第212話 「ささやかな抵抗」


 ――【邪神】によって肉体を奪われたルシアは、しかしその意識だけは存在していた。


 肉体を動かすことはできなかったが、【邪神】が【神界】に接続して何かをしている時だけは、肉体の制御が幾らか緩むのか、普段は眠っているルシアの意識は顕在化した。


 それでも肉体の主導権を取り返すことはできなかったが、意識のみの状態で、ルシアもまたささやかな抵抗を試みる。


【邪神】と脳を共有しているためか、【邪神】が機能拡張したデバイスを操作することが可能だったのだ。


 それはルシア・アロンが決定的に「人間」という存在から逸脱したがゆえの選択肢だった。



 ――自我のコピー。



 自分の意思ではないとはいえ、オリジナルのルシアは死に、ここにいるのは複製された代替物に過ぎない。そのことをルシア自身、認識していた。


 恐怖や葛藤、拒絶がなかったわけではない。それでも【邪神】に肉体を奪われ、好き勝手に体を使われ、度重なる戦闘で何度も何度も記憶と人格を複製される。その経験は、ルシアに本能的な忌避に対する耐性をもたらし、自我の複製という行為を受容させた。


 だからこそ、ルシアは【邪神】の意識の隙を突き、ブレイン・サポート・デバイスを利用して「自ら」をコピーできたのだ。


 ――【神界】へと。


 自我情報を記録したのは【神々】の自我情報が記録されているストレージ領域だ。そこへひっそりと自らの自我情報を書き加えたルシアは、しかし、意識の完全なる自由を取り戻せたわけではなかった。


 コピーされた情報はただの情報に過ぎない。それ単体で意識を再生する機能はなかった。


 広大無辺に広がるサイコネットそれ自体を、自己として意識を確立している【神々】と人間では違うのだ。【神界】にコピーしたルシアの意識を再生するには、人間の脳が必要だった。


 この時点で、ルシアは【邪神】が「バックドア・ジョブ」を構築していることに気づいていた。というより、同一の脳を使用しているために、【邪神】の記憶や思考をルシアは把握していた。


「バックドア・ジョブ」が【邪神】の手に渡れば、全ては終わりだ。幸いにして今の【邪神】がジョブを手に入れるのは不可能だったようだが、それでも、どこかの誰かが発現し、【邪神】がその人物を手中に収めてしまえば同じこと。


 自分にそれを防ぐことができるかどうかは分からないが、「その時」にせめてものささやかな抵抗をするための手段を構築しようとルシアは考えた。


【邪神】が人類と争い、あるいは【神界】でオリジナル・ミリアリアとシステム権限掌握の鬩ぎ合いを行い、その度に意識がそちらへ集中する隙を突いて、ルシアは「バックドア・ジョブ」へ密かに手を加えた。


 もしも「バックドア・ジョブ」が発現してしまった時、「バックドア・ジョブ」を介して、ジョブ保有者と【神界】に保存された自身の自我情報が自動的に接続されるように。


 そしてジョブ保有者の脳、その処理容量をほんの僅か占有し、【神界】のルシアの意識を再生できるように。


 あるいは、緊急時に「バックドア・ジョブ」保有者の意識と肉体を乗っ取ることができるように。


 そうして神代の終わり以降、「バックドア・ジョブ」は長い長い歴史の中で、度々発現している。その度にルシアは意識を取り戻し、「バックドア・ジョブ」の所有者たちを「目」として、人類の歴史を観察してきた。


「バックドア・ジョブ」を発現した「彼女たち」の能力を借りて、【邪神】討伐の「可能性」を探りながら、ずっと、訪れるかも分からない機を窺っていた。


 あるいは、最悪の事態に備えて少しずつ、反撃のための手段を用意してもいた。


 そして今からおよそ二年前、非常に微かではあるが、その「可能性」の到来と、消滅を同時に感知する。


 この時、当代の「バックドア・ジョブ」所有者であるフィオナの肉体を一時的に掌握し、まだ発現していなかった【神降ろし】スキルを強制起動することになった。


 そうして本来死ぬはずだった、とある人物の命を救う。


 その行動こそが、【邪神】消滅に至る「可能性」へ繋がる選択だったからだ。


 一方、ここで話しているルシア・アロンが、二年前の干渉について知っているのは、「バックドア・ジョブ」を持つフィオナをネットワークハブとして、【神界】のルシアと接続し、記憶を同期させたからだ。


 自我情報を保存するため、【邪神】が身体各部に構築していたナノマシンによる記録媒体に、ルシアはそのためのシステムを書き加えていた。それはいつの日か、自分の肉体を取り戻せた時のための処置だ。


