第124話 「私ですよ」
アーロンたちがギルド長を「説得」して快く斥候部隊を貸してもらえることになってから、3日後。
【神骸迷宮】36層の転移陣から正規ルートを外れて大分離れた地点に、10人の探索者たちが集まっていた。
雪原階層に点在する森林エリアの一つで、彼らは気配さえ周囲に同化させながら、静かに佇んでいる。
10人もの人間がいるのに、魔物たちは彼らの存在に気づくこともなく、ゆえに襲いかかって来ることもない。
それは彼らの一人一人が、凄腕の斥候ジョブであることを物言わずに証明していた。
ネクロニア探索者ギルド情報部所属、斥候部隊『闇鴉』。
その中でも上位10名に入る斥候が彼らだ。
「――隊長」
「何だ」
隊長と呼ばれた長身痩躯の、だが鋭い目つきをした男が振り向く。
最初に声をあげた部下を含め、二人の声は囁くように小さい。周囲で他の部下たちが耳を澄まして二人の会話に注意を向け始めたのが、隊長には気配で分かった。
そのことに、小さくため息を吐く。
隊長には部下たちの気が緩んでいるように思えたのだ。いや、あるいは緩んでいるのではなく、興奮しているのかもしれない。
「ギルド長が突然方針を変更するなんて、何があったのでしょうか?」
「さてな。私には分からん。ただ、我らは下された任務をこなすだけだ。余計な好奇心を持つな」
ここまでは本題ではないのだろう。
部下はこちらの返答に迷う様子もなく「了解」と頷き、今度は別の話題を持ち出した。ただ、それは前の質問とまったくの無関係ではない。
「しかし、今回の件、本当なのでしょうか?」
「何がだ?」
「≪極剣≫殿が一人で、我々を46層まで連れて行くという、眉唾な話が、です」
眉唾な話、と言いつつも、部下の顔に嘲りの色はなく、どこか少年のように興奮を隠しきれていなかった。
現在、彼らが迷宮にいる理由が、それになる。すなわち≪極剣≫が彼ら『闇鴉』の10人を、46層まで階層更新させるというのだ。それも一人で。
事の発端はギルド長の不可解な変心にあり、【封神四家】の意に反して、密かに迷宮の踏破を目的とするクラン≪木剣道≫の活動に協力すると言い出した。
47層以降の探索において、『闇鴉』に探索の支援を命じたのである。
だが、そのためにはまず、46層まで辿り着き、転移陣に登録する必要がある。
しかし当然ながら、如何に斥候として優秀であろうと、彼らは本職の探索者というわけではなく、隠者エイルのように高い戦闘能力を持っているわけでもない。気配を殺し姿を隠す術には長けているが、純粋な戦闘能力ではぎりぎり上級探索者相当にすぎないのだ。
ゆえに、彼らの多くは40層も突破していないし、ましてやイグニトールなど倒せるはずもない。
それどころか、竜山階層に出現する道中の雑魚敵相手でさえ、戦闘で役に立つことはできないだろう。
つまり、≪極剣≫は46層に辿り着くまで、ほぼ全ての戦闘を一人でこなし、なおかつ『闇鴉』を守り抜かねばならない。
――そんなことは不可能だ。
「本来なら、一笑に付すところだがな」
そもそも、≪極剣≫一人で彼らの階層更新を行うのは、本格的に迷宮踏破へ動き出す前に、【封神四家】に気取られないようにするためだ。
≪木剣道≫のメンバーたちと『闇鴉』が大勢で迷宮に入って行ったとなれば、探索者ギルドが≪木剣道≫に協力していることも四家に知られてしまうだろう。
そうなれば迷宮を踏破する前に四家が介入して来ることは間違いない。
それを防ぐため、各人バラバラに迷宮へ入り、迷宮内で集合することにしたのだ。≪極剣≫だけで『闇鴉』の階層更新をするのも、四家に気取られないためである。
とはいえ本来なら不可能だと断言するところであるし、馬鹿馬鹿しいと一笑に付すべき内容だ。
しかし、と隊長は思う。
「≪極剣≫殿が一人で我らを連れて行くと言ったのだ。それができるという確信があるのだろう」
かの特異個体発生による迷宮での「大発生」において、彼ら『闇鴉』は特異個体の発見、追跡、監視などでそれぞれに技を振るった。
その際、特異個体討伐の先頭に立って活躍した≪極剣≫とは、何度か話す機会もあったし、その凄まじい戦い振りを遠くから目撃したこともある。
特異体ノルド討伐戦の時も、彼らは討伐メンバーたちの戦いを見守っていた。
おそらく≪木剣道≫メンバー以外では、自分たちこそが≪極剣≫の本当の実力を一番正確に把握しているだろうという確信がある。
だからこそ、だ。
部下たちに蔓延する浮わついた空気、興奮。
探索者として迷宮の攻略は諦め、ギルドに雇われる道を選んだとはいえ、強者に羨望と尊敬の念を抱く気持ちまで失ったわけではない。
今回の探索で≪極剣≫がどんな戦いを見せてくれるのか、それを想像して興奮する気持ちは隊長にも共感できた。だからこそ、部下たちの軽口も止めないのだ。
「イグニトールも、≪極剣≫殿お一人で倒してしまわれるつもりなんでしょうか?」
再び部下が問う。
