第295話 「斬る」


 ジョブもスキルも失った俺の一撃は、ガキの体を浅く斬り裂くだけに終わった。


 それでも斬られたガキは一歩、二歩と後ろに下がり――だが、倒れる寸前で踏み留まる。


 苦痛など微塵も感じていないような無表情で、口を開いた。


「……愚かな。どうせこのままではどちらも助からん。加えて人類も滅ぶのだぞ? ならば取るべき選択肢は一つしかないはずだ」


「うるせぇッ!! 人類とか知ったことかボケッ!!」


 そもそも俺は人類の存続とかいう大層なもののために戦っていたつもりはない。


 ただ、【邪神】に狙われるフィオナを救うために戦っていただけだ。


 そしてフィオナを救えないなら、このガキの提案に価値などない。


「お前は……自らが犠牲になっても人類を救おうという気はないのか?」


「ねぇな、そんなもんは!」


 少し前までの俺なら、おそらくガキの提案を受け入れていただろう。だが、今はもう、そんなつもりは毛頭ない。


「なぜだ……? フィオナがいるからか?」


「おう、良く分かってんじゃねぇか。こちとら新婚なんでな! 俺も死なねぇしフィオナも助ける! それ以外の選択肢はいらねぇんだよ!!」


「……理解していないのか? どの道、お前はもう死ぬ。ジョブもなく、スキルも使えず、体も両断されて、それでどうするつもりだ? お前に何ができる? まさか、ここから【邪神】に勝てるとでも思っているのか?」


「――勝てるさ」


 俺は断言した。


 ガキの無表情が初めて崩れる。奴は目を丸くしてこちらを見ていた。


 俺は剣をもう一度構える。


 そして魔力を流した。剣に。


「無駄だ」


「いいや、無駄じゃねぇ」


 ジョブもスキルも失われた。だが、魔力は残っているし、魔力を操作することもできる。


 冷静になってみて解った。


 あの時、ジョブが失われた時、もしも俺が冷静なら、【怪力乱神】のオーラが霧散することはなかったはずだ。あれはジョブ喪失による感覚の急激な変化と強い動揺により、オーラの制御を手放してしまったから起きたに過ぎない。