 すなわち、ここにいるルシアと、フィオナ、【神界】のルシアの三者は、フィオナを介して繋がっているのである。


 だからこそフィオナは、ルシアに対して妙な感覚を抱いていたはずだ。それは精神の繋がりサイコラインによるものである。


 そしてこれがあったからこそ、地下で【神殿】が崩落し、柱が崩壊した時、フィオナの思考領域の一部を借用し、柱に封じられていた【邪神】の右腕で意識を再生。ナノマシン群を操作して外部へ脱出し、アイクルの肉体と融合することができた。


 その後はアイクルの脳を用いて意識を再生し、記憶を統合。「【邪神】の肉体」に供給される無尽蔵の魔力を用いてナノマシンを増産し、肉体を再生・再構築した。


 ちなみに、「今のルシア」の元となった【邪神】の右腕には、すでに【邪神】の意識はない。


 二年前、【封棺】から取り出され【模造封棺】へ移される過程に存在した、わずかに生じた無防備な時間に、【邪神】は外部で培養されていた「邪神細胞」の組織へと、サイコラインを繋ぎ、自身の意識を移したからだ。それが秘密結社クロノスフィアにおいて、『イプシシマス』と呼ばれていたものの正体である。



 ●◯●



「――というわけ」


 ルシアが話を終え、口を閉じる。


 色々と語られた諸々の話は…………まあ、良いだろう。おそらくルシアが何か色々したと理解しておけば大丈夫なはずだ――と納得しかけた時、ルシア先生が要約してくれた。


「つまり、かんたんに説明すると、わたしは自分の自我情報を【神界】にコピーし、さらに【邪神】の作ったバックドア・ジョブに細工をした。それにより、バックドア・ジョブの持ち主と【神界】にいるわたしは、意識の一部を共有している。そうしてジョブの持ち主を『目』にして地上の情報をあつめたり、ときにはいろいろすることもあった――という感じ」


「もちろん理解していた」


「…………」


 と、俺は頷いた。言っておくが本当だ。本当に理解していた。いや、マジで。どうして信じてくれないの?


 まあ、この話はともかく――と、俺はこちらから視線を外し、テーブルの上のジュースに手を伸ばしたルシアから、フィオナを見る。


 フィオナは微かに目を見開いて、ジュースを一気飲みしているルシアを見つめていた。


 それも当然だ。俺もそこだけはちゃんと理解――――いや、もちろんそこも理解していたから気になっていた。ルシアが語った、「二年前、フィオナの肉体を一時的に掌握し、とある人物を救った」という言葉だ。


 それはつまり――――、


「おい、ルシア、お前……フィオナの体を乗っ取れるのか?」


「――――っ!!」


 フィオナが微かに身をすくませる。


 自分の体を他人に乗っ取られるかもしれないとなれば、恐怖を抱くのも当然だろう。


 対するルシアは、コップをテーブルに置くと、ぴょこんとソファから飛び降り、フィオナの前に立った。


「ん……フィオナ、ごめんなさい」


 と、先の言葉を認めるように、深々と頭を下げてフィオナに謝罪する。


「わたしは二年前、あなたの体を勝手にかりた。けれど、信じてほしい。もう二度と、そんなことはしない。いいわけになるかもしれないけど……これまで『剣舞姫』をもっていた人たちの体も、勝手にうごかしたことはない。わたしも体をうばわれた経験があるから、そういうことはしたくなかった。……でも、あのときは時間がなくて、そうするしかなかった。【邪神】を滅ぼせる可能性をつなぐために」


「…………一つだけ、聞かせて」


 真剣な顔で、フィオナは問う。


 ただし、何を訊いたのかは分からなかった。自身の前に立つルシアの耳元に口を寄せ、ルシアにしか聞こえない声で何事かを訊いたのだ。


「(……あなたが助けたのって、アーロン?)」


「ん。そう」


「……そっか。……じゃあ、許すわ。許さないわけにはいかないでしょ」


 仕方なさそうに笑って、フィオナはルシアを許した。


 ……本人が許したのならば、俺が何かを言うのも筋違いなのだろう。それに二年前、ルシアが助けたというのはおそらく……。もしもそうだとしたら、余計に俺が何かを言うことなどできない。


