第229話 「裸になった」
朝食を終えると、アリシアとアーロンは家を出た。
向かう先は村の近くにある川原だ。川のそばに大きな岩があって、その上から川に飛び込んでも大丈夫なくらい水深の深い場所があり、そこはカルツ村の子供たちにとって、夏の遊び場となっていた。
ただし、今はほんの少し時期が過ぎているため、川で遊ぶ子供はいないだろう。それでもアリシアとあの川に行けるのは今日が最後になるかもしれない。水は少しばかり冷たいかもしれないが、アーロンは文句も言わず、アリシアについて行く。
カルツ村は村の中心部に家が密集しており、その周りを囲むように広大な畑が広がっていた。
畑の畦道を抜けてさらに村の外へ進むと、小高い丘がある。
甲羅から頭を出した亀みたいな形をしていることから、その丘は「亀丘」と呼ばれていた。
そう、あの天下分け目の一戦、「亀丘の戦い」の舞台となった亀丘である。
その頂上まで登ると、畑を含めた村を一望できた。頻繁に目にしているアーロンにとってはつまらない光景だったが、たまにやって来る旅人などはこの景色を絶景と評することもある。
二人は丘の頂上で立ち止まり、その絶景に――――欠片も興味を示すことなく、登ってきたのとは反対側へ降りていく。
丘の向こう側には、鬱蒼とした森が広がっていた。
丘を降りて森の中に入り、子供たちによって踏み固められて出来た小道を五分も歩けば、森の中を通る川へ出る。
ごつごつとした丸石が転がる川原で、一つだけ大人の身長よりも大きな岩が転がっていた。
「――やっぱり、誰もいないわね」
川原を見渡してアリシアは呟く。そこには二人以外に人はいなかった。
それを確認すると、アリシアは素早く服も下着も脱ぎ捨てて、裸になった。
「姉ちゃん!?」
それに驚いたのはアーロンである。川で遊ぶ時、子供たちは服を濡らさないように全裸になって遊ぶことが多いが、それは小さな子供の場合だ。
思春期ともなれば人前で裸になることに抵抗を持つものだし、実際、年齢が上の子供たちは下着姿で遊ぶのが常であった。
「なんでぜんぶ脱いでんだよ!?」
「別に良いじゃない。他に誰もいないし」
「だ、だれか来るかもしれないだろ!?」
「村のガキンチョどもに見られたからって何なのよ?」
「は、恥じらいを持てよ!」
「はあ~?」
アリシアはアーロンに顔を近づけた。
「アンタもしかして、恥ずかしがってんの?」
「そ、そんなんじゃねぇし! ジョーシキの話だし!」
「チ◯毛も生えてないようなガキが何恥ずかしがってんのよ? あ、それとも……お姉さまの美しい裸に見惚れちゃってんの~?」
悪戯な表情で笑うと、アリシアは腰に手を当て、裸体を見せびらかすように胸を張った。
アリシアの言葉に、アーロン少年は少しばかりドキリとする。胸は非常にささやかな姉だが、その肉体は均整の取れた体型をしていた。おまけに鍛えているためか、手足には野生の鹿のようにしなやかな筋肉がつき、そこだけは女性らしく成長した腰つきは、否が応にも自分との違いを意識させられる。
姉の体には野生の獣がそうであるように、機能的な美しさがあった。
数えるほどだけ見たことがある、山猫みたいで綺麗だ――と思ったが、それを素直に認めるのは業腹である。アーロンは叫んだ。
「ね、寝言は寝て言えよ!! そんな貧乳にみとれるわけねぇだろ!!」
「あんっ!? 何だとこらっ!?」
怒ったアリシアがアーロンを押さえつけ、無理矢理に服を脱がせていく。その手が下着ごとズボンを脱がそうとしているのを察知して、アーロンは全力で抵抗した。
「やっ、やめろぉおおおおぉおおおおおっ!!」
アーロンは思春期だったので姉の前とはいえ、ち◯ちんを丸だしにするのは恥ずかしかった。
しかし、ジョブを得てますます手がつけられなくなったアリシアに敵うはずもない。アーロンは抵抗虚しく服と下着を剥ぎ取られた。
「――ほら! 全裸ごときでいつまでも恥ずかしがってんじゃないわよ! 時間は有限なんだからさっさと遊ぶわよ!」
それから数分、恥ずかしがって股間を隠し続ける弟に業を煮やしたアリシアは、アーロンの腕を強引に引いて歩き出すと、大岩の上に登った。
そして同じように大岩に登ったアーロンは、岩の上に立った時、思わずハッとする。
「――――!!」
川原を吹き抜ける爽やかな微風が、股間の下を撫でて通りすぎていく。
今年の夏も去年の夏も、アーロンは下着を着たまま川遊びすることを選択していた。だからいつの間にか忘れていたのだろう。
(気持ち良い……!!)
外で全裸になる解放感。それがここまで心地好いものだったなんて……。
先ほどまで恥ずかしがっていたのが、バカみたいだ。
アーロン少年は全裸の恥ずかしさを、容易く克服した!
