第196話 「何見てんだよ」


 降り注ぐ光の雨が体の奥底まで浸透し、傷を癒していく。


 どうやら無意識に維持していたらしい極小の【怪力乱神】を解いても問題なさそうなほどに、貫かれた部位は癒されたようだ。


 やがて光の雨が止み、魔法がその役目を終えた。同時に、フィオナの瞳も元の赤色に戻る。


 フィオナに膝枕されたまま、その光景をぼんやりと見上げていると、俺たちのところに近づいて来る足音が聞こえた。


「ふむ……フィオナ嬢、色々と聞きたいことはあるが……とりあえず、アーロンは大丈夫そうかね?」


 視線を向けると、【神殿】の端まで吹き飛ばされていたローガンだった。


 どうやら大した怪我もなく、無事そうだ。というか、吹き飛ばされた時のダメージもなぜか治っているような感じである。


 解せないことに、この中で一番元気そうだな。


 一方、フィオナはここにローガンがいることに驚いたように目を見開き、わずかに体を硬くさせた。何しろフィオナの認識ではローガンは敵であるはずなのだから、その反応も無理はない。


 俺はフィオナが口を開くよりも先に、ノアを拘束している【黒の封剣】が解けていないか、ローガンに確認しようとして――、



「おい、ローガン……何見てんだよ」



 口から出たのは、全く別の言葉だった。


 それに意外そうな顔で目を見開き、苦笑すると、ローガンは俺たちに背を向ける。


「おっと、気がつかなくて済まなかった」


 無論、それは俺が裸だから恥ずかしい――というわけではない。


 なぜかは知らんが、フィオナも裸なのだ。


 女の裸をジロジロ無遠慮に見るもんじゃないだろ、常識的に考えて。


 俺は仰向けの姿勢から上体を起こすと、フィオナに言った。


「フィオナ、とりあえず、服着ろ」


「えっ!? あ、う、うんっ!! そうね!」


 どういうわけか酷く驚いた様子で声をあげるフィオナ。物凄く意外そうな表情をしている。


 まったく、どいつもこいつもどういう意味だ。俺はいつも紳士だろうが。


 ストレージ・リングからコートを取り出して羽織るフィオナを横目に、俺は立ち上がって地面に倒れているノアを確認してみた。


 痛みで気を失っているのか、ぐったりと倒れ伏したまま動かない。その四肢と胴体には多少小さくなってはいるが、【黒の封剣】がそのまま突き刺さっていた。


(…………これは……いや)


 その光景を見て、改めて疑問が浮かぶ。しかし、俺は頭を振って疑問を追い出した。今はそんなことを考えている場合でもない。


「ローガン」


「うん?」


 俺はストレージ・リングから金属製の首輪を取り出すと、それをローガンに手渡した。


「悪ぃが、そいつにこれを嵌めてくれ」


「これは……アンチ・マジック・リングか? なぜ持っている……とは、聞かないでおこう」


「エヴァ嬢にもらったんだよ」


 肩を竦めつつ、軽く答える。「アンチ・マジック・リング」は許可のない者が所持しているだけで、本来は違法の代物だからな。まあ、俺はこうしてスタンピードの黒幕どもと殺り合う可能性も高いからという理由で、特別な許可をもらい、幾つか所持していたのだ。


「お嬢が……皮肉なものだな」


 リングを受け取り、なぜか複雑そうな表情を浮かべて、ノアの方へ歩いていくローガン。


 その反応に俺は首を傾げつつも、床に落ちている「黒白」を回収し、コートを羽織って近づいてくるフィオナに聞いてみる。


「フィオナ、お前は……あいつに転移させられたのか?」


 と、光っている柱のそばで血溜まりに沈んでいる人物――フィオナの姿をした何者か――へ視線を向けつつ、聞いた。


「……たぶんね」


「たぶん?」


 要領を得ない回答。だが、聞けば事情は理解できた。


「たぶん、あいつと同一人物だと思うけど、【封神殿】のところで会った時は、アンタの姿をしてたのよ」


「俺の?」


「うん。その後、不意打ちでここに転移させられて、さらにアンタの後ろに現れた時には、なぜか私の姿になってたわ」


「ふむ……変装ってレベルじゃねぇな」


 確実に死んでいるだろう状態でも、件の人物はフィオナの姿から戻っていない。光属性魔法の幻術ってわけでもなさそうだ。よく分からないことが多いが、擬態とか変身とか、そんな感じの能力に思える。


