない。きっと出てこないから大丈夫だ。

 一応そんな理屈をつけたが、村人を動かすのは衝動だった。海に行きたいという衝動の後に、まともさがかろうじてついてきていた。


                  ◇


 びくびくと、ときおり肩を抱きながら、村人はただひたすらに街道を歩く。

 無知であったことによる高揚感は、綺麗さっぱりかき消えていた。

 幸い、魔物は姿を見せず、天気は晴れのままずっと平和な青空が続いている。

 おかしい。空が青いのがおかしい。

 いくら歩いても、ずっと歩いても、夜になるほど歩いても、空が青いのだ。

 ただひたすらに空は青く、僅かな雲しかない空がずっと続いている。

 風もずっと心地よく吹いている。強弱なく、ずっと心地よい。

 そんな世界を何日も何時間も歩いているのに、腹もすかないし、眠くもならないのだ。だから、ずっと歩き続けることに問題はない。健康的なまま、不健康になっている。

 平和なまま、健康なままとどまっている世界と自身の身体。その一方で、振り返った世界はところどころ消えている。この異常事態において村人ができるのは、ただ歩き、海を目指すことだけだ。

 山を越え、谷を渡り、知らぬ土地にたどり着いた村人を出迎えたのは悲観であった。

 泣き声が壁を揺らし、祈りが地面に響く。村人の理解を越えるほどの大きな街、王都と呼ばれる街では皆が天に祈りを捧げていた。

 老若男女に貴族に職人に市民、誰もが外に出て祈っている。

 いったい、何が起きているのか。村人は旅に出て初めて出会った人に、恐る恐る声をかける。緊張のせいか、村人の口調は妙ちくりんになっている。


「みんな、なにをしてるんでごぜえますか?」


「祈りを捧げているのです」


 村人が話しかけた少女は、うつむいたまま答える。

 彼女は祈りの姿勢を崩さなかった。


「いったい何に祈ってるんでげす? 祈るなら、教会でやるべきでは?」


 会話する内に、徐々に慣れてきたのだろう。村人の口調も徐々にまともになっていた。


「教会は既になくなりました。神父様も消えました」


 大通りの先、立派な建物があったであろう場所が、ぽっかりと空き、無と化していた。王都は無事だったと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。


「みんな、連れて行かれたのです。王様に王女様に将軍に、なぜか宿屋の主人に酒場の女将に鍛冶屋の親方。この街の偉い人やよく働く人は、みんな唐突に消えてしまい、連れて行かれました」


「連れて行かれた? まさか、魔族が?」


「いいえ。わかりません。でもそれは、きっと神様や魔王とか、そういうものではないんです。理由は上手く説明できないんですが、王様達は連れて行かれた、そして、ここで連れて行かれなければ、終わってしまう。みんなそう思ってます。だから、連れて行ってくれと祈っているんです」


 あなたもそうなんでしょう? と、少女は暗にそう言っているように見えた。

 だが、村人にはわからなかった。連れて行かれるなんて、思ったこともない。代わりにあるのは、海を見たいという衝動だ。

 自分の衝動は、果たして許されるものなのだろうか。

 村人の口から出たのは、誤魔化しとも当然とも思える問いかけだった。


「勇者は、勇者様はなにをしているでございますか?」


 この異常事態において、神と並び救いを求めるべき存在。それが勇者だ。姿すら見せぬ神に祈るより、実際に魔王を倒した勇者に懇願するのが先ではないのか。


「勇者様はいなくなりました。お仲間の方も、皆さん連れて行かれました」


 少女の答えは、簡潔な絶望であった。

 勇者も消えた。パーティーごといなくなった。

 懇願できぬなら、祈るしかない。得体の知れない恐怖から逃れるために、返答なき神に祈るしかない。


「でも、賢者様だけは、塔に残っていると聞きます。すべてを知り、その知恵で勇者を支えた者。あの人だけは、かつて住んでいた塔に残っていると」


 村人と勇者が出会った時、パーティーにそれらしき人物はいなかった。おそらく、村を離れて王都に立ち寄った際に仲間になったのだろう。

 少女はここからでも見える塔を指差すと、祈りに没頭する。

 聞きたいことがあるなら、すべてを知る者に聞いて欲しい。そういうことなのだろう。祈りをこれ以上、邪魔しないでほしい。そんな拒絶にも思えた。

 少女が指さした塔は、海の方角にあった。


                  ◇

 

