第289話 「何一つ、矛盾しない」
人類を滅ぼすと決めた。
そのために【邪神】を解き放つと決めた。
ゆえに封じられた【神骸】を棺から取り出すための【封鍵】の複製をノアに任せた。
だが一方で、クロノスフィアは【神骸】を利用して【神界】への接続を取り戻せるかもしれない【神殿】という超大型魔道具の開発も、平行して進めていた。
もしも純粋に、人類を滅ぼすことだけが目的ならば、そんな物を作る必要はない。
いや、作るとしても、それは秘密結社クロノスフィアの構成員たちを、ノアたちを欺くためのカモフラージュだ。
【封鍵】だけを複製すると言ったら、誰も協力してはくれなかっただろうから。
そうして封印を維持するための研究と、封印を解くための研究が、数年に渡って続けられていた。
そんなある日、前々回のスタンピードにて、解放に成功した【邪神】の右腕を利用して、クロノスフィアに【邪神細胞】が移植される。
移植された細胞はジルバの肉体に適合し、クロノスフィアに『見えざる御手』という、未来観測の異能を発現させることになった。
それにより、クロノスフィアは「視た」。
未来を。
(神よ、なぜこんなものを今さら、私に視せるのですか?)
そして――クロノスフィアは途方に暮れた。
観測し得た未来により、新たなる選択肢が生まれてしまう。
「その未来」へ至る可能性は、極めて小さい。にも拘わらず、まるで人智を超えた何者かの干渉があったみたいに、初めて異能を発動したクロノスフィアの脳裡に、その光景は浮かび上がった。
決してあり得ないと思っていた未来が。
クロノスフィアは迷っていた。
人類を滅ぼしたいと願うのは、まったくの本心だ。
人間などという醜い塵屑どもは、一刻も早く絶滅すべきだと思っている。
しかし、滅ぼすべきではないと思う自分も、確かに存在した。
数千年だ。
数千年もの永き間、クロノスフィアは、彼の「子供たち」は、人類を迷宮に封じた災禍から守ってきたのだ。その果てしない努力を、自分の手で壊してしまうことに、躊躇いがないはずがなかった。
それに人類を滅ぼすとなれば、彼の愛しい「子供たち」も死んでしまうのだ。
自分の憎悪に、「子供たち」を巻き添えにすることには強い躊躇いがあった。
クロノスフィアは、人類を滅ぼすべきか、それとも踏み止まるべきか、迷っていたのだ。
だからこそ、カモフラージュだけが理由ではなく、【神殿】の開発も続けていたし、【神殿】を建造することになる地下の座標を、クロエに記録させてもいた。
座標をクロエに記録させたのは、クロエを襲った悲劇が、自分の背を後押ししたからだ。
だからこそ、最後の最後で自分を引き留める可能性を、その選択肢を、クロエに託した。
もしも。
もしもクロエが自分を止めたなら、その時は自らの憎悪を飲み込んで、諦めようと。
【神殿】を用いて自らの延命を試してみるも、あるいは人類の発展にかけてこのまま封印を維持してみるも、全ての選択をクロエに委ねてみようと思った。
人間たちの悪意の被害者となったクロエには、その資格があると。
だから【神殿】の座標をクロエに与え、クロノスフィアの計画に反対するジルバとしての言葉と共に、計画を強制的に中断させ得る選択肢を与えた。
だが、前々回のスタンピード後、『見えざる御手』により未来を視てしまったクロノスフィアは、第三の選択肢を手に入れてしまった。
クロエに【神殿】の座標を記録させたことすら、その未来には組み込まれていた。
自分や【邪神】のような紛い物ではない、本当の意味での超越者が、見えざる御手で調整したかのように。
クロエ、ローガン、アイクル、ルシア、フィオナ、アーロン。
必要な全ての駒が、手元に揃ってしまっていた。
一度、奴を逃がしてしまえば、恐らく二度目のチャンスはない。そして奴が逃げようとすれば、恐らく止められない。奴は今も【世界断絶】を警戒している。【封神殿】によってその機能を行使するより先に、きっと奴は転移で逃げるだろう。
だからある程度、奴の望みに添う必要がある。奴が逃走という選択を選ばないように。
――たとえば、奴が喉から手が出るほど欲しがっていた存在を、差し出すくらいのことは、しなくてはならないだろう。
今よりも遥かに高度な文明と技術を誇った、神代の人間たちでさえ滅ぼし切れなかった存在。
