第293話 「ジョブの喪失」
「クソがぁ……ッ!!」
三百体近い偽女神どもと五体のカインたちがアーロンを囲む。
すぐ近くには白い繭のようになった【邪神】がいるが、アーロンは悪態を吐き捨て、そちらは放置するしかなかった。
右手の「黒白」を「黒耀」に入れ換え、キンッ! と、白金色の剣に変化させる。
カインたちが一斉に【滅龍閃】を放つよりも先に、剣を振って無形の斬撃を放った。
その場にいた全てのカインたちと、ついでのように数十体の偽女神どもを消し飛ばす。
しかしアーロンは斬撃の結果を見届けることなく、すぐさま跳躍すると「黒白」を取り出し、【瞬光迅】で宙を飛翔し、偽女神の大群へ向かって突っ込んだ。
「クソがぁああああああああああああああああッッ!!!」
「「「――――!!!」」」
叫びながら剣を振るう。
漆黒の斬撃が乱れ飛び、あるいは黒い雷が無秩序に迸る。その度に偽女神どもが消し飛んでいく。
魔力の残量など気にしない。技の一つ一つに込められるだけのオーラを込めて暴れ狂う。だからこそ、決して雑魚ではない偽女神たちが有象無象のように消し飛んでいく。
それは八つ当たりだった。
雄叫びのように口を飛び出す悪態は、【邪神】どもに対するものなどではない。自分に対する苛立ちと不甲斐なさが原因だ。
――もう分かっていた。
【邪神】の言った通りだ。
自分にフィオナは殺せない。だからこそ、【邪神】がフィオナと融合してしまった時点で、自分には何も打つ手がないということを。
すなわち――己の敗北が決定的になったということを。
それでも簡単に敗北を受け入れられるはずがない。
ようやく前向きに生きようとした矢先に、フィオナを【邪神】に奪われたまま死ぬことなど、受け入れられるはずがない。
だから。
「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」
暴れ回る。
偽女神どもを消し飛ばし、カインたちが氷の下からリポップする度に「黒耀」で無形の斬撃を放って無力化し、圧倒的多数を相手に単騎で蹂躙する。
強い。
間違いなく自分は強いと確信する。
【神骸】を取り戻し、フィオナの肉体を奪った【邪神】を前にしても、戦えば――戦えるならば、負ける気はしていなかったのだ。
それでも。
フィオナは救えない。
【邪神】は倒せない。
剣を振るい、宙を高速で飛び回りながらも必死に考えている。だが、どう考えてもフィオナの死を前提にしなければ、勝利への道筋が見えない。
ゆえに。
今の自分にできることは、可能性にかけてルシアがこの場に到着するのを待つこと。それまで時間稼ぎをすることだけだ。
そして――数分。
いったい何百体の偽女神どもを屠っただろうか。
また新たに一体の偽女神に剣を叩き込もうとした寸前。
「――――っ!?」
遂に、その時は来た。
一瞬にして全身から根こそぎ力が奪われたような、激しい虚脱感がアーロンを襲う。
全身が分厚い皮膜で覆われたみたいに、全ての感覚が鈍くなる。
刹那の時の中で、左手の甲を確認したアーロンは、そこから【限界印】が消えていくのを目撃した。
――ジョブの喪失だ。
それまで息をするように出来ていたオーラの制御が、狂う。
魔力から、新たにオーラを生み出すことができなくなる。
――消える。
剣に纏わせていたオーラが、全身に巡らせていたオーラが、空気に溶けるようにして霧散していく。
(力が入らねぇ……!!)
ジョブの補正もスキルもない状態。
『初級剣士』の補正に過ぎないとはいえ、それがないだけでこんなにも心細く感じることに驚いて。
「――――」
その瞬間、自身の体の中を、冷たい何かが通りすぎたのを感じた。
左の肩口から斜めに心臓を通り、右の肋骨下端を抜けて袈裟懸けに。
痛みというよりは衝撃を感じた。何が起きたのか理解できなかった。
気がつくと、眼前で宙に浮いていた偽女神が、いつの間にか剣刃に変えた右手を振り抜いているのが見えた。
何ということはない。
ジョブの補正を失ったことで、それまで何とか視認できていた偽女神の動きを、目で追うことすらできなくなっただけのこと。
そして――胴体を斜めに両断されただけのこと。
「――――」
宙を飛翔する力を失って、アーロンは一瞬の停滞から落下へ転じる。
急速に落ちていく視界の中、自身の体が二つに分かれ、その断面から溢れた大量の鮮血が宙を舞っているのが見えた。
まだ、痛みはない。
痛みを感じないから、妙に現実感のない光景に思えた。
それからすぐ、全身に大きな衝撃が走り、落下が終わる。それでもなお、痛みを感じない。
ただ、全身から急速に何かが抜け出し、意識が遠退いていくのを感じた。
もうあと数秒で意識を失い、死ぬのだという確信と実感。
強烈に、死にたくない、と思った。
(まだ、俺は、フィオナを……!!)
