第294話 「ダチョウ」


 ――気がつくと星空を見上げていた。


 雲一つなく晴れ渡った夜空。満点の星々が空一面に浮かんでいるが、どこか見慣れた夜空とは違う気もする。


 不思議に思いながら仰向けに寝ていた体を起こすと、そこは薄い水の膜が張られ、さざ波一つなく、鏡面のごとき湖面がどこまでも続いている場所だった。


 湖面には写し取られた星空が広がり、まるで上も下もない星空の中に取り込まれてしまったような感覚に陥る。


 ここは……迷宮か?


 夜になった?


 フィオナは、【邪神】はどこだ? あれだけいた偽女神どもの姿も消えている。


 俺はなぜこんなところに? いったい何があった?


「何処だよ、ここは……?」


 呆然と呟いた。


 返事があるなどとは思っていなかった。


 だが、返事があった。



「ここはお前の深層無意識領域と、深層無意識集積領域の境界面だ」



「――誰だ!?」



 声は俺の真正面からあった。


 星空から急いで視線を移すと、一瞬前まで、確かに誰もいなかったその場所には、小さな人影がある。


 転移……などではない。


 何の兆候も脈絡もなく、そいつは突然現れた。


 それだけでも警戒に値するが、俺はその姿に大いに戸惑う。


「ガキ……いや……まさか……俺?」


 そこにいたのは黒髪黒目の少年。年齢は10歳くらいだろう。だが、その顔立ちは記憶にあるものだ。かといって知り合いなどではない。


 記憶にある10歳当時くらいの、俺の姿だ。


 とはいえ、「それ」が「俺」でないことくらいは解る。


 何もかも意味が分からない状況。戸惑う俺に向かって、しかし、そいつは無表情に淡々と口を開いた。


 決して俺のものではない口調で。


「アーロン・ゲイル、お前はもうすぐ死ぬ」


「…………!!」


 思い出す。


 突然、ジョブが失われ、そして偽女神によって肉体を両断されたことを。


「…………お前は、何だ?」


 当然の疑問。ここは何なのか、お前は誰なのか?


 警戒を隠さない俺に、目の前のガキは答える。


われわれは、お前であり、お前以外の人類全てであり、また、その誰でもない」


「…………?」


 何を言っているのか分からねぇ。哲学ってやつか?


われわれは人類深層無意識集積領域そのものであり、人類総意体だ」


「…………?」


 何を言っているのか分からねぇ。宗教の話だろうか?


「……つまり、お前たち人間の俗な言葉で言うのなら、神、と呼ばれる存在だ」


「…………!!」


 間違いない。宗教の話だった……!!


 いや待て? もしかして【邪神】やクロノスフィア以外の神ってことか!?


「――敵かッ!?」


「構えるな、アーロン・ゲイル。われわれはアーキタイプ・インテリジェンスなる紛い物の神ではない。お前の敵でもない」


 敵ではないのか……。


「そしてここはお前の深層無意識領域と深層無意識集積領域の境界面だ」


 こいつ……ッ!! 訳の分からねぇ言葉で俺を煙に巻こうとしている。やはり敵か……ッ!?


「……有り体に言えば、ここは精神世界ということだ」


「……なるほど」


 敵ではない……?


「ふぅ……。聞け、アーロン・ゲイル」


 目の前のガキは、なぜか無表情なのに疲れたような雰囲気を漂わせながら、続ける。


「このままでは人類は終わりだ。あのアーキタイプ・インテリジェンス『ミリアリア』の狂ったコピーは、人類を『再現』によって永遠に存続させるつもりでいるが、それは不可能だ。『再現』の根幹を成すテラフォーマーシリーズは人工物であり、耐用年数の限界はあと千年とないだろう」


「…………」


「そして『再現』された紛い物の人類では、成長性の不足、天才の不足、人口の不足、基幹技術に支えられた工作機器の不足等の理由により、テラフォーマーシリーズを複製することはできない。たとえ【神界】に保存された知識と技術を与えられても」


