第224話 「美味いッ!!」
――時は少しばかり遡る。
「ただいま」
「ただいまー!」
食材などの買い出しから、フィオナとルシアは帰ってきた。
工房部屋で作業中のアーロンの邪魔をしないように、二人は静かに台所へ移動する。そうして今日買ってきた物をストレージ・リングから取り出し、テーブルの上いっぱいに並べ終えてから、フィオナとルシアはエプロンを身につけた。
「さあ、ルシア、始めるわよ!」
「おー!」
いよいよ料理の開始である。
お手伝いであるルシアも気合い混じりに、片腕を高く突き上げた。何せ神代では料理などの家事は一般家庭に至るまでオートメーション化されており、料理は一部の趣味人の娯楽と化していた。そのため、ルシアも自分で料理をするという行為は、初体験であったのだ。
正直に言えば、少しばかりわくわくしていた。
一方で、初めての料理に対する不安はない。なぜなら、自分は一人ではないからだ。
(フィオナの料理のうでが、きわめて高いことは、フィオナの記憶をみてしっている……)
ルシアは【神界】のルシアと記憶を同期させることで、フィオナの記憶をも所有している。他人の記憶であるだけに、意識して「閲覧」しなければ隅々まで確認することはできないが、料理に関してはしっかりと確認していた。
それによれば、フィオナは極めて高い料理の腕前を持っていることが、すでに判明しているのである!
事実、フィオナの記憶の中のアーロンも、フィオナの料理を食べる度に、見たこともないような笑顔で称賛していたのだ。
『美味いッ!! 美味すぎるッ!! 一生俺にこの料理を作ってほしいくらいだぜッッッ!!!!』
――と。
他にもなぜか、一口食べた後にテーブルに突っ伏し眠ってしまうという記憶が何度かあったが、それらの記憶はフィオナにとって重要ではないのか、あまり鮮明に残ってはいなかった。たぶん、アーロンは疲れていたのだろうとルシアは結論する。
一方でフィオナの料理を「美味い! 美味いッ!」と食べる姿が強く記憶されていたことから、普段はそうなのだろうと確信する。
……ところで、脳は現実と空想を区別しない、という言葉を御存知だろうか?
脳という器官にとって、現実の記憶も空想による記憶も、違いなどないのだ。それゆえに武術やスポーツの世界などではイメージトレーニングが有効とされるし、あまりにも強い空想は本人の認知を歪ませることさえある。
――――すなわち、記憶改竄である!!
そして他人の記憶であるがゆえに、ルシアがフィオナの記憶の違和感に気づくことはなかった!
「ねぇ、フィオナ」
「ん? どうしたの?」
だが、そんなルシアをしても、違和感を覚えざるを得ない光景が、目の前にあった。
それはテーブルの上にずらりと、所狭しと並べられた食材の数々である。
「これ、ぜんぶ使うの? たべきれる?」
「ふふっ、そんなわけないでしょ。これは数日分の食材をまとめ買いしたからよ」
「そっか」
食材の多さに、まさか今日だけでこんなに食べるのかと疑っていたルシアは、フィオナの言葉に納得した。しかし、違和感を覚えていたのはそこではなかった。
「……フィオナ、テーブルの上にあるのって、ぜんぶ食材?」
「? ええ、食材だけじゃなく調味料とかもあるけど、そうよ?」
「ふーん……」
ルシアは言葉にも態度にも表情にも出さなかったが――――内心でドン引きしていた!!
テーブルの上には、明らかに食材ではなさそうな物が散見されたからである!
(現代人は、これらをたべるのかぁ……)
恐るべき現代人! ジェネレーションギャップを遥かに超えた食文化の断絶に、ルシアは目眩を覚える。
「ねぇ、フィオナ、これなに?」
と、小瓶に入ったどす黒い赤色の液体を指差す。
「それは蛇の生き血ね」
「じゃあ、これは?」
「それは
「……こっちは?」
「それは生き血を絞った後の蛇の心臓ね」
「……んん……えっと、じゃあ、これ」
「それは虎の睾丸」
「…………(すっ)」
「それはサソリ」
「…………」
「それはコブラを乾燥して砕いて粉末にした物よ」
「――――」
「生き血を絞った蛇とソフトシェル・タートルね」
「…………フィオナ、わたし、たべたくない」
食料品店だけじゃなく、薬屋や錬金術師の店にも足を運んでいたのが、単に薬やポーションを購入していたわけではないと知って、ルシアは戦慄した!
