第230話 「老龍ウルプストラが死んだ」

 ★★★まえがき★★★

 今回、鬱展開注意です。

 次話のまえがきにて今話の「まとめ」を簡単に書いてありますので、読むのがキツい場合は飛ばしても問題ありません。

 おそらくですが、だいたい皆さんが予想されているような展開だと思います。

 とはいえ、「まとめ」はだいぶマイルドに書きますので、アーロンの心情やちょっとした伏線などを理解するには読んでいただいた方が分かりやすいかと思います。

 鬱展開ではあれど、アーロンの過去についてはちょこちょこ伏線も張ってたし、作者的にはそんなにエグくはないと思うのですが……どうでしょう?

 ともかく、以下より本文始まります。

 よろしくお願いします。

 ★★★以下本文★★★




「――じゃあ、そろそろ帰るわよ」


 焚き火に砂をかけて消し、アリシアが告げる。


「うん!」


 すっかり機嫌の直したアーロンも頷いて、二人は川原を後にした。


 森の中の小道を抜けて、亀丘を登っていく。


 そうして頂上付近に近づいた頃、二人の耳に祭りのような歓声が、遠くから響いてきた。


「なに……? 村で何かあったのかしら?」


 歓声は村の方から響いてきていた。アリシアたちがいた川原は、間に亀丘と森を挟んでいるため、村からの音が消されてしまうのだ。


 亀丘を上の方まで登って、ようやく「その音」が聞こえてきた。


 何事かと、アリシアが小走りで丘の頂上まで急ぐ。その後をアーロンも追った。


 なぜか頂上で立ち止まった姉の横に並んで、アーロンも丘の上から村を眺めた。



「――――ぇ?」



 そして、思考は凍りついた。


 村のあちらこちらから、土煙と火事の煙が立ち上っている。それが夢じゃないという証拠のように、焦げ臭い風がアーロンたちのもとまで届いていた。


 そして、村の中にとても多くのヒトがいた。


 明らかに村の総人口よりも、遥かに多い。大きな商隊でもやって来たのだろうか? そんなふうに現実逃避できたのも、ほんの数秒だけだ。風に乗って運ばれて来た村人たちの上げる声が、そんな楽しげなイベントなどではないことを、否が応にも理解させる。


 はじめ、祭りのような歓声だと思った声は、歓声ではなく悲鳴だった。


 遠目ではヒトだと思ったソレは、ヒトではなかった。


 人間と同じように二本足で立ち、両手で道具を扱う人型の異形。顔は豚か猪に似ている――となれば、その正体は容易に知れた。



 ――――数えるのも馬鹿らしい、オークの大群が、村を襲っていた。



 だいぶ後になって知った話である。


 この数ヵ月前、ローレンツ辺境領のとある山岳地帯で、老龍ウルプストラが死んだ。


 その骸を喰らうことで野生のオークたちの一部が異常進化を成し遂げ、発生した特異個体たちを中心とした、一大集落が形成される。だが、魔物の特性によって爆発的に数を増やしたオークどもの集団は、すぐに周辺から食料となる生物を喰らい尽くしてしまった。


