包丁くんと話そう——愛を。

「はうぁッ!」


 ね、寝てた?

 起きてた?

 い、いや、寝てたよね。完全に熟睡だったよね。もうまぎれもなく、気持ちよーく寝ちゃってたよね。スヤスヤだったよねぇ。


 ……マズいなぁ。

 やっちゃったなぁ。

 さすがに許されないぞ。


 なんて弁明すればいいんだ。これから気まずいよ。一つ屋根の下で一緒に暮らしているというのに、絶交でもされたら目も当てられない。

 えーと、包丁くんはどうした? どこにいった? とりあえず、謝らないと――


「やぁ、イッキー。おはよう」


 包丁くんの声。

 上半身を起こせば、彼はすぐそこにいた。テーブルの上、段ボールまな板から移動することもなく、横たわっている。


 だが――輝いていた。

 キラッキラだ。

 カーテンの隙間から差し込む日光に照らされて、鋭く光っている。


「ん……あれ?」


 目をこする。

 違和感。


 包丁くんの、鋭いボディと、切れ味の良さそうな刃先。芯が一本通った、包丁らしい包丁。セラミック製とは思えないほどに威風堂々いふうどうどうとした、その姿。


 ……おかしくね?

 キミ、昨夜、フニャフニャだったよね?

 パンすら切れないくらいの、なまくら包丁だったよね?


 それに……イッキー?

 イッキーって呼んだか?

 イカくん、じゃなくて?


「どうしたんだい、イッキー。そんな呆けた顔をして。せっかくの男前が、台無しだゾ♪」

「いや、『ゾ♪』じゃなくてさ。え……キミ、包丁くんだよね? 俺の包丁で、間違いないよね?」

「そうだよ、イッキー。キミだけの包丁くんだ。キミの相棒であり、親愛なる友人、包丁くんだよ」

「…………」


 やっぱり、おかしくね?

 誰だよ、キミ。

 俺の知っている包丁くんじゃないよ。


 昨日の時点では、『なんか面倒くさい包丁』って印象だったのに……一晩明けたら、『なんか気持ち悪い包丁』に早変わりしているじゃないか。


 頭が追いついていかないよ。

 待って待って。

 置いてけぼりにしないで。


「そのぅ……包丁くん、悩みは解決したのかい? 昨夜は、随分と落ち込んでいたようだったけれど」

「何を言っているんだ、イッキー。キミが、僕を救ってくれたんじゃないか!」

「……え、俺が?」

「そう。キミだよ!」


 まったく話が見えない。

 俺は午前五時あたりを回った時点で、完全に意識を手放してしまったはずだ。包丁くんに優しい言葉をかける余裕もなく、睡魔の誘惑に負けてしまった。気持ちが良いほどの爆睡だっただろう。


 なのに……救った?

 訳が分からない。

 夢か? これ。


「包丁くん……実は、俺、四時くらいから記憶がぼんやりしていてね。何を言ったのか、あんまり覚えていないのだけれど……」

「おいおい。恥ずかしがることはないだろう? あんなに堂々とプロポーズをしておいて」

「プロ――はぁ!?」


 何のことだ。

 分からん分からん。

 彼は一体、何を言っているのでしょうか?

 ホウチョウノコトバ、ヨクワカンナイ。


「もう、みなまで言わせるなよう。『キミは、俺だけの包丁だ。離さないぞ』――って。キャッ!」

「…………え」

「『お前のおかげで生きていられるんだ』――とも言っていたっけ? もうっ! 照れるじゃーん! そんな風に思われていただなんて……イッキー、最高! 包丁冥利に尽きます!」

「…………」


 いや、申し訳ない。

 三点リーダーばかりの反応になってしまって、申し訳ないと思っている。

 でも、許してほしい。

 頼むから。一生のお願いを来世分も使うから、許してほしい。


 そりゃ、戸惑うさ。

 だって……包丁にプロポーズしちゃったんだよ? 

 急に喋り出した包丁に一晩中振り回されたかと思いきや、愛の告白だよ? 

 知らないうちに、無機物と一緒にランデブーだよ?


 無理だってぇ。

 脳の処理が追いつかないってぇ。


 たしかに眠りに落ちる直前、そういうたぐいのことを考えてはいた。

 「俺だけの包丁」と小声でつぶやいた覚えもある。彼が切ってくれたパンのおかげで、この一週間を生き延びることが出来た――というのも、事実だ。

 本心からの言葉であることは、間違いない。


 でもさぁ……まさか全部、口から漏れ出ているとは思わないじゃん。

 考えるだけにとどめておけよ、俺。

 どうして洗いざらい吐いているんだよ、俺ぇ……。


「イッキー。僕は、キミの言葉に感動したんだ」

「か、感動、しちゃったのか……」

「うん。僕みたいな安物の包丁でも、ここにいていいんだ、って。必要としてくれるヒトがいる、頼ってくれる持ち主がいる――それで充分なんだ、ってね」


 も、ものすごい罪悪感だ。

 そんなに深い意味を込めて発した言葉じゃないのに!

 たぶん、ただの寝言なのに!


 なんということだ……俺が睡魔に負けたせいで、一本の純粋な包丁を勘違いさせてしまった。

 うぅ、自責の念。

 俺は今、自責の念の権化ごんげだ……。


「立派な料理で使ってもらう必要なんて、なかったんだよ。パンばかり切る生活でも、こうして僕に寄り添ってくれる持ち主がいる。大切なのは、それだけだったんだ」


 包丁くん……輝いているよ、包丁くん。

 その刃で俺を貫いてくれよ、包丁くん。

 恥ずかしさと罪悪感で死にそうだよ、包丁くん……。


「僕、もう、自分をさげすむのはやめるよ。百均だからって、何だ! 安物だからって、何だ! 安かったからこそ、僕はイッキーに出会えたんだ!」


 いや、出会ってしまった、だろう。

 あぁ……この町へ来た初日に、包丁なんて買わなければ。一週間前、包丁くんを手に取ることさえ、なければ!

 あの時から、この町の洗礼は始まっていた、ということか……闇鍋町やみなべちょう、恐るべし。


「さて、イッキー! 僕は今、すごぶる気分が良い! 早速、食事を作ろうじゃないか! 時間帯としては、もう昼食だね。パンは二十等分かい? 二百等分でもいいぞ! この包丁くんに任せたまえ!」


 ……パン。

 パンを切りながら、思う。

 たとえ極貧生活でも、パンはそのまま食べることにしよう……。

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闇鍋町のモノとヒト ちろ @7401090

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