第231話 「パーフェクト・コミュニケーションの秘訣は笑顔!」

 ★★★まえがき★★★

 前話まとめ。

 川原からの帰り道、亀丘の頂上で、アーロンたちは村を襲うオークたちの大群を見つける。ショックを受け呆然とするアーロンの腕を掴んで、アリシアは村とは反対方向へ駆け出した。

 引き止めようとするアーロン。だがアリシアは両親や村の人たちがもう助からないことを理解していた。自身も涙を流しながら、それでも生き延びるため最善の選択をする。

 しかし、逃げる二人の背に何体ものオークたちが迫る。

 アリシアはアーロンだけでも逃がそうと、一人、オークたちの前に立ちはだかった。

 先頭のオークへ斬りかかったアリシアだったが、呆気なく吹き飛ばされてしまう。アーロンはそんな姉を助けようと、前へ一歩踏み出そうとしたが――不自然に意識が途切れ、そして気がつくと見知らぬ街道に立っていた。

 周囲には姉もオークも居らず、時間も日が沈む寸前へ変わっている。

 自分が姉を見捨てて逃げてしまったことを理解したアーロンは泣き崩れ、自分自身を憎悪するのだった――。


 今話も前半部分はちょい鬱展開かもですが、あまり引きずりません。

 ★★★以下本文★★★






 ローレンツ辺境伯領にて、未曾有のスタンピード災害が起こったことにより、住む場所を失った者たちが大勢生まれた。


 辺境領ではまだ混乱がおさまっておらず、復興にもまだまだ時間が掛かる頃の話だ。


 スタンピードを生き延びた人々は、辺境領と隣接する領地への移住が認められたが、その数は膨大であり、とても全員を養うことも、一度に受け入れることもできない。そこで手を差し伸べたのが、ネクロニアだ。


 ネクロニアは此度のスタンピードで故郷を失った者たちを、難民として受け入れると発表した。


 見知らぬ街道で我に返った後、アーロンも一頻り泣き叫び、呪詛を吐き出し、けれど自ら死ぬ選択を取ることはできなかった。



 死ねば――無駄になる。



 自分で自分の命を絶てば、アーロンを生かすためにオークどもの前に立ち塞がった姉の行動が、無駄になってしまう。


 それはアーロンにとって到底許すことはできない選択だ。


 だからよろよろと立ち上がり、街道を先へと進んで、まだ無事な村へと辿り着いた。そうしてスタンピード難民として保護されたアーロンは、その後、流されるようにネクロニアへと移動することになる。


 難民たちの内、親を喪った子供たちは孤児院に引き取られることになった。


 しかし、その人数は多く、混乱も酷かったこともあって、あぶれる子供たちが何人もいた。アーロンもその内の一人だ。


 最初の一ヶ月、アーロンはネクロニアのスラムに流れ着き、そこで暮らした。


 奥まった路地の一角で、ほとんど食事も取ることなく、水だけで命を繋いで、ただ呼吸するだけの置き物と化していた。


 自分で自分の命を絶つことはできない。


 だが、生きる気力が湧いて来なかった。


 これが両親や姉を殺したのが人間であれば、復讐という目的が生まれていただろう。だが、相手は魔物だ。あるいはカルツ村を襲ったオークたちが今も生きていたならば、それを殺そうと負の感情を燃やして生きようとしたかもしれない。しかし、すでにオークたちは辺境領軍、帝国軍、探索者たちの混成軍によって、あらかた討伐されたという。


 何も、為すべきことがない。


 アーロンは死んだようにスラムの路地の片隅に座り込み、空虚な瞳を虚空に向けるだけの日々が過ぎた。


 そのまま時が過ぎれば、遠からず、アーロンは餓死していただろう。


 だが、そうはならなかった。


 難民と孤児の増加を受けて、ネクロニアでは孤児院が増設された。使われていなかった建物を急遽改修し、新たに開かれた孤児院の院長であったオーダンが、スラムの一角で炊き出しを行っていた。


 それは難民がネクロニアへ流れ込んできた時、あぶれてスラムへ落ちた孤児たちを見つけ、孤児院に受け入れるためのものでもあった。


 オーダンがアーロンを見つけたのは、そんな炊き出しの最中、まだ見つけていない孤児はいないかと、周囲を見回りに出掛けたからだ。


 オーダンが見つけて声をかけた時、アーロンは何の反応も示さなかった。


 仕方なくオーダンは炊き出しの場所まで一旦戻り、スープから具を取り除いたものを持って、もう一度アーロンのもとを訪れた。


 それは見るからに飢餓状態にあったアーロンを気遣ったからだ。長い間、断食状態にあった者に、急に固形物を与えるのは危険だから、まずはスープだけでも飲ませようと思ったのだった。


