第213話 「封神殿」
【神界】は閉じられ、制御できなくなった魔物と亜人たちの暴走、インフラの崩壊により、人類文明は衰退を始めていく。
しかし、知識や技術が失われても、【邪神】を消滅させる術が失われてしまった現状、当初は一時的な処置であったこの封印を、恒久的に維持しなければならない。
だが、これは不幸中の幸いにより、「わずかな犠牲」で可能であった。
それは【封神殿】が元々、スタンドアローンで稼働するように設計されていたからである。
――というのも、【封神殿】を他の魔導機械のようにオンラインで制御、稼働、あるいは魔力供給ラインを【神界】から繋いだ場合、最悪、【邪神】によってその制御を奪われてしまう可能性があった。
【邪神】を封印するための道具が、【邪神】によって制御を奪われるなど笑い話にもならない。
そのため人類は、【封神殿】を設計するにあたって、【神界】とは独立したシステム、魔力供給ラインを構築した。
いわば、【神界】とは別の小さな神界――【小神界】とでも呼ぶべき、ローカルネットワークを構築したのである。
このために利用されたのが、【邪神】との戦いのために増産されていた、アロン、カドゥケウス、グリダヴォル、キルケー、これら四タイプの人間兵器たち数百人だった。
【封神殿】の要たる魔法術式を持つ【魔法神:時空神クロノスフィア】を一人にダウンロードし、自我情報を破棄せず維持したまま【神界】との接続を切断。クロノスフィアをシステムの「核」、そして管理者として、前述した数百人と新たなサイコラインを繋ぎ直し、小規模だが閉じられたサイコネットを構築する。
そうしてサイコネットを構築する者たちから魔力を徴集し、それを【封神殿】稼働のためのエネルギーとして供給ラインを繋いだ。
これが【封神殿】という魔導機械の中枢システムだ。
これを維持するためには「核」となるクロノスフィアが宿る器――人体を、定期的に交換する必要があった。ありていに言ってしまえば、代々、人柱を捧げる必要があったのだ。
一方で、さらなる問題もある。
それは【小神界】を構築する現・四家の者たちの魔力不足だ。
兵器として製造されただけはあって、四家の者たちの魔力総量は常人よりも多い。だが実のところ、現代の人間たちは常に多くの魔力を徴収されているのである。
かつてパンゲア政府が全国民に課した三割の魔力という「税」はいまだに有効であり、【神界】のシステムを介して自動的に徴収され続けている。これがあるからこそ、いまだ現存する「テラフォーマー」シリーズの何基かは稼働を続けることができているわけだ。
そして戦闘ジョブなどに付随する身体能力の補正。
この正体は「ジョブ・システム」によるアプリケーション化された魔法であり、この魔法を自動発動させるために、ジョブを持つ者たちは常に何割かの魔力を消費している状態にある。そしてこの魔法によって消費される魔力は、強力なジョブであるほどに多い。
ここに【封神四家】の者たちは、さらに二つの魔力消費を課されることになってしまう。
一つは【封神殿】を稼働させるための魔力。
そしてもう一つは、【封神殿】を保守・管理するために必要な「ブレイン・サポート・デバイス」を構築するための魔力だ。
【封神殿】に何か操作を加えるにはデバイスが必要であり、さらに言えば、【封神殿】の制御室などは転移魔法がなければ移動できない場所にある。
そのため、四家の者たちはデバイスを失うわけにはいかない。
この頃、【神界】が閉じられてしまったことで、魔力によって具現化されていたナノマシンは失われ、人類はブレイン・サポート・デバイスを失ってしまっていた。デバイス開発初期の頃とは違い、コストの問題からナノマシンの製造は魔力による半物質生成に置き換わっていたためだ。
だが、半物質による精密機械の生成など、人間個人で可能な技術ではない。それは【神界】のシステムによって構築された高度な魔導アプリケーションであり、【神界】との通信が途絶してしまえば、ナノマシン生成の術式を維持することはできなかった。
