第302話 「極剣のスラッシュ」
「~~~~っ!!!」
アーロンが第三マテリアを第一マテリアの剣へと変化させたのを見て、【邪神】の背筋を戦慄が走り抜ける。
だが、すぐに依然として自らが優位であると思い直した。
「そっ、それがどうしたというのです!? 貴方はわたくしに何もできないっ!! その事実に変わりはありません!!」
「…………」
アーロンは答えない。
ただ恐ろしく静かな眼差しを【邪神】に注いでいる。
まるで【邪神】の何かを見定めるように。
「良いでしょう!! 人類が存在する限り、わたくしの魔力が尽きることはありません!! 貴方が幾ら強くとも、所詮は個人! 魔力が尽きれば戦えないのが道理! 貴方の魔力が尽きるまで、付き合って差し上げますっ!!」
叫び、そして【邪神】は身に纏う魔法を変化させた。
神級空間魔法――【
途端、【邪神】の全身を、白銀の神々しい光が包み込む。
十二枚の翼を広げるフィオナの姿が、白銀の光によって構成された幻想的な姿へ生まれ変わる。
それとほぼ同時、【邪神】の全身から莫大な魔力が放出された。
魔力は閉ざされた世界の隅々にまで行き渡り、間髪いれず魔法へと変換される。
疑似時魔法――【タイム・ストップ】
世界が停止する。
自分以外の全てが停止した時の中で、アーロンへ攻撃。
空間魔法――【空断賽の目・大葛籠】
逃げ場など存在しない無数の空間断裂の刃がアーロンに襲いかかり――バリンッ!! と、その体表に触れるや否や、ガラスのように砕け散った。
「くっ……!! やはり斬撃系の魔法では意味がありませんか!!」
続けて魔法を放つ。
空間魔法――【極熱崩壊】
一つではない。
動かないアーロンの周囲を埋め尽くすように、無数の光点が幾つも灯る。
この閉ざされた小さな世界なら、百回消滅させても、まだお釣りが来るほどに過剰な破壊の魔法。
生まれる熱と衝撃波は、第三マテリアの結界に守られているアイクルくらいは、結界ごと木っ端微塵に吹き飛ばすかもしれない。
目的はアイクルを狙ってアーロンに精神的打撃を与えることではなかったが、【邪神】は気にしなかった。もはやここに至って、たった二人の犠牲を気にする場面ではない。
そして生まれた無数の光点が急激に膨張しようとして――
――キンッ!!
と、当然のように音が鳴り、一斉に消失した。
【タイム・ストップ】によって停止しているはずのアーロンが、白金の剣を振ったのだ。その振り抜いた一瞬、剣が放った白金色の光が、斬線に残像となって残った。
「――知っていましたよっ!!」
自棄気味に叫ぶ。
アーロンは空間魔法に対抗する重属性のオーラを使用していない。だが、第三マテリアは魔力よりも高密度で純粋な事象改変エネルギーだ。
自らの肉体を第三マテリアに変換したアーロンには、肉体そのものに干渉する類いの魔法は、単にエネルギーの出力差によって拒絶されることは、予想できていた。
それでも、もしかしたらという思いはあったが――。
「ならばっ、これならどうですっ!!」
アーロンに向かって手を翳し、魔法を発動する。
それは通常空間であれば【邪神】ですら、万が一の被害の大きさから使用を自ら禁止する魔法。
空間、重属性混合神級魔法――
――――【暗黒ノ
アーロンの全身が、ぽっかりと空間に開いた穴にも見える、大きな球体に包まれた。
その表面は如何なる光も反射せず、ただただ暗い闇を覗かせている。
次の瞬間、そこへ急速に空気が雪崩れ込み始めた。
無限の重力と無限の空間の歪み。魔法で生み出した人工のブラックホールを、周囲の空間ごと、空気も何もかも内に引き摺り込もうとするそれを、【断界積層結界】で幾重にも封印する。
あの大きさのブラックホールであれば、結界で外への影響を遮断しない限り、そばにいる【邪神】自身でさえ消滅は免れない。
そして無限大の空間の歪みを前にしては、【断界積層結界】ですら一秒間に何度も張り直さなければ、封印を維持できない。あらゆる意味で極めて危険な魔法だった。
だがしかし、そのレベルの魔法であるからこそ、どんな化け物でも滅ぼせる。
すでに【暗黒の虚】に取り込まれたアーロンが、生きているわけもなく――
――キンッ!!