いや、それは問いというよりは単なる雑談というべきかもしれないが。
「そう聞いている」
≪極剣≫が一人で≪氷晶大樹≫を討伐できることは、ギルドは把握していた。というのも、狂ったように何度も≪氷晶大樹≫を狩っているのだから、気づかないわけがない。実際、『闇鴉』でも≪極剣≫が単独で≪氷晶大樹≫を討伐した場面を確認している。
だが、イグニトールを単独討伐したという話は、さすがに聞いたことがない。
というより、考えるまでもなく無理だ。不可能だ。挑戦することさえ馬鹿馬鹿しいと断言できる。
それでも≪極剣≫は気負うことさえなく、今回の階層更新を自分一人だけで行うと言ってみせた。その時の様子は、自分たち『闇鴉』を戦力として当てにしているような態度でもなく、ごくごく当然に、自分ならそれができると確信している様子だった。
その大言壮語には、しかし隊長でさえ否定できない重みがある。なにせ相手はかの≪極剣≫だ。何が起こってもおかしくない。
そんな内心の興奮をおくびにも出さず、隊長は静かに逸りそうになる気持ちを落ち着けた。
そうして部下の質問へ端的な答えを返すと、部下は微かに不満そうな顔をする。おそらくは無理だとか、できるわけがないとか、そういった違う答えを望んでいたのだろう。
だが、いくら自分も少々浮わついているとはいえ、これ以上部隊の気を緩めるわけにはいかない。
隊長はコートの内ポケットから懐中時計を取り出すと、時間を確認した。
「――そろそろ約束の時間だ。もう来てもおかしくはないが……」
言って、木々の間から森の外へと視線を向ける。
今は気候も落ち着いている雪原階層は、遠くまで良く見渡せる。しかし、白い雪原に他の色は見当たらない。まだこちらに向かって来ていないのか。【魔力感知】も含めて感覚を研ぎ澄ませど、≪極剣≫と思われる気配は知覚できなかった。
その時。
「――あのぅ」
「「「ッ!?」」」
森の中、自分たちが集合している場所、至近から、見知らぬ男の声が響いた。
反射的に警戒体勢を取り、声の方へ振り向く。
(バカなッ!? 何の気配も感じなかったぞ!! いつからそこに!?)
そこにいたのは、分厚い毛皮のコートを身に纏い、自身の身長ほどもある長い杖を地面に突いた男。コートのフードを目深に被っているためか、顔は良く見えない。
一瞬、魔法使いかとも思ったが、どうにも違う。そもそも手に持っている杖が、魔法使いのそれではない。
まっすぐに伸びた、一本の黒い棒。よくよく観察してみれば、それがエルダートレントの芯木から削り出された代物と分かるが、魔道杖としての特別な加工が施されているようには見えない。完全にただの棒だ。
だが、油断などできるわけもなかった。
(何という気配の薄さだ。凄まじい隠形……)
こうして近くで対面していても、魔力を知覚することができない。完全に魔力を非活性化した上で、体内に押し留めている証拠だ。それだけでなく、まるで幽鬼のような存在の希薄さ。
(同業者か)
素早く静かに短剣を抜いて構えながら、隊長はそう判断する。
周囲で部下たちも、それぞれの武器を抜いて警戒していた。
「……何者だ?」
敵意一歩手前の緊張感を声に滲ませ誰何する。
だが、対する男の答えは、気の抜けるような調子だった。
「いや、お待たせして申し訳ない。私ですよ」
そう言って、男はフードを脱ぐ。
下から現れたのは、誰が見ても体調の悪そうな顔だった。頬がげっそりと痩け、目の下には隈がある。血の気を失ったように顔相は蒼白い。だが、その状態で男は微笑みを浮かべていた。
たとえるなら、それは不治の病を患い長い者。末期患者が苦痛の果て、自らの死を受け入れ、残り僅かな生に感謝しつつ過ごす日々の、透明な微笑み。
半身を死後の世界へ踏み入れ、自らの運命を受け入れた者だけが浮かべることのできる、聖者のごとき柔らかな表情だった。
だが……、
「……誰?」
「誰だ?」
「知り合い……か?」
まるで自分たちが知己の間柄のように言って顔を見せた男だが、部下たちの間で戸惑いの声が漏れる。
全員が見覚えのない様子であった。
しかし、程なくして隊長は「ん?」と首を傾げた。
目の前の男を、確かにどこかで見たことがあるような、そんな気がしたのである。
隊長はまじまじと男の顔を見つめた。
そして――――気づく。
気づいて、震えた。
あまりにも雰囲気が違うので分からなかった。だが、確かにそれは、自分たちが知っている人物だったのだ。
思わず目を剥いて、叫んだ。
「きょ、きょっ、≪極剣≫殿ぉッ!? ど、どうしたのですかそのお姿はッ!?」
「「「ふぁッ!?」」」
遅ればせながら、部下たちも気づいて声をあげた。
そこにいたのは、紛れもなく≪極剣≫アーロン・ゲイル、その人だったのである。
「ははは」
アーロンは孫を見守る祖父母のような優しげな顔で、驚く彼らを見返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます