エピローグ 神々の見守る世界で・1


 神骸都市ネクロニア。


 某一般家庭住居、その一室にて。


「――クリフ! リシア! もう朝よ! いい加減起きてきなさい!」


 台所から漂ってくる朝食の匂いと、姉の声に促されて、少年――クリフは目を覚ました。


「は~い……姉ちゃん、いまいく~……」


 まだまだ眠そうな声で返事をして、クリフはベッドから起き上がる。


 そして隣のベッドまで移動すると、一緒の部屋で眠っていた妹をゆさゆさと揺らして声をかけた。


「ほら、リシア。朝だぞ、姉ちゃんがよんでるぞ」


「う~ん……わかった。おきる……」


 こちらも眠そうな声で返事をして、妹がのっそりとした動作で起き上がった。


「おにぃちゃん、おふぁよ~」


「うん、おはよう」


 艶やかな黒髪に、金色の瞳をした可愛らしい幼女が、あくびをしながら言うのに返事する。妹はクリフの一歳年下で現在6歳。クリフは7歳だった。


 妹のリシアは黒髪だが、一方のクリフは目の覚めるような赤髪だ。しかし瞳の色は妹同様金色で、顔立ちも良く似ていた。


 二人の兄妹は起床すると部屋を出て、パタパタと台所に向かう。


 そこにはエプロンを着け、朝食の準備をしている十代半ばほどの少女がいた。


「アイ姉ちゃん、おはよう!」

「アイお姉ちゃん、おはよ~!」


「クリフ、リシア、おはよう。早く顔を洗ってきなさい。朝食にしましょ」


 アイ姉ちゃん、と呼ばれた少女は、人形のように整った顔に優しげな笑みを浮かべて言った。


 艶やかな銀髪をポニーテールに纏め、ネクロニア市内にある女学院の制服を身につけた少女だ。


 クリフとリシアとは顔立ちが似ていないし、髪色も両親のどちらとも違う。しかし、間違いなく家族であると示すように、その瞳は金色に輝いていた。


「「は~い!」」


 と元気良く返事をして、クリフたちは洗面所へ向かう。


 顔を洗って寝癖を直し、自分たちの部屋に戻って着替えてから再び台所へ向かうと、姉が朝食をダイニングテーブルの上に並べているところだった。


「手伝うよ、アイ姉ちゃん」

「おてつだいする~」

「ふふっ、ありがと。じゃあ、この皿運んでくれる?」

「「は~い!」」


 程なく朝食の準備が整い、三人で食事を開始する。


 そこでようやく気づいたように、クリフはきょろきょろと周囲を見回して聞いた。


「そういえば姉ちゃん」

「なに?」

「パパとママは?」

「パパとママは今日迷宮に行く日だから朝からいないって昨日言ったでしょ?」


 姉が少しばかり呆れた様子で答える。


 クリフはその言葉に、やっと昨日の記憶を思い出して、「そうだった」と頷いた。


「だから今日は姉ちゃんがおりょうりしてたんだ」

「そ」

「このあと、工房までいくんだよね?」

「そうよ。だから早く食べて準備しないと」

「「は~い!」」


 クリフたちの両親はたまに迷宮の深くに潜る。良質な木材を手に入れるためだ。


 いつもは両親と一緒に両親が経営する工房へ行き、隣接する職人寮などで過ごしたり、そこで近所の子供たちと遊んだりして仕事が終わるのを待っているのだが、両親が朝から迷宮に潜っている日は、姉が工房まで送ってくれるのが日常となっていた。


 だが、今日はそんな日常とは少しだけ違うのだと、わくわくしてクリフとリシアは笑う。


 そうして食事を終え、出掛ける準備を諸々終えたところで、三人は家を出た。


 まず向かうのは、姉が通っている「白百合乙女女学院」だ。


 近年開校したばかりだが、すでに両家の子女御用達となっている学校で、制服が可愛いことで有名になっている。


 その女学院へ向かう道中、仲睦まじく並んで歩く三人。


 初夏の日差しに暖かさを覚えて、姉は「そういえば、もうすぐ夏休みねー」と言った。


「夏休み! キャンプの日だね!」

「あのね、あのねお姉ちゃん! リシア今年もみずうみでいっぱいおよぐの!」

「ふふっ、良いわね。じゃあお姉ちゃんと一緒に泳ぎましょ」

「うん!」

「姉ちゃん、今年はとうぞくさんたち来るかな?」

「どうかしら? 去年は結局出て来なかったし、今年もパパとママを恐れて出て来ないんじゃないかしら?」

「そっかー」


 クリフたちの家では、毎年この季節、ネクロニアとイーリアス共和国の間にある湖へ、キャンプへ出掛けるのが恒例になっていた。


 それは魔物蔓延る山間にひっそりと存在する湖で、近くには町も村もない。いるのは魔物と、人目を忍んで山に潜伏するならず者たちくらいだ。


 普通に考えれば家族でキャンプに出向くような場所ではないが、とても綺麗な湖で、夜になると湖面に星空が写し取られたようになって、何とも幻想的な場所なのだ。クリフが母親のお腹の中にいた頃からの恒例行事なのだという。