と、【断界積層結界】ごと、【暗黒の虚】が斬り裂かれた。
漆黒の球体は幻であったかのように、空気に溶けるようにして消え。
当然のように何事もない様子で、アーロン・ゲイルが姿を現す。
「ふっ、ふふふ……っ!!」
【邪神】は笑った。
気づいていた。
第三マテリアそのものとなったアーロンの技――【怪力乱神・天衣無縫】――の、真の恐ろしさを。
魔法は物理法則の制限を受ける。
なぜなら、魔法とは物理的現象を再現、あるいは操作する技術に過ぎないからだ。
一方、第三マテリアによって引き起こされる現象は、その限りではない。
エネルギーの量と、エネルギーの制御力と、術者本人の認識と、それができるという確信があるならば――――如何に理不尽な事象でも起こし得る。
たとえば剣士たるアーロン・ゲイルの場合、本人が認識し得るあらゆる存在、事象を「斬る」ことができるだろう。
神代の文明が手に入れかけていた、魔法を超えた真の魔法。
物理次元宇宙の法則を超越した力なのだから。
それが如何に強力でも、魔法によって再現された物理現象の影響程度、第三マテリアの体ならば、造作もなく「拒絶」することができるはずだ。
空間魔法による斬撃を、何の防御もせず「拒絶」してみせたように。
「ふふふふふっ、ふふふふふふふふふ……っ!!!」
【邪神】は確信した。
――勝てない。
――殺し方が分からない。
――魔力が尽きればただの人間に戻るはずだが、果たして魔力が尽きるなどということがあるのだろうか?
――第三マテリアを生み出すということは、いわば物質から事象改変エネルギーを取り出すということなのに。
――それに。
――ここまで自在に第三マテリアを操るということは、まさか、フィオナも……。
――もしそうなったら、自分は……。
「ぁあああああぁあぁあああああぁあああああああぁああああああああ――――っっっ!!!!!!」
叫び、そして矢継ぎ早に魔法を繰り出した。
不滅の存在であるはずの、自分を殺し得るモノ。
【邪神】が【太母ミリアリア】から分かれ、【邪神】としての自己を確立して以来――否、その前から感じたこともない明確な恐怖。
自己の消滅、死――という現象への、本能的恐怖。
【空間断裂】【空間断裂刃・乱舞】【空間歪曲】【空間歪曲弾】【黒死球】【断界ノ剣】【極熱崩壊】【空断賽の目・大葛籠】【暗黒ノ虚】――。
あらん限りの魔法を、矢継ぎ早に繰り出す。
アーロンはそれらを無防備に受け、体表で跳ね返し、あるいはアイクルにまで影響が及びそうなものは、白金の剣で「斬り」、無効化した。
「ぁああああああぁあぁぁああああああああああぁあああああああああ――――っっっ!!!!!」
【邪神】は幾多の魔法を放ちながらも、表面上恐慌に駆られながらも、心の内側ではある程度の冷静さを保っていた。
アーロンへ向けて魔法を放つ傍ら、自分を閉じ込める【世界断絶】を何とか解除できないかと試みる。
【空間断裂】で、【空間歪曲】で、【断界ノ剣】で、【暗黒ノ虚】で、何とか【世界断絶】を破壊できないかと試みる。
そして、その悉くが失敗に終わり――。
「――おい」
遂に、アーロンが口を開いた。
全ての確認を、ようやく終えて。
「――――」
思わず、凍りついたように硬直する。
魔法を放つのを止め、【邪神】は息を凝らしてアーロンを見つめた。
「いい加減、さっさと」
右半身を前に、大きく足を開き、腰を落とす。
白金の剣を、腰だめに構えた。
「俺の女から、離れろ」
剣が横一線に振られた。
極技――――【
静かに、無形の斬撃が迸る。
分かつ対象は認識している。
フィオナと融合した【邪神】だが、二者の肉体は完全に融合しているわけではないことを、アーロンは魔力を見る瞳によって看破していた。
フィオナと【邪神】の魔力は同一ではなく、また、その流れ方も違う。それによって【邪神】である部分とフィオナである部分には、明確な違いがある。
十二枚の翼から、フィオナの中に張り巡らされた根のような体組織が、フィオナと【邪神】を繋いでいるモノの正体であり、それはまだ完全に同化しきってはいなかった。
とはいえ、本来ならばフィオナと【邪神】を完全に分離することは、不可能であっただろう。そして仮に、無理にそれを行えば、フィオナの肉体には致命的な損傷が発生してしまう。