それから時間にして一時間ほど、アリシアとアーロンは川遊びに勤しんだ。といっても大岩の上から飛び込んだり、川を泳いだり、魚を素手で捕まえようとしたりと――できることは限られていたが。
ほんの一時間で川を上がった理由は、単純だ。
「さ、さすがにこの時期は、水も冷たいわね……!!」
「ね、姉ちゃん、さ、寒い……!!」
川の水が冷たくて、それ以上は入っていられなかったからである。
二人は川から上がって服を着ると、強力して薪を集め、アリシアが家から持って来ていた着火の魔道具で火を起こした。
しばし、焚き火のそばで暖をとる。
そうして冷えた体が温まった頃、アリシアが立ち上がると言った。
「そうだ、アーロン。アンタに凄いもの見せてあげるわ」
「すごいもの……? なに?」
ふふんっと得意げに笑って、アリシアはこれまた持参していた『聖剣ブリュンヒルデ』を持ち上げる。
それから鞘から剣を抜くと、腰を落として構え――次の瞬間、横薙ぎに素早く剣を振るった。
「これが……スラッシュ!」
虚空を斬り裂く剣線に、青白いオーラの光が残光となって走った。
確かに綺麗な光景だったが、アーロンの反応は淡白だ。
「それもう何回もみたよ……」
「慌てんじゃないわよ。凄いのはここからよ」
と言って、アリシアは再度剣を構える。そして先ほどと同じようにもう一度、横薙ぎに剣を振るった。
「これが……フライング・スラッシュよっ!!」
剣士スキル――【フライング・スラッシュ】
虚空に刻まれた剣線からオーラの刃が飛び出し、前方へ飛翔する。オーラの刃は大岩に当たると、その表面に横一線の溝を刻んで砕け散った。
次の瞬間、アリシアは満面のドヤ顔で振り返る。
だが、この時ばかりはアーロンも茶化すことはできず、素直に驚愕した。
「ええええっ!? なに今のっ!?」
「私が修得した二つ目のスキル、【フライング・スラッシュ】よ」
「すっげぇ!! いまなんか飛んだよ!?」
「オーラの刃を飛ばす技なのよ」
「マジ!? 姉ちゃんすげぇっ!!」
何か凄そうな技に、アーロンは興奮した。
そんな弟の素直な称賛に、アリシアも胸を張って「そうでしょ? さすがは私、天才よね!」と気分良く応じる。
だが実際、その反応もあながち間違いではなかった。
アリシアはジョブを得てからおよそ二ヶ月、鍛練だけで二つ目のスキルを修得してしまった。魔物と戦うことなく、魔力の成長もなく、言ってしまえば大した経験も積まずに新しいスキルを修得できたのは、アリシアに才能がある証左だった。
アリシアがどの段階で『才能限界』に達するかは分からないが、もしここにトップレベルの探索者がいれば、固有ジョブに覚醒してもおかしくない才能だと言っただろう。
そんなことなど知る由もないアーロンではあったが、それでも姉が凄いということだけは分かった。
アリシアは剣を鞘に納め、アーロンの横に座り、その頭を乱暴に撫でながら言った。
「ま、というわけだから、姉ちゃんのことなら心配ないわよ。探索者になっても十分やっていけるし、どんどん稼いでやるわ!」
自分は強いから心配するな、と言いたいらしい。
「うん……」
それは理解したアーロンだが、その表情は沈んでいた。アーロンにとっては姉に会えなくなることが寂しいのだ。
口には出さないそんな思いも、しかしアリシアにとってはお見通しだった。
「ねぇ、アーロン。アンタ、何かやりたい事とか、将来の夢とかないの?」
「やりたいこと……?」
「そう。別に父さんの息子だからって将来は必ず畑を継がないといけない……ってわけじゃないのよ?」
「そうなの?」
漠然と、将来は父の跡を継いで農夫になるものだと思っていたアーロンは、驚いて姉の顔を見た。
アリシアは力強く頷く。
「そりゃそうよ。ウチの畑だって、ウチの土地ってわけじゃなく、領主様から借りてるだけなんだから。それにアンタが一般ジョブを選択しても、『農夫』になるかどうかは分からないでしょ? それでも農民を続ける人たちも結構いるのは確かだけど、別のことをしても良いのよ」
「じゃあ、畑はどうするのさ?」
「そんなの、父さんたちの代で領主様に返上して離農すれば良いだけでしょ」
「そうなんだ……」
急に視界が開けたような気がした。
村に縛られることなく生きていく選択肢もあるのだと。ならば、アーロンは一つだけ、やってみたいことがあった。
「じゃあ、おれ……鍛冶師になりたいっ!!」
迷うことなく断言したアーロンに、アリシアは思わず目を丸くした。あまりにも具体的な答えが返ってきて、少々驚いたのだ。
「鍛冶師って……なんでよ?」
弟が鍛冶師に憧れているなどということは、一度も聞いたことがなかった。
だが、アーロンはちょっとばかし照れ臭そうな顔をしながら、けれどはっきりとした口調で答えた。
「姉ちゃんは探索者になるんだろ? だから……いつか、おれがちょーすげぇ剣をつくって、それを姉ちゃんにやるよ! そうしたらおれの剣で姉ちゃんをたすけることができるだろ?」
「…………」
アリシアはしばし、ぽかんと口を開けていた。
いつも自分に守られるばかりだった弟が、逆に、自分を助けたいと思っていたことが意外でもあり、そして――、
「……ふふっ、あはははははははっ!!」
妙に嬉しかった。
アリシアは照れ隠しに、両手でアーロンの髪の毛をぐしゃぐしゃにした。
「ちょっ、なにすんだよ!?」
「べつに! ……でも、ふぅ~ん、そう……じゃあ、アーロン。アンタは鍛冶師になりなさい」
「……うん」
「私は超一流の探索者になるんだから、アンタも超一流の鍛冶師になって、私に見劣りしない超一流の剣を打たないとダメよ?」
「……ふんっ! 姉ちゃんこそ、おれの剣にみおとりしないような、超一流の探索者になれよなっ!!」
生意気なセリフを吐くアーロンの顔には、けれど屈託のない笑みが浮かんでいた。
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