 村人は、自分の運の良さを認めるしか無かった。

 海に行く途中にあった、賢者の住む塔。塔の周辺には、たくさんの人間の死体が転がっていた。戦士もいれば兵士も居るし、自分と変わらない格好の村人も居る。誰もが、武器を手に死んでいる。魔物との争いで死んだ人間は見ているが、これは人同士の争いの後である。未知の殺し合いの痕跡を見て、村人はぶるりと震え上がった。

 

「お主、何者じゃ」


 唐突にかけられる声。見ればまだ、塔の壁に背を預けたまま崩れている老人が生きていた。腰まで伸びた白髪と白ひげに、紫色のローブ。間違いない、この人が塔の主である賢者様だ。


「お主も、わしを殺しに来たのか?」


「いえいえいえいえ! いやいやいや!」


 村人は首を激しく横に振る。もとよりそんなつもりもないし、だいたい勇者パーティーの一員であった人間にかなうわけがない。

 賢者はじろりともう一度村人を見た後、ふうと気だるげに息を吐いた。


「そのようじゃの。こちらの油断を誘うつもりでも、いくらなんでも無防備がすぎる。油断を誘えても、殺す手段がないようではな」


「こ、殺す? いったいここで、何があったんでごぜえますか」


「お主、敬語の使い方が変ではないか?」


「すみません。で、でもこれはクセでごぜえまして。つい出ちまうんでさあ」


「……難儀なクセじゃの。まあいい、ここで何があったのかくらいは教えてやろう。皆、ワシを殺しに来たのよ。残された連中の中で、イキのいいヤツらがな」


「なんでそんなことを」


「ワシを殺せば、いまのこの狂った世界が直るとでもおもったんじゃろ。そんなこと、あるわけがないのにの」


 賢者はつまらなそうに、そんなことを言う。すべてを知る賢者にしては、あまりにも小さく、あまりにもつまらなそうで。村人は不遜ながら、そんなことを思った。


「それで、お主はなぜここに来た? いつもなら知識を出し渋るが、こうなってしまっては知識の価値などなにもない。なんでも答えてしんぜよう」


「海に行きたいのです」


 村人は思わず自分の口を手で抑える。そんなこと言うつもりはなかったのに、自然と口から出てきたのだ。だいたい、海は何処ですか? ならともかく、海に行きたいは質問ではなく決意表明だ。

 実際、そんな決意表明をぶつけられた賢者は、きょとんとしている。


「お主が海に? ふふふ、ふぁふぁふぁふぁ」


 そして賢者は、大きな笑い声を上げた。それは賢者らしからぬ、間の抜けた笑い声であった。ひとしきり笑ったあと、なにもそこまでと口をとがらせた村人に、賢者は教えを授ける。


「ああ、すまんの。海か。すべてがなくなりかけているこの世界では、わかりにくかろう。海に行きたいのならば、この塔の裏にまわり、塔の影に沿うように真っすぐ行けばよい。そうすれば、お主の行くべき海にたどりつくはずじゃ」


「ありがとうごぜえます」


 賢者が笑った意味はよくわからないが、教えてくれたこと自体は有益である。村人は機嫌を治すと、ふかぶかと頭を下げた。

 賢者は言う。


「それにしてもお主が海に。世の中、わからないものよ。ワシも是非、もう一度見てみたいとは思っていたが」


「それでしたら、一緒に行きますか?」


「いや。やめておくよ。もう既に海には何度か飛び込んでいるし、ぜひともまた見てみたいとまでは心が動かん。それに何より、勇者たちに置いていかれた。つまりワシは、ここまでということさ」


 それだけ言うと、賢者はよっこらせと立ち上がる。ふと、背後を振り向く村人の目に入ってきたのは、血走った目で塔に殺到する人々であった。


「さあ。海に行け。海がお主を待っているのだから」


 そう言って賢者は杖に魔力を溜め始める。

 村人はそんな賢者に一礼すると、塔の裏側に回り込み、急いでその場を後にした。


                  ◇


 空も大地も何もかも消えていく中、村人は賢者に言われたとおり塔の影に沿い、ひたすらに歩き続ける。幸い、道となる塔の影はどこまでも続き、光り輝いている。確かにあの塔は高かったが、天まで伸びて先が見えないほどではなかった。なのに影が消えることはない。もはやこれは影なのか道なのか、村人にはわからなかった。

 道の終わりは、唐突であった。あまりに突如途絶えたため、思わず村人は足を引っ込めそのままあわわと後ろに崩れ落ちる。


「こ、これが海ってやつなのか?」


 村人は腰砕けのまま、目の前に広がる永遠を見つめる。

 どっぷりと粘度のある液体がずっと広がっている。水平線を作るそれは、まさしく永遠の水である。だがそれは、村人が想像していた海とはまったく違う。海にはひいては押し寄せる波というものがあると聞いていたが、目の前の海はただ不規則にあちこち揺れているだけだ。海はただ青いと聞いていたが、目の前の海はむしろ黒い。そしてその黒には、何やら白い文様が混じっているように見えた。

 自分は、こんな物が見たかったのか? いや、見なければいけないと思っていたのか?