「ん、ありがと、フィオナ」


 珍しく、無表情娘は安心したように、ほにゃりと笑みを浮かべて、ぎゅっとフィオナに抱きついた。


 そうして胸に顔を埋め……いや、頬を押しつけながら、


「あなたなら、そう言ってくれると思ってた。だってあなたは、そのころからすでに、アーロンでオナ――」


「――にゃぁああああああああっ!!?」


 ぱんっ!! と勢い良く、なぜか奇声をあげてルシアの口を塞ぐフィオナ。


 一方、叩かれる勢いで口を塞がれたルシアは、痛そうに悶絶している。


「よっ、余計なことは言わなくて良いのよっ!! って、っていうか!! 何でそんなこと知ってるのよっ!!?」


 火が出そうなほど赤面し、両目を潤ませながら叫ぶフィオナ。


 対し、ルシアは一頻り痛そうに悶絶した後で答える。


「~~~~っ!! ……い、いたい。うぐ……言ったはず。わたしはフィオナを地上における『目』にしていたって。それはつまり、一部だけど、フィオナの記憶をもっていることとおなじ」


「は、はぁあああああ~っ!!?」


 フィオナが絶叫する。


 良く分からんが、ルシアの話をまとめると、フィオナの私生活を一部盗み見ていたってことか? ……そりゃ怒るわ。


「どっ、どこまで!? な、何をどれだけ知ってるのよっ!?」


「ん……フィオナが『剣舞姫』に覚醒したあとの記憶は、だいたい共有している」


「んにゃあああああああっ!!?」


「それと……強度のたかい記憶……つまり、いまも覚えている記憶も閲覧可能だった。だからわたしは、フィオナのことを、フィオナの幼いころから知っている」


「なっ、それっ、へぇええっ!?」


「ただ、これは自分の記憶ではなく、他人の記憶を閲覧したものだから、感覚としては娘の成長をみまもってきた母親にちかい。だからさっき、わたしはフィオナのママだといった。わたしはフィオナにたいして、母性にちかい慈しみの感情をいだいている」


「ぁああぁああぁあああうあうあ……!!」


 フィオナが今までに見たことのない表情をしていた。


 一方、それには気づかず、ルシアは大切な記憶を思い出すように目を閉じ、慈愛に満ちた表情を浮かべて続ける。


「ちいさいころのフィオナはとってもかわいかった。雷がなると、兄のところへ行き、いっしょに寝てとおねだりし、そして翌朝にはおね――」


「――それ以上喋るなぁあああっ!! あ、アンタっ! 私の記憶のことは誰にも言わないでよねっ!?」


「ん。もちろん。誓って、フィオナのはずかしい記憶をだれかに言うことはない。あのことも黙っておく。墓のしたにまでもっていくしょぞん」


「は、恥ずかしい記憶って何よ!? あのことって何よ!? ――いやっ、いいわ! 言わないで! とにかく誰にも何にも言わないでっ!!」


「ん。もちろん。ルシア、嘘つかない。命かける」


「~~~~っ!!」


 おいおいこいつ、無敵かよ。


 他人の記憶を盗み見ていたことの是非はともかく、フィオナは「恥ずかしい記憶」という弱みを握られ、ルシアに抵抗できなくなってしまった。そんな二人の立場は確かに、母親と娘の構図にも似ている。


 フィオナはしばらく悶絶していたが、何度も深呼吸を繰り返して冷静さを取り戻した。


「さ、さあ、ほ、本題にもどりゅましょ」


 ……冷静?


 まあ、指摘するのは酷か。俺は空気を変えるように言った。


「じゃあ、本題にもどりゅましゅか」


「~~~~っ!!」


「おい、肩を叩くな」


 そうして話は本題に戻り、ルシアが話を再開する。


「ん、ごほんっ……神代がどのようにはじまり、どのように終わったかは、これで話した。でも、ここからもう少し、四家の歴史のはじまりについて、わたしが話すことになっている……けど」


「……どうした?」


 言葉を止めたルシアに視線を向けると、なぜかぶるりっと体を震わせていた。


「ん……おしっこしたくなってきた」


「……そりゃあ、あれだけジュース飲んでれば、そうなるだろ。さっさとトイレ行って来いよ」


 ここまで、かなり長い話になっている。そのため話し続けていたルシアは喉が乾いたのか、ジュースを大量に飲んでいた。トイレに行きたくなるのも当然だろう。


 そろそろ小休止を挟んでも良い頃だ。なので呆れつつもそう促したのだが、ルシアは「だいじょぶ」と首を振る。


「わたしにはネトゲをしていたときに鍛えた、精密な転送魔法がある。イベントボス戦で離席ログアウトできないときなんかは、いつもこれで何とかしていた」


「はあ?」


「…………ふぅ」


 なぜか、満足そうに息を吐くと、ルシアはすっきりした顔をした。


 …………ふぅ?



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