第193話 「殺すための罠」
アーロンに「変身」したアイクルは、疑いの眼差しを向けるフィオナたちの目の前で、意を決して服を脱ぐ。
その際、クロノスフィアの言葉が思い出された。
『アイクル、服を脱ぐ時は、堂々と脱ぐんだよ。まるで見せびらかすように、無造作にね。決して恥ずかしがってはいけないし、服はその辺に脱ぎ散らかすこと』
『でも、お父様。きちんとハンガーに掛けて収納しておかないと、皺になってしまいますわ』
『アイクル、それはダメだ。絶対そんなことしちゃいけない。服はその辺に脱ぎ捨てること。良いね?』
『……はい、分かりましたわ』
アイクルは注意された通り、乱雑に上着を脱ぎ、肌着を脱ぎ、ベルトと剣帯を外し、靴を脱ぎ、ズボンとパンツも脱ぎ捨てる……!!
そうして一糸纏わぬ全裸となったところで、胸を張って堂々と仁王立ちした。
恥ずかしさに顔は赤面しそうになるが、「変身」の異能を応用して顔色と表情を平静に保つ。「変身」は肉体を操作する能力とも言えるから、その能力を応用すれば赤面を防ぎ、表情を偽装することくらいは簡単だ。
アイクルはさらに、クロノスフィアの言葉を思い出す。
『良いかい、アイクル? 裸になったら、アーロン君の口調で、こう言うんだ――』
クロノスフィアが命じた通りに、口を開いた。
「どうだ? フィオナ、お前なら俺が本物だって分かるだろ?」
それに、フィオナは愕然と目を見開いた。目の前のアーロンの全身に刻まれた、夥しい傷痕に視線を這わせ、最後にこか――いや、とある場所を注視して、呟く。
「……同じ、形……!?」
瞬間、フィオナの脳裡を過るのは、クロエを誘拐して地下室で尋問した時の記憶だ。
アーロンがへレム荒野で出会った、クロエの偽者。本物のクロエにはあって、偽者のクロエにはなかったという傷痕のこと。
ゆえに、もしもスタンピードの黒幕一味が、本人そっくりに化ける変装技術を有していたとしても、知らない傷痕を再現したり、股間の黒耀を完全に同じ形にすることは、不可能なのではないか?
対し、目の前のアーロンは夥しい傷痕の形も、股間の黒耀の形も、完全に本人と一致していた。それは日常的に何度もアーロンの全裸を目にしているフィオナだからこそ、断言できること。
(――ってことは、目の前のアーロンは、本物……!? いや、でも、そんなはずは……!!)
肉体的な特徴の一致と、それ以外の不一致。
二つの事実により、フィオナ・アッカーマンの脳裡に混乱が過る。
その、瞬間。
空間魔法――【空間転移】
アーロンの姿をしたアイクルが無造作に手を翳すと、手のひらから魔力が放出された。
その魔力が向かう先は、しかし、フィオナではなかった。
クロノスフィアはアイクルに、こう命じていたのだ。
『君が裸になることで、フィオナ君が僅かでも混乱し始めたら、次は【空間転移】の魔法を発動するんだ。ただし、フィオナ君に直接ぶつけてはいけない。この時点で、すでに彼女の実力もかなりの化け物だ。おそらく、フィオナ君に転移魔法をかけようとしても、まだ回避されてしまうだろう』
『お父様……それでは、どうすれば良いのかしら?』
『うむ……この時、フィオナ君の最も近くにいるクランの仲間……それも、フィオナ君が確実に庇うように、できれば女性が良い。具体的な対象はアイクルに任せるけれど、その人物に向かって転移魔法を発動するんだ。反応できるのはフィオナ君だけだろう。そして虚を突かれたフィオナ君は、おそらく――』
「ふぁっ!? アタシかよ!?」
「――ザラ!!」
ドンッ!! と、不意を突かれて目を真ん丸に見開いていたザラを、フィオナは弾き飛ばす。
しかし、代わりに照射された魔力はフィオナの体を包み込み――次の瞬間、オーウェンたちの目の前で、フィオナの姿は忽然と掻き消えた。
「「「――は!?」」」
「姉御ぉッ!!?」
フィオナが転移魔法で何処かへ送られた。そのことを理解するまで、ほんのわずか数瞬。
「てめぇッ!! やっぱり偽者かよ!?」
アーロンが偽者だと気づいたオーウェンたちが、間合いを詰め、アイクルへ武器を振り下ろしてくるが――――遅い。数瞬もの時間があれば、自分自身に転移を発動するのは余裕だった。