まさか今日購入したものが、全て食材だったとは想像の埒外であったのだ。妙に薬屋とか回っていると思った。
だが、蛇の生き血やら虎の睾丸やらサソリなど、ルシアは食べたくなかった。正直にそう告げると、しかし、フィオナは笑って告げる。
「大丈夫よ。今のは全部、アーロン用の食材だから」
「そうなんだ……」
ほっと胸を撫で下ろすルシア。
それから首を傾げて問うた。
「でも、なんでアーロンだけ? アーロンの好物なの?」
もしもそうだとしたら、今まで通りにアーロンと接する自信がない。
「んん……そういうわけじゃないけど……」
と、フィオナはなぜか顔を赤らめて口ごもり、小声で答えた。
「さ、最近、アーロンはお疲れみたいだから……その、滋養強壮に良い物を食べさせてあげたくて……」
そう言って照れるフィオナの姿は、同性であるルシアの目から見ても、本当に可愛らしかった。
……それだけに食べさせようとしている物の異質さが際立つが。
「へぇ……なるほど」
本当に効果があるのかはルシアには分からないが、栄養価が豊富な食材ではあるらしい。それにアーロンがお疲れと聞いて、妙に納得してしまうところもある。
(たしかに、フィオナの記憶では食卓で糸がきれたようにねむってしまうアーロンの姿が、何度もある……。あれはやっぱり、疲れてたんだ……)
つまり、これらの食材は、お疲れのアーロンを労るフィオナの優しい気持ちなのだろう。そう考えると、ルシアは心がほっこりした。
「さて、それじゃあ、調理を開始するわよ」
「ん!」
「生き血と心臓は悪くなるのが早いから、今日中に食べさせないとね。血はワインで割って……心臓は生で食べさせた方が効果あるって聞いたから……そうね、オリーブオイルと塩、刻みにんにくを乗せてそのまま出すのが良いかしら」
「…………うぷっ」
料理の内容はともかく、フィオナは手際よく調理していった。ルシアもできるだけフィオナの手元を見ないようにしながら、にんにくの皮などを剥いて手伝う。
「こっちはこれで良し……と。じゃあ、次はサラダでも作ろうかしら」
「むぅ……野菜はあんまり好きじゃない」
子供の体になってから苦いのが苦手になったルシアが顔をしかめる。
だが、料理上手のフィオナは、そんなルシアの反応も予想済みであったらしい。
「ふふっ、じゃあ、ルシアでも食べられるように、フルーツたっぷりのサラダにしてあげるわ」
「む? フルーツ?」
「ええ。そうね……基本は葉野菜のサラダだけど、ミニトマトと……オレンジでも入れましょうか。ルシア、オレンジの皮を剥いてくれる?」
「ん。わかった」
ルシアがオレンジの皮を剥く間に、フィオナは手際よく葉野菜を契り、ミニトマトを半分に切ってボウルの中に入れていく。その迷いのない動きに、ルシアは感心した。
(やっぱりフィオナは料理がうまいみたい……)
今日の夕食は美味しい料理が食べられそうだとわくわくする。
「ん! むいた!」
「ありがとう。じゃあ、あとは……オレンジの薄皮も剥きたいんだけど……」
「ふむ……」
と、ルシアは自分のちっちゃな幼女ハンズを見つめた。この小さな手では、精密な動作はまだ難しい。
「ぐちゃぐちゃになってもいい?」
「んー……半分はドレッシングに使うからそれでも良いけど、もう半分はサラダに入れたいから綺麗に剥いてほしいわね」
「……それはちょっとむずかしい」
しゅんっと落ち込むルシアを見て、しかしフィオナは優しく笑う。そうしてストレージ・リングの中から、おもむろにガラスの瓶を取り出した。
「じゃあ、これを使いましょうか?」
「む? それなに?」
「これはオレンジの薄皮を綺麗に取り除ける、魔法の液体よ」
「ふおお……!! なんかすごそう……!!」
用途は限定的であるが、そんな便利な物があるのかと目を輝かせるルシア。
フィオナは得意気な顔で中身の正体を告げた。
「これはね…………硫酸よ!!」
「――――ぇ?」
「ふふんっ! 最近他の商会で開発された大量生産の手法なんだけど、酸で柑橘類の薄皮や白い繊維を溶かせるらしいのよ。そうして果肉だけにした後、シロップ漬けにして出荷するらしいの!」
「――――ぇ? で、でも、果肉もとけちゃうんじゃ……?」
「そこは大丈夫。薄皮が溶けたら、ちゃんとこの――」
と、フィオナはリングから、さらにもう一本の瓶を取り出した。
「炭酸水素ナトリウム水溶液? ってやつで中和するから! そうしたら果肉だけ残るし、安全に食べられるらしいの!」
「安全に食べられる」とは逆に不安になる言葉であった。
「……フィオナ、その硫酸……濃度は?」
「え? 濃度? ……さあ?」
「…………」
ルシアはとっても不安になった!!
