包丁くんと話そう!④

 やめときゃよかった。

 案の定だよ、もう。

 後悔が募る。


 誰が予想できるだろうか……包丁が休憩無しで、六時間以上ぶっ通しのお喋りをするだなんて。

 時刻は、午前四時。

 話を聞いてあげたいが、とにかく眠いーー二つの感情がせめぎあっている。


 ……マジねむいんですけどぉ。

 もう、ホント、ギャル口調になるくらい眠いんですけどぉ……。


「――でね、牛刀くんはすごいわけよ。まず、形が良いよね。『ザ・包丁』。包丁界のイケメンさ。でかい肉を一刀両断するだけじゃなく、野菜も魚もイケる。大胆な切り方から細かい作業まで、気が回る奴だよ。僕みたいな百均包丁じゃ、足下にも及ばない――」


 せめて小休憩が欲しかったけれど、口を挟む余地も無かった。言葉と言葉の間に、息継ぎというものが存在しない。マシンガントークが、俺の眠気を更に加速させる。


 顔を洗いたい。

 コーヒー飲みたい。

 瞼が重い……。


「――出刃包丁くんは、魚に特化したプロフェッショナルだ。魚の骨すら断ち切る、マッチョマンだよ。刃こぼれしにくく、分厚くて頑丈。『強さ』で分類するなら、最強の包丁の一角かもしれない――」


 包丁談義は延々と続く。

 相槌あいづちを打つ間すら与えてもらえず、俺はポカンと口を開けたまま、彼の話を聞いていた。

 ハッキリ言って、内容はほとんど理解できていない。同類の包丁たちの紹介をされても、まるで頭に入ってこない。


 ただでさえ包丁には詳しくないのに、そこへ重ねて、この眠気である。

 勘弁してくれぇ……。

 校長先生の長話を思い出す。

 あぁ、睡魔が俺の周りで踊っている……。


「――三徳包丁。こいつは、万能型の天才だよ。肉も魚も野菜も、とりあえず三徳くんに任せておけば、上手くいってしまうんだ。この国の主婦の皆さんは、彼に首ったけなんだろう? いろんな家庭から引っ張りだこ。人気者だよねぇ――」


 牛、出刃、三徳、その他いろいろ。

 彼の口から語られるのは、仲間の包丁たちの武勇伝や勇姿ばかりだ。

 どうやら彼は包丁であると同時に、包丁マニアでもあるらしい。包丁に関する情報が津波のように押し寄せてくる。

 料理をしない俺にはよく分からないが……まぁ、なんか、いっぱい、すごいようだ。


 わぁー。

 そうなんだー。

 へぇー。

 と、適当に返事をする。


 いや……もう、無理よ。

 気の利いた返事をする余裕なんて、残ってないよ。


 それに、不用意な言葉をかけるわけにもいかない。

 迂闊にも「それはすごいね!」なんて言えば、包丁くんは自信を失ったかのように、しなしなと縮こまってしまう。

 そして、こう言うのだ――


「……あぁ、すごいさ。彼らはすごいよ。僕とは違ってね。百均包丁も、最近は性能が良くなってきているけれど……さすがに、『本物の包丁』には勝てない」


 包丁くんは、ポロポロと涙を流す。段ボールまな板を、じとじとに湿らせるほどに。

 俺には、そう見える。

 見えてしまうのだ――包丁が泣いている。

 そう、見える。


 ……でも、俺、眠いからなぁ。

 泣かれてもなぁ……。


「僕はきっと、簡単に刃こぼれしてしまう。肉や魚を切ろうとすれば、非難を浴びること間違いなしだ。『全然切れないじゃん!』ってね」


 それは、昔の自分の姿と重なった。

 ボロボロだった頃の自分に。

 他人が怖くて、悩みを誰にも相談できず、ただただ酒をあおり、後悔と涙を垂れ流していた自分に――重なる。


 ……いや、そんな頃、あったっけ。

 眠すぎて、記憶が混濁こんだくしてきた……。


「僕は、安いフルーツナイフ。彼らのようには、なれないんだ。でも――もっと使ってほしい。僕だって、包丁なのに。僕は、もっとやれるはずなんだ……」


 包丁くんの悩みがどの程度のものなのか、俺には分からない。

 他の包丁に対する劣等感なんて、俺は理解できない。包丁としてまともに使われないことへの悲しみを、俺は知らない。

 俺は何も言えなかった。


 自分に近い何かを、感じているはずなのに。

 俺は、頷くことしか出来なかった。


 ……あと、眠いし。

 眠くて、口を開く元気なんて無いよぉ……。


「……聞いているかい? キミだって、本当はちゃんとした包丁が欲しいんだろう? 僕みたいな安物じゃなく、優秀な奴が。そうに決まっている。それが自然な感覚なんだ。選ぶのは、ヒト。分かっているさ」


 何か、言葉をかけてあげたい。

 しかし、彼を理解できていない俺が何を言ったとしても、きっと空虚に響いてしまうだろう。俺の言葉では、彼を助けてあげることは出来ない。


 ……あと、やっぱ、眠いっす。

 もう、いい加減、限界っす……。


 包丁くんの美声、めちゃくちゃ眠くなるんだもん。そろそろ空も白んできているし、六時間以上も耐えた俺を褒めてほしいくらいだよ。


 はいはい、もうダメでーす。

 やめまーす。

 投げ出しまーす。

 俺はクズでーす。


「……ねぇ、イカくん。聞いているかい? まさか、眠いなんて言わないよね? 僕の話を最後まで聞いてくれると、そう約束したじゃないか。聞いているかい? イカくん。ねぇ……」


 聞いていなかった。

 すでに、瞼は閉じている。

 包丁くんの声は、遙か彼方だ。意識を手放すのも時間の問題――いや、ここはもう夢の中なのかもしれない。


 あぁ……。

 もう、ホントに無理。

 ごめん、包丁くん。

 ごめん、本当にごめん。


 そもそも、俺が料理をする人間だったならば、こんな思いをさせなかっただろうに。

 でも、もう相談に乗れないとか、そういう段階じゃない。

 キミの声がまともに聞こえないほどに、眠いんだ。


 元気づけてあげよう、なんて考えてしまった俺が馬鹿だった。大反省だ。俺は、何も言ってあげられなかった。

 俺の、包丁なのに。


「俺だけの、包丁……」


 二十八歳になって初めて購入した、俺だけの包丁なんだ。いろいろ文句はあるけれど、彼のおかげでこの一週間を乗り越えられたと言っても過言ではない。彼が切ってくれたパンのおかげで、俺は生き延びてきたんだ。

 なのに……何もしてやれない。

 呆れられてしまうだろうか。

 もう、口も利いてもらえないかもしれない。

 それは、嫌だなぁ……。


 ……立ち上がれ、俺。誠心誠意、彼の話を聞くんだ。寝るな。姿勢を正すんだ。最後まで聞こう。俺は、彼の持ち主なんだぞ。悩みの一つや二つ、解決してあげないと……。



 *



 いや。

 やっぱ、むりぃ……。

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