例外は自身の肉体を改造した【邪神】や、竜や龍、巨人といった大型の改造魔法生物だけであり、龍や巨人はデバイスを構築していたわけではない。物理的にあり得ない巨体と運動性能を維持するために、ナノマシンによる強化が必要だったのだ。
ともかく、前述した二つの理由のためにデバイスを必要とした四家の者たちだが、【小神界】を構築したことで、四家の者たちだけはデバイスを再生成することに成功する。
もはや骨董品と化していた初期のブレイン・サポート・デバイスをかき集め、それを用いて【小神界】にデバイス生成のためのシステムを書き加えることができたのである。
なお、【小神界】と接続する人数を四家以外にまで広げることがないのは、クロノスフィアの「寿命」を伸ばすためだ。
【小神界】を管理できるのはクロノスフィアしかいないし、【神界】から切り離された複製クロノスフィアは、オリジナルと比べれば圧倒的に性能が劣る。あまり巨大なネットワークを維持することはできなかった。
ともかく、デバイスの構築は何とかなったが、魔力量の問題は別だ。そこで四家の者たちは負担を減らすべく、ジョブを取得することを自ら禁じた。
ジョブがなくとも、クロノスフィアとの繋がりによる魔法術式のダウンロード、そしてデバイスによる演算補助により、空間魔法だけは使うことができたのだ。
逆に、デバイスの演算補助を失った他の人類は、空間魔法を使うことはできなくなってしまったが。
●◯●
「――こうして【邪神】封印のために【小神界】を構築するものたちが、管理のために【封神殿】周囲に住むようになって、のちに【封神四家】とよばれるようになった」
ルシアが口を閉じる。
それが【封神四家】の始まり、ということなのだろう。
何か、アレが、アレして、クロノスフィアが、アレで、エヴァ嬢たちの先祖がああして…………うん、というわけだな。
ともかく、皆が何かを考え込むように静かな室内で、俺は口を開く。
「そんで、ここからどうなるんだよ? なんで、封印を守るべき四家の人間が、スタンピードなんぞ起こしたんだ?」
重要なのはそれだ。
ルシアによる前提知識にフィオナに関することとか、無視できない話もあったが、俺たちが聞きに来たのは、スタンピードを起こした理由である。
「ん……本当は、ここから先はゼファーちゃんが話すことになっていた」
「「「…………」」」
ゼファーちゃん?
俺たちは一斉にアロン家当主、ゼファーちゃんを見る。
「……ルシア様、ちゃんは、止めてください……」
ゼファーちゃんは苦笑いに失敗したような顔でそう言った。
「わたしの子孫だし、孫みたいなもの。……まあ、実際に子供をつくったのは、わたしの姉妹……クローンだけど」
と言ってから、ルシアはぐるりと周囲を見回す。
「……ここまで話したから、このあともわたしが話した方がよさそう。長い話にはならない」
「そうか……なら、できるだけ簡潔に頼む」
「ん。きっとアーロンでも理解できる」
きっとアーロンなら理解できる……か。
●◯●
【小神界】を構築して恒久的な封印維持のためのシステムを確立したクロノスフィアと【封神四家】の始祖たちだったが、あまりにも長い年月が過ぎ、封印システムに異常を来していた。
それはクロノスフィアの「寿命」だ。
クロノスフィアは本来、感情を持ち、自らの意思で何かを決定するような、人間的な自我は持たない存在だった。「ジョブ・システム」の管理神たる【技能神】や【魔法神】というのは、全てがそういう存在だ。決められた行動だけに従事する、どこか機械的な存在。
しかし、長い年月を【神界】から隔離され、人間たちの肉体を器として過ごせば、幾らサイコネットを構築する人数が少なく、その影響は軽微だとはいえ、クロノスフィアの精神は少しずつ変質していくことになる。
