第277話 「獣たち」


 六匹の獣たちは戦場を疾走していた。


 四肢を地面につき、跳ねるように跳躍を繰り返しては、宙を滑るように移動する偽女神どもに襲いかかる。


「グルァアアアアアアアッ!!」


「――――!?」


 言葉などとっくに失われている。理性などもはや欠落している。ただただ本能を剥き出しにして、倒すべき敵へ爪を、牙を、突き立てる。


 しかし、獣にも知性はある。


 ――これは狩りだ。


 何の考えもなく我武者羅に戦いを挑むほど、獣とて馬鹿ではない。


 真に恐るべき獣は敵の隙を窺い、弱点を看破し、そして集団で狩りをするものだ。戦場を縦横無尽に疾駆する六匹の獣――彼女たちもまた、そうであった。


 言葉など、視線など、仕草など、そんなものなど交わす必要もなく、彼女たちの群は、あたかも一つの生き物であるかの如く、以心伝心を体現した動きで偽女神どもを狩っていく。


 その基点となるのは、黒い獣だ。


 黒い毛皮――もとい、黒いオーラを纏った一匹の獣。


 その長い尻尾の中には、一つの剣が取り込まれている。その剣の名を「黒月」といった。


「黒月」は獣のオーラを黒く染め上げる。そのオーラは重属性に染まり、偽女神たちにとって最も警戒するべき存在となる。


「グルルルゥ――――ッ!!」


 黒き獣は疾走する。


 自然と、黒き獣の動きを追ってしまう偽女神たち。


 だが、他の五匹の獣たちから、目を離してはいけなかった。


「グルゥァアアアアアアアアアッ!!」


「――――!?」


 僅かに意識が逸れた瞬間を突いて、五匹の獣たちは一斉に、たった一体の偽女神に集団で襲いかかった。


 一匹が大仰に跳び上がると、真正面から【空間障壁】に爪を立ててしがみつき、偽女神の視界を塞いで注意を自身に向けさせる。


 その瞬間、音を立てずに疾走していた残り四体の獣たちが、一斉に偽女神へ襲いかかる。


 まず最初に一体が、偽女神の首筋に噛みつき、その首をへし折った。


 偽女神たちの再生能力は非常に高いが、それでも頭部を失ったり、脊髄に損傷を受けると、僅か数秒の間ではあるけれど、その動きが酷く鈍ることを、彼女たちは発見していた。


 そうして偽女神の動きを鈍らせた後、全員で爪を立て、牙を突き刺し、引き裂き、喰いちぎり、あるいは尻尾のオーラを剣のように変えると、それで斬り裂いたり、オーラの爆発で偽女神の肉体を千々に分割していく。


 偽女神の反撃も許さずダメージを与え続けると、程なく、偽女神の血も肉も、魔力還元されて光の粒子となり、散っていく。


「――――!!」


 無論、他の偽女神たちも、それを黙って見ているわけはない。


 偽女神たちに仲間意識があるのかどうかは怪しいが、それでも戦力が減る危険性は承知しているのだろう。五匹の獣にたかられた仲間を救い出そうと近づいていく。


 そこへ――、


「グルゥウウウウウウッ!!」


 黒き獣が飛び掛かる。


 黒き獣の爪牙は【空間障壁】を打ち破る。もちろん、一瞬で破られるわけではない。それまでには数秒のタイムラグがある。


 だが、偽女神たちは黒き獣を無視するわけにはいかず、その足は止まる。


 そうして時間を稼いでいる内、また一体の偽女神を喰い荒らした獣たちは、黒き獣に加勢する。行く手を阻む他の偽女神たちを無視するように迂回し、あるいは何匹かで足止めのために襲いかかり、一体の偽女神に対して、常に複数匹で襲いかかる。