酸性のものをアルカリ性のもので中和すれば無害化する――というのはルシアにも分かる。しかし、たぶん、薄皮とか溶かすにしても、かなり希釈した溶液を使うのではないかと思ったのだ。さらに言えば、本当に硫酸を使うのかも怪しい。別の酸性の液体の方が良いのではないか? 何か、たぶん、塩酸とか。
そしてフィオナの様子から、その手に持つ硫酸がどれくらいの濃度なのかも不明だ――というより、たぶん、あんまり希釈されていないやつである。
「あの……フィオナ、わたし、がんばってオレンジの薄皮、きれいにむくから……それは、仕舞ったほうがいい……」
「そう? でも、剥くの大変でしょ? 時短にもなるし、これでやった方が良いんじゃないかしら?」
ルシアはぶんぶんと首を横に振った。
「硫酸、あぶない。きけん。こわい。たいへん」
「大丈夫よ? こう見えて私、食品の取り扱いには自信があるんだから。……でも、確かに硫酸は薄めて使った方が良いかもしれないわね……。よし、じゃあ、水で薄めましょう!」
「ひぃっ!!? だめっっっ!!!」
ルシアは硫酸の入ったガラス瓶を持って水道に向かうフィオナに、全力で制止の声をあげた。
硫酸に水を入れると急激に沸騰し、硫酸を周囲に飛び散らせてしまうため、大変に危険である。よい子は絶対に真似しないようにしよう。
「フィオナ、それ、仕舞って。それ、だめ、ぜったい……!!」
「そう? ……じゃあ、手作業で剥きましょうか?」
「うん、そうする……!! そうしたほうがいい……!!」
ルシアはフィオナに硫酸を仕舞わせることに成功した。
だが、安堵はない。
(なに……? わたしはなにか、ちめいてきな勘違いをしているような気がする……!!)
ドクンっ、ドクンっ、と、嫌な感じに心臓が鼓動している。
本能が何か、極めて命の危険を告げていた……!!
しかし、その正体が分からぬままにルシアはフィオナの調理を手伝っていく。震える手で必死になってオレンジの薄皮を丁寧に剥いた。
そうしてサラダを作り終えると、今度は別の料理に移る。
「じゃあ、次はスープを作りましょうか」
「…………はい」
「んー、といっても、今日はあんまり時間がないから、手の込んだものは無理ね」
フィオナがテーブルの上の食材たちを眺めながら、何を作ろうかと悩む。そうして数秒、フィオナは「あっ!」と声をあげた。
「時短! そうよ、もしかしたらあれを使えば時短できるんじゃないかしら!」
「――――ぇ?」
嫌な予感に、ルシアの体が震える。それでも勇気を振り絞り、聞いてみた。
「……な、なにを、どうするの……?」
フィオナは世紀の大発見だとでも言うように、満面の笑みで答える。
「――――硫酸よ!!」
「――――」
一瞬、ルシアの意識が飛びかける。脳が現実を拒絶しようとしていた。しかし、その間にもフィオナは説明を続ける。
「硫酸で具材を溶かしてドロドロにすれば、なんか、旨味も一緒に溶け出すんじゃないかしら? 後できちんと中和すれば、水と塩になるって聞いたような気がするし、塩味も加わってちょうど良いかもしれないわ!」
「や、やめ……やめ……っ!!」
「この方法なら短時間でじっくり煮込んだような、旨味たっぷりのスープができるかもしれない……うん、そうね、やってみましょう!」
「ぁ、あ、ぁ、あぁ……!!」
ルシアはただ、恐怖することしかできなかった。
一切の悪意なく行われようとしている、不条理な調理に、フィオナの正気を疑う。きっと何かの冗談に違いない。そんな楽観的な推測も、フィオナの楽しげな表情に吹き飛ばされてしまう。
ルシアは必死にフィオナの調理を止めようとするが、あまりの恐怖に力が入らず、喉はひきつれたように微かな喘ぎを漏らすだけだった。
――――きっと大惨事になる。
そんな予感と絶望に押し潰されそうになった時、勢い良く台所へ飛び込んでくる人影があった。
「――――そこまでにしてもらおうかッ!!」
「アー、ロン……っ!!!」
ぱああっと、ルシアは救世主の登場に表情を輝かせた。
アーロンと出会って、まだ数日と日は浅いが、かつてこれほどまでにアーロンが頼もしく見えたことはあっただろうか? いやないッ!!
