第153話 「無形の斬撃」
――剣を振るう。
振るった瞬間、手の中から剣は消えた。
それは崩壊したわけではない。斬撃の形をした刃へと姿を変え、敵へ向かって飛翔したのだ。
広大な【神殿】内部の端と端。探索者からしても決して短くはない距離。斬撃を飛ばすには遠すぎて、有効打など望めないほどの間合い。
だが、ローガンが放った斬撃は距離など無意味とばかりに飛翔した。
威力を減衰することなく刹那の間に敵を斬り裂くスピードで。
そして――
――【滅龍閃・無見零落】
それは龍鱗ですら僅かも拡散できない物質と結び付いたオーラの刃で、ありとあらゆるモノを問答無用で斬り裂くと同時、斬り裂いた対象に刃が内包する莫大なオーラを解き放ち付与し、物質を一瞬で劣化、風化させ、分子の塵へと還す技だ。
剣とオーラが融合したそれは、不安定ゆえに自然崩壊するまでの時間も短い。
だが、存在している間は何物も破壊できぬほど強靭で、鋭い刃を持つ。
ゆえに、防御不可。
加え、刃の後部から解放された一部のオーラは、刃それ自体を加速させる。人間の目では――否、人間を超える龍を含めたあらゆる生物でも、捉えられない速度で。
ゆえに、回避不可。
だからこそ、数ある剣神技の中でも、最も強力な技として剣神が認めた剣技。
加速のためのオーラの噴出で、放った者は死んでしまう。だから【神体】のような肉体を保護する手段を持たずして放つことは、命と引き換えにしかできない。
限られた者だけの、辿り着いた者だけの、神が認めた最上の剣技。
――対するアーロンの【スラッシュ】は。
振り抜いた腕の中から剣は消える。しかして斬撃が放たれたようには見えなかった。ローガンのそれよりもなお速い、目に見えない斬撃――というわけではない。
それは無形の斬撃。
斬るべきモノは明確で、しかし斬るべき対象は無限にあった。それゆえに斬撃は形を失い、ただ最低限の役割だけを保持し、静かに飛翔する。
ただ――斬る、という現象だけがそこにはあった。
そして、刹那の空白を埋めて、両者の斬撃は衝突する。
「――――」
それを目視できたわけではない。気づけたわけでもない。
ローガンの放った斬撃は、アーロンに辿り着く僅か手前で――――忽然と消失した。音や光に衝撃など、抵抗の痕跡を何一つ残すこともなく、静かに。まるでそれが当然のことであったかのように。
直後。
「――――!?」
自身の放った刃が消滅したのを知覚する間もなく、ローガンは奇妙な感覚に襲われる。
ぶわりっ、と。
自分の中を、何かが恐ろしいほどの高速で通り過ぎていったかのような。
どこをどう、とは言えない。一ヶ所ではない。幾つ、とも表現できない。喩えるなら、全身の細胞という細胞の間を何かが駆け抜けて行ったような。
「…………ぉ」
熱を感じた。
肌をじりじりと焼くような高熱を。
「…………なる、ほど?」
見下ろす。自分の体を。
解いていないはずの【神鎧】が解け、【神殿】内に充満する熱気を素肌に感じていたらしい。
膝を突く。
そのまま前のめりに倒れた。
傷はない。どこも斬られてはいない。なのに。
オーラが練れない。スキルが発動しない。ジョブの身体補正さえ失われている。そもそも、自分の中に魔力が一切感じ取れない。
――魔力枯渇。
『活性剤』の効き目はまだ数時間は残っていたはずなのに、瞳の色が徐々に元へ戻っていく。
魔力によって実体化していた体内のナノマシンが、失われていく。
ローガンは、ようやく気づいた。自分が何を斬られたのかを。
「私の……魔力を、斬った……というわけか」
うつ伏せになったまま、顔を横にして、視線だけを上に向ける。
【怪力乱神】を維持したままのアーロンが、いつの間にかローガンを見下ろすように立っていた。
「変質しているとはいえ……オーラも魔力に過ぎない……だから、斬撃も消えた、のか」
「…………」
「魔力がなければ、ジョブの力も……発揮することは、できない……ものな」
今の自分を襲う、この現象、状態について推測を口にする。おそらくそれは、大きく間違ってはいないだろうという確信があった。
だが、結果を理解してもなお、信じがたい現象だ。
形ある何か一つを斬り裂くというのではなく、「ローガンの魔力」という存在を、斬り裂き、消滅させる。変化したオーラという事象すら根源である魔力まで遡って。
何をどのようにすればそんなことが可能なのか、ローガンには想像もつかない。
――至ったと思った。
今この世界に生きる、誰一人として到達したことのない高みへ。
それは、間違いではない。あの瞬間、確かにローガン・エイブラムスは神代以来、剣士の頂点に手をかけた存在となった。
だが、アーロンはその先を行った。
そしてローガンには、再び、そのアーロンに追いつけるビジョンが見えない。想像もつかないことを、どうやって実現すれば良いのか、分からないから。
魔力を斬るというのが、すでに意味が解らない。
見えない斬撃? 刃が無くて、いったい何を斬れるというのだ?