 特に姉はこの行事が好きで、キャンプの話になるといつも機嫌良く、嬉しそうに笑っている。


 そうして三人で話しながら歩くことしばらく、ネクロニアの大通り沿いに大きな敷地を設けて、デンと建つ「白百合乙女女学院」が見えてきた――ところで、姉が心配そうに言った。


「やっぱり、近いとはいえ心配だから、お姉ちゃんが工房まで送っていくわ」


「だ、だめっ!! 今日はぼくたちだけで行くって、昨日言ったでしょ!?」

「だよーっ!! やくそくはまもらなきゃ、めっ!!」


 姉の言葉にクリフたちは慌てる。


 実は今日、この女学院からという条件付きで、二人だけで工房まで行くという約束をしていたのだ。姉の肩を揉んだり、「さすがアイ姉ちゃんはせかいいちの美少女だなぁ!」とか「リシアもアイ姉ちゃんみたいにかわいくなりたーい!!」などと、必死におべっかを使って勝ち取った成果なのである。


 女学院から工房は近いところに建っていて、数百メートルしか離れていない。だが、幼い弟妹たちだけで街中を歩かせることに、心配性な姉は難色を示した。


 如何にとはいえ、ネクロニアには治安の悪い場所もあるし、心配なのだった。


 それに弟たちが妙に必死なのも気になる。何か企んでいるのはバレバレだった。


 それでも数百メートルくらいなら大丈夫かと、「分かったわ」と頷く。あまり過保護にして弟妹たちの自立心を奪うのは本意ではなかった。


「でも、ぜっっったいに寄り道とかせず、真っ直ぐ工房まで向かうこと! 良いわね!?」

「うんわかった!」

「たー!!」


 そうして姉は白百合乙女女学院の校門前で弟たちと分かれ、しばし、その背を見送った。


 心の中で、神様に弟妹のことを見守ってください、とお願いしながら。


『そういうわけで神様、二人のこと、よろしくお願いします』


『…………神を便利に使いすぎてる。……まあ、良いけど』


 神様もばっちりお願いを承諾してくれたような気がしたところで、ようやく、彼女は校門を潜って学院の中に入っていく。


 自分と同じく登校してきた女学生たちと優雅に挨拶を交わしながら。


「ごきげんよう」

「アイクル生徒会長……!! ごきげんよう!」

「ごきげんよう!」「ごきげんよう!」「お姉さま、ごきげんよう!」

「ええ、皆さん、ごきげんよう」


 そんな彼女――アイクル生徒会長の姿を見つけた女学生たちは、うっとりとした顔で彼女を見つめた。


 ここは白百合の乙女たちの園。


 飛び抜けた美貌を持つ眉目秀麗、文武両道な生徒会長は、乙女たちの憧れの的だった。


 しかしアイクル生徒会長は、その憧れの視線の意味を――まだ知らない……。



 ●◯●



 一方、姉と分かれたクリフたちは、幾らか進んで姉の視線から逃れたところで、脇道に逸れ、通りを一つ移動してから、工房とは反対側――中央区画の方角へ向かって歩いていた。


(約束やぶってごめん、姉ちゃん……!!)


 クリフはさっそく約束を破ってしまったことに罪悪感を覚える。しかし、キッと覚悟を決めた表情で顔を上げた。


(でも、これも家族のへいわのためなんだ……!! だからきっと、姉ちゃんもわかってくれるはず……!!)


 自己防衛のための理論武装もかんぺきだ。


 後顧の憂いなしと、妹と手を繋いでズンズンと進んでいく。


 向かうは――ネクロニア探索者ギルドだ。


 そうしてしばらく。


 子供の足では少々時間がかかりつつも、クリフたちは無事、探索者ギルドに到着した。


 中に入ると朝のピークはもう過ぎたのか、探索者の姿はまばらにあるばかりだった。そんな中を、クリフたちは顔見知りのお姉さんが座っているカウンターまで、迷いなく進んでいく。


「「お姉さん、こんにちわー!!」」

「あら、クリフ君にリシアちゃん、こんにちは。今日はどうしたの? パパとママは?」


 不思議そうに問う受付のお姉さんに、クリフは元気良く答える。


「パパとママは迷宮でおしごと中です! 今日はリオンおじさんに用事があってきました! おじさんいますか?」

「ギルド長? ええ、いるけど……ちょっと待っててね」


 と、受付を離れて階段を上り、どこかへ行くお姉さん。


 しばらく待っていると、お姉さんは片目に眼帯を着けた強面のおじさん――リオンおじさんを伴って戻ってきた。


 リオンおじさんはどこか呆れた様子で二人を見る。


「おいおい、お前ら、もしかして二人だけで来たのか?」

「「うん!」」

「うんって、あのな……」

「あのね、おじさんに相談したいことがあるの!」

「相談したいこと?」

「うん……」


 と、そこでクリフとリシアは深刻そうな表情を浮かべ、驚愕の言葉を放つ。


「じつは……パパとママがりこんの危機かもしれないんだ!!」

「だー!!」



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