 それは、獣の狩りだ。


 彼女たちは決して無理をしない。


 常に散開し、疾走し、獲物の弱点を窺い、隙を見せれば全員で襲いかかる。


 ここまで、彼女たちはすでに、そうして四体の偽女神たちを屠っていた。


 狩りは実に順調だ。確かに偽女神は強く、その肉体は頑強で再生能力も高い。まともに戦えば、彼女たちが死力を尽くして一体倒せるかどうかといった相手だ。


 しかし、射撃系魔法を筆頭に多くの領域魔法や遠距離系スキルを封じられている偽女神たちは、その強みを奪われた状態にある。


 有り体に言えば、偽女神たちは弱体化していた。


 だからこその一方的な狩り。



 ――――だが。



 それも最初の内だけだった。


「――――」


「ギャウッ!?」


 獣たちが戸惑ったように足を止める。その視線の先で、ぞわり、と偽女神たちの漆黒の翼が、形を変えた。


 うぞうぞと蠢きながら、六対十二枚の翼を変形させていく。


 その形は、言うなれば黒い触手だ。そして変化は翼だけに留まらなかった。


 両腕が、両足が、翼と同じように触手へと変形し、その触手の先には、鉤爪のような鋭い刃が形成されては、濃密なオーラの光が宿っていく。あるいは、全身をオーラで覆い尽くしていく。


 そして――偽女神たちは一斉に、【空間障壁】に頼ることを止めた。


 攻撃魔法に頼れない以上、そして敵側に【空間障壁】を打ち破れる者たちが何人もいる以上、これに拘泥することは無意味だと気づいたのだ。


 いや、むしろリスクの方が多いと判断した。


 障壁は一面からの攻撃を防いでくれるが、自分自身の攻撃も障壁に遮られてしまうし、それだけ手数が減ってしまう。それに防御に頼れば、意識に油断が、あるいは隙が生まれてしまうのだ。


 この獣たちを含めた「敵」どもは、空間術師との戦闘経験があるのか、その油断を、隙を突く術を良く心得ているようだった。


 ならばむしろ、強化した肉体をさらに活かすべく、人間の形を捨て、オーラを用いて戦うことに決めた。その方が効率が良いと判断したのだ。


 それはその場での、一つの正解だったと言えるだろう。


 偽女神の一体がその答えに気づけば、言葉を交わすこともなく、残りの偽女神たち全てが同じことに気づく。まるでミームのように、偽女神たち全体にその知識が伝播された。


 ――全ての偽女神たちが、黒い触手を生やした化け物へと変貌を遂げる。


「グゥウウウウウウウッ!!」


 獣たちは鼻面に皺を寄せて唸った。


 手足含めて十六本の長い触手を蠢かせる化け物たち。【空間障壁】はなくなったが、触手を生やす以前よりも、遥かに攻め辛くなったことが理解できてしまった。


 数瞬の戸惑い。


 その隙を、偽女神たちは見逃さなかった。


 ――パンッ!!


 突如として、鋭い破裂音が鳴った。同時、


「ギャインッ!!?」


 獣たちの一匹が、悲鳴をあげて勢い良く吹き飛んだ。


 その攻撃がほとんど見えなかったことに、獣たちは驚愕する。


 偽女神はまるで長い触手を鞭のように繰り出し、音速を超える速度で攻撃してきたのだ。


「グルゥウウ……ッ!!」


 しかし、獣たちとて大人しくやられるばかりではない。続けて繰り出される触手の攻撃を獣たちは回避する。一斉に散開するように駆け出し、一時も止まることなく駆け続けることで、狙いを定めさせない。


