包丁くんと話そう!③

 闇鍋町やみなべちょうでは、という事象が発生することがある。奇妙な出来事には事欠かない闇鍋町だが、その最たるものだと言えるだろう。

 そのメカニズムは解明されていない。闇鍋町の土地にまつわる霊的な何かが作用している――と噂されることもあるが、その実態の一切は不明なままだ。


 俺も、実際に目にするまでは半信半疑だった。

 モノが意志を持って、話し出す。

 そんなことはあり得ない。

 あり得ない、けれど……もしも本当ならば。

 見てみたい。

 モノと、話をしてみたい。

 そう思っていた。


「……実際に話してみると、なんか変な感覚だなぁ」

「何か言った?」

「いや……何も」


 包丁くん(仮)は、相変わらずフニャフニャなまま、会話を続けた。

 耳に届くのは、透き通るような清々しい声音だが、それがどこから発されているのか……ハッキリしない。包丁に、発声器官なんて無いはずだけれど。


「ねぇ、キミ。聞いてる? ジロジロ見てないで、僕の話に相槌あいづちの一つでも打ったらどうだい」

「あぁ……ごめん。包丁と話すなんて、初めてだからさ。ちょっと緊張しちゃって」

「もう、ダメだよ。話を聞くときは、ちゃんと耳を傾けなくちゃ」

「それで、なんの話だっけ?」

「名前だよ、名前。キミのお名前、なんていうの?」


 そういえば、自己紹介をしていなかった。

 いや、包丁相手にどうやって自己を紹介すればいいのか、悩むところではあるけれど……。

 とりあえず、名を名乗ればいいのかな?


五十山田いかいだイスキ、二十八歳無職独身。金は無いけど、そこそこ元気。中学の頃のあだ名は、イッキー。よろしくね」

「い、いかい……?」

「イカイダ、だよ。イッキーでもいい」


 ひとまず俺は、包丁くんを段ボールまな板の上に乗せた。意志を持った彼を握り続けるというのは、少し気が引ける。

 そのまま、部屋の中央へ移動。

 テーブルの上に包丁くんをそっと置き、正座で向き合うことにした。


「……随分と礼儀正しいんだな。いか、い、いかい――イカくんは」

「立ち話は苦手なんだよ。あと、俺はイカくんじゃない。イカイダ、ね。イカイダ」


 人を勝手に軟体動物にするんじゃないよ。

 そんなに難しい名前じゃないだろ、イカイダって。


「ちょっと覚えづらいんだよ、キミの名前。イカくんでいいだろう? なんか可愛いし」

「……イッキーじゃダメか? せめて、イスキで……」

「それでね、イカくん。そろそろ、僕の話を聞いてくれ。僕は、キミに不満があるんだよ」


 いや、俺も呼称に不満があるんだけど――と言いかけて、やめる。

 これじゃ、話が一歩も前進しない。

 一旦、俺はイカになろう。


「分かった。イカの件は、ひとまず横に置いておくよ。それで? 不満、ってのは?」

「キミが一週間前、百均で僕を手に取ったときに思ったんだ――あぁ、これで僕も包丁らしい仕事が出来る、ってね。だが、来る日も来る日も、僕が切るのは食パンばかり。これは一体どういうことだい?」

「どういうことって……」


 どういうことも何も。

 俺はまともに料理なんてしないからなぁ……。

 基本的にパンしか切らないし、野菜や肉なんて、まな板の上に置いたことすらない。貧乏人の俺には、食材を買う余裕が無いからね。


「野菜は? 果物は? 肉は? 魚は? 僕、そういうものが切りたいんだけど」

「……包丁くん、残念だ。俺は、残酷な現実をキミに突き付けなければならない」

「え?」

「俺、料理はしないんだ」

「……現実マジ?」

現実マジだ。野菜も果物も肉も魚も、ほとんど購入したことがない。テーブルに並ぶのは、調理済みの食品ばかりだ。かなりの極貧生活をしていてね……食材とは、随分とご無沙汰だよ」

