第129話 「それは……奇跡だ」
巨大な≪氷晶大樹≫の幹、その表面に波紋を揺らめかせて、まるで水中から浮かび上がって来たかのように、幾体もの戦乙女たちが姿を現した。
透明な氷の体で出来た――≪氷精の戦乙女≫たち。
美しい女性の姿を模し、その身には同じく氷で出来た軽鎧を纏う。手にはそれぞれに槍や弓や剣、あるいは戦鎚など、多様な武器を装備していた。
リィィィイイイン――と。
背中にある2対4枚の翅を高速で震わせて、彼女たちは宙に浮かび上がる。
そのまま滑るように空中を飛翔し、≪氷晶大樹≫から離れ始めると、それを待っていたかのように巨大な樹木は魔法を発動させる。
氷雪魔法――【ブリザード・ストーム】
人間にも同じ魔法を使える者はいるが、それはもはや別物だ。あまりにも規模や威力が違いすぎ、同じ魔法とは思えない。
巻き上げられた雪が氷礫混じりの暴風を白く染め上げ、円筒の形をした白の巨壁として≪氷晶大樹≫の全体を包み込む。
向こうの戦闘準備は整った。
しかし、対するアーロン・ゲイルは――。
(止まった?)
隊長たちの見守る前で、距離を詰めるでもなく足を止め、高速で飛翔してくる戦乙女たちを待ち受けている。
(どうなされるおつもりなんだ、極剣殿は)
その立ち姿には、戦いに挑む緊張感はない。そもそも戦うつもりはないと聞いているが、ならば具体的にどうするつもりなのかということには、想像が及ばない。
話し合う。
アーロンはそう言っていた。だが、どうすればそんなことが可能なのかは、やはり分からない。
緊迫しながら見守る隊長たちの視線の先で、アーロンはまず、手にしていた黒い棒――歩行補助のための杖を、自らのストレージ・リングの中にしまった。
これで武器は何もない。
今日のアーロンは剣帯にも武器を吊るしていないのだ。リングの中から取り出すのは一瞬だが、それでも取り出すための時間は余計にかかる。戦闘時においては明らかに、自らの不利を招く行為。
しかし、戦乙女たちに微塵の敵意も見せないために、アーロンは敢えてそうしたのだ。
次の瞬間、アーロンは何も隠し持っていないことを証明してみせるように、空手となった両手を広げて見せた。
まるでハグを求めるかのような、親愛の表現にも似た体勢。
そのまま、声高らかに呼び掛けた。無論、相手は接近する戦乙女たちだ。
「戦乙女たちよ!! どうか私の話を聞いてくれ!! こちらに君たちを害する意思はない!!」
そのまま、待つ。
それ以外のアクションはない。アーロンは完全に戦乙女たちが止まってくれると信じているかのようだった。
(バカな……さすがにそれは、極剣殿!)
見守っていた隊長たちは声を出さずに焦った。
極剣殿のことは信じている。だが、さすがに、もっと何か、自分たちの考えもつかない特別なことを、アーロンが行うと考えていたのだ。
しかし実際にはただ敵意がないことを示し、声をあげただけ。
それでは戦乙女たちが止まるはずはないと、『闇鴉』の全員が確信する。
だが……直後、彼らの目に飛び込んで来たのは、信じがたい光景だった。
「そんな、まさか……!!」
「こんな、こんなことがっ、あり得るのか……!?」
「嘘だろおい……!!」
「マジかよ、こんなことって……!!」
口々に驚愕の呟きを漏らす。今、この目にしている光景が信じられない。夢ではないのか? そんなふうに思う彼らが何度も首を振り、目を擦っても、視線の先にある現実は変わらなかった。
リィィィイイイン――――?
氷精の戦乙女たちに、発声器官は存在しない。そのため言葉を交わすことはできないが、彼女たちの翅が生み出す涼やかな羽音に、僅かに戸惑いの音が混じったように聞こえるのは、気のせいだろうか?
(いや、気のせいではない)
隊長は心の内で断言する。
明らかに、戦乙女たちは戸惑っていた。
≪氷晶大樹≫から生み出され、こちらに飛翔してきた12体の戦乙女たち。
その全てが、すでにアーロンを間合いに捉えた位置にいる。しかしそれでいて、魔法も武器による攻撃もしてこない。静止したように空中で止まり、互いに顔を見合わせていた。
その仕草は、明らかに戸惑いを表現するもの。
(魔物にも意識や感情はある、か……)
アーロンの言っていたそれは、真実だった。
だからこそ、戦乙女たちは自分たちに敵意を見せず、むしろ友好的な雰囲気で接するアーロンに戸惑い、攻撃することを躊躇っている――ように、隊長たちには見えた。
(まさか、本当に可能だと言うのか……? 魔物と心を通わせることが)
もしも本当にそんなことができたなら、探索者たちにとって否応なく変革が起きる。必ずしも魔物を倒さなくても良いとしたら。それだけではなく、もしも魔物の力を借りることさえできるとしたら?