 そして鞭の動きも、触手の根本、その動きに注意することで、おおよそは予測することができた。


 しかしながら――、


「グギャウッ!!?」


 獣たちの一匹が、押し寄せる幾本もの触手に捕まってしまった。


 触手は一本ではない。何本もあるのだ。しかも鞭とは違い、偽女神の意思で自由に伸び縮みする触手だ。回避し続けるのは容易ではなかった。


「グガァアアウッ!!」


 捕らえられた仲間を助けようと、五匹の獣たちが仲間を掴んだ偽女神へと飛び掛かる。


 だが、その行為は偽女神たちの思う壺だった。


 飛び掛かった獣たちが一本の触手を引き裂き、噛みちぎる間に、二本の触手が体に巻きつき、その動きを拘束する。


 触手を断ち斬ろうと尾剣を振るうが、斬撃によって触手を斬り裂く頃には、先に引き裂いた触手が瞬く間に再生し、再び獣たちの体に巻きついている始末だった。


 元々、尋常ではなく高かった偽女神たちの再生能力は、障壁による防御を放棄した代わりに、神聖魔法の治癒術を発動することで更に底上げされてしまっていた。


 しかも、だ。


 そうして手間取っている間に、別の偽女神たちが接近し、獣たちに触手を伸ばしていく。


 程なく、獣たちは無数の触手に絡め取られて、身動きもできない状態にされてしまった。


「ギャウンッ!!」

「キャーンッ!!」


 獣たちの悲しげな声が響く。


 万事休す。為す術をなくしてしまった獣たちを、偽女神たちは更に追い詰める。


 獣たちに巻きついた触手の先端だけでなく、巻きついている部分からも鋭い刃を生やし、それは獣たちの肉体に食い込んでいく。


 獣たちも全身にオーラを纏って抵抗するのだが、オーラの薄い部分は容易に貫かれ、全身から出血し始めていた。加えて、このままオーラによる防御をずっと展開しているわけにもいかない。いつかは魔力が尽きてしまうからだ。


「キューンっ! キューンっ……!!」


「――――」


 まるで命乞いをするように鳴く獣たちにも、偽女神の表情は変わらない。余裕を取り戻した偽女神たちは、慈愛の微笑みを浮かべながら、獣たちを拘束する触手に、さらに――ぎしりぎちりと、力を込めた。


 それはたとえ刃は防げても、押し潰され、圧殺されてしまいそうな、恐ろしいほどの力だ。ミシミシと、全身の骨が悲鳴をあげているのを、獣たちは自覚した。


 ――――死ぬ。


 このままでは、死んでしまう。


 絶対的な死の未来を前にして、獣たちは母を想った。


 ママ……!!


 心の中でのその呼びかけは、助けを求めてのものか。


 ――いや、違う。


 それは悲しみだ。悲しみと怒りだ。


 ここで死ねば、もう母には会えないという悲しみ。そして目の前のこいつらが、本質的には自分たちの母を奪うために、自分たちを足止めしているという事実に対しての――怒り。


 こいつらは自分たちから母を奪おうとしている。


 なぜ、どうして、何の権限があって、そんなことをしようというのか。


「グルゥウウウ……ッ!!!」


 戦いの目的を思い出した獣たちは、怒りを燃料に戦う気力に火を灯す。全身へ再度力を入れ直し、魔力をオーラへと変換していく。


 ――間違っていた。


 戦い方を、間違っていた。


 何があるか分からないから、戦いは長引くかもしれないから、彼女たちは無意識の内に魔力の使用量を制限していた。


 だが、それでは目の前の偽女神どもには勝てないのだ。そして勝てなければ、大好きな母と再び会うこともできないのだ。


 ――獣の戦い方など、どうでも良い。


 ――敵の弱点を、隙を窺うことなど、もうしない。


 ――ただただ、この窮地を脱し、再び母に会うために……!!


 獣たちは、彼女たちは、≪白百合乙女団≫の面々は、全身全霊全力を、そして死力を尽くすことに決めた!


「「「グルゥウアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」」」


 叫んだ。


 ビリビリと大気が震えるほど。


 その直後、


「「「――――!?」」」


 偽女神たちは、獣たちの変化に、目を見開いた。


 第一変化――【獣心特化】


 第二変化――【獣身特化】


 すでに第二変化まで至っていた獣たちは、今まで一度も至ったことのない、さらにその先の変化へ到達する。


 獣たちの全身を分厚いオーラが覆っていく。そのシルエットは完全に人間の形を失い、とある獣の姿へと変貌していく。


 そうして彼女たちの姿が全てオーラに覆い尽くされ、獣へと形を変えた瞬間――、



 ――ドパンッ!!!!



 と、彼女たちを捕らえる無数の触手が、残らず弾け飛んだ。


 拘束から逃れた彼女たちは、軽やかに、音も立てず、四肢から地面に着地した。


 かくて彼女たちは至る。新たなる領域へ。



 第三変化――――【獣神特化】



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