第227話 「暴君である」
「――フィオナちゃん、これ以上のことが知りたいなら、アーロンが暮らしてた孤児院に行ってみると良い。あそこの院長先生は、まだアーロンがいた頃と同じ人だからさ。きっと色々教えてくれるはずだ。……俺からも教えてくれるように頼んでおく」
「リオンさん……ありがとうございます。お願いします」
フィオナは対面に座る眼帯のギルド職員、リオンに頭を下げた。
アイクルを娘にすると決めた翌日、フィオナはルシアを伴ってリオンに会いに行った。そうして時間を貰い、自分の知らないアーロンの過去について聞き出すことに成功した。
と言っても、リオンが話してくれたのはアーロンがネクロニアの孤児院へ来ることになった切っ掛けの出来事。その後、探索者となったアーロンとの出会いと、心を閉ざしていたアーロンとリオンたちが意気投合できた理由だ。
話を終えたリオンは、孤児院へ来る前の過去については、自分よりも詳しい人物がいると――アーロンが暮らしていた孤児院の院長を紹介してくれた。
フィオナは話しにくいことを話してくれたリオンに、深々と頭を下げて礼を言う。フィオナの予想した通り、アーロンの過去は軽々しく他人が聞いても良い話ではなかった。それでもリオンが親友の過去をフィオナに語ってくれたのは、フィオナのことを信じてくれたからだろう。
頭を上げたフィオナに、リオンは苦笑して首を振る。
「いや、礼を言うのはこっちの方だ。……俺は、俺たちは、あいつに『限界印』が出た時、あいつをパーティーから外すことしかできなかった……。あのままパーティーを組んでいても、絶対死んじまうと思ってたからな。だが、あいつは一人で探索者を続ける道を選んじまった。それでも、俺たちと一緒に奥へ進むよりは生き延びられると思ったから、強くは反対しなかった……」
リオンは、アーロンがずっと低階層を彷徨くことになると思っていた、と静かに語った。
それでも死ぬ確率は相当に高いと見ていた、とも。
「だけど、あいつに探索者をやめさせることなんて、俺たちにはできなかったんだよなぁ……。んで、十年もすると、あいつは一人で深層まで潜れるようになっちまった。驚いたと同時に、嬉しかったよ、あの時は……」
友人の努力が報われたのだと、アーロン以上にリオンは喜んだ。だが、喜ぶと同時に、不安でもあった。
「強くなっちまったあいつが、さらに無茶をするんじゃねぇかってさ……そして、スタンピードが起こった……」
≪栄光の剣≫のメンバー、三人が死んだ。
スタンピードが終息した後、アーロンは生きる気力を失ったように見えた。スタンピードによって親しい人間を喪うことは、アーロンにとって大きな傷なのだ。
だが、アーロンは少しずつ持ち直した。もちろん自分も気にかけてはいたが、そんな自分よりも遥かに強引に、アーロンに手を差し伸べた人物がいた。
そのやり方は少し乱暴ではあったが、しばらく観察していれば、落ち込んだアーロンを無理矢理に元気づけようとしていたのだと、すぐに分かった。
「あの時、アーロンを助けてくれて、本当にありがとう、フィオナちゃん」
そう言って、リオンは真摯に頭を下げた。
●◯●
アーロンが木剣製作を終えた翌日。
早朝からルシアの転移でネクロニア郊外にある草原へ移動し、「白金の剣」の確認を行った後、アーロンの自宅に戻ったフィオナとルシアは、すぐに出掛けた。
向かうはネクロニア外縁区画、西部区域と北部区域に跨がって広がるスラム街――から、程近くの場所に建つ、孤児院の一つだ。
孤児院を訪れた二人は、すぐに中へ案内され、奥の一室に通された。
名前を告げると「話は伺っております」と返されたことから、どうやら約束通り、事前にリオンが話を通しておいてくれたらしい。
さほども待たされることなく、フィオナたちが待つ部屋に、一人の老人が訪れた。
白髪の、柔和な顔立ちをした老人だ。
「初めまして、私はこの孤児院の院長を任せられております、オーダンと申します」
フィオナたちもソファから立ち上がって、挨拶を返す。
そうして両者ともテーブルを挟んで腰を落ち着けたところで、話は始まった。
「さて……リオン君から話は聞いていますが、アーロンの過去について、お聞きになりたい……ということで、間違いはありませんかな?」
「はい。あの……本人のいないところでこういうことを聞くのはどうかと思うでしょうが――」
と、フィオナが言いかけたところで、その言葉を遮るように「ああ、いやいや」とオーダンは首を振った。
「あなたとアーロンの関係については、すでにリオン君から聞いております。確かに普通ならば、本人のいないところでする話ではないでしょうが、アーロンがここに居れば話を遮ってしまうでしょうしね。仕方ありません。……それに、アーロンの大切な人であるあなたになら、話しても構わないでしょう」
とのオーダンの言葉に、フィオナは少しばかり顔を赤くしつつ、リオンはいったい自分たちの関係をどう説明したのかと気になった。
一方、オーダンはフィオナの様子をそれとなく観察しながら、納得したように微笑む。
「あなたのようなお嬢さんが、あの子のそばにいてくれて、嬉しく思いますよ。……では、さっそくですが、話しましょうか。あの子、アーロンのことについて……」
「お願いします」
●◯●
姉とは――――暴君である。
ネクロニア周辺三国が一つ、ウルムット帝国、ローレンツ辺境伯領、カルツ村は、農業にて生計を立てる穏やかな村である。
魔物も滅多に現れず、広大な農地が広がる牧歌的なその村の一角で、幼い少年の声があがった。