心を通わせることができるのなら、それも決して不可能ではないように思える。
前例がないわけではないのだ。一部の魔物は飼い慣らすことができると知られているし、ワイバーンに騎乗して戦う竜騎士は各国に存在する。
そして、迷宮の魔物も例外ではないとしたら……?
アーロンは空中に静止する戦乙女たちに、穏やかな声で告げる。
「私は君たちと戦うつもりはない。ただ、下の階層へ向かいたいだけなんだ……。どうか、私たちを通してはくれないだろうか……?」
リィィイイン――。
リィィイイン――?
リィィイイン――!
と、まるで会話するように調子の異なる羽音が響く。
もはや、戦乙女たちの戸惑いは、隊長たちにも手に取るように分かった。
どうするべきかと悩んでいるような戦乙女たちに、アーロンは安心させるように柔らかな笑みを浮かべ、手を差し伸べる。
「さあ、恐がる必要はない……私たちは、君たちの敵ではないんだ……! 私の言葉が分かるだろう? もしも私の願いを聞いてくれるというのなら、どうかこの手を取ってほしい……」
「…………ッ!」
隊長は思わず漏れそうになった声を、必死に喉の奥へ押し留めた。
それほどに信じがたく、どこか神秘的な光景であった。
すぅっと、まるで代表するように戦鎚を持った戦乙女の一体が、アーロンにゆっくりと近づく。
差し出されたアーロンの左手へ、戦乙女も武器を持つ手とは反対の左手を、少しだけ警戒するように、そして慎重に伸ばしていって――――掴んだ。
人と魔物。相容れぬはずの存在が、確かに手と手を握り合ったのだ。
それは……奇跡だ。
自分たちは今、奇跡をこの目にしている。
言い知れぬ感動が心の内を満たしていくのを、隊長たちは感じていた。
リィィイイン――! と、高らかに羽音を響かせ、アーロンの手を握る戦乙女が微笑んだ。まるで友に向けるような優しげな微笑み。
間違いない。
今、この瞬間、人と魔物の間に、絆が結ばれたのだ。
アーロンは握手した戦乙女に向かって、満面の笑みを浮かべて言った。
「ありがとう。嬉しいよ。私たちを信じてくれ――」
――ドッカンッッッッッッ!!!!!
と。
次の瞬間、凄まじい音を響かせて、アーロンの体が勢い良く吹き飛んだ。
見れば、アーロンの手を握っていた戦乙女が、なぜか戦鎚を振り切った姿勢に変化している。
「「「――え?」」」
いったい何が起こったのか、隊長たちは目を点にする。
そんな彼らの目の前で、戦乙女たちは楽しげな音色を響かせた。
リィィイイン! リ、リィィイイン!
リィイン! リィイン! リィイン!
言葉などなくても分かる。楽しげに響く音色だけではない。まるで子供がはしゃぐように無邪気に飛び跳ねる戦乙女たちの表情が、他者をいたぶることに愉しみを見出だしているような、醜悪な笑みへと変わっているからだ。
ああ、確かにアーロンの言葉は間違っていなかった。
魔物には意思があり、感情がある。そしてある程度高位の魔物ならば、言葉に頼らずとも人間と簡単な意志疎通が可能なくらいの知性を持っている。それは迷宮の魔物とて例外ではない。
ただし――魔物とは基本的に邪悪で、残虐である。
アーロンに敵対の意思がなく、こちらに歩み寄っていることを正確に理解した上で、騙し討ちをして楽しんでやろうと考えるくらいには。
そして――。
リィィイイン! リ、リィィイイン!
リィイン! リィイン! リィイン!
人間をいたぶる快感を隠そうともせず、氷精の戦乙女たちは邪悪な笑みを隊長たちに向けながら、彼らを包囲するように動き始めた。
「はー…………はぇ?」
対して、アーロンに絶大な信頼を寄せていた隊長たちは、状況の変化についていけない。
本来ならただちに撤退の指示を出すべきだが、思考は空回りするばかりであった。
え? 嘘? マジ? やっぱダメだったん? と。
その時。
「――――チッ!!!!!」
清浄な冷たい空気を引き裂くように、盛大な舌打ちが響く。
音の発生源へ視線を転じれば、戦乙女の戦鎚によってアーロンが吹き飛ばされ、倒れている辺りだった。
その場所が、次の瞬間、爆発した。
盛大に雪を跳ね上げながら、何かが目にも止まらぬ高速で飛び出して来る。
いや、何かではない。アーロン・ゲイルだ。
アーロンは瞬きほどの時間で戦乙女の至近まで接近すると、勢いそのままに拳を叩きつけた。
「痛てぇだろがボケ死ねぇえええええええええええええッッッ!!!」
バッキャンッッッ!!!
と、拳を叩きつけられた戦乙女が、粉々になって吹き飛んだ。
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