【神界】が閉じられた後にクロノスフィアの自我の変質――ありていに言えば【邪神】のような暴走を阻止するべく、「精神防殻システム」を【小神界】に書き加えてはいたが、それは【神界】のものに比べれば著しく性能が劣り、何より自我情報の初期化機能が存在しなかった。
そのため、精神の変質は少しずつ進行し、数百年前、遂にクロノスフィアは自らの「寿命」を確信するに至る。
このままでは、いずれ自らも【邪神】のように暴走してしまうと。
そこでクロノスフィアは自ら問題解決のため、行動を起こすようになってしまう。
解決策は大きく分けて、二つしかない。
一つは封印されている【邪神】の完全消滅。これが成れば、【小神界】を維持する必要はなくなり、自らも消滅することで、暴走の危機を脱せる。
だが、それができれば苦労はない。とっくの昔に【邪神】を消滅させているはずだ。よって、この方法は論外。
ならばもう一つの方法しかない。
それは【神界】のクローズドを解除し、自らを初期化すること。
クロノスフィアは、リスクはあるが、不可能ではないと考えた。一時的にせよ、【神骸】を完全に制御できるのならば、これを利用して【神界】のクローズドを解除できるはずだ、と。
――しかし、この考えは間違いである。
そのことを、クロノスフィアや【封神四家】は知らなかった。
【神界】を閉じた【邪神】本人にさえ、まさかクローズドを解除できないなど、思わなかったのだ。実際には「バックドア・ジョブ」という鍵を用意してはいたが、クロノスフィアたちは「バックドア・ジョブ」の存在も知らなかったはずである。
これを知っているのは、【邪神】の中から【邪神】の行動を見守っていた、ルシアただ一人だけだ。
だが、それを知らないクロノスフィアは可能性にかけて行動を始める。四家の理解は得られなかった。だから少しずつ協力者を集め、ひっそりと行動を起こす。最初は【神骸】とその封印状態の確認。「テラフォーマー007」に対する「この自分」の権限が有効か否かの確認。おそらくは、そういったことのために何度か【封神殿】の稼働を停止することがあったはずだ。
性急な行動を起こさなかったのは、クロノスフィアにも躊躇いがあったからだと思われる。
だが、自身の稼働限界は無慈悲に近づいてくる。行動を起こす度に四家の激しい反対と抵抗を受けながらも、世代交代を経ることで自身へ対する監視が緩む度に、再度行動を起こす。
悠長ではあったが、【神骸】の利用は一歩間違えれば即座に破滅をもたらしかねない。クロノスフィア自身、専門的な魔導科学の知識、技術は持っていないため、慎重に動かねばならなかった。
そうして秘密結社クロノスフィアという組織は、少しずつ活動し、その度に規模を拡大してきた。
中枢の構成員は、クロノスフィアの寿命に不安を覚える【封神四家】の者たちだ。そういった、現状に危機感を覚える者たちは世代を経るごとに増えていった。
そして【神骸】を利用して【神界】へ干渉するための装置――【神殿】を、ノアたちの協力によって、ようやく完成させたのがつい最近だ。
秘密結社クロノスフィアは、今回のスタンピードで迷宮最深層から【神骸】を持ち出し、地下にある【神殿】へ移して、計画を実行しようとしていた――。
●◯●
「――つまり、秘密結社クロノスフィアは【神骸】の封印を維持するため、クロノスフィアの寿命をなんとかしようと活動していた。そのための方法が【神骸】をりようした【神界】の開放。その準備や確認のために、なんどか【封神殿】の機能を停止させるひつようがあり、反対する四家とのせめぎあいの中で、スタンピードをおこしてしまった」
ルシアがここまでの説明をまとめていく。
「一方で、四家は【神骸】のりようはリスクが高すぎるとして、クロノスフィアの考えに反対し、その行動を止めようとしていた。今回のスタンピードでは、けっかとして、四家側と思想をおなじくし、秘密結社クロノスフィアに潜入していたエイルとローガンの策で、アーロンをりようすることにより、【神殿】の破壊に成功している」
【神殿】……ローガンと戦った、あの施設のことだよな?