 飢餓に襲われた奴らは、必然的に食料を求めて元の縄張りから外へと侵略を開始していく。


 山裾から広がる広大な森を出たところで、オークたちは人間の集落を襲うことになった。


 カルツ村だけではない。ローレンツ辺境領に広がる幾つもの村々が、同時に襲撃を受け――――そして跡形もなく壊滅した。


 最終的な被害は、11の村と4つの町が滅び、一つの都市が半壊に至った。その犠牲者総数は二万人を超えるとも言われている。


 近年稀に見る未曾有のスタンピード災害として、この出来事は記録されている。



「…………」



 しばらく――と言っても、おそらくは数十秒程度の時間だっただろう。


 アーロンもアリシアも、丘の上で立ち尽くすようにして、その光景を眺めていた。思考が、心が、体が凍りついて、悪い夢のようなその光景を、理解するのに時間が掛かった。


 最初に我に返ったのは、やはりというか、アリシアだった。


「アーロン――」


 呆然としていたアーロンの腕を、アリシアは乱暴に掴んで、


「逃げるわよっ!!」


 そしてカルツ村とは逆の方向に向けて、走り出した。


「――え? でもっ、姉ちゃんっ!! 待ってよっ!!」


 腕を掴まれたまま必死に走りながら、それでもアーロンは姉に言う。姉を止めるために、混乱しながらも、叫ぶように。


「父ちゃんがっ! 母ちゃんがっ! まだっ、村にっ!!」


「――逃げるのよっ!!」


「だっ、だめだよ……だって、父ちゃんがぁっ、母ちゃんがぁっ……!!」


「逃げるのっっっ!!!」


 一際強く、姉が叫んだ。


 そこでようやく、アーロンも気づいた。


 走りながら見上げた姉の頬から、止めどなく涙が流れ落ちているのを。何かを堪えるように、固く固く奥歯を噛み締めているのを。


 アリシアは気づいていた。


 もう村はどうしようもないこと。自分たちが村に行ったところで、父も母も助からないこと。


 自分たちが生き延びるために、どうするのが最善かということ。


 その選択を、アリシアは即座に取ることができた。しかし、それでも何も思わないわけがない。


 記憶にないほど昔にしか見たことのない姉の涙に、アーロンは何も言えなくなってしまった。そうしてアーロンも理解する。もう二度と、父にも母にも、村の人々にも会うことはないのだと。


 涙を流しながら、二人は走った。


 手を繋いで、痛む心臓も、焼けるようにひりつく喉も、疲労で重くなる足も無視して、必死に。



 ――だが、逃げ切ることはできなかった。



「ヴォォオアアアアアアアッ!!」


 街道を走る二人の背後に、食料にありつけなかったあぶれ者か、何体ものオークたちが迫ってくる。鈍重そうなその見た目に反して、奴らはアーロンたちよりも足が速かった。あるいはアリシア一人だけであれば、逃げ切ることもできたのかもしれない。


「アーロン――」


 そして、アリシアの判断は速かった。


「――ここからは、アンタ一人で逃げなさいっ!!」


「姉ちゃんっ!?」


 アリシアがアーロンの腕を離し、その背中を押す。


 その衝撃につんのめったアーロンは、二、三歩と走ったところで、足を止めて背後を振り向いた。その時にはもう、姉はこちらに背を向けて剣を鞘から引き抜いていた。


「やだよっ!! 姉ちゃんも逃げようよっ!!」


「早く行けっ!!」


 振り向かないままアリシアが叫ぶ。


「やだっ!! 姉ちゃんっ!!」


「アーロンっっ!! 早くっ、行けぇええええええっっっ!!!」


「――――っ」


 顔だけでこちらを振り向き、アリシアが全力で怒鳴る。


 今までに見たこともない気迫に、前に出ようとしていたアーロンの足は止まった。


 そこからは言葉も交わす余裕もなかった。


「ぁあああああああああっっ!!!」


 自らを鼓舞するように雄叫びをあげながら、迫り来るオークたちに向かってアリシアが疾走する。まだ距離がある内に放った【フライング・スラッシュ】が、先頭の一体に当たり、その分厚い皮膚を斬り裂いた。


 そこへ疾走の勢いのまま飛び込んだアリシアが、跳躍しながら【スラッシュ】のオーラを纏った剣を振り下ろそうとして――、


「ガァアアアアアアッ!!」


 オークの握る棍棒によって、小石のように吹き飛ばされた。


 普段のオークたちであれば、牽制の【フライング・スラッシュ】によって怯み、その隙にアリシアは【スラッシュ】を叩き込むことができただろう。


 しかし、狂騒に駆られた魔物たちは生半可な負傷など恐れない。


 隙はなかった。


「姉ちゃんっっっ!!!」


 悲鳴。


 声をあげたアーロンにオークどもの視線が集中する。だが――、


「ぅぁああああああああああっっっ!!!」


 吹き飛ばされたアリシアは地面を転がった直後、間髪入れずに起き上がり、オークどもの意識を自分へ向けさせるように、雄叫びをあげた。


 そうして口の端から赤いものを溢しつつ、再びオークどもへ向かって疾走する。


 無茶だ――と思った。


 無理だ。このままでは姉が死んでしまうと、アーロンはすぐに理解した。村では自警団の大人たちよりも強かった姉だが、しかしその強さは、このオークたちの内、一体にも及んでいない。


