第194話 「あの星空に、行きたい」
クロノスフィアは命じた。
それは本人の意思も感情も無視し、確実にその「動作」を取らせるための、禁じられた神の力。
『フィオナ君を【神殿】へ転移させた後、フィオナ君だけを狙って攻撃するんだ。この時、君自身はまだ【神殿】に転移してはいけない。殺されてしまうからね』
『アーロン君が状況を打破するために、「重晶大樹の芯木」で作られた剣を、フィオナ君に渡すはずだ。そうしたら、君はフィオナ君の姿で、アーロン君の後ろに転移してほしい』
『笑うんだ。笑うんだよ、アイクル。フィオナ君の顔で、親しげにね。そうだ。ついでに彼の名前を呼ぼう。フィオナ君の声で、愛しげに』
『彼の背後に転移して、フィオナ君の姿で彼の意識に空白を生み出す。それこそが、彼を殺せる確率の収束点だ』
『遠隔魔法で追い詰める? それでも殺せるだろうって? いやいや、勘違いしてはいけないよ、アイクル』
『彼は、この期に及んでもまだ、戦える力を残している。彼が「重晶大樹の剣」に込めていたオーラさ。彼はそれを回収している』
『普通なら、剣に込めたオーラを回収して再利用するなんてこと、不可能に決まっているけれどね、彼はそれをやるよ』
『だから遠隔で魔法を撃っても、彼は殺しきれない。必ず生き延びてしまうだろう。そして数秒生き延びれば、今度はフィオナ君の体勢が整ってしまう。そうなればもう、アーロン君を殺せる機会は失われてしまう』
『だから、アーロン君が剣を手放した直後なんだ。ここ以外に機会はない』
『フィオナ君の顔で、声で、彼の意識に空白を作り出せ。その瞬間を狙って、魔法で彼の心臓を貫くんだ』
『そうすることで、その瞬間だけは、彼が剣から回収したオーラを何かに使う余裕もなくなる。いや、正確に言えば、背後に現れたアイクルを斬るために、彼は新たに取り出した剣に回収したオーラを纏わせるはずだ。だからこそ、彼はこの瞬間だけ、防御にオーラを使えない。この時ならば、彼を殺すことができる。チェックメイトだ』
『――見えるよ。彼が血溜まりに倒れている姿が。その未来が。それこそが、私の【
ずるりっと。
倒れていくアーロンの体から、胸に突き刺した剣が抜けていく。
夥しい鮮血がドブドブと溢れ、【神殿】の床を濡らした。
アイクルは張り付けたような笑顔で、その光景を見下ろしていた。
――何か、おかしい。
――何か、心が何かを訴えている。
――でも、何かがそれを押さえつけている。
――私は正しいことをした。自分のものではないような、そんな心の声がする。
「ぁー……ろん……?」
掠れるような声がした。視線を上げて、アイクルは声の主を見た。
●◯●
「黒白」を受け取ったフィオナは、焦る心とは裏腹に正確に剣を振るった。
瞬時に「黒白」へオーラを込め、黒く染めながら剣を振り、その剣身からオーラを放出する。
剣技――【重牙連刃】
黒く染まったオーラの刃がフィオナの周囲で渦巻いて、降り注ぐ魔法の刃を、退路を制限する魔法の障壁を、それら全てを一気に消し飛ばす。
同時、重量を増した「黒白」を支えきれず、剣先が地面を叩く。
そこへ魔力を注いで白く染め直しながら、早く早くと、フィオナは焦燥に駆られながらアーロンの方へ援護へ駆けつけようとして。
「――――ぇ」
その時には全てが終わっていた。
剣を横薙ぎに振り抜くように、背後を振り向いたアーロンの背中が見えた。
しかし、剣は振り抜かれず、なぜか中途半端な位置で止まっている。
そして。
鮮血と共に、アーロンの背中から飛び出している、魔法の剣。
「――――」
まるで、時が止まったように感じていた。
思考も何もかもが停滞した光景の中、無情な時の流れを示すように、アーロンの膝から力が抜ける。
倒れていくアーロンの体から魔法の剣が引き抜かれ、それで支えを失ったみたいに、アーロンは床に倒れた。激しく頭部を打ちつけるように倒れたというのに、呻き声一つ、身動ぎ一つない。ただ、その体から夥しい鮮血が広がっていくのが、妙に現実感のない光景に見えた。
「ぁー……ろん……?」
名前を呼ぶ。
アーロンは、
「おいおい、なんつう顔してんだ。この程度で俺がくたばるかよ!」
「…………」
いつもの彼なら、何事もなかったかのように顔を上げて、ふてぶてしい笑みでそんなふうに言うだろうと、そう想像していた。
「…………」
だが、その想像は外れ、アーロンは力なく、微動だにせず、床に倒れたままだった。
なぜ、倒れているのだろう?