どうやらあれが、【神骸】を利用するための、巨大な魔道具だったらしい。
「ちなみにアーロンをりようしたのは、最上位の契約魔法【神前契約】により、ローガンたちでは【神殿】の破壊という行動をとれなかったから。ただし、これは行動の副次的なけっかとしてなら回避することが可能だった。つまり、敵存在を排除するための戦闘行為により、故意ではなく破壊されるぶんには、【神前契約】でもふせぐことはできない……ということ」
つまり、俺は【神殿】破壊のための道具として利用されたってわけか……。
そこまで考えて、エヴァ嬢たちのところにいるローガンへ視線を向けると、静かな室内に、ぽつりとローガンの呟きが響く。
「なるほど……そういうことだったのか……」
――なるほど?
いや、ローガンの奴は事情を知っているはずで……あれ? 事情……あれ?
何かおかしいと首を傾げていると、ルシアが再び口を開いたので、俺は一旦疑問を棚上げしてルシアの話に集中する。
「じつのところ秘密結社クロノスフィアの行動は、さいしょの前提から間違っていたことになる。【神骸】をりようしても、【神界】を開放することはできない」
「…………」
室内に重苦しい沈黙が舞い降りた。
ここにいるのはほとんどがクロノスフィアに反対していた者たちとはいえ、実際に秘密結社として活動していたのは四家の身内だろう。その行動が、実は間抜けな茶番に過ぎなかったと言われれば、落ち込みもするか。
まあ…………その間抜けな茶番で家族や友人を喪った者たちからすれば、まったく笑えないんだがな。
「でも、クロノスフィアがこのことに気づいていなかったとは、思えない」
と、自身の前言を翻すようなことを、ルシアは言った。
「というより、もしかすると、クロノスフィアだけは、【神界】の開放とは別の目的でうごいていた可能性がある。じっさい、今回のスタンピード後、ジルバ・カドゥケウスに宿っていたクロノスフィアは姿を消している」
「……自分の計画が失敗したから、気まずくなって逃げたんじゃねぇのか?」
俺の問いに、「それはない」とルシアは首を振った。
「クロノスフィアは、アイクルにアーロンを殺させたあと、【神殿】をじぶんの魔法で修復するといっていた。でも、いまも【神殿】は壊れたまま。あきらかに【神殿】を放棄している。【神界】開放が可能とおもっていて、かつ本気なら、【神殿】を放置はしないはず」
「壊れても気にしないのは……最初から必要だと思ってなかったから……ってことか?」
「そう」
なるほどな……。
……いや、って言うか「アイクルにアーロンを殺させたあと」って何だ? 俺、クロノスフィアに最初から命を狙われてたのか? 【神殿】にいたからとか、不可抗力とはいえ【神殿】を壊しちまったからとか、そういう理由ではなく? ほとんど面識もねぇのに何でだよ!?
混乱しつつ口を開こうとする俺より先に、ルシアはさらに話を続けた。
「それにクロノスフィアは、アイクルにこうも言っていた。アーロンを無事に殺せたなら、フィオナをじぶんのところに連れてきてほしい……と」
ん? と、頭の中に微かな疑問が浮かぶ。
フィオナは「バックドア・ジョブ」だ。しかし、そのことを知っていたのは……。
「そう」と、ルシアは俺を含めて怪訝な表情を浮かべる者たちに頷いて、続けた。
「フィオナが重要な存在であることを、クロノスフィアは本来、知らなかったはず。なのにフィオナの身柄を確保しようとしていた……」
その情報を知っていたのは、ルシアと【邪神】のみ――のはずだ。
「クククククク……ッ!! そうさ!!」
言葉の先を続けたのは、ルシアではなかった。
車椅子の上で拘束されたノア・キルケーが、怒ったような、あるいは狂ったような、いわく表現し難い亀裂のような笑みを浮かべて、言った。
「あのジジイはッ!! とっくに狂ってやがったのさッ!! いったい何時から狂っていたのかは分からないけどねぇッ!! 狂ったことを隠して僕たちを騙していたのさッ!! ――くそったれッ!! あのジジイは【邪神】と通じているんだよッ!!」
憎悪を籠めて、吐き捨てるように叫んだノアの後を、ルシアが締めた。
「状況証拠だけでかんがえるなら、その可能性が、いちばん高いとおもう」
と。
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