第191話 「五日間」


【神骸迷宮】45層での≪迷宮踏破隊≫襲撃が失敗に終わった後、アイクルはクロノスフィアに呼ばれた。


 地下施設の一室で、アイクルはクロノスフィアからの話を聞く。


「アーロン・ゲイル君……彼を殺すために、君の力を貸して欲しいんだ、アイクル。協力してくれるね?」


「はい、お父様。私は何をすれば良いのかしら?」


「君にはクロエに変身して、人質を演じてもらいたい。場所は……そうだな、へレム荒野への転移陣がちょうど廃棄予定だったし、それを使おう。へレム荒野に彼を誘き出し、クロエを人質にして抵抗できないようにした上で、『適合者アデプト』たちで囲んで殺す。……三十人くらい集めてみようか。万が一、それでも殺せなかったら、引き続きクロエを演じつつ、できるだけ時間をかけて帰ってきてくれ。ネクロニアでも≪迷宮踏破隊≫に襲撃を仕掛けるからね。それを彼に邪魔されたくない」


「……お父様、私は、アーロン・ゲイルに攻撃を加えなくてよろしいのかしら? 空間魔法なら不意打ちで殺せると思うのだけど……」


「うん、それは止めておいた方が良いだろうね。彼なら射撃系魔法は普通に避けるし、遠隔魔法でも魔力照射で攻撃範囲とタイミングを予測して回避するはずだ。そうなると、戦闘に慣れていないアイクルでは殺されてしまうよ」


「…………ッ!!」


 あっさりとそう断言されて、アイクルは体を強張らせる。


 45層の戦いでアーロン・ゲイルの非常識な強さは理解しているつもりだったが、それでも無意識の内に侮る感情があったのも確かだ。


 空間魔法を使えない只人が、空間魔法を使える自分に勝てるはずがない――と。


 普通ならば、その認識に誤りはない。大部分の者に対して、空間魔法は圧倒的に優位で強力な魔法となるのだから。


 しかし、クロノスフィアが断言するということは、大いに自信のある推測であるか、「観測された事実」である、そのどちらかの可能性が高い。


 アイクルは万が一作戦が失敗した時は、クロエを演じることだけに心血を注ごうと決意した。


 緊張に強張った表情を浮かべるアイクルに、けれどクロノスフィアは安心させるように笑いかける。


「普通なら絶対に殺せると断言できる状況に追い込むつもりだけれど、失敗する可能性はまだ高い。だから失敗しても良いんだよ」


「……ですが、お父様の作戦を失敗に終わらせるなど……!!」


 絶対に成功させなければ、という意気込みなのも事実だ。失敗するわけにはいかない、という。


 対し、クロノスフィアは苦笑する。


「私としては、成功しても失敗しても良い。私が獲得した異能の力は覚えているだろう? これは彼を確実に殺すための、追い込みの一環なんだよ。私が望む未来を掴めるよう、確率を収束させるためのね」


 クロノスフィアが獲得した異能――【見えざる御手インビジブル・ハンズ


 その能力は二つの力によって成る。


 一つは「未来観測」


 幾つも存在する未来の可能性を観測することができる。


 そしてもう一つは――「未来選択」


 観測した未来の可能性の中から、望んだ未来が訪れるように確率を変動させる能力。


 ただし、どんな未来も自由自在に選び取れるというわけでは、もちろんない。元々実現の可能性が低い未来ほど、選択するのは困難になる。


 だが、望む未来へ向けて時間をかけて幾つもの選択を繰り返し、実現の可能性を高くすることならばできるのだ。


 今回の作戦も、その一環であるのだとクロノスフィアは言う。


「……分かりましたわ、お父様。できる限り、アーロン・ゲイルを殺せるように頑張りますわ」


「うん、頼むよ、アイクル。愛しい我が娘よ」


 クロノスフィアは優しげに笑って、アイクルを送り出した。



 ●◯●



「アーロンざんんんんッ!! だっ、だずけでくだざいぃいいいいいッ!!」



 アイクルの渾身の演技もその甲斐なく、作戦は失敗した。


 へレム荒野に集めた三十人の『適合者』たちは、一人残らずアーロン・ゲイルに返り討ちに遭い、全員が殺されてしまった。


 ただ一人残ったアイクルは、クロエの演技を続けながらアーロンと一緒に時間をかけてネクロニアに戻ることにする。


 だが、その心中は恐怖と他の何かで大荒れだった。


(ひぃっ! な、何なのよこいつはっ!?)


 まさか三十人の『適合者』で囲み、「アンチ・マジック・リング」を装着させた上で回避も禁止し、『活性剤』の使用からの29人による全力攻撃を叩き込んで殺せないなど、さすがに想像の埒外だった。


 クロノスフィアはああ言っていたが、「アンチ・マジック・リング」を装着できた時点で、これはもう確実に殺せただろうと確信していたのだ。


 それがあっさりと返り討ちに遭うなど、誰が想像できるだろうか。


(それに……なに、あれ……何てグロいモノ私に見せるのよッ!!)