 すなわち、ジョブやスキルがなくとも、魔力と同じように、オーラも制御することはできるのだ。


 その能力だけはジョブもスキルも関係なく、ただ俺だけのものだ。


 スキルがないから新たにオーラを生み出すことはできないだけで。


 ジョブがないから身体能力が大幅に低下するだけで。


 だが――それだけならば、まだ戦える。


 魔力をオーラに変換することさえできれば。


「お前は言ったな?」


 俺はガキに確認する。


「お前自身の力は使えないが、俺の体を操って、その性能を引き出せば【邪神】に勝てると」


「……それは魔力をオーラに変換できればの話だ」


「そうだ。だが……魔力をオーラに変換するのは、じゃない」


 よく分からんが、たぶんこいつの力なら、【邪神】ごとき簡単に消し去ることができるんだろう。だが、こいつ自身の力を使うのは問題がある。


 だから、俺の体を操作して、俺が扱える力や技術の範囲内で、【邪神】を倒すつもりなのだ。


 さっきぐだぐだと小難しく説明していたのは、つまりそういうことのはずだ。


 ならば。


「俺でも魔力をオーラに変換できるはずだ」


 そもそも、最初はジョブやスキルなんてなかったはずだ。


 ジョブやスキルなんてのは、一部の天才の技能をダウングレードして汎用化したもののはずだ。


 だったら、ジョブやスキルに頼らなくても、魔力はオーラに変換できるはずだ。


「勘違いをしているな。確かにそれは可能だが、かつてそれをした者たちには、ブレイン・サポート・デバイスの補助があった。お前にはない」


「だからどうした。俺ならできる」


 迷わなかった。


 こいつはフィオナごと【邪神】を殺すつもりだ。なら、こいつに俺の体を預けるわけにはいかない。


 魔力をオーラに変換する。


 無理でも何でも、やるしかない。


 魔力を剣に注ぎ込みながら、俺は意識を集中した。


 思い出せ、いつものあの感覚を。【スラッシュ】が起動し、魔力がオーラに変換されるあの感覚を。


 俺は魔法なんて使ったことはない。だが、魔力がどういうものかは理解している。ルシアの言った「事象改変エネルギー」とか何とか、そういう小難しい話じゃない。


 魔力を操作するのに、何が必要となるのかを――だ。



 ――斬る。



 込める。


 魔力に意思を。


 魔力もオーラも操作するのに必要なのは、鮮明なイメージと、何より強い意思だ。それを操り、制御するという意思。自身の手足のように操れるという、強い確信。


 思うに、魔法とは、その延長線上のものに過ぎない。


 術式なんて言うのは、全て、その補助に過ぎない。


 魔法もスキルも、核心的な部分には「そう在れ」という強い意思があるだけだ。


 ただただ信じて、俺は魔力に「斬る」という、ただそれだけの意思を込め続けた。


 魔力に変化はない。


 ――斬る。


 魔力に変化はない。


 ――斬る。


 魔力に変化はない。


 ――斬る。


 魔力に変化はな――



「――はぁ」



 と、ガキが小さく、ため息を吐いた。


 そして次の瞬間、その体が形を失う。一瞬にして透明な水と化したかと思うと、足元の湖面に落下し、他の水と混ざって消えた。


 俺の説得を諦めたのか?


 そう思った瞬間、しかし、ガキが立っていたその場所に、不自然な波紋が生まれ始める。


 同心円状に幾つも生まれる波紋。


 その円の中心から、浮き上がるようにして、そいつは姿を現した。


「如何にここが物理次元と時の流れが違うと言えども、停止しているわけではない。あまり時間をかければ、お前は完全に死ぬ」


 声。ただし、声変わりも前の少年のものではない。


 少女。15歳くらいの。


われわれも無駄に消滅したいわけではないのだ。多少痛めつけることになっても、お前の首を縦に振らせてもらおう」


 長く艶やかな黒髪をポニーテールにして、いつも勝気な光を浮かべていた黒瞳が、冷たくこちらを射貫く。


 ――アリシア・ゲイル。


 そこにいたのは、死んだはずの俺の姉ちゃんの姿をした存在だった。


「姉、ちゃん……」


 思わず声が掠れる。


 こうして目の前にしているのが恐い。それはかつて、あの日、姉を置いて一人で逃げてしまったことの罪悪感だろうか? 姿は姉でも中身は違うと分かっているはずなのに、それでもかつての罪を糾弾されるかもしれないと思うと、恐怖で身がすくんだ。


 冷たい光を宿す両目が、ぱちりと一つ、瞬きをして。


「――――!?」


「アーロン、姉ちゃんの言うことを聞きなさいッ!!」


 いきなり雰囲気の変わった偽姉が、オーラを宿した剣を振り上げ、一息で間合いを詰めてきた。


 大上段から振り下ろされる一撃を、何とか剣で受ける。


 だが、そうして動きが止まった瞬間、腹に衝撃。偽姉が繰り出した前蹴りを受けて、俺は数メートルも吹き飛び、転がる。


「ぐっ……ごほッ!!」


 現実じゃないはずなのに、痛みだけは現実相応のそれに歯を食いしばって耐えながら、俺は立ち上がった。


 そんな俺を、偽姉は傲然と見下ろし、言う。


「――姉属性の一撃。弟属性を持つ者は確定クリティカルと恐怖のバッドステータスを負うわ」


「――――ッ!!」


 この訳の分からない言動、まるで本物の姉ちゃんだ。


 だが、蹴りの衝撃と痛みで震えと硬直は幾らか解けた。


 そして理解する。


 この恐怖は、姉の顔をした存在から糾弾されるという恐怖なんかじゃない。


 それはもっと、原始的なものだ。


 すなわち――、


「アーロン、後は姉ちゃんに任せるって、言いなさい」


「……い、嫌だね……ッ!!」


 震えた声で言い返した。


 途端、偽姉は怒りの表情を浮かべ、「アァアアアアロォオオオオン……?」と、脅すように低い声で名前を呼ぶ。


「アンタ、姉に勝てる弟なんて存在しないって、まだ理解してないようね……? 私の教育が、足りなかったのかしら……?」


 ゆっくりとこちらに近づいてくる姉の姿に、確信する。


 この恐怖は、罪悪感からのものじゃない。


 幼い頃から俺の体と心に刻まれてきた暴虐の記憶。トラウマが、俺の体を震わせるのだ。


 だが。


 だが。


 だが――ッ!!


「良い歳した大人になって姉が恐いなんて言ってられるかぁッ!! だいたいてめぇみたいな偽物を恐がるほど、俺はぶげらぁああああああッ!!?」


 頬に衝撃。


【ダッシュ・ステップ】で急速に接近した姉の拳が俺の頬を抉る!


