第128話 「私を、信じてください」


「ついに、ここまで来ましたね、極剣殿」


「ええ」


【神骸迷宮】40層。


 守護者たる≪氷晶大樹≫が聳える場所へと、隊長たちは辿り着いていた。


 全員で安全な距離から巨大で神秘的な樹木を眺める。


 その威容は、やはり何度見ても人間に倒せるような存在には思えない。まずもって巨大だし、その身の内に蓄えている魔力は無尽蔵にも思えるほど。


 たとえるなら、「山や森を倒そう」という感覚に近い。


 いくら人間が個々の強さを追求したところで、自然には敵わないだろう。挑もうとするだけで愚かしい行為だ。


 しかし、このネクロニアには個人、または極少数のパーティーで≪氷晶大樹≫を倒せる者たちが、何人かいる。


 そんな者たちの中でも一際異彩を放っているのが……。


(……極剣殿)


 隊長は≪氷晶大樹≫を眺めるアーロンの背を見つめながら、ごくりと喉を鳴らす。


(極剣殿は、ただ≪氷晶大樹≫を倒せるだけの者たちとは、次元が違う)


 アーロンをその他の者たちと同列に語ることは、どれだけ過小評価しても不可能だろう。


 なぜなら彼は、たった一人で≪氷晶大樹≫を討伐できる、ギルドで確認されている中では唯一の人物なのだ。


 それに加えて、討伐時間も極めて短い上、たった一度や二度のことではない。『闇鴉』が掴んでいる情報だけでも、アーロンは数十回、もしくはそれを上回る回数、≪氷晶大樹≫を一人で討伐していると思われるのだ。


 ――尋常なことではない。


 そんな≪極剣≫の戦いぶりを、これだけ至近距離から見ることになるのは、隊長をしても初めてだ。


(きっと、得るものはたくさんあるのだろうな)


 おそらくは、真似などできない戦い方なのだろう。それでもなお、戦闘ジョブを持つ全ての者たちにとって、≪極剣≫の戦いを間近で観戦することが、無意味だとは思えない。


 熱い期待の眼差しをアーロンの背中へ注いでいた隊長は、戦いが始まる前、その最後の確認のために口を開いた。


「……極剣殿、我々にお手伝いできることは?」


「いえ、皆さんの手を煩わせるほどではありませんよ。ここで見ていてください」


 振り向いたアーロンは、微塵も気負う様子なく、穏やかに微笑んでそう言った。それは自信を超えた、単なる確信から紡がれる言葉だからか。


 事ここに至っては、隊長たちとて異論を口にするはずもない。自分たちが足手まといになるかも、という不安ではなく、単純にアーロンへ加勢など必要ないことは知っていた。


「……了解しました。それでは極剣殿の戦いぶり、しかとこの目に焼きつけさせていただきます」


 何の気なしに告げたその言葉。


 しかし、アーロンはそれに首を振った。


「いえ、皆さんのご期待には添えられないかと。何しろ、私は戦うつもりがないのですから」


「――は?」


 どういうことかと目を点にする隊長たちに、アーロンは続ける。


「今回の探索、私は自身に不殺を誓っているのです。たとえ相手が、魔物であろうとも……」


「…………はい?」


 しばらく、理解が及ばなかった。


 少しずつアーロンの言葉を反芻し、理解していく。


 不殺の誓い? 殺さない? 魔物も? それはつまり、守護者も殺さず46層まで向かうつもりという事?


「…………」


 長い沈黙の後、ようやく理解が追いついた隊長は――叫んだ。



「いやいやいやいやいやいやッ!! いやいやいやいやいやいやッ!? それはさすがに! それはさすがに極剣殿ぉッ!!?」



 残像が見えるほどの高速で首を振りながら、いやいやと叫ぶ。


「守護者を倒さずどうやって下へ向かうというのですか!? 無理です! それは物理的に不可能ですッ!! 階段は≪氷晶大樹≫の下にあるのですよッ!?」


「ふふ、簡単なことです。ならば≪氷晶大樹≫と話し合い、穏便に退いてもらえば良い。意外と知られていないかもしれませんが、≪氷晶大樹≫もトレントの一種。ゆっくりとではありますが、動けるのですよ?」