手放さなかった右手の剣を、その柄を強く握る。
魔力を剣に注いで、いつものようにオーラへ変えようとした。
何十万、何百万、あるいはそれ以上の回数使い続けた唯一のスキル――【スラッシュ】
決してアーロンを裏切ることのなかったスキルは、この時初めて、アーロンを裏切った。
魔力は虚しく剣を通りすぎ、何の力に変換されることもなく無意味に消えていく。
「フィオ……」
そして――すぐに、仮初めの空を見上げるアーロンの瞳から、光が消えた。
●◯●
バックドアを利用した【神界】への接続とシステムの掌握は、実にスムーズに終わった。
主観的時間において数時間、実時間においては数分で、【邪神】は全てのシステムの管理者権限を掌握する。
【神界】に存在するオリジナルのアーキタイプ・インテリジェンスどもも、人類からの要請なくば、【邪神】の行動を妨げることはできない。
ゆえに、誰にも邪魔されることなく、全ての作業を終えて――、
(今、全人類のジョブを停止するわけには、さすがにいきませんね。いきなり力を失えば、魔物などに殺されてしまう者も多いでしょうし)
【邪神】はジョブ・システムを操作する。
(停止させるのは、現在、テラフォーマー007の異空間内部に存在する人間に限定しましょう。幸い、対象の
現在、迷宮内部にいる全ての人間たちのジョブを選択し――停止させた。
そして、自らを覆っていた翼を開き、広げる。
そこではちょうど、偽女神たちとアーロンの戦闘に決着がついたところだった。
肉体を文字通り両断されたアーロンが鮮血を撒き散らしながら氷の上に落下する。
一切のスキルを失った現在、これ以上ないというほどの致命傷だ。もはや助かる可能性などない。
「うふふ」
自分を殺し得る脅威の排除が滞りなく終わったことに、【邪神】は気分良く笑い、氷の上に着地して、力なく転がったアーロンのもとへ近づいていく。
「あらあら。アーロン、もう終わりですか? わたくしなら、ここにおりますよ? 倒さなくて良いのですか?」
空を見上げるアーロンを見下ろし、その近くで無防備に己の身を晒す。
しかし、アーロンは動かない。喋らない。
その瞳は揺れることもなく虚空の一点を見つめるように停止し、だが、瞳孔は焦点を結ぶことなく開き切っている。
見れば心臓ごと胴体を両断されているようだ。
意識もなく、完全に死んでいる。
「ああ……!! これで……!! これでわたくしの邪魔をする者は、いえ、わたくしの邪魔をできる者はいなくなったのですね!!」
【邪神】は「己を害する存在」という恐怖から完全に解放され、歓喜の声をあげた。
しかし、喜びの表情に反して、その両目からは涙が溢れる。
心が壊れるような悲しみが胸中を満たしたが、【邪神】はその感情を他人事のように受け止めた。
当然のこと、それは他人事だからだ。
一方、感情の主には子供をあやすように、優しく声をかける。
「安心してくださいな、フィオナ。この者とて、わたくしの愛する人の子であることに違いはありません。後できちんと頭部を回収し、記憶と人格も完全に同じ状態で『再現』して差し上げます。ジョブがなければ、アーロンもわたくしの脅威にはなりませんからね」
だが、悲しみも涙も止まらない。
【邪神】は理由が分からないというように、困ったように言葉を続ける。
「フィオナ、貴女も『再現』して差し上げますから、アーロンと一緒に暮らせば良いではないですか? 今の貴女がいなくなるわけではありませんが、もう一人の貴女はアーロンと一緒に、望むならば永遠に暮らすことができるのですよ?」
悲しみと涙は止まらない。
「あらあら、困りましたね。……そうだ! ならばこういたしましょう。この子が産まれたら、三人で一緒に暮らせば良いですわ。それならば、さらに寂しくないでしょう?」
悲しみと涙は止まらない。
しかし、そこに戸惑いと驚きの感情が加わった。
だが、フィオナが泣き止まないことに【邪神】は困ったように頬に手を当て、首を傾げる。むしろ感情の激しさは一層強まったようにさえ思える。
【邪神】はフィオナを落ち着かせることは、自分には不可能だと判断した。
「まあ、良いです。いずれ泣き止むでしょう。それよりも……どうやらクロノスフィアは消滅してしまったようですね。ならば、もはや脅威ではありませんが、あちらの者たちもきちんと片付けておきませんと。……万が一があっては大変ですからね」
と、【邪神】はアーロンの死体に背を向け、一歩、二歩と歩き出し、転移を発動するために魔力を遥か遠くへ照射した。そして――。
――――キンッ!!
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