第180話 「霊廟」


 時は数十分前にまで遡る。


 ――『魔導師メイガス』ことノア・キルケーは、【封神殿】中央制御室へ侵入すると、その機能を停止させ、【神骸迷宮】内部へと転移した。


 転移場所は51層。


 正真正銘、最後の守護者が待ち受ける50層を越えた先。


 そこは、迷宮を踏破しても通常は立ち入ることさえできない秘密の場所だ。なぜならば、51層は【封神殿】によって結界が張られ、何者も侵入できないように空間的に断絶しているからだ。


 しかし、今はその結界も停止している。だからこそ、ノアはそこへ転移することができた。


【神骸迷宮】51層――『管理者の高座フリズスキャルヴ


 そこは不思議な空間だ。


 床や壁は全面ガラス張りのように、透明な素材で出来ている。床を透かして遥か眼下に見えるのは、青く輝く巨大な惑星だ。


 視線を転じて壁の向こう側を見れば、どこまでも暗い空間が広がっていた。


 青い光を放つ惑星と暗い虚無の空間とがどこまでも続くコントラストを描いている。


 初見であれば、じっと見入ってしまうような恐ろしくも美しい光景。だが、ノアはそれらには一瞥もくれずに、円形を描く『管理者の高座』の中央まで進んで、上を見上げた。


 そこには宙に浮かぶ、巨大な球体がある。


 球体はそれ自体が発光しているが、強い光ではなく、直視しても問題ない程度の淡い光だ。


 その球体は、【神骸迷宮】と呼ばれる物の全てを管理するための、管理装置。外部からの入力装置の類いは一切存在せず、操作するには無線通信可能なある種のデバイスを所持している必要があった。


(ブレイン・サポート・インターフェイス起動……フリズスキャルヴに接続……)


 ノアが静かに球体を見上げて程なく、部屋の何処からか、柔らかい女性の声が降ってきた。


『ようこそ、フリズスキャルヴへ。現在、テラフォーマー007は正常に稼働しています。当該装置を操作するにはパンゲア政府発行の管理権限コードの提示が必要です』


(管理権限コードを提示……)


『……アーキタイプ・インテリジェンス≪クロノスフィア≫より発行された臨時権限コードを確認。当該コードは第三級管理権限コードに相当します。フリズスキャルヴはテラフォーマー007の機能変更を一部受け付けます』


 ここで初めて、ノアは声に出して要求した。


「機能変更は停止。人造亜空間、暫定名称【霊廟】への転移を要請」


『……要請を受諾。転移門を生成します』


 程なく。


 ヴンっという音がして、ノアの目の前に転移門が生成された。


 門の向こう側には『管理者の高座』とは別の場所の光景が広がっている。


 ノアは微塵も躊躇することなく、生成された転移門へ向かって足を踏み出した。


「さて……ここからは急がなきゃね」


 転移門を潜ったノアは、ぐるりとその空間を見回して呟く。


 そこは「四つ」の柱が等間隔に立ち並ぶ、広大な空間だった。


 前回、この【霊廟】を訪れたのはジルバ=クロノスフィア神のみ。ノアはここへ来るのは初めてだ。それでも何処か既視感を覚えてしまうのは、ここが【神殿】に似ているからだろう。


 いや、正確に言えば、【神殿】がここに似ている、というべきだ。


【封神殿】直下千五百メートルの地下に建造した【神殿】は、まさにこの【霊廟】を模して造られたのだから。


 ただし、完成度は比べ物にならない。


 この【霊廟】は神代末期に造られた高度な技術の集合体であり、立ち並ぶ巨大な柱も透明で、内部では何かの回路染みた光が無数に走っている。この柱の素材が如何なる物質なのか、ノアには見当もつかない。それに【霊廟】内部の床や壁、天井は【封神殿】を構成するものと同じように、鏡面のように滑らかで凹凸がなく、そして空間魔法でも破壊できないほどに頑丈だ。


「この素材が再現できていれば……あんな苦労もする必要はなかったのだろうけどね」


 と、思わず苦笑いしながら呟く。


 というのも、【神殿】建造に関して最も苦労したのは、この不可思議な建材の代わりとなる物質を見つけることだった。そのため、ノアたちは一時的とはいえ【神骸】を封じ込めるに足る素材はないかを発見するまで――いや、発見してからも苦労することになった。