なぜ、起き上がらないのだろう?
なぜ、返事をしないのだろう?
無意識に、考えてはいけない――と、自らに言い聞かせた。その答えを出してしまったら、どうなってしまうか分からないと思った。
「…………ひぅっ」
息を吸った時、嗚咽のような音が漏れた。
幾つもの疑問に答えが出てしまう寸前、フィオナはのろのろと視線を上げて、魔法の剣を握っているそいつを見た。
結ぶ暇もなかったのか、赤く長い髪を下ろしている。瞳も髪と同じ赤色で、顔は見覚えのあり過ぎる顔立ちをしていた。その顔に、張りつけたような笑みを浮かべている。アーロンを刺した時の返り血なのだろうか、一糸纏わぬ全身の肌に、大量の鮮血が滴っていた。
フィオナは。
「…………ぁ」
迷宮にて「大発生」が生じる前、スタンピードの黒幕一味と思わしき集団に襲撃された時に、何人かを返り討ちにしている。
自己防衛のためとはいえ、殺人の経験がある。
今さら「敵」を斬ることを、躊躇ったりなどしない。しかし、それでも、敵とはいえ人間を、積極的に斬りたいとは思わなかった。
父に託されたこの命を、誰かを助けることではなく、その反対のことに使うことに、根源的な忌避感があるからだ。
「…………ぁん、た」
でも、この時は違った。
あの自分の顔をした存在は、おそらく地上でアーロンの姿をしていたのと同じ存在だろう。
奴はなぜ、フィオナをここへ転移させたのか? 奴はなぜ、アーロンの姿から、わざわざフィオナの姿に変わったのか? ここへフィオナを転移させた時、フィオナだけを狙って攻撃してきたのも、アーロンがフィオナを助けるために「黒白」を手放した直後に、アーロンの背後に現れたことも――――全て。
自分――フィオナ・アッカーマンという存在を利用して、アーロン・ゲイルを殺すためなのだ。
よりにもよって、この自分を利用して、自分の顔で、アーロンの胸に剣を突き刺したのだ。
「ぁぁぁあああああああああああんんたがぁああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」
今までに経験したことのない感情だった。
視界が、意識が、灼熱に染まる。
誰かにこれほどの怒りを、これほどの憎しみを抱いたことはない。
我を忘れるほどの憎悪と共に、涙を流しながら、フィオナは叫んだ。
そんなフィオナへ、偽フィオナが翳すように手のひらを向けた。そこから照射された魔力がフィオナの全身を包み込もうとして――、
轟ッ!!