 そして人質となっていた偽クロエを助けるために、なぜか全裸と化したアーロンがクレーターの中から飛び出して来た後、偽クロエたるアイクルは見てしまったのだ。


 アーロン・ゲイルの股間からぶら下がる醜悪でグロテスクなモノと、転ばされた際に見上げた時、お尻の割れ目の奥まで。


(いや……っ、いやっ、いやぁああああっ!!!)


 脳裡にその光景が焼きついて離れない。


 クロノスフィアから一般常識として、男性の身体構造に関する知識は授けられていた。しかしながら、彼女が実際に実物を見たのは初めてのことだ。そして初めて見たそれは、想像よりも遥かに生々しくグロテスクで衝撃的だった。


 それでも何とか冷静さを取り戻し、アイクルはへレム荒野からイーリアス共和国の首都を経由して、おおよそ一ヶ月かけてネクロニアに帰るつもりでいた。アーロンの殺害が失敗した場合の、「できるだけゆっくり帰って来て欲しい」というクロノスフィアからの依頼を果たすために。


 しかし、その予定をアーロンが拒否する。


「さっさと帰る。できる限り早く帰る」


 断固とした口調でそう告げたアーロンは、偽クロエを背負ってネクロニアまで文字通り「真っ直ぐ」帰ることに決めたのだ。


 それからの五日間は、アイクルにとって地獄だった。


 自分で歩くことはほとんどなく、大部分、アーロンに背負われての移動だったが、激しい上下運動に三半規管は酔い、


「やめっ、アーロンっさんっ! ちょっ、止まっ、てくだっさっ――――オロロロロロ……!!」


「おわぁあああッ!? おいクロエぇええ!? お前なに人の背中で吐いてんだよッ!?」


 嘔吐してしまうこともあれば、ワイバーンの巣となっている山脈を横切る際、五十や百ではきかない数のワイバーンたちに囲まれたりもして、


「ひぃっ!? ひぃいいいいいっっ!!? 死む死む死むぅうううううううッ!!! 死んじゃうううううううッ!!!」


「ああもう! うるせぇなぁおい!! 大丈夫だっつってんだろ!! 耳元で叫ぶな!!」


「だめぇええっ!! 喰われるぅうううっ!! 死むぅうううっ!! こんなどごろで死にだぐなぃいいいッ!!」


「死なねぇよ!! これくらいじゃあ!! ちゃんと守ってやるから安心し――――んん? ……おい、クロエさん?」


 下半身から盛大に涙を流してしまったこともある。


 そうして色々汚れてしまった服や下着に体なんかを洗うため、アイクルたちは山間にある幻想的な風景の湖の畔で、一泊野営することになったのだが。


「おいクロエ、お前、汚れた服とか下着とか、リングから全部出しておけよ」


「はえっ!? な、何でですかッ!? 私の汚れた下着でいったいナニするつもりなんですかッ!?」


「何って洗うに決まってんだろうが? お前はカドゥケウスのお嬢さんなんだし、どうせ洗濯なんてしたことねぇんだろ? そのままにしてたら染みになっちまうし、臭いも取れなくなっちまうからな。仕方ねぇから俺が洗ってやる」


 と言われて、屈辱と恥辱に震えながら汚れた服と下着を渡したり、


「んじゃあ、お前はあっちの岩の陰で体洗って来い」


「み、み、みっ、見ないでくださいよぉうっ!?」


「見ねぇよ、小娘の裸なんざ。……いやでもまあ、俺がおっぱい星人じゃなかったことに感謝するんだな」


「どういう意味ですかぁっ!?」


 一悶着ありつつも、アイクルはようやく体を洗えることに内心喜びつつ、アーロンからは見えない、少し離れた岩の陰まで移動して、服を脱ぐと湖の中に入った。


「つめたっ!? ……でも、気持ち良い……」


 水の冷たさに驚き、それでも徐々に冷たさに慣れると汚れを落とせる爽快感が湧いてくる。


 思わず、ふんふんと鼻唄を歌いながら水浴びをしていると、


「へっへっへっ! まさかこんなところに女がいるとはなぁ!」

「お嬢ちゃん、一人かい?」

「こいつは上玉だぜ! 良い拾いもんだ!」


「……へ? きゃ、きゃぁああああああああっ!?」


 湖の周囲に広がる森の中から、数人の男たちが姿を現した。


 見るからに薄汚れた格好の男たちで、長い間風呂にも入っていないのか、離れた場所からでも獣臭じみた体臭が漂ってくる。野盗、山賊の類いだとは、アイクルにはすぐには分からなかった。


 ただ咄嗟に、自分の裸体を隠すように水の中にしゃがみこむので精一杯だ。


 そんなアイクルの方へと、薄笑いを浮かべた男たちが近づいて来た時、


「どうしたぁああああッ!?」


 ドバンッ!!