「ふはっ、ふははははは……ッ!!」
笑う。
憑き物が落ちたような、清々しい顔で。
敗者の力ない笑いではない。そこには満足が浮かんでいた。
自身が辿り着けないだろう領域を見せつけられたのは、一人の剣士として確かに悔しい。しかし、悔しいと僅かにでも思えることが、そもそも自分の才能の証明でもあるのだろう。
あんなものを見せられて、普通は悔しいとさえ思えるはずがない。
あれはきっと――神さえ超える究極の剣だ。
ローガンは自身が放ったのが、剣神技最高位の技だったことを知らないが、それでもそう思えた。
だから、素直な気持ちで告げた。
「私の、負けだ……だが、満足だよ。……全てを出し切り、楽しめたのだから……これ以上、私に望むことはない……。さあ、アーロン……」
うつ伏せの状態から、何とかごろりと反転して仰向けになる。
大の字になり、自らの心臓を差し出すかのように無防備な姿で、続けた。
「――私を、殺したまえ」
いまや、ローガンはスタンピードを起こした者たち側だ。
表向きには、首謀者ということになるだろう。
憎いだろう。アーロンからしてみれば。
ゆえに、好きに殺すがいい――そんな気分で放った言葉は、
「チィッ!! なぁに勝手に満足してやがるボォケッ!!」
アーロンの神経を大いに逆撫でる結果となる。
当然、スタンピードを起こした者にかける情けなど、アーロンにありはしない。ローガンのこともしっかり始末しようと決めていた。
だが、満足そうな顔で殺せと言われて殺せるほど、アーロンは素直な性格ではなかった。
殺すなら殺すで、大いに自分の行いを後悔させ、その顔を曇らせてから殺してやりたい。できれば絶望しながら死んでくれると、なお良し。やりきったと、満足した敵をそのまま死なせてやるなど、とてもとても癪であったのだ。
それがアーロン・ゲイルがスタンピードの黒幕一味に対して思う、偽らざる本音。
別に何が何でも後悔させないと殺せない、というわけではないが。
それでも何とか殺さない理由を考えてみると、ローガンの行動の不自然さに気づく。そもそもこいつは何をしたかったのか、と。
スタンピードの黒幕一味としての行動と考えると、おかしなところは多々ある。
ここは何なのか。なぜ、クロエに協力を頼んでまでこんなところに連れて来たのか。自分を倒すだけだったら、ローガンにとっては明らかに地上で戦った方が有利だった。
ローガンが言った通り、アーロンにスタンピードから逃げ惑う民衆を見捨てるという選択肢は取れないのだから。
不特定多数の民衆を巻き込むような戦い方をすれば、自分を殺すこともできたはずだった。
有象無象がそうしても対処できた自信はあったが、さすがにローガンほどの戦力が本気でそうしていたら、対処できた自信はない。誰かを、何かを守りながら戦うというのは、それほどに不利なのだ。
そんなことは、ローガンとて考えなかったはずはない。
だから、ローガンやエイルが何をしようとしていたのか、何を知っているのか、情報源として生かしておく価値はあると、アーロンは結論した。
少なくとも、殺すのは全てを聞いた後でも良い――と。
「てめぇの知ってること、やろうとしたこと、全部話してもらうぜ」
「……すまんが、話したくても話せないのだよ。……話すのが嫌だ、というわけではなく、そういう力のある、契約なんだ」
ローガンは、今度は力なく笑ってそう言った。
契約魔法の一種。
それも聞いたことがないほど強力なそれが、ローガンには掛けられているのだろう。そしてその口ぶりから、やはりローガンが心底から「スタンピードの黒幕一味」と思想を同じくしているわけではないことも、何となく把握できた。
きっちりと理解したアーロンは、だが、その上で言う。
「じゃあ、死んでも話しやがれッ!!」
その言葉に、ローガンはポカンとする。
それから、「は、はははは!」と笑い出して、
「それは……試したことがなかったな。……分かった。命と引き換えになら、喋れるかもしれん。試してみよう」
その答えにアーロンは、ふんすっと鼻息荒く頷いた。
ローガンは苦笑して、さて、と口を開く。何があっても、どんな苦痛が襲って来ようとも、あるいは口が動かないというのなら、意思の力で無理矢理に動かして喋ってやると――そう、覚悟を決めて。
「クロノスフィアは――――え?」
「あん? どうした?」
「……クロノスフィア。組織の名は……クロノスフィア、だ」
なぜか、喋りながら愕然と目を見開くローガンを、アーロンは気色悪げに見下ろした。
クロノスフィア。その言葉を告げる口にも喉にも、いつものような強制力を感じない。何の問題もないかのように、滑らかに動いた。
――【
その力の影響を、全く感じないのだ。
「何だ……!? なぜか、喋れる……だと!?」
ローガンは混乱した。なぜなのか、と。
一方、アーロンは推測した。
「つまり……何だか知らねぇが、ラッキー……ってことか」
訂正しよう。これを推測と言ってしまえば、それは知性の敗北である。アーロンは考えても分からないので、とりあえず幸運で納得することにした。
「いやそんな、バカな……」
混乱するローガンも、そしてアーロンも、この時点では知らない。
なぜならば、それはアーロンにしても狙ったわけではなく、全くの偶然であり、何なら神ですら予測することはできなかっただろう。
アーロンが放った【スラッシュ】は。
ローガン・エイブラムスに掛けられていた【神前契約】を断ち斬り、消滅させていた。
「なんでぇ……?」
「うるせぇ!! さっさと喋れコラ!!」
ローガンおじさんはガシガシとアーロンに足蹴にされながら、しばし呆然とした――。
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