「なによ、アーロン。夕飯ならまだ出来てないわよ?」
「そんなことは見れば分かる! そうじゃなくて、フィオナ、料理に硫酸を使うのは止めるんだッ!!」
(アーロン、かっこいい……!! もっと言ってやって……!!)
実に当たり前のことを口走るアーロンに、しかしルシアは激しく賛同する。
対するフィオナは、物分かりの悪い子供にするように、やれやれと首を振った。
「硫酸って聞くと危険って思うかもしれないけど、これは実際に、食品加工工場で使われてるのよ? 中和すれば人体に害はないし、とっても便利なの」
「そうかもしれないが素人が浅い知識で手を出すのは危険だろ!!」
(そう! まったくそのとおり!!)
「素人って……まったく、私を誰だと思ってるの? ネクロニアの食品流通最大手、アッカーマン商会の娘よ? これでも食材や調理法、食品の加工方法なんかには人一倍詳しいんだから」
「そういう問題じゃない! 聞き齧った程度の知識で危険な物質や食材に手を出したり、特殊な調理方法を試してみたりするのを止めるんだッ!!」
それは大きな実感のこもった、魂の叫びだった。
あまりにも真剣な口調に、さすがのフィオナも不満そうにしながら、「もうっ、わかったわよ」と頷き、再び硫酸をリングに仕舞った。
「それから、フィオナ」
「なに?」
「料理は俺も手伝う事とする。それがこの家のルールだ!」
「はあ? 何言ってるのよ? 忙しいんでしょ? 家事は私に任せてって言ったじゃない」
じろりと、こちらを睨むような視線。
「…………」
この時、アーロンは直感した。
先程、硫酸の使用を禁じたばかりである。この上、感情に任せてさらにゴリ押ししても、フィオナの機嫌を損ねるだけで危険だと。ならば、答えはフィオナが受け入れやすい理由でなければならない。
アーロンの脳神経細胞は激しくスパークし、回答をひねり出す!!
「その……好き、なんだ」
「えっ?」
「フィオナ……が、……料理している姿を見るのが!!」
苦しい。あまりにも苦しい言い訳だ。さすがにこんな答えでは納得しないだろうと半ば以上確信しつつ、アーロンはフィオナを見る――――と、
「そ、そう……!! じゃ、じゃあ、仕方ないわね……!!」
フィオナは恥ずかしそうに赤面しつつ、アーロンの提案を受け入れた!
それから妙に機嫌が良さそうにしながら、
「ふふん! それじゃあ、アーロンにも手伝ってもらうわよ?」
と言ってくる。
「あ、ああ……!! 任せろ!」
これにて、無事にゲイルさん家集団食中毒事件は、その発生を免れた。
「むーっ! さすがアーロン!」
「お!? なんだ、どうした?」
安堵したルシアは、思わずアーロンに抱きついた。ルシアのアーロンに対する信頼度が100上がった!
●◯●
ちなみに。
「え? なにこの、赤い、小さな……肉?」
「それは健康に良い食べ物よ」
その日の食卓には、アーロンにだけ特別な食材が饗された。
もちろん、得体の知れない物など食べたくないアーロンは、食べたくないと抵抗する。しかし、フィオナの圧に抗しきれず、やがて、何か小さな肉片のような物を、恐る恐る口に入れた。
「おぇ……っ、うっ……まっずっ!!?」
気持ちの悪い感触に躊躇いながらもそれを噛むと、途端に溢れ出す鉄臭い血の味。
あまりの不味さに急いで流し込もうと、アーロンはグラスを掴んでワインを呷る!
「――ごほぉっ……!?」
だが、そのワインも酷い味がした!
思わず正気かという目でフィオナを見るが、当のフィオナはにこにこして、
「そのワインも特別なものだから、全部飲んでね?」
と言うだけだった。
まあ、ワインと肉(?)以外は普通に美味しい料理だったために、何とか完食することはできたのだが……その日の深夜、アーロンの体を異変が襲う……!!
「何だ……!? やけに心臓がバクバクして、眠れん……ッ!!」
アーロンのリビドーゲージが40上昇した!
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