それを真に滅ぼし得る極みの剣を完成に至らせるためには、敵にとっての好機と、英雄にとっての試練が必要だった。
だがそれは、神代以上の危機的状況に晒される選択でもある。
失敗する可能性の方が高く、そして失敗してしまえば、「子供たち」含めて全ての人類は死に、後には劣悪なコピー人形だけが空虚な繁栄を謳歌することになるだろう。
それでも。
クロノスフィアが視せられた未来は、自分の望みも、「子供たち」の望みも、叶えてくれるものに思えてならなかった。
だからあとは、自分の選択次第だった。
クロノスフィアは選択した。
失敗するなら失敗しても、ただ人類が望み通りに絶滅するだけだ。だからこそ、クロノスフィアは選択できた。
世界を滅ぼしたいと思うことも、
世界を救いたいと思うことも、
もう死んで楽になりたいと思うことも、
クロノスフィアにとっては何一つ、矛盾しないのだから。
――彼は、やり遂げた。
彼の異能『見えざる御手』が告げる。
今この瞬間、別の場所で、邪なる女神は本懐を遂げ、英雄には最後の試練が与えられる。
ゆえに、最後の条件は整った。
ここから先、クロノスフィアが望んだ未来が成るかどうかは、もはや彼自身にも分からない。
そして、自身が何を想い、何を選択し、何を成したのか――クロノスフィアは、誰にも告げる気はなかった。
●◯●
「――ぬぅうおおおおおおおおおッ!!」
「「「ッ!?」」」
「クロノスフィア様!?」
「クロエ! 止せ!」
心臓を【黒の封剣】で貫かれ拘束されたクロノスフィアは、ほんの短い間に自らの「人生」を振り返って――それから雄叫びを上げて全身に力を込めた。
それに警戒したように構えを取るルシアたち。
一人、クロエだけはクロノスフィアを止めようと近づこうとしたが、エイルによって肩を抑えられ、その動きを止められる。
一方、今もクロノスフィアを拘束しているローガンは、「黒月」に更なるオーラを込めつつ、問う。
「この状況で、まだやるつもりかっ!?」
観念したのかと思ったのは、間違いだったのか。
クロノスフィアは嘲笑うような表情をして、答えた。
「やるつもりも何も……!! もう遊びは終わりだということだ……!! この拘束を解いたら、一人残らず殺してやる……ッ!!」
「むっ、まさか……!?」
ローガンの想像を肯定するように、クロエが叫ぶ。
「なぜですかクロノスフィア様っ!? 貴方が死ぬ必要はないはずです!!」
もしもクロノスフィアが、クロエの言うように、端から自分たちを殺すつもりがないのなら、完全に拘束されたこの状況で抵抗する意味は――一つだけだ。
すなわち――ここで死ぬつもりだと言うこと。
クロエもローガンも、ルシアたちも、そう理解した。
だから。
「待ってくださいローガンさん! お願いします! クロノスフィア様はっ、きっと一人で頑張ってきたんです! 私たちのために今まで苦しんできたんですっ!! 今回のことだって、きっと何か理由があったはずなんです! そうしなければならない理由が!! だから、だから……っ!!」
クロエは泣いて頼んだ。
クロノスフィアの命乞いをした。
他の者たちにとっては不思議に思ったかもしれない。なぜそこまでクロノスフィアを庇うのかと。だが、クロエにとっては当たり前のことだった。
クロエは――クロノスフィアのことを、愛している。
異性として、という意味ではない。
命の恩人として、家族として、父のような存在として。
自分を助けてくれた。その後も本家に保護してくれた。誘拐された一件を気遣って、何かと声をかけてくれた。
今でこそもう平気だが、本当は誘拐された時、クロエは恐かったのだ。
これから自分はどうなるのかと不安で、恐くて恐くて仕方がなかった。だからクロノスフィアに助けられた時、クロエは心の底から安堵したのだ。
同時に。
クロノスフィアの慟哭を聞いて、「この人」は本当に優しい人なのだと、そう思ったのだ。
あの時、クロノスフィアの慟哭を聞いていたからこそ、心に傷を負うこともなかった。自分はこんなにも優しい人に守られているんだと思ったら、もしまた誘拐されても、きっと大丈夫だと根拠もなく思えたから。
後に【神殿】が建造された地下空間の座標を記録させられた時も、クロエは「不器用な人」なんだと微笑ましい気分にさえなった。