 だが一方で、姉よりも遥かに弱い自分に、できることは何もないと分かっていた。


 それどころか加勢したところで姉の足を引っ張るだけだと。


 ならば、姉の言う通り逃げた方が良い。いや、逃げるべきだ。それが最善の選択肢だ。


 それでも。


(姉ちゃんを、助けなきゃ……っ!!)


 ただそれだけがアーロンの頭の中にあった。


 姉を置いて行きたくない。姉と離れたくない。たとえ――――死ぬことになっても。


 ひっ、ひっ――と、横隔膜が痙攣したように震えて、まともに呼吸もできない。恐い。死ぬのは恐い。だがそれ以上に、姉を、姉までも喪うことの方が恐い。独りになることが恐い。


 ガチガチと歯を震わせ、涙を流し、ガクガクと膝を震わせながら、それでも、


「ぅ、う、ぅううああああああああああっっっ!!!」


 アーロンは自らを鼓舞するように叫び、前へと足を踏み出




 /●/◯/●/




    そ

     れ

      で

       は


   ダ

      メ

    だ

       な

       …

        …

         …

          …




 /●/◯/●/




 前へと足を踏み出そうとして――――そこからしばらく、記憶がない。


 まるで夢から覚めたみたいに意識がはっきりとしてきた時、アーロンは見知らぬ街道の真ん中に立ち尽くしていた。


「――――――――ぇ?」


 ただ、夢と違うのは、声なんて出せないくらい、息が上がっていたこと。全身が鉛にでもなったみたいに、ひどく重く感じたこと。足が棒になってしまったみたいに、膝が曲がらなかったこと。全身が雨にでも降られたみたいに、夥しい汗で濡れていたこと。


 何より。


 さっきまで青かったはずの空が、いつの間にか、燃えるような茜色と、日が沈む直前の群青色に変わっていたこと。


「――――――――ぇ?」


 そこは静かだった。


 人の姿はなく、アーロンだけがいた。


 棒になった足で、それでも何とか、背後を振り向いた。


 姉どころか、オークすらいない。まるで何事もなかったかのように、平穏で静かな、街道がずっと向こうまで続いている。


「――――ぁ、ぁぁ……!!」


 街道の先に手を伸ばすように、アーロンは腕を上げようとした。


 腕どころか足にも力が入らず、アーロンは地面に膝をついた。そのまま四つん這いになるように倒れる。視界には街道の地面だけが映る。そこへポタポタと水滴が落ちた。


「――――ぁあ……っ、ぁあぁあああっ……!! ああああぁあああぁあぁああああああああああああっっっ!!!」


 叫んだ。泣きわめいた。嘔吐えづいた。


「――ぅぉえええええええ……っ!!」


 胃液すら空っぽになるくらい、吐いた。


 分からないはずがなかった。


 自分が今、ここにいる理由。なぜ、昼から夕方に時間が変わっているのか。なぜ、自分の息が上がっていたのか。なぜ、全身にこれほどの疲労が溜まっているのか。


 答えなんて一つだ。



 ――姉を見捨てて、醜悪なくらい必死に、ここまで逃げてきたからだ。



「――――ね」


 父が、母が、村の人たちが、姉が、もう無事であるはずがない。


 今から戻ったところで、何も見つけることはできないだろう。


「――――しね」


 みんな、死んでしまった。自分だけが、醜く生き残った。


「――――しね、しね」


 この日、アーロン・ゲイルに刻まれたのは、最も深く刻まれたのは、家族の死による悲しみでも、オークたちに対する憎しみでも殺意でもない。


 憎悪だ。



「――――アーロン・・・・ゲイル・・・、死ねぇ……っ!!!」



 姉を見捨てた、自分自身への。



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