第192話 「ルシアの剣」
【神骸迷宮】に放たれた『
それから時は経ち、秘密結社クロノスフィアが再びスタンピードを起こす計画を実行する日が近づく。今度は全ての【神骸】を迷宮から持ち出すという大きな計画だ。
その計画の決行日がいよいよ近づいたある日、アイクルは地下の一室に呼び出され、クロノスフィアと対面していた。
「アイクル、今度のスタンピードで、君には秘密でやってもらいたいことがあるんだ」
「秘密で……?」
「そう、ノア君にも秘密でやってもらいたい、とても重要な作戦だ」
「『
「うん、この作戦を聞いたら、彼は怒るかもしれないからね。できれば秘密にしておきたいんだ」
「はあ……分かりましたわ」
不思議に思いつつも、組織の最上位命令者はクロノスフィアだ。その本人から言われたのであれば、アイクルに拒否する選択肢はなかった。
とはいえ、さすがに作戦の詳細を聞かされた時には、平静ではいられなかったが。
「今度のスタンピードで、アーロン君を確実に殺しておこうと思う。そのために、四家側の裏切り者であるエイルとローガン君を使って、アーロン君を【神殿】に隔離し、まずは消耗させる」
「え!? ちょっ、ちょっと待ってくださいまし!!」
アイクルはひどく混乱した。
「エイルとローガンが、裏切り者、なんですの!? それに、アーロン・ゲイルを殺すために【神殿】に隔離するって……その、お父様、【神殿】はとても重要な場所のはずではありませんの? なぜ、わざわざそこへ……?」
「うん、おそらくだが、本気のローガン君を持ってしても、アーロン君は倒せない。ローガン君の役目は飽くまでアーロン君を消耗させることさ。そして彼らが【神殿】で戦っているならば、すぐに【神骸】の封印を解いたノア君がやって来るだろう? たぶん、二人の戦闘で【神殿】はボロボロになるはずだから、激怒したノア君がアーロン君たちに襲いかかるはず。つまり、ノア君によってさらにアーロン君を消耗させようというわけさ」
「……待って、お父様、待ってください……!!」
混乱は落ち着くことを知らず、どんどんと酷くなっていく。
「アーロン・ゲイルを殺したいなら、『
――考えてはいけない。
何か、考えてはいけないような、そんな致命的な違和感を目の当たりにしたような、得体の知れない恐怖にアイクルは襲われた。
そもそもクロノスフィアの言葉でおかしいところは、まだまだある。
エイルとローガンが四家側の裏切り者だという話――――アイクルは知らなかった。人生経験を真っ当に積んでいたら、もしかしたら怪しいと思えたのかもしれない。しかし、問題はそんなことではなく、二人が裏切り者だと確信しているクロノスフィアが、そのことを今の今までアイクルに教えなかったことだ。
それに、何よりも――、
「お父様は、どうしてそこまで、アーロン・ゲイルを殺そうとなさっているの……?」
『魔導師』はすでに、アーロン・ゲイルを殺す必要性を認めていない。今度のスタンピードにおける全計画が実行されれば、組織の目的は果たされるのだから。大きな犠牲を出してアーロンを討伐するよりも、邪魔にならないように足止めするくらいでちょうど良いはずなのだ。
そのはずなのに、クロノスフィアはアーロンの殺害に拘っている。
――なぜ?
そう問うアイクルに、クロノスフィアは困ったように苦笑しつつ、答える。
「アーロン君はね、『ルシアの剣』なんだ。あるいは滅びの運命を感じ取った人類が、無意識に用意したカウンター・フェイト……とでも言うべきかな? 本来存在しない可能性を歪めてこの世に出現した
――【神】
クロノスフィアが口にした【神】とは、何を指しているのか?
アイクルは当然のこととして、それはクロノスフィア自身だと理解した。
(つまり、アーロン・ゲイルは……お父様を、殺す? 滅ぼす?)