「――じゃあね」
と、嗤いながらアイクルは転移した。
●◯●
転移した先は、遥か地下千数百メートル。
【神殿】から数十メートル上にある、地下の小部屋だった。
そこはクロノスフィアが構築した転移陣が設置された小部屋で、【神殿】に最も近い場所にある。
淡く輝く転移陣に照らされた小部屋から、アイクルは杖を取り出すと数十メートル地下へと魔力を照射し、幾つもの魔法を発動させる。
【空間感知】だけは、フィオナを転移させる前、事前に展開していた。
だから【神殿】内部の状況は、すでに把握している。そこへ発動させるのは、数多の攻撃魔法だ。
空間魔法――【空間断裂刃】
空間術師はかなり離れた場所でも、【空間感知】を展開した場所であれば、魔力を長距離照射して魔法を発動させることもできるし、あるいは手元で発動した魔法を転移させることもできる。
しかし、距離という障壁によって魔力照射が遅延するのは防ぐことができない。ゆえに、魔力を感知して空間魔法を回避するような相手には、できるだけ近い場所から魔法を放つ必要があった。
それでいて、敵からの反撃は受けず、一方的に攻撃できるのがこの場所というわけだ。
とはいえ――、
「さすがに、消耗していても回避するわよね……!!」
連続して魔法を放ちつつ、「変身」を解いて元の姿に戻ったアイクルは、そう呟く。
「でも、これで……!!」
だが、問題はない。アイクルは逃げ惑う対象の逃げ道を潰すように、【空間断裂刃】を連射しつつも、さらに別の魔法を発動した。
空間魔法――【空間障壁】
これでクロノスフィアの言う通りならば、すぐに自分たちが求める状況へと変化するはずだ。だから、その前に自分がするべきことは、攻撃を放ちつつ、さらに「変身」すること。
クロノスフィアの言葉を思い出す。
『最後の仕上げの前に、地下の転移小部屋へ移動したら、アイクルには事前に準備してもらう必要がある。それというのも、フィオナ君に「変身」してもらいたいのだが……「変身」の条件は満たしているかな?』
『……フィオナ・アッカーマンなら、もう「変身」できますわ』
『それは素晴らしい!』
へレム荒野から帰還した後も、アーロン・ゲイルについて、クラン≪木剣道≫について、そしてクランメンバーたちについて、結社が調べた情報には目を通していた。
そうする内に、アイクルはなぜか、フィオナに「変身」するための条件を満たしていたのだ。
いつ、フィオナに「嫉妬」したのか、理由は分からない。分かる必要もない。
ただ、【空間断裂刃】を雨霰と放ちながら、全身をアイクル本来の姿から、フィオナ・アッカーマンの姿へと変化させていく。
服は脱いだままだったので、裸体だ。一瞬、まずいかもと思う。ノルドに寄生した『死』との戦いで、アイクルはフィオナの裸体を一度だけ確認しているが、近くで確認したわけでも、【空間感知】の範囲内に取り込んだわけでもない。そのため、裸の模倣精度はあまり高くなかった。
それでも、クロノスフィアに懸念を伝えた時の『顔だけ同じなら十分さ』という言葉を信じて、「変身」を続行する。
イカやタコが全身の体色を変え、体表の質感を変化させ、瞬く間に擬態するかのように、アイクルも自身の肉体を奇妙に蠢かせながら、肉体の形を、肌と瞳と髪の色を変えていく。
そうして程なく、「変身」は完了した。
「あー、あー、アーロン」
発声し、ちゃんと声も変わっていることを確認して。
アイクルは「その時」を待った。
●◯●
浮遊感。
視界が切り替わる。
転移させられたのだと、すぐに気づいた。そこは暑く、見知らぬ場所。どこかなんて判断はできない。しかし次の瞬間、フィオナは凍りついた。
「フィオナ……?」
声。振り向けば、そこにいたのは――、
「アー、ロン……?」
見慣れたアーロン・ゲイルの姿。そのはずである。
しかし、フィオナの思考は停止した。なぜならば。
――黒い靄が、その全身を覆っていたからだ。
自分にしか見えない「死の可能性」、あるいは「黒い靄」。それがアーロンの全身を色濃く覆っている。前回のスタンピードの後、墓地に佇むアーロンに纏わりついていたそれよりも、遥かに多く、遥かに濃く。
(なんで……!?)