「は、話し合うって!? 相手は魔物ですよ!? 話し合うなんて無理に決まってます!!」


 まったくもって至極当然、反論の余地などないはずの隊長の言葉にも、しかしアーロンは動じる様子もない。


「果たして本当にそうでしょうか? 迷宮の魔物は仮初めの生命とはいえ、命は命。彼らにも意思があり、感情もあります。それにノルドのように人の言葉を解する魔物も存在するでしょう?」


「し、しかしッ!! ≪氷晶大樹≫は木です! 木!! 仮に高い知能があったとしても、会話はできないでしょう!?」


「そんなことはありません。≪氷晶大樹≫ほど高位の存在ならば、人間の言葉程度、理解しているはずです」


 いったいどこからそんな自信が湧いて来るのか、アーロンは確信を込めて言い切った。


「いや、無理ですって!! 考え直してください極剣殿ッ!!」


「大丈夫。私を、信じてください」


 アーロンは真っ直ぐに隊長を見つめて言った。


 その瞳はどこまでも透き通り、迷いがなく、一抹の不安さえも窺えない。絶対に大丈夫だという強い確信が、正しいはずの隊長の言葉を押し留める。


「ぐ、む……!!」


 アーロンを説得するのは無理だ。そう悟った隊長は、背後を振り向いた。部下たちを巻き込み、全員でアーロンに考えを改めるよう説得するために。


「お前たちも何とか言ってやれ! さすがにこれは不可能だ!」


「――いえ、隊長」


 だが、背後の隊員たちは隊長に異を唱えた。


「極剣殿がこうまで言っているのです。……可能なのでは?」

「俺たちだって普通なら、こんな馬鹿なこと絶対に止めますよ。でも、相手は極剣殿ですよ?」

「ここまで一切の戦闘なく進んで来れたのは、間違いなく極剣殿のお力ではないですか」

「最初は俺たちだって、そんなことは不可能と思っていた。しかし、極剣殿は不可能を可能にしたじゃあないですか」

「極剣殿ができると言っているなら、できるんです。そうじゃありませんか?」


『闇鴉』たちのような精鋭の斥候職をしても、10人を超える大所帯で戦闘なく40層まで辿り着くのは不可能だ。いくら隠形が上手くとも、人数が多ければ多いほど、姿を隠すのは難しくなる。


 そのため、「大発生」関連のあれやこれやでも、彼らは常に少数で動くことで調査や監視任務の間、魔物との戦闘を避けていた。


 つまり隊員が言ったように、この大所帯で全ての戦闘を避け、40層まで辿り着けたのは奇跡と言っても良いほどの神業なのである。


 そして、それを成したのは間違いなくアーロンの力だ。


「お、お前たち……」


 だが、それとこれとは話が別だ。迷宮の魔物、それも守護者が人間の頼みなど聞くわけがない。


 隊長は言った。



「――――それもそうだなッ!!」



 無理? 不可能? そんなありきたりな言葉で極剣殿の行動を縛ろうなど、自分の考えが間違っていたッッッ!!!


 表面に油膜が張られたように濁った瞳を見開いて、隊長は前言を翻す。


 見れば、隊員たちも曇りに曇った瞳で力強く頷いているではないか。


「確かにお前たちの言う通りだ。私も、他の誰が極剣殿と同じことを言っても否定するだろう!! だがッ、他ならぬ極剣殿ならば!!」


「そうですよ!! 極剣殿ならば!!」


 極剣殿ならば可能!! 極剣殿にとって、常識は常識ではないのだから!!


 隊長は勢い良くアーロンの方へ振り向いた。


「分かりました極剣殿!! 極剣殿の雄姿……いや奇跡を! しかとこの目で見届けさせていただきますッ!!」


「ありがとう、隊長殿。ありがとう、皆さん」


 アーロンは晴れやかに笑って頷いた。


「皆さんの期待は絶対に裏切らないと、誓いましょう。……では、行って参ります」


「「「ハッ、ご武運を!!」」」


『闇鴉』たちが最敬礼で見送る中、アーロンは踵を返して≪氷晶大樹≫へ近づいていく。


 ゆっくりと、だがその足取りに淀みはなく。


 程なくして、≪氷晶大樹≫の巨大な幹、その表面に、波紋のような揺らめきが幾つも生まれ始めた。



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