クロエにとってクロノスフィアは、優しくて不器用な人だ。自分が傷ついてしまうほど、優しすぎる人だ。
だから――きっと最後の最後では、人類を危険に晒してまで、一か八かで【神殿】を使うことにはならないだろうと確信していた。
――その通りになった。
【神殿】は結局、一度もその機能を使われることなく、アーロンとローガンによる戦いの余波で崩壊した。クロエも言外に望まれていた通りに、自らの役目を果たした。
だけど。
誰にも相談できず一人で苦しんでいたクロノスフィアが、その本心を誰にも打ち明けることなく、ただ「敵」として死んでいくことには、到底納得できなかった。
もしも、やるべきことを全て成したというのなら、全てが終わった後でも良いから、事情を打ち明けてほしかった。
そうすればきっと、皆許してくれると信じていた。
少なくとも、四家の者たちはそのはずだと。
だが。
「ぬぅおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
クロエの命乞いを潰すように、クロノスフィアは雄叫びを上げて拘束を解かんと足掻く。オーラの「根」を無理矢理に引きちぎるように動こうとした代償に、骨が砕け、筋肉は断裂し、皮膚はズタズタになる。
だが、その程度の損傷など、今のクロノスフィアにとってはかすり傷と変わらない。すぐに治癒するだろう。
ならば、黙って見ているだけでは、いずれ拘束が解けてしまうのは必定。
ローガンはそうなる前に、選択を下さねばならなかった。
そして――――迷うこともなかった。
「――!? 待って! ローガンさん!! お願いしますっ!! お願いしますっ!! 私、何でもしますから!! 私も一緒に謝りますから、償いますからっ!! だからっ、クロノスフィア様を殺さないでくださいっ!!」
「――すまない、クロエ嬢」
ローガンはクロノスフィアに突き刺した「黒月」から、手を離す。
オーラの供給を絶っても、すぐに拘束が解かれることはない。
その間に、ストレージ・リングから新たな剣を取り出したローガンは、素早くオーラを込めて構え――そして、振り下ろした。
キンッ! と。
剣聖最終スキル――【滅龍刃・零落】
白金色の刃が、クロノスフィアへ袈裟懸けに振り下ろされた。
●◯●
自身の体を白金色の刃が通り抜けた。
すぐに胴体を肩口から斜めに両断した傷口から、自らの肉体が白金色の光に侵食されていくのを知覚する。
黒いオーラの「根」により、今も空間魔法の発動は封じられており、今度こそ【滅龍刃】を回避する術はない。
もはや確実に訪れる「死」までの数秒――クロノスフィアは、クロエとエイルに視線を向けた。
クロエは泣き叫びながら、こちらに手を伸ばそうとしている。
それを抑えるエイルは、痛みを堪えるように眉を寄せていた。
二人のそばにはルシアもいた。少し視線を移せば、ノアの姿もある。
彼らに言いたいことは幾らでもあった。皆、自分の愛しい「子供たち」だ。だが、そんな時間は残されてはいない。ルシアを宿したアイクルは、きっと大丈夫だろう。もしもこのまま世界が続くなら、あの二人のもとで、きっと幸せに生きるはずだ。
ノアには謝りたい気もしたが、やはりそんな時間はない。そのことが少し残念だ。
エイルを見ていると、むしろジルバに対する申し訳なさを覚える。ジルバは、自分もエイルも、もうそんな歳ではないと笑うだろうが――親子として生きる時間の幾ばくかを奪ってしまったのは、自分だ。
クロエには――――ただひたすら感謝しかなかった。
こんな自分を信じてくれて。
他にもここにはいない「子供たち」に、告げたい言葉は幾らでもあった。
とはいえ、やはり、そんな時間はない。
だからクロノスフィアは、ただ笑った。
憑き物が落ちたように、穏やかな顔で笑って、クロエたちを見つめた。
(ああ……やっと、終わるのだな……)
次の瞬間、白金色の光が眼球まで侵食したのか、視覚が喪失する。
それから脳を侵食し、意識が消えるまでの一瞬、聞きなれた老人の声がした。
――クロノスフィア様、今まで永いこと、お疲れ様でございました。
(じる、ば――)
それ以上の思考は言葉にならず。
クロノスフィアは無数の光の粒子となって。
消滅した。
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