「はっ、離せぇええええええええええっっっ!!?」
絶叫である。
真に迫った叫びは、聞けば何事かと振り向かずにはいられない。しかし、少年に助けは訪れなかった。
そこはカルツ村に住むゲイルさん家の庭先だった。
叫びをあげたのは、地面に仰向けで転がされた少年――アーロン・ゲイル、十歳であった。
「――よくも私の『聖剣ブリュンヒルデ』を隠してくれたわね、アーロン」
一方、地面にアーロン少年を転がし、その両足首を両手で持ち上げて拘束しているのは、黒曜石のように艶やかな長い黒髪を、ポニーテールに纏めている少女だった。
名はアリシア・ゲイル。十五歳。
非常に気の強そうな顔立ちをしているが、良く見れば美少女と言えなくもない。そんな彼女はしかし、失態を犯した部下を冷酷に見下ろす山賊の首領のような表情で、己の弟を見下ろしていた。
「まさか、私の記念すべき旅立ちの日も近いってのに、弟にこんな悪戯をされるなんて……私は悲しいわ、アーロン」
事の発端は、とある理由からアーロン少年が、姉の持ち物である『聖剣ブリュンヒルデ(粗製乱造のなまくら鉄剣である)』を隠したことであった。
朝起きてこれに気づいたアリシアは即座に激怒。『聖剣ブリュンヒルデ』の隠し場所を白状させるため、逃げ回るアーロン少年を捕まえ、地面に転がし、両足首を掴んで持ち上げた――というのが、ここまでの流れだ。
「どうやら……教育が足りなかったみたいね? 可愛い弟だと思って、手心を加えていたのが良くなかったのかしら?」
「ふ、ふざけんなこの貧乳っ!!」
アーロン少年は姉のふざけた戯れ言に激怒した。教育? 手心? 実にふざけた話である、と。
「いつもいつも暴力で何でもかんでも解決しようとしやがって!! そんなんだからダリル兄ちゃんにもフラれるんだよ!!」
ダリル兄ちゃんとは、近所に住むアリシアの二歳年上の青年だ。かつてアリシアが告白し、悲劇的かつ喜劇的な玉砕を経験した相手である。
だが、それは先の単語とも相俟って、アリシアの禁句であった。
「――――あ? ……おい、誰が貧乳だって?」
「ひっ!?」
ドスのきいた低い声音で問いつつ、アリシアは両手に掴んだアーロンの足首を動かし、弟の股を強制的に開かせた。
そうしてアーロン少年の股間に、自らの右足を乗せる。
アーロンは震えた。これまでの人生で幾度も経験してきた、姉による折檻という名の暴力。刻まれたトラウマが意思に反して体を震わせる。これから何をされるかなど、火を見るよりも明らかだ。
「やっ、やめろぉおおおおおおおおおおおっっっ!!?」
「――誰が貧乳だって? 言ってみなおらぁああああああああっ!!」
ドドドドドドドドッ!! と、連続かつ高速で、アーロン少年の股間を衝撃が襲う!!
何をされているかなど説明するまでもないだろう。弟の股間に右足を乗せたアリシアが、小刻みかつ高速でストンピングしているのである!!
「ぅぁあああああああああああああっっっ!!?」
「おらおらおらおらおらおらぁあああああっ!! 姉より優れた弟など存在しないと! まだ理解してなかったようねぇえええっ!? 物分かりの悪い弟を! しっかりと教育してあげるのが姉としての務めよっ!!」
「やめっ、やめろぉおおおおぉおおおぉおおっっっ!!?」
「改めて姉の偉大さをその身に刻みっ!! もう二度と逆らおうなんて考えられなくしてあげるわっ!!」
「言うっ! 隠し場所っ、言うからぁあああああっ!!!」
「もう遅っせぇのよ!! これは教育! 愛の鞭! 可愛がりよ!!」
「うぁあああああああああっ!!? だれかっ、たすけてぇえええええええっ!!」
アーロン少年の悲痛な叫びが村中に響き渡る。だが――、
「おや? ゲイルさん家の」
「今日も朝から元気だねぇ」
「あそこの姉弟は仲が良くて羨ましいわぁ。ウチのとこなんかさぁ……」
――と、その助けを求める声は確かに届いていたが、いつもの事だと気にする者はいなかった。村の中心にある共用井戸へ向かって、おばちゃんたちが世間話しながらゲイルさん家の庭先を通りすぎていく。
そして姉の折檻は数分間も続き――アーロンはようやく解放された。
「ひゅぅ……ひゅっ、ひゅぅ……!!」
そしてそこには、痙攣したように不規則な呼吸を繰り返すアーロン少年の姿があった。
地面に仰向けで転がり、虚空を見つめる瞳には光がない。目の端からは涙のあとが引かれ、衣服は乱暴されたように激しく乱れている。全力で叫んでいたためか、無表情なのに頬だけが紅潮していた。荒い呼吸を繰り返す口の端からは涎が垂れているが、それを拭う気力すら残っていなかった。
ここにショタコンの変態がいれば、実に危ない光景であった。
「ふぅ……!! やっぱり、弟をわからせるのは最高の娯楽ね!」
と、仰向けのアーロンを見下ろして満足そうにアリシアが言うのを聞いて、アーロンは改めて決意する。
それは常々実感し、心に刻んできたことだ。
「暴力を、ふるう奴は、最低だ……!!」
「あん?」
「おれは、大人になっても……! 姉ちゃんみたいに……っ、暴力で人にいうこと聞かせるような……そんな奴には、絶対、ならない……っ!!」
アーロン少年は姉を反面教師として、将来は心優しい大人になることを決意した。
酔って酒場で乱闘したり、気に入らない奴をすぐにぶん殴ったり、暴力にものを言わせて他人を脅したり――――そんなことは絶対にしないと、アーロン少年は誓った!!
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