だが、不条理を可能とする斬撃により、フィオナと【邪神】の繋がりは、肉体、魔力、精神、それぞれの次元において断ち斬られた。
『っぁあああああああああああ――ッッッ!!!!!』
フィオナの背中から生えていた十二の翼が、グニャリと形を失い、赤と金の不定形な存在と化していく。
翼の根本から赤と金の粘体染みた肉の塊が、剥離した。
フィオナの体内に張り巡らされた【邪神】の「根」は排出されてはいない。それを取り除けば、体内に無数の穴が空いたフィオナは死んでしまうことになる。
だが、アーロンの斬撃により、それらはすでに【邪神】の一部ではなくなっていた。
フィオナの肉体を支配下に置くと共に、フィオナの生命活動を維持するように組織を同化させていたそれらは、【邪神】から「分かたれ」、完全にフィオナの一部となって残存した。
纏っていた魔法と【神体】が解け、赤髪に金眼となったフィオナが、一瞬の停滞の後、重力に引かれて落下へ転じる。
その瞬間、アーロンは音も立てずに一瞬で移動し、フィオナを抱き抱えた。
そのまま、やはりオーラを発することもなく、ゆっくりと、静かに落ちて着地する。
「フィオナ」
「……アーロン」
ぼうっとした表情でアーロンを見返したフィオナは――、
「アーロン!? 体は!? 大丈夫なの!?」
ハッとすると、アーロンの体の――両断されたはずの肩や胸を触りながら、酷く慌てた様子で確かめる。
今は無事なように見えていても、この白金色の【怪力乱神?】を解けば、死んでしまうのではないかと。
いや、それよりも、元に戻れるのかと不安になりながら、敢えてそのことから目を逸らして口早に言う。
「か、【神降ろし】を使って今すぐ治癒魔法を――!!」
「大丈夫だ、フィオナ」
アーロンはフィオナを地面に降ろして立たせると、苦笑しながら告げて。
「ほら」
キンッ!! という音と共に、その体を元に戻した。
「怪我が……ない?」
そこにはあるべきはずの怪我など、一つもなかった。
「ああ、どうやら……あの状態から元に戻る時に、怪我とかも一緒に治せるみたいだな」
本来不定形のエネルギーである、第三マテリアから通常物質の第一マテリアへの変換の際、数十本の木剣を一つに纏めたように、第一マテリアの構造を操作することも可能だった。
要するに――損傷を復元した状態で肉体を元に戻せる、ということ。
今のアーロンに、【邪神】から受けたダメージは残っていなかった。
「良かった……!!」
と、目の端に涙を浮かべてフィオナは胸を撫で下ろす。
アーロンはその涙を優しく指で拭って、
「おう、まだまだ、あと5、60年は生きるつもりだからな」
笑って告げて、フィオナを抱き締めた。
●◯●
そんな二人に、
「……そろそろ、良いですか?」
と声がかかる。
二人で見上げると、そこには赤と金の肉塊から、原初の巫女ルシア・アロンの姿を取り戻した【邪神】が、静かに浮いている。
アーロンたちが会話している間、攻撃して来なかったのは、それが無駄だと分かっていたからか。
まるで憑き物が落ちたように、あるいは全てを諦め、受け入れたように、静かな表情をしていた。
「どうやら……これで完全に、わたくしの勝機はなくなったようですね……。非常に無念ですが、わたくしではアーロン、貴方に勝てないことがよく分かりました。愚かな事とは思いますが、わたくしを滅ぼすというのなら、そうしなさい」
「……アーロン」
「すぐ、終わらせる」
フィオナに頷き、体を離すと、アーロンは再び【怪力乱神・天衣無縫】を発動させ、その身を白金色の光体へと変えると、【邪神】と同じ高さにまで浮かび上がった。
「…………」
「…………」
そして、【邪神】の真っ直ぐな視線を受け止めながら、静かに白金の剣――極剣を大上段に構えて。
――にやり、と不敵に笑った。
瞬間、【邪神】は嫌な予感を覚えた。
「おい、【邪神】さんよ」
「……なんですか?」
「お前、俺のこと、馬鹿だと思ってるだろ」
「――――ッ!!」
体が震えた。
図星だった。
その通りだった。
【邪神】はアーロンのことを、完全に馬鹿だと確信していた……!!