 そうして【神殿】建造に使われることになった素材は、大きく二種類だ。


 一つはダマスカス鉱やミスリル鉱などの魔法金属。床や壁や天井や、【神骸】から引き出した魔力を流すための回路に使用された。これは膨大な量に上り、必要数をかき集めるために様々な商会を介して世界中から購入するしかなかった。最終的に計上された購入金額の総計は、如何に【封神四家】と言えども傾きかねない金額だ。


 絶対にあり得ないことだが、もしも【神殿】が壊されでもしたら、ノアは発狂してしまうかもしれない。それくらいに建材購入費用だけで、大金が掛かっているのだ。まあ、そんなことは絶対にあり得ないが。


 ともかく――もう一つは龍の死骸だ。


 ただし、地上では龍などほとんど絶滅している。そのため、ノアたちは【神骸迷宮】45層に存在するイグニトールを気が遠くなるほど繰り返し討伐し、ドロップアイテムから素材をかき集めることになった。


 必要となるのは龍5体分の「龍眼」、龍10体分の「龍鱗」と「龍骨」に、龍25体分の「龍血」だった。


 これら龍の素材は、主に【神骸】を封じるための棺――五つの柱に使われている。


「龍眼」には自然魔力(生物の意思が介在しない魔力)を操作する能力があり、「龍鱗」は言わずもがな、魔力やオーラを強制的に拡散する性質を持つ。「龍骨」は魔力を注ぐことでひたすらに硬くなり、そして「龍血」は龍の持つ「属性同化」能力――すなわち、魔力と自然エネルギーを相互に変換する能力があった。


 これらを加工して組み合わせることで、ノアたちクロノスフィアは【神骸】から常に魔力を引き出しつつ、引き出した魔力で封印系空間魔法を発動する機構を柱に組み込み、【神骸】を封じることのできる「棺」を再現したのである。


 言うまでもなく、これは凄まじい偉業だ。


 根幹を成す理論自体は単純だが、「棺」には幾つもの革新的な技術が利用されている。ここに使われている技術だけでも世間に公表すれば、それだけで魔道具関連の技術は数世代先に進むだろう。


 まあ、そのためには「龍素材」という世界的にも極めて稀少な素材を大量に使う必要があったのだが。


 ノアたちがイグニトールを狩った回数は、もはや数えるのもバカバカしいほどだ。何しろドロップアイテムというのは、一回の討伐につき龍一体分の素材になどならないのである。一回のドロップで出現する素材の量など、種類的にバラつきがありつつ、龍一体の百分の一にも充たないのだ。


 ゆえに、必要数を確保するために倒さねばならなかったイグニトールの数ともなれば、それは絶望的な数になる。多くの『適合者』たちが死んでいったし、諸々の研究や【神殿】の設計建築にと、常に忙しかったノアですら、僅かな時間があればイグニトール討伐の周回作業に駆り出されていたほどだ。


 金銭的な面で言えば、こちらの作業に負担は少なかったとはいえ、労力的な面では凄まじい負担だった。おそらくクロノスフィア構成員の誰もが、もう二度とはやりたくないと思っているはずだ。


 ゆえに、絶対の絶対の絶対にあり得ないことだが、もしも万が一【神殿】が破壊されでもしたら、ノアは発狂してしまうだろう。いやまあ、そんなことは本当に絶対にあり得ないのだが。


 ともかく――無駄な心配はさておいて。


「まずは、四肢の封印からだね……」


 と、ノアは柱の一つに向かう。


【神骸】は五つの部位に分けられ、封印されている。それぞれに「右腕」「左腕」「右足」「左足」、そして「頭部を含む胴体」の五部位だ。


 この内、「右腕」の封印はすでに解かれている。


 前回のスタンピードでクロノスフィア神が解いたのが、それだ。


 今回は残る全ての【神骸】を「棺」から取り出し、【神殿】内部の五つの柱――【模造封棺】に納める必要がある。


 そして、ただそれだけの作業にも、二種類の道具が必要だ。


 一つは【封鍵】――【神骸】を【霊廟】の【封棺】から取り出すための鍵。


 もう一つは【空間凍結】の魔道具――これは取り出した【神骸】を【神殿】へ運ぶまでの間、一時的に封じておくための魔道具だ。半日も封じておくことはできないが、一時間でも封じておけるならば目的は果たせる。


