第127話 「つい期待してしまうのです」


「さあ、皆さん、ここを越えれば次の階層までもうすぐです。頑張りましょう!」


「「「了解です!」」」


 こちらへ振り向いて皆を鼓舞するように、アーロンは優しく言った。



 雪原階層の攻略は極めて順調であった。


 すでに39層も終わりが近い。次はいよいよ40層だが、ここまで戦闘は一度も発生していなかった。


 魔物に見つかることは何度かあったのだが、その全てをアーロンはフロスト・ドラゴンの時と同様、見当違いの方向へ誘導したり、あるいは隠れてやり過ごすことで突破していった。


 攻略ルートの選択は安全性を重視するあまり遠回りになってしまったが、もはやそのことに異を唱えるメンバーは一人もいない。


 なぜか?


 理由は様々ある。


 アーロンが見せた非常識な実力に感服したから、というのも理由の一つだ。しかし、断じてそれだけではなかった。


≪極剣≫アーロン・ゲイルにまつわる噂話には、様々なものがある。


 曰く、酒癖が悪く酒場で大乱闘を繰り広げては、何度も出禁になっている。

 曰く、木剣狂いで木剣職人で自ら作った木剣の出来を試すために、迷宮の魔物を虐殺する狂人。

 曰く、剣舞姫を弟子にとったのは体目当て。

 曰く、師の立場を利用して、逆らえない剣舞姫を自宅に招き、あんなことやこんなことをしているカス。

 曰く、全裸で街中を徘徊している奴を見た。

 曰く、クランメンバーに魔物をトレインしてなすりつけ、自分は安全なところで爆笑していた。

 曰く、ア◯ルクラッシャー。

 曰く、最強にして最悪にして最低の人格破綻者――――などなど、挙げればキリがない。


 アーロンの実力に疑問を挟む噂は少ない。しかし、その人格については散々な言われようだった。


(私も、これらの噂を信じていたことがあった……)


 だが、隊長はそんな過去の自分を恥じるように、心の内で否定する。


 これらの根も葉もない噂話、特に≪極剣≫の人格を不当に攻撃するような噂話は、間違いなく、全て嘘だと!!


(百の噂話よりも、一つの体験を信じるべきだ)


 道中、アーロンは常に穏やかで優しく、周囲への気配りを忘れない人であった。


 ただでさえ足場の悪い雪原階層。安全なルートを選んでいるとはいえ、それは完全に危険がないというわけではなかった。


 時に急峻な丘陵地帯を登らなければならないこともあった。一瞬の不注意で滑落しそうになった隊員を、誰よりも早くその腕を掴んで、助けたのは誰か。


 あるいは進化個体のスノー・ワームが雪の下から奇襲して来た時、いち早く気づき、標的となった隊員を庇ったのは誰か。


「――危ないっ!!」


「きょ、極剣殿!?」


「ぐぅっ! 私なら大丈夫! それよりも周囲の警戒を! 今ので奴が諦めたとは思えません!」


 一度目の奇襲の後、もう一度雪の下深くに潜って再度の奇襲の機会を慎重に窺うスノー・ワーム。奴の狩り場から全員無傷で切り抜けることができたのは、間違いなくアーロンのおかげだ。