 と、まるで空から降って来たかのように、激しく水面を叩きながら、アーロンが湖の中に落下してきた。偽クロエの悲鳴を聞いて跳躍し、文字通り空から降って来たのだ。


 ただし、なぜかアーロンは全裸だった。


 自分のそばに現れた全裸のアーロンを見て、アイクルは思わず悲鳴をあげる。


「きゃぁあああああああああああッ!!? な、なっんで裸なんでしゅかぁああああああ!?」


「変態が降って来やがった!?」

「何奴!?」


 山賊どもも、突然現れた全裸の男を警戒し、それぞれが武器を抜いて構えた。


 一方、なぜ裸なのかと問われたアーロンが、むしろ不思議そうな顔をして偽クロエに答える。


「何でって……そりゃあ、洗濯してたからだろうが? 服なんか着て洗濯してたら服が濡れちまうだろ?」


「え、あ、……そ、そう、なんですかぁ……?」


 疑問に思わないでもなかったが、アイクルはアーロンの言葉を素直に信じた。


 洗濯をしたことのない彼女は、洗濯とは裸になってするものなのかと、そう思ったからである。


 対し、山賊どもはアーロンに警戒の視線を向ける。引き締まった筋肉、全身に刻まれた夥しい傷痕。武器こそ持っていないが、只者でないことはすぐに分かった。


「てめぇもそこの嬢ちゃん狙いか!?」

「そのお嬢ちゃんは俺らが最初に見つけたんだ!」

「どこの山賊団の所属か知らねぇが、引っ込んでいてもらおうか!!」


 どうやらアーロンのことを同業者と勘違いしたらしい。アーロンは――、


「…………ああ?」


 ストレージ・リングの中から黒耀を取り出すと、オーラを込めて無造作に一振りし、山賊たちを自然に還した。


 ――とまあ、こんな感じでアイクルにとっては散々な日々だった。乙女にあるまじき醜態を晒した上に、不特定多数に裸を見られ、アーロンの記憶からも自分の記憶からも、今回の出来事を消し去りたいと本気で思ったほどである。


 ただ……、


「…………」


「どうした? せっかく獲ってやったのに、魚は嫌いか?」


「あ……いえ」


 山間にある幻想的な湖の畔で、アーロンと二人、野営をしながら焚き火で焼いた魚を食べている時、ふと湖面に映った星空の美しさに息を呑んで、ぼうっとしてしまった。


 散々な日々のはずなのに、早く帰りたいはずなのに、ネクロニアにいては、あの地下施設で暮らしていては、カイル・アロンに成りすましていては、決して経験できない日々に、どこか帰りがたく思う気持ちがあるような気がして。


 だからだろうか?


「……おい、本当にどうした、クロエ?」


「…………ッ」


 アーロンに「クロエ」と呼ばれた時、咄嗟に叫び出したい気分になったのだ。



 ――私はクロエじゃないッ!!



「…………、何でもないですぅ! ただ、アーロンさんのせいで肉体的にも精神的にも疲れたので、ぼうっとしてただけですっ!!」


「俺のせいとは失礼な。ちゃんと服もパンツも洗ってやっただろうが」


「んぎゃぁああああ!! やめてください思い出させないでください忘れてくださいっ!!」


 やっぱり最悪な日々だ。


 そう言い聞かせて、アイクルはネクロニアに帰還するまでの日々を過ごした。



 ●◯●



「――申し訳ありません、お父様。アーロン・ゲイルの殺害に失敗した上、五日間しか時間を稼げず……」


「いや、構わないよ。≪迷宮踏破隊≫の人数もだいぶ減らせたしね」


 アーロンに送られてカドゥケウス家にクロエとして帰還した後、秘密結社クロノスフィアの地下施設に移動して、アイクルはクロノスフィアと会話していた。


 役目を十分に果たせなかったと意気消沈するアイクルだったが、クロノスフィアは特に気にしてはいない様子だ。


「で、でもっ、お父様! 聞いてください!」


 そこへアイクルは、意気込んで告げた。


「私、アーロン・ゲイルに変身できるようになったのです! もしかしたら、何かに使えるかもしれませんわ!」


 それはネクロニアに帰還してから気づいた変化だ。


 いつ条件を満たしたのか分からないが、アイクルはアーロンに「変身」することができるようになっていた。


 それにクロノスフィアは「おお、それは素晴らしいね」と笑顔で頷いて、続けた。



「アイクルは、アーロン君に嫉妬したのだね」



「…………ぇ?」



「だってそうだろう? 君の異能の発動条件は二つ。変身する相手に好意を抱くか、嫉妬しなければならないのだから。だとすれば、君はアーロン君の何かに嫉妬したんだ」



「…………ぁ」



「まさか殺すべき相手に好意を抱くはずもない。ならば嫉妬したに決まっている。うん、きっと彼の強さとか、奔放な性格に嫉妬したのだろうね。そうだろう、アイクル?」



「…………。はい、そうですわ、お父様」



 アイクルはアーロンに嫉妬にしたのだ。


 だから「変身」の条件を満たしたのだ。


 それで良い。



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