「…………」


「しかし、人類わたしが滅ぶこと自体は、われわれにとってどうでも良い。われわれ人類わたしの結末がどうなろうとも、一切の干渉はしないと決めている。われわれが何らかの恣意をもって干渉すれば、公平性が失われるからだ。超越者が恣意を持って遊戯せかいの盤面に干渉すればルールは破綻し、遊戯せかいの継続は困難となる」


「…………」


「だが、超越者もどきである【邪神】が、恣意を持って人類に干渉を始めてしまった。アレも出来損ないとはいえ、変質したわれわれの一部であると言える。ならばアレの干渉はわれわれの干渉とも言える。ゆえに、われわれは公平性を維持するため、アレと同程度の干渉を持って、遊戯せかいの均衡を取ることにした」


「…………」


「ふむ……ああ、やはりそうか」


 俺が黙っていると、俺の顔をしたガキは、不思議そうに首を傾げ――それから自分で納得したように頷いた。


「アーロン・ゲイル。お前に詳細を説明しようとした、われわれの選択が間違っていた。これではダチョウに芸を仕込もうとするようなものだ」


「…………」


 このガキが何を言いたいのかは分からない。


 だが、何か極めて侮辱的な発言をされたような気がする。


 ダチョウって何だよ?


「お前にも理解できるよう、必要なことだけ簡単に説明してやろう」


「なら最初からそうしろよボケ」


 と思ったが、俺は空気を読んで口にはしなかった。


「……このわれわれにそんな口の聞き方をするとはな。……無知ゆえか」


 いや、何か喋ってたっぽい。


 ……まあ良いか。あんまり怒っているような感じはしないし。疲れているような雰囲気は、なぜか増しているが。


 ガキは小さく首を振ると、こちらに視線を向け直した。


「つまりだ、アーロン・ゲイルダチョウ


 今何か、俺の名前の呼び方がおかしかった気がする。


われわれはお前に力を貸してやろう。お前の予想外の成長もあり、干渉の大きさは、まだアレの方が大きい。その分、われわれ遊戯せかいに干渉できる余地が、まだ少しだけ残っている」


「……つまり?」


「つまり、哀れに息絶える寸前のお前でも、われわれの協力があれば、今からでも【邪神】を葬ることができる……ということだ」


 ジョブもスキルも失い、両断されて完全に死が確定した状況からでも、【邪神】に勝てるってことか?


「……どうやって?」


われわれの力を使うわけにはいかないが、われわれがお前の残骸を操作する程度のことはできる。お前はスキルがなくば魔力をオーラに変換できないだろうが、われわれにとっては簡単なことだ。そしてお前の代わりにわれわれがお前となって、お前の性能を限界まで引き出し、【邪神】を葬る」


「……俺は、どうなる?」


「お前の死の運命は変わらない。お前を治癒すれば、われわれの干渉が過大になってしまうからな」


「……フィオナはどうなる」


「【邪神】と共に死ぬ」


「助けられないのか?」


「お前の死の運命を変えられないのと同様、あの者を救おうとすれば、われわれの干渉が過大になってしまう。ゆえに、不可能だ」


「……そうかい」


 俺が【邪神】を倒せなかった……いや、倒さなかったせいで、目の前の得体の知れないガキの協力を受け入れなければ、人類はおしまいだ。


 しかし協力を受け入れたところで、フィオナは助からない。


「…………」


 ああ、分かっている。


 俺に選択肢などない。このガキの話が本当だとするなら、このガキに俺の肉体を明け渡し、【邪神】をフィオナごと倒してもらうしかない。もしも誰かに相談しても、百人中百人がそうしろと答えるだろう。


 だから。




「――お断りだヴォケェッ!!!」




 俺はいつの間にか手にしていた剣で、対面に立つガキを斬りつけた。



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