「まずは左腕……」


 ノアの前に立つ巨大な柱の内部――水晶のように透明な、その内部を見上げれば、ほっそりとした嫋やかな女性の腕が納められていた。


「左腕の【封鍵】は、アロン家だったね……」


 ここから先の作業に間違いは許されない。もしも手こずれば、あるいは間違えれば、【邪神】が復活してしまう可能性があるのだから。


 ふうぅ……っと、深く息を吐き、ノアは自らの足元にストレージ・リングの中から魔道具を取り出し、置いた。


 その魔道具は、少し大きめの弦楽器でも収まりそうな、長方体。


 バチンッと、側面の留め具を外して蓋を開ければ、内部は天鵞絨の布が敷かれただけにも見える。しかし、蓋を閉じれば内部空間に対して【空間凍結】を発動するという、極めて高度な魔道具だ。


 それをいつでも使えるように用意したところで、ノアは再び柱に向き直った。


 続けて魔法を発動する。


 空間魔法――【空間転移】


 自分が転移するのではなく、離れた場所にある物を、自分の手元に引き寄せた。


 忽然と彼の手の中に現れたのは、深紅と金色の素材で形作られた、一本の鍵だ。


 ――【封鍵】


 それはノア自身が構築した亜空間内部に、【空間凍結】を施した上で保管しておいた代物。なぜならば、【封鍵】は生成から十分以内に消滅してしまうからである。


 その素材は二つ。実質的には一つ。


 各四家の当主の血と、その血液に含まれるナノマシンである。


 四家の血族は――神代において、遺伝情報を人為的に編集された者たちの末裔である。遺伝子編集の部位、目的は多岐に亘るが、その中には暗号化されたパスコードが含まれていた。


 世代を重ねても出来る限り消失しないように保護されたそれは、X染色体に含まれ、ジャンクDNA領域に記述されている。通常は意味のあるものではなく、バラバラに暗号化された上で保管されているコードだ。


 しかし、四家の当主になった者だけは、このバラバラなジャンクDNA情報をナノマシンによって編集し直し、意味のある情報――すなわち、【封棺】解除のためのパスコードへと書き直す機能を、脳内デバイスのインターフェイス上から実行することができた。


 それこそが、【封鍵】の生成だ。


 それを当主の血液でなくても可能なように外部からナノマシンを操作し、非正規な【封鍵】を生成するための方法をクロノスフィア神が発見した。


 実際は最初から知っていて、自身にも寿命があると知ったことで、この方法を使おうと決心しただけだろう――と、ノアは考えているが。


 ――ともかく。


 そうして【封鍵】複製のための方法を教えてもらい、現実的な手段と手法に落とし込んだ上で実際に【封鍵】を複製してみせたのがノアだ。


 クロノスフィア神は知識はあっても、技術者ではなく、自分で【封鍵】を複製することができなかったのである。


 間違いなく、ノア・キルケーは稀代の天才であった。しかし、問題はここからだ。


「さあ、ちゃんと機能してくれよ……!!」


 複製した【封鍵】が実際に正しく機能するかどうかは、まだ分からないからである。


 緊張に胸を高鳴らせながら、ノアは手に持った鍵の先端を、左腕が封じられた柱――【封棺】の表面へと押しつけた。


 鍵穴も何もない滑らかな曲面。


 その表面に、ずあっと、赤と金色の幾何学模様が走った。


 分解された【封鍵】が細かな粒子と化し、柱の表面を移動しているのだ。


 程なくして模様は柱全体を覆い尽くし、明滅した。


「――――!!」


 次の瞬間、ごくりっと喉を鳴らして見上げるノアの目の前で――透明な柱が、音もなく消滅する。


 空中に浮遊する左腕。


 それへ、柱が消滅した瞬間、ノアは素早く手を翳した。


 放出した魔力で左腕を包み、魔法を発動。転移。その先は床に置いた魔道具の箱の中だ。


 転移した左腕が箱の中に収まった瞬間、ノアは魔道具の蓋を閉じ、バチンッと急いで留め具をはめた。


「ふうぅー……!!」


 深く息を吐き、全身から夥しい冷や汗を流す。


 一見して女性の腕にしか見えなくとも、これは【神骸】の一部だ。少しでも作業に手こずれば、何が起こってもおかしくはない。それゆえに棺を一つ開封するだけでも、精神的消耗は激しかった。


 だが、


「……複製した【封鍵】は正常に機能した……やれる」


 ノアは【神骸】を容れた魔道具を、念のためにストレージ・リングではなく自身で構築した亜空間に仕舞うと、すぐに他の柱へ移動した。


 悠長にしている時間はなかった。



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