「君、お腹が空いているだろう? このスープを飲みなさい、ほら」


 優しく語りかけ、膝を抱えて座ったままのアーロンへ、器に入ったスープを差し出す。


「…………」


 だが、アーロンは反応を示さない。


 しかし、スープから立ち上る香りがアーロンの鼻腔を刺激した時だった。


 ぐぅぅう、と。


 腹が鳴った。


 その瞬間、オーダンは良かったと思った。生きる気力を無くしているように見えた少年だが、まだ食欲はあるのだと。そして食欲があるのなら、まだ生きられると。


 そう思った次の瞬間、



「……くふふっ、あははっ、あはははははははははははははははははははははははははっ!!!」



 アーロンは狂ったように笑い声をあげた。


 狂ったように笑いながら、その両目からは止めどなく涙が流れていた。


 その腹の音は、アーロンにとって、とても残酷だった。


 この期に及んで、まだ自分は意地汚く生きたいと思っているのかと。それがどうしようもなく醜く思えて仕方がなかった。



 ●◯●



 オーダンに拾われて孤児院へ入った後、アーロンの中で一つだけ、指針ができた。


 それは、姉によって生かされた命の使い方だ。


 姉の死を、無意味なものにはしたくない。何か意味のあることを為して、ああ、やはり姉が自分を助けたことには、きちんと意味が、価値があったのだと、そう納得して死にたいと思った。


 だからアーロンは探索者になることにした。


 この道が人の役に立つかは分からない。意味のあることが何かできるかも分からない。だが、誰かを助けられるかもしれない。あるいは、もしもまたスタンピードが起きた時には、誰かを守るために戦うことができるだろう。


 その時は戦って戦って戦って、擦り切れるまで戦って死のうと思った。


 何より、姉の代わりに姉が夢見た探索者になろうと決意した。


 孤児院での暮らしはそれなりに忙しい。その経営は善意によって成り立っているものの、だからこそ余裕はない。一つの側面として、孤児を受け入れることで治安の悪化を抑制するという役割もあるが、だからといって全ての孤児院に潤沢な資金を回せるほどの余裕は、ネクロニアにもないようだった。


 それなりの土地がある孤児院であれば、自分たちの食い扶持のために畑で作物を作ったり、あるいはそれでワインや何かを作ることで、運営資金の足しにするだろう。


 だが、ネクロニアの孤児院に畑を作るような余裕はない。そのため、子供たちは孤児院の運営母体であるネクロニア市政の伝手で斡旋された仕事をこなしたり、あるいは善意の商売人たちが仕事を与えてくれることもあった。


 そういった仕事に日々を忙殺されながらも、アーロンは時間があれば、どこかで拾ってきた古くさい木剣を、孤児院の狭い庭で振り続けた。


 ジョブを得る前に鍛練を積んだところで、如何ほどの意味があるかは分からない。そもそも、戦闘ジョブを選んだところで、剣士ジョブが発現するとは限らないのだ。あるいは体力を少しばかり鍛えるくらいの意味しかないのかもしれない。


 それでも、そうと分かっていて、アーロンは剣を振り続けた。


 その理由は――――忘れないためだ。


 何よりも時間は優しく、そして残酷だった。


 家族を喪った悲しみも、オークたちに抱いていた殺意も、自分自身へ燃え滾らせていた憎悪も、時の流れは等しく癒し、洗い流そうとする。


 どんなに思い返し、どんなに忘れないと誓っても、記憶は薄れ、そこに抱く感情さえも小さくなっていく。


 アーロンにはそれが許せなかった。


 だから剣を振る。ただ愚直に、一振り一振り、心に憎悪を刻み直すかのようにして。



 そうして日々は過ぎ、十五歳になる。



 人がジョブを得られるのは、十五歳になってからだ。


 ゆえに、現代ではジョブを得られる年齢こそが成人する年齢とされている。


 アーロンも十五歳になってすぐ、『初級剣士』のジョブを得ると孤児院を出て、探索者ギルドに登録した。その際、装備を整えるために家族もコネも信用もないアーロンは、少しばかり危ないところから金を借りて何とか一番安い装備を整えた。