 さらに雪原階層では、その環境こそが最大の敵でもある。


 急に吹き荒れた一際強いブリザード。それによって低下する体温は意識を朦朧とさせる。そして自分は大丈夫だからといって、他人も大丈夫だとは限らない。


 いや、こういった場面では自分の判断力も低下していると自覚しておくべきなのだろう。隊長は部下の不調に気づけなかった。


「……隊長殿、まだ夜営の時間には早いですが、一旦小休止しましょう」


「は? いえ、極剣殿。私たちなら、まだ大丈夫です」


「いえ、先ほどのブリザードで、何人かの方は低体温症になっています。目の焦点が合っていないし、こちらへの反応も鈍い」


 そこまで言われて、ようやく隊長も部下たちの様子がおかしいことに気づいた。


 いつもならば簡単に気づけるはずの異変。それに気づかないのは隊長自身の判断力も低下していたからだった。


「結界魔道具を起動します。その後お湯を沸かして温かいものでも飲みましょう。……ふふ、安心してください。スープではなく、はちみつを溶かしたものですよ」


「は、はあ……」


 なぜスープではないと安心なのか。一瞬戸惑ってしまったが、隊長はすぐに気づいた。これはアーロンなりの気遣いなのだと。


 面白くもない冗談か、あるいは意図して変な発言をすることによって、自分の体力も削られていると言いたかったのではないか。つまり、今の状況で正常な判断を下すのは自分でさえ難しいのだと。それは隊長の判断ミスを、気にするなという言外の気遣いだ。


(極剣殿……ありがとう、ございます)


 隊長は心の中で礼を言った。


 この時点で、確信するには十分だ。アーロン・ゲイルという人の人間性が、世間で噂されているような人格破綻者などでは決してなく、実際には優しさに溢れた慈愛の人なのだと。


(おそらくあれらの噂は、極剣殿の実力に嫉妬した他の探索者たちが流したデマなのだろうな)


 隊長はそう推測する。そしてこの考えは、たぶん間違っていないだろうと確信するのだった。


 ともかく、小休止を挟んで探索を再開した彼らは、迷宮の中に夜が訪れるまで歩き続けた。


 そして、夜。


 遠回りのルートを選択したので仕方ないことではあるが、1日では40層まで辿り着けなかった。なので彼らは迷宮の中で夜営を行うことになる。


 とはいえアーロンが結界の魔道具を持ち込んでいたため、夜営は迷宮内とは思えないほど安全で便利だ。


 雪のブロックを積み上げて簡易住居――イグルーを作り、ストレージ・リングから食料を取り出して食べる。簡単な料理だが、火を起こして調理したそれらは冷えた彼らの体を芯から温めてくれた。


 その際、アーロンと交流を図った『闇鴉』たちは、アーロンの「新しい探索者像」に共感することになる。


「極剣殿は、斥候ジョブのスキルについてもずいぶんとお詳しいのですね?」


 ふと隊員の一人が発した疑問。


≪極剣≫が他ジョブのスキルを模倣できるという噂は、ここまでの道中ですでに事実だと半ば以上確信していた。そうでなければアーロンが使った数々の斥候スキルの説明がつかないからだ。


 だが、それにしても斥候スキルについて詳しいように思えた。


 単にスキルの種類や効果などではなく、その使い方や応用など、深くスキルについて考察を巡らせねば気づけないことが多々あったように思う。


 隊員の疑問に、アーロンは静かに答え始めた。


「そうですね……私は斥候ジョブの皆さんに、大きな可能性を感じているんです……」


「可能性、ですか……?」


 何のことだろうと戸惑う『闇鴉』たち。


 そんな彼らに、「ええ」と頷いて、アーロンは語り出す。


「私は戦いが嫌いです。できることなら、魔物の命だって奪いたくはない……」


 それはあまりにも甘い、夢想家の思想だ。普段の隊長たちならば、きっと鼻で嗤うくらいの言葉。


 しかし、目の前の人物がそれを本気で言っていることは、彼らには分かった。


 戦いを嫌い、命を奪うことを嫌悪する。それはここまでの道中、アーロンが実際に行ってきたことではないかと。彼はフロスト・ドラゴンもスノー・ワームも、自分を襲ってきた魔物たちを殺さなかった。簡単に返り討ちにできるだけの実力がありながら。