と、「黒白」から噴出した黒のオーラが、まるで黒い炎みたいにフィオナの全身を包み込み、空間魔法の発動を阻害する。
激しい憎悪と殺意によって、オーラの制御は甘かった。ともすれば、自分のオーラで自分自身を傷つけてしまいそうなほどに。
だが、フィオナが自分のオーラで傷を負うことはない。なぜならば――、
『剣舞姫』最終スキル――――【神降ろし】
【選択――――――――技能神:剣神】
神技――――【神体】
魔力照射が止み、黒の炎も散逸していく。
フィオナの姿を覆い隠していた黒いヴェールが晴れた向こう側から、姿を現したのは全身が光り輝き、両目には金色の光が宿ったフィオナの姿。
魔法を防ぐために咄嗟に巡らせた重属性のオーラによって衣服は消し飛んでいたが、その下の肌にはかすり傷一つない。
「…………!?」
魔法を防がれた偽フィオナが、フィオナの姿に僅かに目を見開いた。
一方、フィオナは――、
「ぁああああああああああああああああッッ!!!!」
英雄戦技――【瞬光迅】
それは移動のためではなく、動作補助のための使い方。全身から噴出するオーラの力で、黒く染まった「黒白」を力任せに持ち上げ、振り抜いた。袈裟懸けに振り下ろされた剣先は激しく床に叩きつけられながらも、その軌跡に沿ってオーラの刃が飛翔する。
英雄剣技――【重飛刃・重牙】
漆黒の刃が飛翔し、
「――――ッ!?」
偽フィオナは自身の目の前に障壁を展開して、それを受け止めた。
しかし、停滞は一瞬だ。瞬時に障壁はひび割れ、押し込まれる刃によって障壁ごと、偽フィオナは吹き飛ぶ。重く前進を止めない刃は、抵抗する偽フィオナを引き摺るように移動させ、最後に一本だけ残っていた柱の表面へと体を押し付けると、
ばづんっ!!!
と、障壁ごと、偽フィオナの体を両断した。
鮮血が溢れ、柱の表面を赤に汚す。偽フィオナはズルズルと床へ滑り落ち、血溜まりの中に沈んだ。
●◯●
アイクルはアーロンを殺した後、自分の意思では動けなかった。
フィオナ・アッカーマンから向けられる怒りも憎悪も、どこか他人事だった。
放たれた斬撃に機械的に抵抗し、障壁を生み出した。なぜか、逃走という選択肢を選ぶ気にはなれなかった。それは――、
『アイクル、もしもアーロン君を殺せたら、その時はフィオナ君を私の下まで連れて来てくれ』
――という命令を遂行するためだったのかもしれないが、そうではないような気もした。命令などなくとも、その場から逃げることはできなかったに違いない。
ともかく、アイクルはフィオナを転移で運ぼうとして、抵抗され、攻撃され、吹き飛ばされ、そして今、
ばづんっ!!!
と、肉体を両断された。
激痛。灼熱。極寒。出血。命が失われていく。力が失われていく。
体の感覚は、もはやなく。
意識だけが何処かへ飛んでいく。
『アーロンさん……私、いつかまた、ここに来たいです……』
『あん? ……この湖にか?』
『はい……』
『ふぅん……まあ、時間があったら連れて来てやるよ』
過去。
へレム荒野からの帰り道。あの山間に広がる美しい湖で、野営をしながら二人で焚き火を囲み、湖面に映る星空を眺めていた時。
確かにアイクルは、またここに来たいと思ったのだ。
今度は……クロエ・カドゥケウスとしてではなく、アイクルとして。
この名前は嫌いだけれど、それでも他人の名前よりは良い。全てが終わったら、アーロン・ゲイルに教えてやっても良い。アイクルという、私の名前を。
(そう、だわ……連れて行ってもらわなきゃ、困るん、だから……)
自分一人で行くのは怖い。魔物もいるし山賊も出るし、危ない場所だ。だからアーロン・ゲイルに連れて行ってもらわなければ困る。
二人で、行かなければ。
二人で、行きたかった。
もう一度。
(あぁ…………あの星空に、行きたい……………………)
(……………………)
(…………)
血溜まりに伏し、アイクルはフィオナ・アッカーマンの顔で、その両目から涙を流していた。
心臓は、もう動いていなかった。
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