 そして、もしもそうだとすれば、一人だけ思い当たる人物がいる。いや、その正体は知らないんだが。


「…………偽クロエ」


「――って、へレム荒野に拉致されてた?」


「まあ、たぶんだがな」


 考えたところで、本人が死んでいるんじゃ確かめようもない。


 俺は頭を振って、考えるべきことに意識を向け直す。


「さて、どうやってここから出るべきか……」


「そもそも、ここってどこなの?」


「ネクロニアの地下千メートル以上の場所って話だ」


「そんなに深い場所なの!?」


 さすがのフィオナも目を丸くする。まあ、地上からそんな深い場所に転移させられれば、さすがに驚くよな。


「ちなみに出入り口もないらしい。転移魔法が使えないと出入りできないっぽい。……そうなんだよな? ローガン」


「うむ、残念ながらその通りだ」


 意識のないノアに首輪を嵌めたローガンが、ノアを荷物のように肩に乗せてこちらへ近づいて来たので、確認してみた。ちなみに、首輪を嵌めた時点で【黒の封剣】は解除してある。


「っていうか、ローガン……さんと、普通に話すのね?」


 だいぶ複雑そうな表情でローガンを見て、フィオナが言う。


 まあ、地上で別れる前には敵として襲って来ていた相手だしな。暢気に話していればそりゃあ驚くか。


「まあ、捕虜だ」


「そういうわけだ。フィオナ嬢、もう敵対するつもりはないから、安心してくれ」


 苦笑しつつローガンが答える。


 一方、俺はローガンが抱えるノアに視線を向けた。


「しっかし、こうなると、そいつを生かしておいたのは正解だったかもしれねぇな」


 敵だし、まったく信用はできんが、空間魔法を使えるんだ。どうにか脅して言うことを聞かせられないものか。


「うん? まさか、ノア様の転移魔法を当てにしているのか?」


「それしか方法がねぇだろ」


「まあ……そうだが、大人しく言うことを聞いてくれるとは思えんな……」


 俺だってそう思うが、何とか言うことを聞かせるしかないだろう。


 そう返事をしようとして――、



「「「ッ!?」」」



 俺たちは一斉に振り向いた。


【神殿】内部の一角に、何処からか魔力が流れ込んで来るのを感知したのだ。おそらくは転移魔法だろう。


 ――いったい誰が?


 これ以上の戦闘はマジでゴメンだぜと思いながら、警戒しつつ待ち構えていると――次の瞬間、魔力の主が転移してきた。



「すみません、ローガンさん! 迎えに来るのが、遅れちゃいました……!!」



 それは、クロエ・カドゥケウスだった。


 だが、俺たちは誰も警戒を解かず、クロエの様子を観察する。いや、フィオナだけは驚きに目を見開いていたが。


「クロエ……!? 何でここにいるのよ!? アンタ行方不明じゃなかったの!?」


 まあ、フィオナの認識だとそうなるよな。


 そしてクロエの方も、フィオナの姿を見て驚いている。


「ほえ!? フィオナさんこそどうしてここにいるんですかぁッ!? ――って、何かあっちでフィオナさんが死んでるぅッ!!?」


「あっちは偽者よ」


「偽者って何ですか!?」


 姦しい二人の様子に気が抜けていきそうになるが、しかし、ローガンは険しい顔をして口を開いた。


「ふむ……クロエ嬢が裏切ったという話は……」


「ほえ!? な、何ですかその話は!? う、裏切ってなんかないですよぉうっ!!」


 慌てた様子で弁明するクロエ。


「では、なぜ迎えが遅れたんだね?」


「そ、それは……お二人の戦いが激しすぎて、ここに転移してくるのが恐かったり、そうして迷っていたら、【空間感知】が吹き飛ばされたりして警戒していたというのもありますが……」