「なってこった……」


 包丁くんのフニャフニャ度が増した。

 もはや紙どころか、ドロドロに溶けて液体になってしまいそうな勢いだ。

 見てられないよ。

 触れたら崩れてしまいそうだもん。

 意志を持った包丁って、こんなに柔らかくなるんだなぁ……。


「いや……分かっていたともさ」


 少しだけ気を取り直したのか、包丁くんが沈黙を破った。相変わらずの美声だが、かなり弱々しい調子だ。


「僕たち包丁は、切るものを選べない。選ぶのは、いつだってヒトなんだから。特に僕みたいな百均のフルーツナイフなんて…………はぁ。包丁失格だよね」

「いや、そんなに言わなくても……」


 そこまで落ち込まれると、さすがに罪悪感が湧き上がってくる。

 悪いこと、しちゃったかなぁ。

 パン切ってただけなんだけれど……。


「ほら、フルーツナイフも、良いところあるよ? 小さくて使いやすいし、すぐに手に馴染むし……ね! 良いところばかりじゃないか!」

「他には?」

「他に……?」

「うん。他に」

「安いから、買いやすい!」

「百均だからね。はぁ……」


 くそっ、精一杯のフォローをしたつもりだったけれど、俺には荷が重すぎたようだ。包丁の気持ちなんて微塵も知らない俺には、彼を元気づける手段が無い。


 どうすればいいんだ。

 この、ちょっと面倒くさい包丁を何とかするには、どうすればいい?


 お腹の虫も大合唱を始めて、そろそろ夕食のパンを切りたいところだが、彼がこの調子では、それも敵わない。かといって、そのまま食べるのも…………。


 ……あれ?

 そのまま食べればいいんじゃね?


 い、いや、落ち込んでいる包丁くんを放置して自分だけ食事を取るというのも、気が引ける。ほぼ初対面とはいえ、せっかくモノと話す機会を得たんだ――しかも、自分の持ち物と。

 ならば最低限、悩みを聞いてあげるというのが、持ち主の責任だろう。共感できない部分は、何とかかんとか、どうにかする。


「……包丁くん。溜息を吐くのはやめてくれ。そして、そこに座ってくれ」

「いや、包丁にとか無いから。なら、まだしも」

「そ、そうだったね」


 すごく怖い言い回しで論破されてしまった。

 俺の心に包丁を突き立てるのはやめてくれ……。


「ともかく、包丁くん。何か深い悩みがあるなら、俺が聞くよ」

「いや……別にいい。ヒトなんかに、僕みたいな安いフルーツナイフの気持ちなんて分からないだろう?」


 沈んだ声で、包丁くんはつぶやく。

 拒絶、だろう。たぶん。

 お前に話す意味なんてない――そう言われているような気がする。


「いいんだよ。キミはこれまで通り、自由に僕を使うといい。それが、僕のあるべき姿だ。包丁は、を切るためにある。そうだろう? そのを選ぶのは、キミだ」

「そうだね。だが、今のキミはなまくら包丁だ。何にも切れない。ふっくら柔らかい食パンさえ、切れやしない、錆び付いた刃と一緒だ」

「……言うじゃないか。じゃあ、何だ? キミとペチャクチャお喋りをすれば、僕の心が晴れると、そう言いたいのか?」

「知ーらない」

「…………」

「今、キミ、怒っているな? ちょっと分かるようになってきたよ、キミの気持ち。それに、俺を拒絶している。違うかい?」

「……違わないけど」

「なら、大丈夫さ」

「大丈夫? 何が?」

「話せば分かる、ってやつだよ。話せば、少しは楽になる。キミも俺も、そんなに変わらない。辛ければ悲しいし、嫌になれば怒りたくもなる。同じだろう? 俺もキミも」

「…………」


 包丁くんは黙りこくって、難しい顔で思案しているようだった。

 いや、包丁には脳も顔も無いけれど。

 少なくとも、俺にはそう見えた。


「……なまくら包丁の愚痴は、鈍くて長くて退屈だぜ? それでもいいのかい?」


 残念ながら、俺はカウンセラーではない。人間の気持ちすら分からないのだから、包丁の悩み相談に乗れるはずもないのだ。


 割と飽きっぽい俺は、たぶん、数時間後には後悔していると思う。

 やめときゃよかったな、って。


 まぁ、しかし、乗りかかった船である。朝を迎えたときに「やっぱり、キミなんかに話すんじゃなかった」と言われてしまえば、それまでだ。明日から、パンは自分の手で二十等分にすることにしよう。


 それでも俺は、なんとなく、彼と話してみたいと思うのだ。


 逡巡しゅんじゅんしたのち、俺は応える。


「バッチコイ!」

「よし!」


 俺と包丁くんの夜更かしが始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る