第275話 「酩酊拳」


≪木剣道≫の数あるパーティーの中で、最も頭が切れ、知略を駆使すると本人たちに評判のパーティー……≪酒乱の円卓≫。


 とても賢い彼らだからこそ、頭上を舞う数多の偽女神たちが、容易ならざる強敵であることを誰よりも明確に理解していた。


 ゆえに、酒カスたちのリーダーは叫ぶ。


「てめぇらッ!! アレをやるぞッ!!」


 その言葉に、仲間たちにざわりと衝撃が走った。


「ほ、本気かよリーダー!?」

「アレって、おいおい……!! 下手すりゃ死ぬぜ!?」

「正気かッ!?」


 思わず反対意見を叫ぶ仲間たち。


 確かに「アレ」をやれば、自分たちは一時的に強さの限界を超えることができるだろう。そのための鍛練は毎日毎分毎秒のようにしてきた。


 しかし、「アレ」は諸刃の剣でもあった。


 言うなれば背水の陣にも近い。あるいは防御を犠牲にひたすら攻撃に全振りする――とでも言うべきか。


 敵の攻撃を回避し損ねれば、ただの一撃で戦闘不能に陥りかねないリスクがある。


 だというのに……いや、だからこそ、だろうか?


 酒カスリーダーは力強く告げた。


「邪神もどきどもは、全力を出さずに倒せるような相手じゃねぇ!! ここを切り抜けるためには、俺たちも死力を尽くすしかねぇんだよ!! 分かんだろッ!?」


 沈黙は数瞬。仲間たちはすぐに答えた。


「……へっ、良いぜ」

「覚悟決めるかぁ……」

「どうやら、やるしかねぇみてぇだな……!!」

「いったい何時ぶりだ? 俺らがアレをやるなんてよ……!!」


 決意を秘めたリーダーの言葉に、仲間たちも肚を括った。


 そうして全員が、ストレージ・リングの中から「ある物」を取り出す。


 それは――金属製の水筒だった。


 スキットルだった。


 中には蒸留に蒸留に蒸留を重ねた、酒精の強い酒が入っている。


 味はない。香りもない。風味などというものは存在しない。むしろそれは酒というより、アルコールと呼んだ方が正確な代物だろう。それも限りなく純粋に近いアルコールだ。


 本来は極少量を果汁や水、炭酸水などと一緒に割って飲むものだ。しかし、彼らのスキットルに入っているものは、一切の混ぜ物がなかった。


 その酒の名を、「竜殺し」という。


 巨体を誇る竜でさえ、瓶一つでべろべろに酔っぱらうという言い伝えから、名付けられた名だ。


 それを――彼らは一気に呷る。


 水筒としては小型のスキットルとはいえ、その内容量はコップ一杯を優に超える。常人ならば、確実に急性アルコール中毒で倒れてもおかしくはない量だ。


 だが……彼らは常に鍛練を欠かしていなかった。


 クランの活動で木材を削る傍らぐびりと酒瓶を呷り、木材を調達するために迷宮を探索する間、ぐびりと酒瓶を呷り、探索が終われば酒場に繰り出し、ぐびりとジョッキを呷る。


 夜、寝る前に酒瓶をぐびりと呷り、朝、起きては迎え酒をぐびりと呷る……。


 たとえ飲み過ぎで嘔吐しても、二日酔いになったとしても、酒を飲むことを止めはしなかった。彼らの肝臓に休まる暇など一時もない。


 それは常識外れの拷問に等しいだろう。


 彼らは常に、己の肉体を苛め抜いていたのだ。


 そして……、


「うぃ~……やっぱり効くぜぇ~、こいつはよぉ~……!!」

「ひっく! ようやくほろ酔い気分になってきたぜぇ……」


 アルコールは口中の粘膜からさえ吸収される。


 胃の腑に落ち、小腸へと送り込まれるより先に、高濃度の酒精は彼らの血中に少しずつ吸収されていく。


 血中に取り込まれたアルコールは全身を巡り、やがて脳へ到達。神経系の働きを一部麻痺させると共に、全身の毛細血管を開き、血流を加速させた。


 ――耐えた。


 猛毒にも等しい高濃度のアルコールに、彼らの肉体は耐えたのだ。


 そうして得られるのは、不安や恐怖を超越した無敵の精神! 加速した血流により、強化された肉体!(!?)


 普通ならばこうはならないだろう。


 先に説明した通り、常人ならば意識を朦朧とさせるか、失っているはずだ。だが、彼らのたゆまぬ鍛練が、酒の毒に打ち克ち、彼らの精神と肉体を限界という枷から解き放つ!


 まさに――日に30時間の飲酒という矛盾のみを条件に存在する能力!!


 これを彼らは……、



 ――酩酊拳



 と呼んだ。


「あちぃ……!!」


 酒カスリーダーが呟き、その全身に薄くオーラの膜を纏った。


 次の瞬間、そのオーラの膜は体の外側に向かってパァンッ! と、衣服を巻き込んで弾けた。


 当然、一糸纏わぬ全裸となった酒カスリーダー。


 しかし、それは彼だけのことではない。彼の仲間たちも次々と全身にオーラを纏うと、そのオーラを爆発させて、あるいは魔法の炎で、衣服を木っ端微塵に吹き飛ばし、あるいは燃やした。


 なぜ全裸になったのか?