 不自然に視線を彷徨わせながら、おどおどと言い訳するクロエ。


 特に確証はないが、何か怪しいな、この態度。


 ちなみに、クロエの【空間感知】が吹き飛ばされたという発言が真実なら、それはおそらくノアの仕業だろう。奴が【神殿】内に満たした魔力によって、クロエの魔法が吹き飛ばされたとしても、おかしくはない。


「で、でもですねっ! 一番の理由は――!!」


 と、クロエはぐいっと、服の袖で乱暴に鼻の下を拭った。


 そう、なぜかクロエは夥しい量の鼻血を流していたのだ。乱暴に拭われた鼻血が、クロエの顔に血の跡を残した。


 しかし、クロエはそれを気にする様子もなく、ニッと笑う。それはどこか、激しくも手応えのある敵との戦闘を終え、清々しい余韻に浸っている戦士のような顔つきだった。


「てへへっ、すみません……仕事に、少々てこずってしまいまして……!!」


「……ああ! なるほど……! そういうことか……ッ!!」


 と、なぜか納得するローガン。「どういうことだよ?」と聞くと、「つまりだな」と説明し始めた。


「クロエ嬢は裏切っていたわけではなく、地上で戦っていたというわけだ。考えてみればスタンピードの魔物は見境がないし、クロノスフィアから見ればクロエ嬢は敵側の人間。その存在に気づかれてしまえば、普通に襲撃を受けるのも不思議じゃない。私としたことが、まさかこんな基本的なことを見逃していたとはな……!!」


 やれやれ、と首を振るローガン。


 ……ふむ、確かに、そう言われると、そんな気がしないでもない。


 そうか、クロエも地上で戦闘中だったため、すぐには迎えに来れなかったというわけか。それならば確かに、遅れた理由に説明がつく。


「あのぅ……それで、何人か増えてますけど、皆さん地上に送る感じで、良いんですかぁ……?」


「ああ、ここにいる全員、地上に送ってくれるかね?」


「了解ですぅ!! ……ここも何か崩落しそうな雰囲気ですし、早く帰りましょう!!」


 不安そうに【神殿】を見回すクロエ。その言葉の通り、実はさっきからビシンッ、ビキンッと、不吉な音が響いていたのだ。おそらく、崩落まで時間がないと思われる。


 ともかく、俺たちはようやくこの地下の穴蔵から、地上に帰還できる運びとなった。


「…………」


 クロエによって転移される寸前、俺は光る柱と、その下で横たわるフィオナの偽者に視線を向けた。


 あの柱の中に【神骸】があるなら放置しておくわけにもいかないが、不用意に取り出して大丈夫かという不安もある。今の俺たちにはどうしようもないし、対処するとしたら、後日ということになるだろう。


 ……まあ、壊れても修復する機能が付いているようだし、ここが崩落してもあの柱は無事なはずだ――と、信じたい。


 あとは、あの正体不明の敵についてだが……、


「…………」


 あそこで死んでいるのが、あの時の偽クロエなのだろうか? それとも、他人に変身できる奴が他にもいるのか……。


 考えたところで答えは出ない。


 わずかに覚える感傷のようなものを振りきって、俺はその場を後にした――。



 地上ではスタンピードはすでに終息へ向かい、クロノスフィアとやらから襲撃されていたらしい四家も体勢を立て直し、市街へ騎士団を派遣して人命救助に当たっていた。


 そうしてスタンピードによる混乱がとりあえず一段落した頃――――今度は、カドゥケウス家当主、ジルバ・カドゥケウスが姿を消したという報告が、新当主ナハト・カドゥケウスによって他の三家へもたらされることになった――。



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