「お主が海を見たいと思ったのではない。海がお主を招いたのよ」


 唐突に聞こえたのは、賢者の声であった。やはり海に来たのかと、村人は思わず振り向く。だが、そこに賢者の姿は無い。代わりに居たのは、村人めがけ斧を振り上げている酪農家であった。


「ひぃ!」


 驚いた村人は、思わず転がる。先程まで村人の頭があった場所に、斧の刃が突き刺さる。斧を引き抜いた酪農家は、そのまま寝転がる村人をねじ伏せた。


「なんでお前がここにいる!? いや、なんで俺より先に居るんだ! 俺が村を出た時、お前は気づいていなかった!」


「ひぃぃぃぃ! すみませんです、ごめんなせえです、わかりませんでゲスよ!」


「なにもわからないまま、海に招かれるだなんて、俺よりずっと……まさか、その口調だけで、それだけで海に呼ばれたのか。ありえねえ、海に来る最後の一人は、俺だったはずなのに」


 酪農家は仰向けとなった村人の首を抑え、そんなことを呟く。村人は必死にもがくが、ただの村人と元山賊の酪農家、その力の差は歴然であった。

 酪農家は片手で村人を抑えたまま、もう片方の腕で斧を振り上げる。


「追いついたんだから問題ねえ。ここでコイツの首をハネちまえば、後は俺だけだ」


 酪農家は口端から漏れてきたよだれを拭うと、躊躇もなしに斧を叩き落とす。

 顔のど真ん中に振り下ろされたはずの斧は、スカッと虚しく外れてしまった。


「ヒィ……ヒィ……」


 村人が避けたわけではない。押さえつけられている村人は動けない。せいぜいできたのは、小便を漏らすことぐらいだ。酪農家は手の中にある斧であったものを見つめている。


「ははは……おいおい、ここで終わりかよ。俺もここまでだって言うのかよ」


 斧は刃が消え、次に持ち手も消え、更にその次は酪農家の腕が消えていく。酪農家の腕が消えたことで自由になった村人は、ほうほうの体で酪農家から逃れる。


「ここで終わるのも悪くない。悪くない。悪くないんだったら、こんなところまで来るか! よりによって、こんな一発ネタ以外なにもないヤツが生き残る! ふざけんな、バカが! 俺は次もその次も、海にたどり着くんだ! 俺がいなくなって、いなくなっても、何も変わらないからこうなったのか? ああ、ふざけてるのは俺だよ。終わりを受け入れられなかった俺だよ!」


 酪農家は、自分の口が消えるまで、支離滅裂をずっと吐き出し続ける。村人は亀のように丸くなり、ただこの支離滅裂が消えてくれることを祈る。村人の願いは、思ったよりすぐにかなった。

 唐突に無音となってから数十秒。村人はのっそりと起き上がる。


「あわわわわ!」


 既に酪農家は消えたのだろう。そんな風に思っていたからこそ、村人は驚く。酪農家の口も身体も消えていた。だが、その目だけが、残った鼻から上の目と眉と頭頂部が、村人を睨みつけていた。しかしそれも少しのこと、酪農家の残骸は先程の斧の刃と同じようにフッと消えてしまった。

 結局残ったのは、村人と海だけである。既に道の輝きも消え、村人の足元以外の大地も空も無い。村人の行き先は一つだけである。

 村人は、幾何学模様の海に飛び込む。粘液が身体にまとわりつき、生き物の腹で消化されるような感覚を得る。きっと、このまま自分は海に溶けて消えていく。だがそれは、消える世界に残ることを良しとした賢者や、唐突に消えた酪農家とは違う。


 海がお主を待っているのだから。


 そうだ。自分は決して海が見たかったわけではない。海に行かなければならないと思ったから、ここまで来た。きっとこの道程は、唐突に消えた勇者たちや連れて行かれたと言われる王様たちも歩んだであろう道だ。

 ただの村人でしかない男が、何者かに、この海に必要とされて招かれた。それだけで、ただひたすらに誇らしかった。


                  ◇


 始まりはいつも誇らしく、終わりはいつも寂しい。

 ただ作るだけでなく、次々と増築を繰り返すことで、ずっと付き合い続けねばならない。だからこそ、作って終わりの昔のゲームとは違い、ソシャゲには終わる時の寂しさがあるのだ。彼はそう、結論づけていた。