 俺は吹き飛び、湖面を転がった。しかし、それでも痛みに耐えて立ち上がる。


「ま、まだだ……ッ!! この程度じゃ、俺は……!!」


「ふぅ……まったく、弟のくせに生意気ね。……良いわ。姉ちゃんがもう一度……躾けてあげるッ!!」


 直後、偽姉が勢い良く接近。オーラを纏った剣を何度も鋭く振るう!


 俺はそれを剣で受け、あるいは必死にいなしながら、反撃の機会を窺った。


「ほらほらほらぁッ!! 守ってばかりじゃ姉ちゃんには一生勝てないわよッ!!」


「ぐッ!! チィッ!! ……偽物が、勝手なことばかり抜かすんじゃッ、ねぇッ!!」


 偽姉はこちらを追い詰めるように、わざと大振りの斬撃を繰り返す。


 オーラを使っているということは、偽姉にはスキルがある。そしてその動きからも、ジョブの補正が掛かっているのは確実だ。それでも俺が何とか防御できているのは、偽姉が手加減して遊んでいるからだ。


 しかし、いつまでも防御していても、勝てないことは分かっていた。


 そして――偽姉に勝つことが俺の目的ではないということも、理解している。


 ならば何をするべきか?


 ここは現実じゃない。


 俺を打ち据える剣の衝撃や殴られた頬の痛みは現実と見紛うほど鮮明だが、それでも現実じゃないはずだ。


 つまり、剣で斬られたところで死にはしない。


 だったら――!!


「――ここだッ!!」


「バカねッ!! 隙だらけよッ!!」


 被弾を覚悟で偽姉の剣撃を弾き上げた。


 そのまま流れるように、俺は大上段に剣を振り上げる。


 だが、ジョブの補正の掛かった偽姉の身体能力は、俺が剣を振り下ろすよりもずっと速く動くことを可能としていた。


 弾かれた剣を瞬時に引き戻し、その剣先を突き出す。


 避けようとすれば、急所を外すくらいはできたかもしれない。


 だが、俺は敢えて避けなかった。


 偽姉の剣が胸の中央を貫き、背中から飛び出す。


「――――!!」


 偽姉が驚いたように両目を見開いた。


 俺は激痛に耐えながら、胸を貫く剣に意識を集中する。剣に纏われたオーラを感じ取る。


 ……姉弟だからか?


 そのオーラは普段俺が使っているオーラと、ほとんど同質のものに思えた。もしも今、俺のオーラで偽姉のオーラに触れても、反発せず融合するかもしれないほどに。


「――――そうか。そうだったな」


 瞬間。


 忘れていた呼吸の仕方を思い出したように、俺はそれを思い出す。


 スキルという機能で自動化され、意識することはなかったと言えど、俺はそれを、今までに数えきれないほどに繰り返してきたのだ。



 ――――斬る。



 剣に注いだ魔力という燃料に、意思をもって点火する。


 直後。



 ――――キンッ!!



 と。


 剣を打ち合わせたような涼やかな音が鳴り響いて、無色透明だった魔力が、薄青色の光に色づいた。


「――ごめん。ありがとう、姉ちゃん」


 驚いたままの偽姉に告げて。


 俺は剣を振り下ろした。



 ――――【スラッシュ】



 そして、偽りの世界が壊れた。



 ●◯●



 全天に広がる星空が、その下の湖面に写し取られ、星空のただ中にいるかのような世界。


 本来「形」など存在しない、ただ一人のために構築されていた偽りの世界に、無数の亀裂が走り、砕け、散っていく。


 その中心で、少女は崩壊していく星空を見上げていた。


 ついさっきまで戦っていた男は、剣を振り下ろしたその瞬間に、この世界から消えた。


 いや、戻ったというべきか。


 少女は現実世界に戻っていった男へと、あたかも視線を向けるかのように空の一点を見つめ、優しく微笑む。


「……ったく、図体ばっかりデカくなっても、世話が焼けるんだから。……頑張りなさいよ、アーロン」


 少女の足元に、波紋が広がる。


 水の中に沈んでいくかのように、ゆっくりと少女は深層無意識集積領域へと、還っていく。


 完全に消える寸前、少女は湖面に立つ誰かに視線を向けた。


「ありがとね、神様。弟に、会わせてくれて」


 そして少女は、完全に溶けて、そして消えた。



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