何が死の原因になるのか、それを探るための時間もなかった。
「――!?」
驚愕し、凍りつくフィオナの頭上に、どこからか照射されてきた魔力が結実し、魔法と化して降り注ぐ。
空間魔法――【空間断裂刃】
「くッ――!!」
雨霰と降り注ぐ魔法の刃を、しかしフィオナはステップを踏んで回避していく。
地上での戦闘でだいぶ消耗してはいても、遠隔から発動される射撃魔法程度、回避するのは容易だ。
だが――、
(これ、私だけを狙って――!?)
無数の【空間断裂刃】が降り注ぐのは、なぜかフィオナだけだった。フィオナだけを執拗に狙って、魔法の刃が降り注ぐ。さらに回避する場所を狭めるように、【空間障壁】がフィオナを囲むように展開されていく。
普段ならば――消耗していない万全の状態ならば、フィオナは障壁で囲まれることなく立ち回り、容易くこの攻撃を回避し続けることができただろう。しかし、スタンピード鎮圧のためにスタンピードの中心地点で戦い続けたことにより、フィオナには深い疲労が蓄積されていた。
さらに、アーロンに纏わりつく「黒い靄」による衝撃と混乱が、彼女の思考を鈍麻させ、その隙を突かれた形になる。
(まず――ッ!?)
失敗した。
次々と展開される障壁に囲まれ、逃げ道を失いつつある。
あと数十手先で、回避する場所を失い、手詰まりになるだろう。これまでの膨大な戦闘経験が、直感でフィオナにそれを教えた。
だからこそ、気づいた。
「――フィオナぁッ!!」
同じくフィオナが手詰まりに陥りつつあると判断したアーロンが、状況を打開するべく、その手に持つ「黒白」を振りかぶっていた。
「こいつを使えッ!!」
「ダメぇえええッ!!」
だが、フィオナの制止も虚しく、すでにアーロンは剣を手放した後だった。
瞬間、アーロンに纏わりつく「黒い靄」が、ぞわりっと、その濃さを増す。
くるくると回転しながら、薄墨色をした「黒白」が、フィオナの方へ放物線を描いて飛んできた――。
●◯●
その数秒前、アーロンはフィオナよりも先に気づいていた。
フィオナだけを狙って降り注ぎ、追い詰めるように展開される【空間断裂刃】と【空間障壁】の魔法。その目的がフィオナの殺害にないことなど、明白だ。
でなければ、なぜわざわざフィオナをここへ転移させたというのか。
なぜわざわざ、自分の目の前でこれ見よがしにフィオナだけを攻撃する必要があるのか。
アーロンは気づいていた。
――これは、俺を殺すための罠だ。
今の自分に魔力は残っていない。戦うことなどできる状態にはない。それでもなお、執拗に、反撃の可能性を潰そうとしてくる。
クロエによってこの【神殿】へ転移させられた時、一番最初に感じた不気味な感覚は、柱の中に封じられているという【神骸】が理由ではなかったのだ。自分を確実に殺そうとする何者かの妄執的なまでの殺意。それが原因だったのだと、ピリピリとうなじの毛が逆立つ感覚が、教えてくれている。
――「黒白」を手放させようとしている。
今の状況でフィオナを救うにはそれしかない。敵の姿がこの場にない以上、【神降ろし】は悪手だ。あれを使えばこの場面からでも回避を続けることはできるだろう。しかし、今の消耗したフィオナにとっては、魔力消費による寿命を早めるだけでしかない。
だが、フィオナが「黒白」を振るえば、どうとでも対処できる。敵の魔力だって無限ではないのだ。「黒白」があれば、障壁を破壊して敵により多くの魔力消費を強要することもできるからだ。
だが……、
――代わりに俺は死ぬ。
確信にも似た、そんな予感。
その結末を打開するための方法が、手段が、何も思いつかない。完全に手詰まりだ。一方で、「黒白」を手放さなければ、フィオナを見捨てれば、生き残る目は皆無ではなかった。それでも。
――人の命の重さは、平等ではない。
自分にとって、自分とフィオナ、どちらの命がより重いのか?