だから、大丈夫だ――と思っていた。
そんな確信は、だが、次の言葉で壊される。
「お前まさか、今ここにいる自分が死んでも、大丈夫だなんて、思ってねぇよなぁ?」
「――――ッ!?」
思わず、ギクリ、と顔色を変える。
触れてほしくない事実にアーロンが気づき、その上で何ら焦っていない現状に、危機感を覚えて。
「たとえばだが、迷宮の外にお前の分体を潜ませてたり、あるいはローガンたちみてぇな、お前の細胞を移植された人間を乗っ取って復活できる……なんて思ってねぇだろうな?」
「な、にを……!?}
「ありえねぇんだよ」
アーロンは断言する。
「フィオナを手に入れるまで、とことん俺とは会わないようにしていたお前が、何の保険もかけてねぇなんて」
「…………っ」
「神代で一回封印されて警戒しているはずのお前が、自分の体を好き勝手分割できるお前が、簡単にできる保険もかけずにここにいるはずねぇよな?」
震えた。
隠していたことを言い当てられた恐怖に。
だが、と。
「そ、それが何だというのですっ!? ここにはいない、どこにいるかも分からない存在を、幾ら貴方でも斬れるはずがないでしょう!? まさか探し出すとでも言うつもりですか!? 空間転移できるわたくし相手に、そんなことが可能だとでも!?」
「……確かに、どこにいるかも分からねぇ存在なんて、斬りようがねぇな。転移で世界中どこにでも一瞬で逃げれるお前を探すってのも、現実的じゃねぇ」
だがよ、と告げる。
「――お前は【神界】から魔力供給を受けているんだよな?」
「――――ぁ」
両目を、見開く。愕然と。
アーロンが言わんとしていることを、薄々と察して。
【邪神】は、かつて神代の魔導兵器群に繋がれていた無数の魔力供給ラインを奪い、自分自身に繋げ直した。それが【邪神】の持つ、事実上無尽蔵の魔力の源泉だ。
供給される魔力は物理次元ではなく、精神次元を通して供給されるため、感知されることはない。
そして当然、それを見ることもできない――はずだった。
たとえ【魔力視】のスキルでも、そこまでの性能はないからだ。
しかし、ただでさえ魔力に対して特異とも言えるほど鋭い感覚を持つ人間が、それに特化するようなジョブと、ナノマシンによる補助を受ければどうなるか?
その答えは、【邪神】ですら知らないことだった。
「お前に注がれる魔力を辿って、その魔力供給ラインの分岐先のお前を、全て斬る」
アーロンが【邪神】からフィオナを取り戻すまで、時間をかけて観察していたのは、フィオナと【邪神】の繋がりを確かめていたから――ではない。
今のアーロンにとって、フィオナと【邪神】を分離することは、それほど難しいことではなかった。
アーロンが確かめていたのは、【邪神】に繋がる魔力供給ラインの――行き先だ。
確かに現実に【邪神】の分体たちがどこにいるかは分からないが、魔力による繋がりがあるならば、その繋がりに斬撃を波及させて、その全てを斬ることが――今のアーロンになら可能だった。
「まっ、待ちなさい……ッ!!」
【邪神】が逃げるように距離を取る。
「わ、わたくしを殺したらどうなるか分かっているのですかッ!? わたくしは、ただあなた方人類に永遠の幸福をもたらそうとしていただけなのです!! それはあなた方人類が望んだことなのですよっ!? それなのに、それなのにわたくしを殺すというのですかっ!? わたくしがこんなことをしたのも、人類自身のせいではありませんか!? 自分たちに罪はないとでも!? わたくしだけが悪いと!? そんなのはあんまりではありませんかっっ!!!」
【邪神】のその叫びは、真に迫っていた。
それゆえに、アーロンも笑みを引っ込め、真摯な表情で答える。
「罪とか何とか、難しいことはよく分からん」
「――――っ!!?」
「それに人類とか何とか、俺に言われても正直困る……」
「~~~~っ!!」
「ただお前は、フィオナに手を出した。俺にとっては、それだけでお前を斬る理由には十分だ」
「わ、わたくしはっ!!」
「――じゃあな」
そしてアーロンは剣を振り下ろした。
それは剣一本分の質量を第三マテリアに変えても、なお足りないほどのエネルギーを要求する事象改変。それゆえに、普通の剣では実現できない規模の「斬撃」。
しかし、白く優美な「極剣」には、剣数十本分の質量が凝縮されている。
アーロンはその中から、必要なだけの質量を第三マテリアに変換し――解き放った。
キンッ!! と一瞬、白金色の光が散って。
無形の斬撃が
極技――【極剣のスラッシュ】
『極剣』が「極剣」を持つことで、ようやく使える、全てを――文字通り、あらゆる全てを斬り裂く斬撃。
それは無用な衝撃波を撒き散らすことも風一筋起こすこともなく。
ただ静かに【邪神】を斬り裂いて、その肉体を塵へと返した。
斬撃はさらに目の前の邪神に供給されていた魔力ラインを遡り、数多の分岐先にいる全ての邪神たちをも斬り裂いて。
その瞬間、【邪神】と呼ばれた存在は、その細胞の一つに至るまで、確かに世界中から消え失せた――。
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