 この寂しさは、そういうことである。いわば、店じまいの寂しさだ。

 隣りにいた同僚が話しかけてくる。


「10年ちょっとで終わりかー。頑張ってくれたよな」


「ああ。最初はヒーヒー、途中でゼーゼー……いやずっとゼーゼーだったな。息切れしつつも、よくやってくれたよ。決してメジャーにはなれなかったけど、熱心なファンのおかげでここまで来れた。だからまあ、そういう人たちには応えてあげようと思ってる」


「完結記念イベントでもやる気か?」


「やりたいけど、やる暇も金もないし、上がウンって言うわけがない。だからまあ、俺にできるのは、このゲームのキャラを次回作に出すみたいな、ちょっとしたファンサービスくらいかな」


「いやそれは無理じゃないか?  だって、このゲームはゴリゴリのファンタジー。次回は和風モノだろ? シナリオライターやデザイナーも違うし、シリーズ物ってわけでもない。それにあまり派手にやると、考察だのなんだのでめんどくさいぞ」


「だから、こういうのは分かる人にだけ分かるって感じでこっそりとね。ちょうどいいやつを見つけてあるのよ」


「言っておくが、ピックアップした人気キャラや王様連中は使えないぞ。あいつらは、他所の国の別のゲームで使うらしいからな」


「ワールドワイドだなあ。まあそういう目立ってるやつは、始めから使う気が無いよ」


「じゃあアイツか? チュートリアルからずっとしつこく出てくる山賊のボスか? アイツは前のゲームから引っ張ってきてる名物キャラだったよな」


「アレでもいいと思ってたんだけど、流石に続投しても新鮮味が。いろんな人が飽きたって言ってたし、拾わなかった賢者と一緒のもういいキャラだろ。俺が使おうとしているのは、あの最初のモブだよ。セリフの打ち間違えで変な口調になったのが、妙にネットでバズったヤツいたじゃん」


「あー。いたなあ。バズっただけで、全然売上に寄与しなかったけど」


「だからこそ、問題なく使えるんだよ。まあ見てなって」


 ゲームの根幹に関わるようなことでも、ユーザーの課金欲を刺激するものでもない。強いて言うなら、わかるひとにはわかる、単なるいたずら心でしかない。

 だからこそやってみたいと、男は密かに企んでいた。


                  ◇


 この村の周りには、水しか無かった。

 ここは水の惑星。星の表面がすべて水で覆われており、エラ呼吸ができるこの星の人類の大半は海中にて暮らしている。水面上に建てられたこの村は、他所の星から来た人々のための村である。銀河歴34560年、旧時代では到達困難と言われていた星星は、少し手を伸ばせば届く距離になっていた。

 この星に初めて訪れた人を出迎える。それが、村人の仕事であった。難しい手続きや今後の案内をするのは、別の人間である。村人の役割は、ただ「ようこそ」と言うだけだ。

 大した仕事ではない。村人自身もそう思っている。しかしこの大したことのない仕事こそ、自分の天職である。こう確信もしていた。生まれてからずっと、いや生まれる前からずっとこの仕事をしていたような。そんな運命を超えた宿命を感じている。

 今日もまた、村の外れにある宇宙船の着陸場に一隻の宇宙船が降りてきた。パイロットも他の乗組員も新人と聞いていたが、小さくとも船の手入れは良く、しっかりとした軌道で着陸してきた。きっと彼らは、将来的に大物になるだろう。そんなことを感じさせる。

 宇宙船から降りてきた、乗組員の面々。その先頭に立つパイロットを見た村人は、なんだか不思議な気分となる。初対面のはずなのに、今まで何回も会ってきたような感覚。こことは違う場所で、何度も、何度も。そしてこちらを見たパイロットも、懐かしいものを見たかのように顔をほころばせている。かのパイロットは、操縦技術だけでなく、白兵戦でも一流、人望は超一流と聞く。そんなこの世界の中心にいるような人間が、優しげな顔をこちらに向けてくる。悪い気分ではない。

 だからこそ、こう言うのだ。


「ようこそいらっしゃいました。ここは、海の村でごぜえます」


 緊張して、思わず変な口調になってしまった。だがそんな村人の挨拶を聞いたパイロットは、これだよこれと言わんばかりの顔をした。


~了~

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むらびとは海が見たくなった! 藤井 三打 @Fujii-sanda

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