 夢想を夢想で終わらせず、実行する人。そんな人を嗤う資格など、誰にもないと思った。


「戦うことだけが、探索者の仕事でしょうか?」


 アーロンは続ける。


「魔物との戦いを避けられるなら、避けるに越したことはない。そうすれば自分の命も、仲間の命も、危険に晒すことはなくなります」


 アーロンの言うことは、すなわち斥候ジョブたちの立ち回り方と同じだ。


 斥候ジョブは分類上戦闘系のジョブではあるが、戦闘能力は低いと言わざるを得ない。隠者エイルのような存在こそ例外中の例外なのだ。


 それがゆえに、彼らはしばしば、他ジョブの探索者たちに馬鹿にされることがある。


 探索者には力の信奉者が多い。力こそ全てだと考える単純な輩だ。そういった者たちにとって、あまり戦えない斥候ジョブは見下す対象となるのだ。


 加えて、斥候ジョブが世の権力者たちに優遇されているという状況も、探索者たちが彼らを攻撃する理由になっていた。


 斥候ジョブの役割は迷宮探索以外でも多い。諜報活動や防諜、工作活動、暗殺、カウンターアサシンとしての役割など、権力者が求める能力を彼らは持っている。


 すなわち斥候ジョブたちはわざわざ探索者にならずとも、活躍する場は多く存在し、かつ探索者以外の仕事の方が収入も多かったりする。


 つまり、他の探索者たちから嫉妬され、それが攻撃理由となって見下され、嘲笑されることがあるのだ。


『闇鴉』たちも例外ではない。


 探索者ギルドに所属し、これまでギルドのため、ひいては探索者たちのために活動してきた彼らだが、時には真正面から罵声を浴びせられ、あるいは陰口を叩かれる。そういった経験は両手両足の指でも足りない。


 だからこそ。


「斥候ジョブではなくとも、斥候としての立ち回り方を学ぶことはできます。斥候スキルを使えなくとも、できることはあります。全ての探索者たちがそのことを学んでくれれば、命を落とす者の数も今よりずっと減ると思うのです。まあ……」


 それは当たり前の言葉だ。少し考えれば、誰もが思いつく。しかし……、


「結局は、あなた方斥候職の協力があるのが、一番良いのですけれどね。だから、つい期待してしまうのです。今よりも多くの斥候職の方々が、探索者として活躍する未来を……」


 この人は本気でそう望んでいるのだ、と隊長たちには理解できた。


 自分たち斥候職の有用性を正確に把握した上で、他の探索者たちもその技術を少しでも学ぶべきだと。そしてそれ以上に、斥候職が探索者たちと共に歩んでくれることを願っているのだ。


 そう、不幸にも命を落とす探索者の多さを、心底から嘆いているからこそ。


「極剣、殿……!!」


 隊員たちは感動していた。


 今や探索者としての頂点とも言える実力と名声を持つ≪極剣≫


 そんな人物が自分たちの能力を深く認めた上で、自分たちに力を貸してほしいと言っているのだ。心が震えないわけがなかった。


(この人、なんじゃないか……?)


 そして隊長は、隊員たちとは少しだけ違うことを思う。


(この人こそ、探索者ギルドの長に、相応しい人物なんじゃないか……?)


 誰もが認める高い実力を持ち、探索者の未来について憂い、真剣に考えることのできる優しい心の持ち主。


 数日前から様子がおかしくなってはいるものの、権力者に媚びへつらい、探索者は金を搾り取る対象と考えている節のある、とある老害と、一方で聖人のごとき人格者たるアーロン。


 いったいどちらがギルドの長として相応しいのかは、隊長には自明のことに思えた。


(ギルド長の首をすげ替えるのは簡単ではない。それに今は時期も悪い。極剣殿は四家に警戒されているし、ネクロニアの新ギルド長任命は、四家の意向を無視しては行えない……だが、時がくれば……)


 そうして隊長が一人、何やら不穏なことを考え始めて一夜が明け。


 翌日。


 アーロンたちは一度の戦闘もなく40層まで到達し、守護者≪氷晶大樹≫と対峙することになったのである。



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