 その理由は、暑いからだ。


 だが、それは精神を高揚させるための儀式でもある。彼らが本領を発揮する時――それは宴の最中だ。


 酒を飲み、暑くなり、服を脱ぐ。


 一連の行為によって、そこが何処であろうと、彼らにとっては敵地アウェイからホームへと様変わりする。いわばそれは、プリショットルーティーン。彼らの認識が変わる。全ての能力を十全に、いや、それ以上に発揮することのできる場へと。


「てめぇら、いくぞ!」

「へへっ、世界が、揺れてやがる……!!」

「まるで地面が水枕みてぇだぜぇ……!!」


 十分にアルコールが回り、戦闘準備を整えた彼らは、不敵な笑みを浮かべながら偽女神たちへと近づいていく。


 戦闘開始だ。


 しかし、その足取りは遅く、偽女神たちは滑るように空から降りてくると、酒カスたちに両腕を変化させた剣刃で斬りかかった。


「――――!!」


「おっとぉ! あぶねぇなぁ、おい!」


「――――!?」


 オーラを纏った鋭い斬撃。


 だが、その一撃はぬるりと回避されてしまった。


 まるで偶然にも転びそうになったことが、そのまま回避動作に繋がったかのような、奇妙な動き。もちろん、それは偶然などではないと思いたい。



 酩酊拳――千鳥足。



 酔いを利用した不安定な動作で、敵を幻惑し、攻撃を回避するための技だ。


 そしてこの技の力は、回避だけに留まらない。


「おっとっとぉ……!?」


 まるで転ぶのを堪えたみたいな、不意を突いた動きで酒カスリーダーは偽女神へと間合いを詰めると、


「せいやっ!!」


「――――!?」


 あたかも、たった今思いついたというような唐突さで、ガントレット型の「黒月拳」を繰り出した。


 我流拳技――【黒爆拳】


 黒きオーラの爆炎が、偽女神の展開した【空間障壁】に爆ぜ、木っ端微塵に吹き飛ばす。


 牽制のための一撃ではない。最初から狙っていたとしか思えぬほど、練りに練られたオーラだからこその威力。


 決して攻撃しようとしていたのを忘れていて、無意識にずっとオーラを込め続けていたから――などではないはずだ。


 一方、あっさりと障壁を砕かれた偽女神だが、動揺に体を硬直させることなどない。すぐさま右の剣刃を薙ぎ、酒カスリーダーを仕留めにかかった。


「あやっべ、もう動けねぇ……う~ん」


「――――!?」


 だが、その一撃は空を斬る。


 黒き爆炎の向こう側、酒カスリーダーの姿は、すでにそこにはなかった。


 いったい何処へ!?


 急いで視線を巡らせ、感覚を研ぎ澄ます偽女神。その両目が、「うぅ~ん、もうだめだぁ……!!」と呟きながら、地面に寝転がっている酒カスリーダーを捉えるまで、数瞬を要した。


 酩酊拳――路上横臥


 その姿は、本当に酔いが限界を迎えたために倒れてしまったようにしか見えない。


 しかし、それはブラフのはずだ。酔っぱらいが路上へ倒れ込み、寝転がる動作で敵の攻撃を回避する――それが酩酊拳「路上横臥」である。


 そして、偽女神が攻撃を空振りした隙を見逃す酒カスたちではなかった。


「――――!?」


 千鳥足で、前へ転び出るように瞬時に間合いを詰めた酒カスたちは、すでにそれぞれの武器を構えている。


「へへっ、おい姉ちゃん、お酌してくれやぁ」

「――って、誰だてめぇ!? いつの間に俺の部屋に入り込みやがったぁッ!?」

「泥棒かぁッ!?」

「逃がすな囲めぇッ!!」


 酩酊拳――酒乱


 酩酊状態の勘違いにより、一切の躊躇なく放たれる攻撃は、何か精神的な枷が外れ、いつもより威力が上がっているかもしれない。


 放たれた容赦のないオーラと魔法は、偽女神の全身を包み込み、爆発した。


「うぉおおおおおおっ!?」

「何だぁあああああああっ!?」


 自分たちが放った攻撃の余波に巻き込まれ、吹き飛んでいく酒カスたち。


 やがて、息絶えた蛙のような姿で地面に転がった酒カスたちは――だが、まだまだ戦いを終えることはない。


 ふらりふらりと立ち上がると、酒カスリーダーは仲間たちへと叫んだ。


「ハッ!? おいてめぇら何寝てんだよ!? ――二次会行くぞッ!!」


「う~ん、俺はまだ飲めるぅ……」

「次は綺麗な姉ちゃんがいる店にしようぜぇ……」


 うわ言を口にしながら、ふらりふらりと起き上がる酒カスたち。


 ――酒乱の宴は、まだ始まったばかりだった……!!



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