だから、殺される前に殺そうとしているのか。
「【神殿】のことならば心配は要らないよ、アイクル。すでに完成時の状態は詳細に記録しているからね。たとえ破壊されても、私ならば【状態復元】で修復することが可能だ」
――【神殿】は修復できる。
その言葉に微かに安堵したが、すぐに疑問が浮かぶ。それならば、そのことを『魔導師』に告げて協力を求めるべきではないのか、と。
「お父様、『魔導師』様に秘密にするのは、なぜですの?」
「ああ、それは……きっとノア君は反対するだろうからね。頭の良い彼を説得できる自信は、残念ながら私にもないよ。下手に説明して私の真意に気づかれでもしたら厄介だ」
「……………………ぇ? お父、様……?」
やはり、何かがおかしいと思った。
何がおかしいのか、すぐには分からなかった。考える暇もなかった。クロノスフィアはゆっくりとアイクルの方へ近づいてくる。
「もうすぐなんだ。もうすぐ、確率の収束点を掴み取ることができる。『ルシアの剣』を殺せる未来を引き寄せるには、そうするしかない。いや、殺せないまでも、アレさえ無力化してしまえば、
「お父、様……?」
ぽんっと、近づいてきたクロノスフィアがアイクルの頭に手を置いた。
思わずクロノスフィアの顔を見上げたアイクルには、いつもと変わらないその優しげな笑顔が、なぜか不気味な仮面のように思えた。
「これはパンゲア政府が私にかけた倫理規定に違反しているが……今の私で、人間かどうかも怪しい君が相手ならば、ギリギリいけるだろう」
「ぇ……?」
「『
「…………はい」
ぼうっと、アイクルの瞳が虚ろに変わる。
意識が、まるで夢でも見ているかのように茫漠としていく。
それは【神前契約】を利用した「命令の強要」だ。言動への縛りを科す、違反行動の設定とは本質的に異なる。組織の活動目的――つまり契約内容に沿った命令を与える事とも、別の行為だ。それは明確な人権の侵害行為であり、かつて、神々が禁止された行為でもあった。
すなわち――――自我を凌辱し、記憶と認識を操作すること。
意思が希薄になった彼女に、クロノスフィアは命令を告げていく。
「『以下の命を遵守せよ。一つ……』」
と、幾つもの命令を告げる。記憶の改竄、感情のすり替えを含む命令の数々。一つ一つは簡素で、意味も明瞭な命令だ。
加えて、作戦の流れも詳細に説明していく。
やがて――長い時間をかけて全ての命令と説明を終えて、クロノスフィアは静かに呟いた。
「さて……これで死んでくれると本当に助かるんだが……どうなるかな?」
●◯●
そしてスタンピードが始まった。
アイクルは地下施設の一室に潜み、地上――ネクロニアの様子を【空間感知】にてつぶさに観察しつつ、その時が訪れるのを待つ。
そして、クロノスフィアによって「予言」された時間が来たのを確認すると、アイクルは「転移」した。
場所はネクロニア【封神殿】直上、数百メートル上空。
【空間障壁】を足場として展開し、その上に立ちながら眼下を見下ろす。
『【空間感知】でフィオナ君たちを直接観察してはいけないよ。気取られてしまうからね。上空に転移し、そこから状況を肉眼で確認してほしい』
という、クロノスフィアからの命令通りに。
『私が告げた時間になれば、彼女らは無事にイグニトールを討伐し、さらに残敵となる魔物を掃討して、だいぶ消耗しているはずだ。しかし、飽くまで私の観測する未来は可能性に過ぎない。必ず君の目で確認してくれ』
アイクルは確認する。
【封神殿】周囲の魔物はだいぶ減っており、イグニトールやノルドなどの大型守護者の姿もない。おそらくはクロノスフィアの予測通りの展開になっているのだろうと判断できる。
『フィオナ君たちが消耗していたならば、君はアーロン君に「変身」してフィオナ君たちに接触してくれ』
アイクルは自らの姿を、改めて確認した。
身につけている衣服は、アーロン・ゲイルが購入したことのある衣服で揃えている。先程まで(アーロンがフィオナたちと別れる前)とは着ている服が違うかもしれないが、それで怪しまれることはないだろうと判断した。というのも、戦闘で服をダメにして着替えることは、アーロンにはよくあることだからだ。
つまり、服が違うと怪しまれても「着替えたんだ」と言えば、それで済む話なのである。
加えて、腰には剣帯で吊るした「黒耀」がある。クロノスフィアに協力している者が注文していたものだ。さらに外見もへレム荒野からの帰り道、全身隈無く観察しているから、完璧に「変身」できている。そして声も……、
「あー、あー……よし。んじゃまあ、行くか」
完全にアーロン・ゲイルの声、口調を模倣できていることを確認して、アイクルは転移魔法を発動させた。
場所は【封神殿】の「境内」へ続く「大参道」の一本。
そこからすぐに「境内」へ移動し、魔物の掃討も一段落して集まっているフィオナたちへ近づいた。
「おーい、フィオナ! お前ら! 無事か!?」
小走りで近づいてくるアーロンの姿に、フィオナたちも気づいた。
「おお! 親方! そっちも無事だったのかよ!?」
「剣聖との戦いは終わったみてぇだな!」
「あれ? 親方、着替えました?」
順番に、オーウェン、ザラ、エリオットがそれぞれに声をかけてくる。
それに「おう、ちょっとローガンとの戦闘で服をダメにしちまってな」と答えつつ近づいていくと――、
――キンッ!