そんなことは考えるまでもなかった。
考慮する必要すらなく、どちらを優先すべきかなど、アーロンにとっては自明のことだったからだ。
「フィオナぁッ!!」
黒に染まった「黒白」を持ち上げるために、注がれたオーラ全てを手のひらから吸い上げた。そうして薄墨色の剣に戻して、軽くなった「黒白」を持ち上げ、振りかぶる。
「こいつを使えッ!!」
「ダメぇえええッ!!」
そして「黒白」をフィオナに向かって投擲した。
その直後。
アーロンの背後に集束する魔力。
(――おいおい、舐めてんのか? それとも……)
遠隔で放たれた攻撃魔法ではない。魔力の流れ方から、それが転移魔法であると瞬時に分かった。今の自分など、遠隔から攻撃魔法を放つだけで確実に殺せるのに、わざわざ術師本人が転移してくるとしたら、それは自分を舐めているのか。
アーロンは瞬時にストレージ・リングから黒耀を取り出し、背後へ振り向きざまに、剣を振るった。
「――――!?」
だが、その剣は途中で止まることになる。
背後に転移してきたその存在の、首筋僅か手前で。
アーロン自身が、止めることになる。
敵はこちらを舐めていたのではない。確実に殺すために、わざわざ転移してきたのだ。
「――アーロン」
背後にいたのは、親しげな笑みを浮かべて愛しげにこちらの名を呼ぶ、フィオナだった。
いや。
フィオナの顔をした誰かだった。しかしながら、ほぼ確実に偽者だと確信していてもなお、アーロンは剣を止めざるを得なかった。転移魔法で本物のフィオナを背後へ移動させたという、そんな可能性を否定するために、ほんの一瞬の判断時間が必要だったのだ。
判断自体は一瞬で済んだ。
背後に現れたフィオナが、なぜか裸だったからだ。
しかし、その一瞬の停滞をこそ、この敵は狙っていたのだろう。それを後押しするために、わざわざ名前を呼んだのだ。半ば以上理解していてもなお、こちらが動きを止めざるを得ないように。
空間魔法――【空間断裂剣】
【空間断裂刃】を剣の形にして、手元に展開させるだけの魔法だ。剣というだけあり、術者はそれを握り、剣のように振るえることが利点か。
その魔法をあらかじめ発動していた偽フィオナが、親しげな笑みを浮かべたまま、こちらに抱きつくように、剣の切っ先をこちらに向けながら、飛び込んで来た。
「黒白」を手放したアーロンに防御する手段はない。
虚を突かれたアーロンに回避する余力はない。
魔法の剣の切っ先は、アーロンの胸の中央から入り、胸骨を、その裏の心臓を、食道を、胸椎を、脊髄を、致命傷となる重要臓器と神経を何の抵抗もなく貫いて、背中から飛び出した。
「――――」
どんっと、こちらに向かって飛び込んで来た者を見下ろして、アーロンは確信する。
(フィオナの匂いと、違――――)
だが、何時か何処かで嗅いだような匂いだと、記憶を刺激され、わずかに懐かしく思って。
ごぶりっと、両断された食道を遡って、大量の鮮血が口から溢れ出た。
膝から力が抜ける。
倒れた。
床に頭を打ちつける。
もはや、痛みさえ感じなかった。
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