 孤児院を出る際、それまで働いて得た給金の一部を支度金として渡されるが、それでは全然足りなかったのだ。


 ともかく――そうしてギルドに登録した日、ギルドの初心者講習を受けることになったアーロンは、リオンたちと出会うことになる……。



 ●◯●



 初心者講習が行われる部屋に入ると、すでに四人の新人と思われる探索者たちが、バラバラに席へ座っていた。


 講師役のギルド職員は、まだ来ていないらしい。


 アーロンはどこへ座ろうかと、室内を見回して考える。どうも見る限り、どこに座っても良さそうだ。


(適当に真ん中辺りで良いか……)


 そう考えて歩き出す。


 そうして四人の中で一番後ろに座っている探索者の横を通りすぎようとした時である。


 突然、座っていた探索者の少年が立ち上がり、席を離れて何処かへ行こうとした。少年はその時、後ろからちょうど横に来たアーロンに気づかず、ドンッと、ぶつかってしまう。


「ぅおっ……!?」


 アーロンは突然の衝撃によろめいた。


 そんなアーロンに、ぶつかった少年は嘲笑うような笑みを浮かべて告げる。


「ハッ! とろとろ歩いてんじゃねぇよ」


「…………」


 アーロンは、争いが嫌いだった。


 もちろん、喧嘩も嫌いだ。


 だから、ここは自分が大人になって、言葉だけで済ませてあげようと考えた。おいおい、気をつけろよ、ははは。そんなふうに笑顔で言って、少年を宥めてあげよう、と。



「――チッ! てめぇが気をつけろ、ボケカスが」



 いや全然違った!!


 この五年間、様々な経験を通して、アーロンはすっかりやさぐれてしまっていた!!


 だが!!


 容易く暴力を振るわないという決意だけは本物だ。アーロンはそれ以上文句を言うこともなく、少年に背を向けて歩いていく。


「――――ッ!!」


 一方、アーロンの捨てゼリフを聞いた少年は、少々柄のよろしくない相手であったらしい。


 彼はアーロンの暴言に一瞬でキレると、歩き出したアーロンの背中に向かって、勢い良く前蹴りを繰り出した!!


 ドンッ! ズサーっ!!


 と、前のめりに倒れたアーロンは数メートル床を滑った。


「…………」


「悪ぃ、足が滑ったわ」


 床に手をついて体を起こすアーロンの背中に、少年のそんな声が降り注ぐ。


 足が滑った――とは、確実に嘘であることはアーロンも分かっていた。少年は悪意を持って自分の背中を蹴ったのだと。


(これだから……バカは嫌いなんだ……)


 どうしてバカとはすぐに暴力に訴えるのだろうと嘆かわしく思う。だが、バカだからこそ容易く暴力に頼るのだろうとも思う。


(俺は、違う……)


 幼き頃のあの日、自分は誓ったのだ。短絡的に暴力に頼るようなバカには、決してならないと。


(そうだ……人間には、言葉がある。きちんと言葉を交わせば、分かり合えるはずなんだ……)


 四つん這いの姿勢で過去の決意を回想し、物思いに耽ったままのアーロンに、何を勘違いしたのか、少年はまたしても嘲るように言った。


「おいおい、ぼくちん、もしかして泣いちゃったのかぁ?」


「…………」


「へっ! 半端モンが粋がりやがって。これに懲りたら、今度からは相手見て喧嘩売るようにするんだな」


 そう告げて、少年は踵を返して歩き出した。もうアーロンには興味を失ったのか、振り返ることもない。


 その背中へ、だがアーロンは言葉を投げる。そう、分かり合うために。


(俺には理性がある。だから、言葉であのクソボケを説得しよう……)


 アーロンは静かに、そして素早く立ち上がると、背を向けた少年に向かって走り出した。


 ダッシュ! ジャンプ!! そして足を揃えてドーンッッッ!!!


(――肉体言語という言葉でなぁッ!!)


「ごべぇああああッ!!?」


 少年の背中に情け容赦ないドロップキックを喰らわせたアーロンは、綺麗に床に着地する。


 一方、少年は勢い良く吹き飛び、床を何度か転がった。


「て、てめぇええええッ!! 何しやがるコラぁッ!!」


 だが、すぐに立ち上がるとアーロンに向かって叫んだ。


「悪いな。足が滑ったんだよ。……お互い様だから、許してくれるだろ?」


 パーフェクト・コミュニケーションの秘訣は笑顔!