という音と共に、目にも留まらぬ速さで抜剣したフィオナが、「銀嶺」をアーロンの喉元に突きつけた。
「アンタ、誰よ?」
「――――ッ!?」
こちらを射貫くように睨みつけ、強く確信しているように言葉には躊躇いがない。
息を呑みつつも、アイクルはクロノスフィアの言葉を思い出した。
『フィオナ君たちをアーロン君の姿で油断させたい……ところだけど、フィオナ君だけは秒で気づいちゃうだろうねぇ。でも、バレても決して動揺してはいけないよ』
偽者だとバレるにしても早すぎる。それでも何とか、アイクルは動揺を面に出さなかった。
「おいおい、いきなりだな、フィオナ。冗談にしても笑えねぇぜ。まさか俺の顔を忘れたってんじゃあ――」
「アンタは、アーロンじゃないわ」
それは断言だ。少なくとも、フィオナはそう確信しているようである。
アイクルが反論しようと口を開くよりも先に、フィオナは続ける。その言葉は、目の前のアーロンが偽者であると証明するための言葉だ。
「アンタ、服をダメにしたのに、何で服を着てるのよ?」
――――!?!?
(どういうことですのッ!?)
ちゃんと服をダメにしたから着替えたと言ったはずなのに。
理解を超える言葉を吐かれて、アイクルは内心で混乱した。その一方で――、
「ハッ! そういえば、一回裸になったのに何で服を着てんだよ親方!?」
「アンタ……本当にウチらのマスターか?」
「ああ、何か違和感があると思ったら……服を着てるなんておかしいですね」
なぜかオーウェンたちは納得の声を上げ、疑惑の眼差しをアイクルに注ぎ始めた。
続けて、フィオナが刺すような鋭い眼差しで、「服を着ている」ことのおかしさを解説する。
「雪原階層みたいに極寒の場所ってわけでもないのに、一度裸になったアーロンが服を着るなんておかしいのよ。まだスタンピードも完璧に終息したわけじゃない……つまり、まだ戦闘があるかもしれないのに服を着るなんて、アーロンらしくないわ」
「確かに!!」
「その通りだぜ!!」
「寒くもないのに親方が無意味に服を着るなんておかしすぎる……!!」
――――!?!?
(こいつらはいったい何を言っているんですのッ!?)
もはや、それはアイクルには理解不能な言葉だった。
しかし、フィオナは「それだけじゃないわよ」とさらに続けるのだ。
「アンタが腰に差している黒耀はアーロンが作った物だけれど、販売用の飾り彫りが多いやつよね。アイツは自分で使う黒耀にはあまり飾りを彫らないの。消耗品だから。それにその服装、おそらくアーロンが何を購入したかを調べ上げて同じ物を購入したんでしょうけど、その上下のセットを購入したのは一着分のみで、この間の迷宮探索でダメにしたから、同じ物は今持っていないはずよ。あとアンタの履いている靴だけど、アーロンがそれを買ったのは三ヶ月と二十一日前。まだダメにはしてなかったけど、何回か迷宮に履いて行ってるからもっと草臥れてるはずだわ。さらにアンタの歩き方もアーロンと違う。重心が高すぎだし、正中線が揺れすぎ。戦士の歩き方じゃないわ。おまけにアーロンだったら私の抜剣に反応できなかったのもおかしすぎるでしょ? それに何より! アンタとアーロンじゃ体臭が全然違うわッ!! アンタからは女みたいな体臭がするのよ!!」
「「「…………」」」
沈黙が、その場を支配した。そして……、
(こっわ……)
「「「…………こっわ」」」
アイクルの心の声と、オーウェンたちの呟きが奇跡的に意見の一致をみる。
だが、アイクルは
『フィオナ君はすぐに君が偽者だと看破するだろう。だけど安心すると良い。私の「未来観測」で、数秒でもフィオナ君に君をアーロン君だと疑わせる未来を、すでに見つけ出している。これから私の言う通りに行動すれば、フィオナ君は君を本物のアーロン君ではないかと疑い、混乱し、隙を見せるはずだ。その隙を突けば、回避されることなく彼女を転移させることができるはずだ』
『……お父様、私は、何をすれば良いのかしら?』
『うむ……良いかい? 彼女に疑われたら、恥ずかしがらずに、服を脱ぐんだ。下着も含めて、全部』
『…………は?』
『アイクル、君はアーロン君の裸を何度も観察し、正確に変身できるようになったのだろう? 実際、彼の傷痕は完璧に偽装するのは難しいくらい多くて複雑だからね。それが同じとなれば、フィオナ君もすぐに偽者だとは判断できなくなるだろう……』
『…………』
お父様のことをバカなんじゃないかと思ったのは、これが初めてである。
でも、お父様の言葉は絶対だ。
アイクルは、意を決して言った。
「フィオナ、俺が偽者かどうかは……俺の裸を見て判断するんだな」
「はあ?」
「今から俺は、服を脱ぐ……!!」
「……いいわ。アンタが本物だって言い張るなら、見せてみなさい」
フィオナは警戒しつつも「銀嶺」の切っ先を下げた。それに、
(何でよ……!?)
と、その正気を疑いながらも、真剣な表情を崩さずに、アイクルは自らの衣服に手をかけるのだった。
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