 ゆえに、アーロンはイイ笑顔を浮かべて言った。


「…………ッ!!」


「…………!!」


 アーロンと少年――仮に少年Aとする――が、互いに目と目で語り合ったのは数秒だ。


 次の瞬間、二人はどちらともなく駆け出し、拳を振りかぶった。


「上等だこのクソ泣かせてやらぁああああッ!!」


「やってみろこのウンコクズがぁああああッ!!」


 口汚く罵り合いながら、二人は激しく殴り合った!


 その内、肉体言語による会話の応酬はエスカレートしていき、遂には蹴りから、室内に並べられた机や椅子さえも振り回し始める。そして――、


「――ごがぁッ!?」


 少年Aの手からすっぽ抜けた椅子は室内を飛翔し、席に着いていた一人の少年に直撃した!


 頭部を強かに打たれた少年は、頭を押さえながら勢い良く立ち上がる。


「痛ってぇだろがぁああああッ!! 何しやがんじゃボケェえええええッ!!」


「ぶげぇっ!?」


 そして叫びながら、彼はアーロンに右ストレートをかまし、アーロンたちの(肉体言語による)討論へ参加を表明した!!


「何だてめぇっ!? 関係ねぇ奴は引っ込んでろぉおおおおおっ!!」


 殴られたアーロンは新たに加わった少年へと、激しい論破(上段回し蹴り)を仕掛ける!


 それによって盛大に吹き飛ばされる少年B(仮)!


 だが、少年Bが吹き飛んだ先には、運悪く少年C(仮)がいた!


「ぐげぇッ!? ――――喧嘩なら他所でやれやぁあああッ!! 俺を巻き込むんじゃねぇええええッ!!」


 少年Cは椅子を蹴るような勢いで立ち上がると、自分にぶつかった少年Bを殴り飛ばし、続いてアーロンたちへ勢い良く殴りかかっていった!


 ここに少年たち四人による、仁義なきディベート大会が開催された!


 彼らは互いに飛び道具(机、椅子)の使用も辞さず、激しく討論を交わす。


 だが、この室内にはまだ一人、少年がいた。


 少年D(仮)は、激論を交わすアーロンたちを遠巻きにしながらも、ヒートアップし続けるこの討論会を、どうにか止められないかと声をあげる。


「お、おいおい! お前ら、いい加減にしろよ! ここを何処だと思ってんだ! お前らみたいな脳足りんが探索者資格を剥奪されるのは勝手にすれば良いが、このままだと俺まで怒られちまうだろ!! 俺はゴメンだぜ!? お前らみたいな弩級のバカの巻き添えくらうのは!?」


 こんな無意味な討論はやめようよ! と声をあげる少年D。


 そんな彼の悲痛な叫びは、アーロンたちの心を打った。


「誰が脳足りんだバカにしてんのかぁあああッ!!?」

「スカしてんじゃねぇぞこのモヤシがぁあああッ!!」

「てめぇのメガネカチ割ったろかいッ!!?」

「弩級のバカに俺まで含めてんじゃねぇえええッ!!」


 少年Dの言葉に心を打たれたアーロンたちは、彼だけ仲間外れにするのは良くないと、討論会に参加させてあげることにした。


 そうして少年たち五人による討論会は、際限なく白熱していく。


 このまま続けば人死にさえ出そうな勢いになる……。彼らの知的好奇心は非常に高く、だからこそ、それほどの熱意でもって討論に打ち込ませるのだ。


 だが。


 そこに、彼らの白熱するディベートを聞きつけてか、室内に飛び込んできた者がいた。



「――――そこまでだッ!! 静まれバカどもッ!!!」



 それは筋肉質で強面の禿頭の大男で、探索者上がりのギルド職員(のちのギルド長)だった。


 今回の初心者講習の講師を受け持つことになっていた彼は、アーロンたちの討論を止めようと叫んだ。しかし――、


「うぉおらぁあッ!! くたばれボケェッ!!」

「テメェがくたばれやぁあああッ!!!」

「息の根止めてやるぅうああああああッ!!」

「俺はッ! お前らが謝るまでッ!! 殴るのをッ!! 止めないッ!!!」

「低能ザルどもめぇえええッ!! 火術師なめてんじゃねぇぞぉおおッ!! もう全員燃やしてやらぁああああッ!!!」


 ――討論に夢中となっているアーロンたちは、大男の叫びに気づかなかった。


 大男はふっと笑う。


「ずいぶんと活きの良いガキどもじゃねぇか…………ぶっ飛ばす」


 この後、大男によって全員殴り飛ばされて、討論会は強制的に終了することになる。


 ――――そしてこれが、後に探索者パーティー≪栄光の剣≫のメンバーとなる、五人の出会いであった。



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